
父が自分の名前を書けなくなった日
父はもともと不器用だった。
若い頃から細かい作業が苦手で、箸の持ち方も、字も、お世辞にも綺麗とは言えなかった。だから脳梗塞で倒れた後も、手先が覚束なくなっていくのを、私はしばらく気に留めなかった。後遺症なんだろう、そんなものだろう、と。
脳梗塞の後遺症で、父は失語症になった。言葉が出にくくなった父との会話は、以前より格段に減った。電話をしても、短い言葉を絞り出すのがやっとで、「元気か」「うん」、それだけで終わることも多かった。体の変化があっても、父は言葉にできない。母も、まさかとは思っていなかったのだろう。
異変に気づいたのは、父が自分の名前を書けなくなったと母から聞いたときだった。
署名が必要な書類があって、父にペンを渡したら、手が止まったまま動かなかったという。自分の名前くらいは、と思っていた母も、さすがにおかしいと感じたらしかった。私も同じだった。不器用な父でも、自分の名前だけは書けるはずだった。
検査を重ねた結果、パーキンソン病という診断が出た。脳梗塞から、7年が経っていた。
「やっとわかった」と思った。
悲しむべき場面だったのかもしれない。難病の告知を、娘として泣いて受け止めるべきだったのかもしれない。でも正直な気持ちは、安堵に近かった。ずっと「何かがおかしい」と感じながら、でも何がおかしいのかわからないまま過ごしてきた日々に、ようやく名前がついた気がした。
その電話を受けたとき、私にはまだ、誰にも話せないことがあった。
不妊治療をしていることを、父にも母にも話していなかった。そして数日前、赤ちゃんを亡くしたばかりだった。お腹の子がいなくなったことも、当然、誰にも言えなかった。
父のパーキンソン病と、私の流産。ふたつの悲しみを、それぞれひとりで抱えながら、私たち親子はその日、電話口で短い言葉を交わした。
「大変だったね」
そう言うのが精一杯だった。父が何を思っていたかは、わからない。失語症の父は、多くを語らない。でもきっと父も、いろんな気持ちを言葉にできないまま、受話器の向こうにいたのだと思う。
それから数年が経ち、あの頃には想像もしていなかった景色の中に、今の私はいる。
不妊治療の末に授かった息子は、3歳になった。
ある日、父が玄関で靴を履けずにいた。パーキンソン病で固くなった体は、かがむことも、指先を動かすことも、ままならない。すると息子が父の隣にしゃがみ、小さな手でかかとをトントンと押してあげた。誰に教わったわけでもなく、ただ自然に。父は黙ったまま、息子を静かに見ていた。
言葉を持たない父と、言葉を覚えたての息子。ふたつの小さな手が、玄関先でそっと触れていた。
あの日、ひとりで泣いた私には、想像もできなかった景色だった。