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知の枠組みが救ってくれるもの: 自律神経と生きやすさ

    よく頑張り過ぎてエネルギー切れを起こして体調を崩すから、テンションの上がり過ぎることはしないようにして落ち着い〜〜てゆったり過ごそうとしていたら、それはそれで元気をなくしてシュン…としてしまっていた。

    そこでひとさじの「ワクワク!」を投入してみたらたちまち元気になったから、
    やっぱり物事はバランスなんだなぁと思う。

    交感神経が昂りやすいタイプだから「副交感神経、副交感神経…」と思って過ごしていたら、今度は交感神経が働かなくなり過ぎたということ。なんとも人間の(私の)身体というものはめんどっちいものである。

    ※注:
    交感神経と副交感神経は自律神経系の二つの要素。
    交感神経が「イェーイ!!楽しい!!ワクワク!!(行き過ぎると疲れる)」という状態で、副交感神経が「ゆったり…おっとり…のんびり…(行き過ぎるとシュン…)」という状態を喚起する存在だと理解している。


    けど多分、今までも私の身体はこの自律神経の行ったり来たりを繰り返していて(おそらく生きている間ずっと)、
    どちらかが超過して体調を崩したこともあっただろうけど、この「交感神経・副交感神経」という言葉を知らなかった頃の私はそこに問題があるということ自体気づいていなかっただろうと思う。

    そう思うと、「知っている」ということは実に大切なこと。

    もちろん「知った気になる」ことが一番危険であるといえばそれはそうなんだけれども、
    とにもかくにも「なんかちょっとでも知っている」状態にはならないと、そもそも土俵に足がかかってすらいないよね、と思う。

    悩んだとき、行き詰まったとき、
    もう自分ではどうしたらいいかわからなくなってしまったとき。

    そういうときに自分の外にある知の枠組みを導入することで助けられることが最近多くて、
    自分で考え詰めて「もうわからん!」となったときにはちょっと息抜きで外を覗いてみるのも大切だなぁと感じる。


    特に最近では、心を健康に保つこととか自分を労わることとか、今までの時代では顧みられてこなかった要素にも時代の脚光が当たっているのを感じる。

    なんやかんやの時代と社会の変遷を経て、人間が「学びたい」「解明しなければ」と思うことも少しずつ変わってきているんだろう。

    「体系化」という言葉が私はなんだか好きだ(そういうとロジック中毒にも聞こえそうだが…)。
    今までモヤっとしていて良くわからなかったものにスッと枠組みと形が与えられる感じが
    なんとも言えない安堵感と爽快感を与えてくれる気がする。


    そういう、知の枠組みによって感情とか感性とか人間の心のモヤモヤしたものに明晰な形が与えられていく、そういう面白さを誰かとおしゃべりしたり共有できたりしたら最高だよね〜と思う。

    そういう場をいつか作ってみたい。

     
     
    アート/感性、人文/知、暮らしの交差点について。 都内ギャラリー勤務の20代です。 お気軽にフォローしてください🌿 ・ 社会学学士/学部で文化経営ゼミ所属/アート団体インターン経験/都内ギャラリーにて勤務 ・ 展示レポ/読書記録、プチ人文エッセイ、 … and more.

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