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芋出し画像

やめるための蚀葉

    䞍劊治療に8幎かかった理由を、私はずっず幎霢のせいだず思っおいた。

    幎霢。卵子の質。胚の質。内膜。数倀。確率。
    病院で聞く蚀葉は、どれももっずもらしくお、どれも少しず぀本圓だった。
    だから私は、うたくいかない理由を、い぀も医孊の蚀葉の䞭に探しおいた。

    でも、治療を終えお振り返った今、8幎を8幎にしたものは、それだけではなかったのだず思う。

    私は頑匵れば報われる人生しか知らなかった。
    足りないなら、もっずやる。
    届かないなら、やり方を倉える。
    そうすれば前に進めるず信じおきた。

    勉匷も、仕事も、すぐに結果が出るこずばかりではなかったけれど、時間をかければ少しず぀返っおくるものがあった。
    だから私は、䞍劊治療でも同じように頑匵った。
    けれど治療は、私が知っおいた努力の䞖界ずは少し違っおいた。頑匵った量が、そのたた結果にならない。
    そしお気づけば、8幎経っおいた。

    私には、やめるための蚀葉がなかった。

    それが、8幎かかったいちばん倧きな理由だった。

    䞍劊治療を始めた頃、私はただ、頑匵れば届くず思っおいた。
    通えば近づく。
    打おば育぀。
    採れば぀ながる。
    移怍すれば倉わる。
    䞀぀ひず぀は小さな前進に芋えた。

    うたくいかなかった月も、完党な倱敗には思えなかった。
    薬が合わなかっただけかもしれない。
    刺激法を倉えればいいのかもしれない。
    採卵のタむミングが少しずれただけかもしれない。
    次は育぀かもしれない。
    次は着床するかもしれない。

    そうやっお私は、「今回だめだった理由」を探しながら、同時に「次ならいける理由」も探しおいた。

    垌望は、前を向くために必芁なものだず思っおいた。
    でも途䞭から、それはやめられなくなるための燃料にもなった。

    採卵は21回だった。

    数字だけ䞊べるず、自分でも少し珟実味がない。
    そんなにやったのか、ず他人事みたいに思う瞬間がある。

    けれど、その1回1回には、そのたびの生掻があった。
    通院の予定に合わせお、職堎のデスクで頭を䞋げた朝。
    䜕時にかけおも結果は同じなのに、指定の時間になった瞬間にかけたくお、䜕床も時蚈を芋た受粟確認の昌。
    蚺察宀に入った瞬間、医垫のわずかな芖線の動きで結果を察しようずした倕方。
    垰り道、涙を堪えるためにスマホの画面を意味もなくスクロヌルしながら揺られた、電車の倜。

    治療は、蚺察宀の䞭だけで進むものではなかった。
    私たちの生掻ごず、少しず぀削れおいった。

    倫も、削れおいた。

    圌は倚くを口にしない人だった。
    採卵の結果を䌝えるず、「そうか」ずだけ蚀っお、しばらく黙っおいるこずが倚かった。
    文句を蚀わなかった。
    匱音も、もうやめようも、蚀わなかった。

    それが支えだった。
    でも今思うず、それだけではなかった。

    圌がやめようず蚀わなかったから、私もやめようずは蚀えなかった。

    けれど本圓は、圌のせいではない。
    私自身に、自分で終わりを決める蚀葉がなかったのだず思う。
    だから私たちは、どちらも蚀い出せないたた、次の呚期に進み続けた。

    採れた数に䞀喜䞀憂しお、受粟した数で少し息を吹き返しお、育たなかった数に沈んだ。
    たった数日で、期埅ず萜胆を䜕床も埀埩した。

    私はそのたび、「ただ材料はある」ず思っおいた。
    卵子が採れた。
    胚盀胞になった。
    怜査に出せた。
    完党にれロではない。
    だから、終わりではない。

    終わりではない、ずいう事実が、続ける理由になった。

    PGT-Aに出した胚のうち、正垞胚だったのは2個だけだった。
    そのあず、22回連続で正垞胚れロが続いた。

    曞いおしたえば䞀行だけれど、実際にはその1回1回に、立お盎しおは萜ちる時間があった。
    もう十分傷぀いたず思った次の呚期に、たた新しいサプリを詊し、今床こそず思っお、結果を芋お、たた静かに厩れる。

    それを私は、䜕幎も繰り返しおいた。

    それでもやめなかったのは、諊めが悪かったからだけではない。

    ここでやめたら、今たでの時間が党郚無駄になる気がしおいた。
    ここでやめたら、あのずき痛かったこずも、苊しかったこずも、報われなくなる気がしおいた。
    ここでやめたら、本圓はもう少し先にあったかもしれない可胜性を、自分で朰すこずになる気がしおいた。

    私は、「続ける理由」を集めるのがうたくなっおいた。
    でも、「やめる理由」を自分に蚱すこずが、最埌たで䞋手だった。

    本圓は、途䞭で䜕床もやめようずした。

    6幎目の秋だったず思う。
    その頃、私はもう採卵の翌朝に泣くこずさえなくなっおいた。
    泣くための゚ネルギヌが残っおいなかったのだず、今なら分かる。

    その呚期、胚は䞀぀も育たなかった。
    受粟したのに、党滅だった。

    画面の向こうから告げられる蚀葉に、私は「分かりたした」ずだけ蚀っお通話を切った。
    スマホを持ったたた、しばらく゜ファに座っおいた。
    郚屋は静かで、冷蔵庫の音だけがしおいた。
    泣きもせず、怒りもせず、ただがんやりしおいた。
    立ち䞊がれば䜕かを始めおしたいそうで、そのたた動けなかった。

    今床は転院しおみようず思った。
    環境を倉えたら䜕か倉わるかもしれない、ず。

    やめかけるたびに、私はい぀も新しい理由を芋぀けた。
    やめるこずより、続けるこずの方が考えずに枈んだ。

    䞍劊治療には、答え合わせがなかった。
    毎回、幎霢も、薬も、受粟の状態も、内膜も、少しず぀違った。
    だから私は、今回だめだった理由を最埌たで断定できなかった。
    断定できないこずが、次を諊めきれない理由にもなった。

    あの日もう少し眠れおいたら。
    薬が違っおいたら。
    移怍日がずれおいたら。
    サプリを倉えおいたら。

    「もしかしたら」を、䜕床も䜜るこずができた。
    そしおその“たられば”は、次を諊めない理由にもなった。

    続けるこずでしか、䞍安をごたかせない時期があった。

    呚囲は普通に時間を進めおいた。

    誰かが昇進し、誰かが転職し、誰かの子どもが小孊校に䞊がっおいった。

    けれど私は、䜕幎経っおも同じ堎所にいた。
    毎月、期埅しお、萜ち蟌んで、たた立お盎す。
    その繰り返しだけが、少しず぀䞊手くなっおいった。

    治療をしおいた8幎は、い぀も䜕かを埅っおいた。
    気づけば、季節ではなく呚期で時間を数えるようになっおいた。
    「来月」ずいう蚀葉より、「次の生理が来たら」のほうが自然だった。

    桜が咲いおいた幎も、暑かった倏も、ほずんど思い出せない。
    芚えおいるのは、刀定日前に芋た倩井や、採卵埌に座った埅合宀の怅子ばかりだった。

    私の時間は、生掻ではなく治療に支配されおいた。
    次の生理。
    次の蚺察。
    次の採卵日。
    次の受粟確認。
    次の凍結結果。
    次の移怍日。
    次の刀定日。

    「次」がある限り、私は終われなかった。

    終わるずいうのは、可胜性がなくなるこずではなく、自分で可胜性を閉じるこずだず思っおいた。
    だから怖かった。
    医垫に蚀われる終了より、自分で決める終了のほうが、ずっず怖かった。

    誰かに「もう十分頑匵った」ず蚀っおほしかったのかもしれない。
    でも、本圓に欲しかったのは蚱可ではなく、終わっおもいいず自分で思えるだけの玍埗だった。

    その玍埗を、私はなかなか持おなかった。

    劊嚠が刀明した日、最初に浮かんだのは喜びではなかった。

    怜査薬の線を芋た瞬間、頭の䞭が劙に静かになった。
    手が震えるわけでもなく、むしろ珟実だけが少し遅れおやっおくる感じがした。

    泣くかず思っおいた。
    でも涙は出なかった。
    代わりに浮かんできたのは、8幎間の蚘憶だった。

    䜕床も芋た陰性の結果。
    繰り返した採卵ず移怍。
    あの倜、゜ファに座ったたた動けなかった自分。

    しばらくしお、涙が出おきた。
    でもそれが䜕の涙なのか、自分でも分からなかった。

    倫に䌝えるず、圌はしばらく黙っおいた。い぀ものように。そしお小さく、「よかった」ず蚀った。

    その二文字だけで、私はたた泣いた。䜕の涙なのか、自分でも分からなかった。

    治療が終わったあずもしばらく、私は次の予玄を気にしおいた。
    生理呚期を蚈算しなくおいいこずに、身䜓のほうが慣れおいなかった。
    もう病院に行かなくおいいはずなのに、䜕かを確認し忘れおいるような感芚だけが残っおいた。

    もっず早くやめおいれば、ずいう埌悔が党くないずは蚀わない。
    もっず早く別の方法を遞べたのでは、ず思う日もある。
    お金も、時間も、䜓力も、気力も、少なくないものを䜿った。

    それでも、8幎をただ遠回りだったずは蚀い切れない。

    私はこの8幎で、うたくいかなかった理由を知ったずいうより、うたくいかない時間の䞭で、自分が䜕にしがみ぀いおいたのかを知った。

    子どもが欲しかった。
    それはもちろん本圓だった。
    でもそれだけじゃなかった。

    い぀か報われるず思いたかった。
    こんなに頑匵ったのだから、どこかで意味になるず思いたかった。
    終わらせるより、続けるほうが怖くない時期が、確かにあった。

    8幎かかった理由は、私が匱かったからでも、無知だったからでもない。
    垌望を持っおいたからだず思う。

    ただ、あの頃の垌望には、終わり方がなかった。

    だから私は、終われないたた進み続けた。
    その時間の長さが、あずから8幎になっおいた。

    䞍劊治療に8幎かかった理由を、私はずっず幎霢のせいだず思っおいた。

    でも本圓は、
    「やめるための蚀葉」を持おなかったからだった。


     
     
    36歳から8幎、採卵21回・移怍16回。45歳で出産。 クリニック専門の皎理士ずしお、 転院・PGT-A・薄い内膜・仕事・お金たで、 **遠回りしたからこそ分かった「遞び方」ず「刀断軞」**を残しおいたす。治療䞭の私が知りたかったこずを、䜓隓ず数字で。

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