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第17話「布告」死に損ないの五十歳は、羽ペン一本で英雄譚を組み直す   


     王都の南の外れ、畑の尽きるあたりに、低い土壁の建物があった。門の上に、麦の穂を抱いた女神の浮き彫りがある。長い年月で、輪郭がすり減っていた。

     マーフナーズが先に立って、門をくぐった。
    「ただいま戻りました」
     声を張ったわけではない。それでも、奥から子どもが二人、三人と駆けてきた。マーフナーズの腰に取りつき、見上げ、後ろの三人を見て足を止めた。
     ルシファーは黙って立っていた。子どもたちは、彼の白い衣の裾を遠くから眺めていた。
     建物の戸口から、年配の女が出てきた。この院の、院長だった。前掛けで手を拭きながら、マーフナーズを見て、足を止めた。
    「……マーフ」
    「ゴルナールさん」
     ゴルナールは何か言いかけて、口をつぐんだ。代わりに、マーフナーズの頬に手を当てた。それから、後ろの三人へ目をやった。
    「お客さんかい」
    「ええ。客間を、お借りします」
    ---
     客間に通された。
     床に、分厚い絨毯が敷かれていた。赤と紺の細かな文様が織り込まれ、端は擦り切れている。白い漆喰の壁には、アーチ型の小さなくぼみがいくつか掘られ、古い聖典と、油の切れかけたランプが収まっていた。
     壁の高みに、色硝子をはめた格子窓があった。日が落ちかけて、最後の光が硝子を抜け、絨毯の上に赤と青の粒を散らしている。粒は、見る間に薄れていった。
     やがて、火皿に火が入った。
    「お湯を、淹れてきます」
     マーフナーズが立って、土間の奥へ消えた。
     入れ替わりに、ゴルナールが火皿のそばに腰を下ろした。火に、手をかざす。
     ゴルナールは、しばらく火を見ていた。
    「あの子はね、小さい頃から、出来が良すぎたんだ」ゴルナールが言った。「だから聖女に担がれた。院に恩があったからね、断れやしない」
     火が、細くなった。
    「北を見に行って、一年、帰ってこなかった。そうしたら——職を放って遊んでた、とさ。代わりもいる、と」
     ゴルナールは、前掛けで手を拭いた。
    「今の聖女様より、あの子の祈りは届いた」
    「この院も、楽じゃない」ゴルナールが続けた。「前の聖騎士長の頃は、配給が回ってきた。代わってからは、止まった。ミスラ様の院が先だ、と」
     オジーの視線が、止まった。
    (……アルサンが)
    「あの子が時々、銭を置いていってくれてね」ゴルナールが言った。「それで、繋いでた」
     オジーは、子どもらの寝ている方へ目をやった。
     やがて、マーフナーズが湯を運んできた。
     五人で、火皿を囲んだ。
     オジーは膝に手を置いた。
    「頼みというのは、北のことだ」
     マーフナーズが顔を上げた。
    「いずれ、魔神王を討ちに行く」オジーは言った。「祓える者がいる。あんたしか、当てがない」
     マーフナーズが、湯呑みに口をつけようとして、止まった。
    「……魔神王を」
    「ああ」
    「私は、剣も魔法も使えません」
     口を開いたのは、ルシファーだった。
    「あれは、斬るだけでは倒れん。祈りが要る」
     ルシファーが、マーフナーズを見た。
    「マーフナーズよ、お前の務めは、そちらだ」
     マーフナーズは、すぐには答えなかった。
    「私が行きたいのは、倒れていく人のところです」
    「魔神を放っておけば、いずれこの国も、ドゥラナと同じだ」オジーは言った。
     マーフナーズが、オジーを見た。
    「……北を、取り戻さなければ」
     マーフナーズは、湯呑みを両手で包んだ。
     火皿の火が、揺れた。
    「でも、私がいなくなったら、この院は」
     戸の向こうで、咳の音がした。
     マーフナーズが立ち上がって、奥へ消えた。
    ---
     オジーは立って、奥へ向かった。
     小部屋に、藁を敷いた寝床があった。煎じた香草の匂いがする。
     マーフナーズが、子どもの枕元に膝をついていた。額に汗をかいた子どもの首筋に、黒い斑がいくつか浮いている。
     マーフナーズが、子どもの額に手を当て、目を伏せた。唇が、声にならない言葉を動かす。アールマティへの祈りだった。
     オジーの胸元で、首から下げた印章筒が、淡く光る。
     子どもの荒い息が、静まった。
     だが、斑は、引かなかった。
    「普通の病でも、毒でもない。北で、見たものと同じです」
     マーフナーズは、子どもの顔を見た。
    「弱った者から、先に」
     ゴルナールが、煎じた香草を布に包んで、子どもの胸に当てた。
    「こうすれば、少しは楽になる」
     オジーは、その斑を見た。
     子どもの手が、藁の上に投げ出されていた。小さな手だった。
     ——白い天井。
     オジーの息が、浅くなった。
     ——アラーム音。
     ——小さな、手。
     オジーは瞬きをした。
     目の前には、香草の匂いと、眠る子どもがあった。
     ツヴァイテが、戸口に立っていた。眠る子どもを見ていた。
    「……俺も、こういうとこにいた」
     ツヴァイテが、ぽつりと言った。
    「院長が、厳しくてさ。でも、飯はちゃんと食わせてくれた」
     それきり、口をつぐんだ。
    ---
     夜になった。
     子どもたちが寝静まった後、ゴルナールが、マーフナーズの前に座った。
    「行くんだろう」
     マーフナーズが、顔を上げた。
    「……ゴルナールさん」
    「顔に書いてある。昔から、そうだ」ゴルナールが言った。「聖女に担がれた時も、出ていった時も。帰ってきた時も。ぜんぶ、顔に出てた」
     マーフナーズが、口を開きかけた。
     ゴルナールが、手を上げて止めた。
    「ここは、いい」ゴルナールが言った。「この院は、あたしが守る。子どもらは育てる。あんたを育てたみたいにな」
     マーフナーズの目が、揺れた。
    「あんたが守るのは、ここじゃない」ゴルナールが言った。「もっと——たくさんの、誰かだ」
     マーフナーズは、しばらく動かなかった。
     それから、深く、頭を下げた。
    ---
     夜が更けた。
     オジーは、寝つけずに外へ出た。
     井戸端で、ルシファーが月を見上げていた。少し離れて、ツヴァイテが剣を振っている。
    「……揃ったな」ルシファーが言った。
    「ああ」
     戸が、静かに開いた。マーフナーズが、外へ出てきた。
     ツヴァイテの剣が、ゆっくり降ろされた。
     マーフナーズは、三人の傍らに立った。
     北の空は、もう暗かった。
     マーフナーズは、その暗がりを、まっすぐに見た。
    ---
     翌朝、王都は騒がしかった。
     大通りの辻に人だかりができていた。石壁に、真新しい布告が貼り出されている。人垣の後ろからは読めない。前の方で、誰かが声に出して読み上げていた。
    「——アルダシール王国国王、ウィシュタースパ・アルタ・ハカーマニシュの名において、諸国の王侯、諸侯、志ある者へ告げる」
     人垣が、静まった。
    「魔神王討伐のため、会議を召集する。英雄王国、神聖王国、魔法王国、三国の承認をもって、これを布く——」
     オジーは足を止めた。
     読み上げる声が続く。北方の疫病についての調査、対策。参集の期日。ざわめきが声を呑み、切れ切れにしか届かない。
    「会議ってのは、なんて名だ」
     誰かが訊いた。読み手が布告を目で追い、首を振る。
    「書いてない。ただ、集まれと」
     人垣の後ろで、老人が呟いた。
    「三つの国が揃って判を押すのを、生きてるうちに見るとはな」
     オジーは人垣の縁を回り、布告の端に目を走らせた。進路の項に、地名が並んでいる。その中に、一つ。
     ——ドゥラナ。
     隣で、ツヴァイテの足が止まっていた。布告のその一点を、見ている。
     その指が、剣の柄頭に触れていた。猪の牙の彫りを、親指がなぞっている。
     オジーは何も訊かず、人垣を離れた。
    ---
     宿に戻ると、ルシファーは窓辺の椅子で杯を傾けていた。
    「聞いたか」
    「聞くまでもない」ルシファーは杯を置いた。
     マーフナーズが、卓の上で指を組んでいた。
    「布告に、黒斑病のことが」
    「ああ。調査の結果と、政策を諸国で詰めるらしい」
    「……国が、認めたんですね」
     マーフナーズは目を伏せた。北で一人、見て回っていたものが、ようやく紙の上に載った。その顔には、安堵とも悔しさともつかないものが浮かんで、消えた。
     ツヴァイテが、戸口に立ったまま口を開いた。
    「ドゥラナって、書いてあった」
    「ああ」
    「滅んだ国だって、聞いてた。……通り道になるの?」
    「通り道か、戦場か」オジーは椅子に腰を下ろした。「軍を北へ入れるなら、まずあそこを取り返すことになる」
     ツヴァイテは、しばらく黙っていた。
     ルシファーが、窓の外へ目をやった。
    「役者を集める気だな、あの国の王は」
    「ダリウスの親父だ。豪気なのは血筋だろう」
     オジーは卓の上の羊皮紙を、一枚ずつ確かめて束ねた。一枚だけ、行の途中でインクが途切れている。まだ、書き上がっていない。
    「……ゴルナールさんから、聞きました。発つ前に、置いていかれたと」
     マーフナーズがオジーを見た。
    「湯代だ」
     オジーは羊皮紙から目を上げなかった。
     マーフナーズが、静かに頭を下げた。
     端を揃えて、革袋に収めた。
    (会議、か)
     魔神王を討つ。口で言うのは容易い。だが一党でどうにかなる相手ではないことを、オジーは腹の傷で知っている。国が動く。軍が要る。祓う者も、討つ者も、集められるだけ集める——それでようやく、届くかどうかの相手だ。
     仕込みは、まだ足りない。
    「英雄王国へ行く」
     オジーは椅子を引いて、腰を上げた。
    「マーフ、あんたの目で見た北を、話せる場ができた。ツヴァイテ、お前の剣は、まだ強くなる。俺は——」
     言いかけて、やめた。
    「まあ、いい。行けば分かる」
     ツヴァイテが笑った。マーフナーズが頷いた。ルシファーは杯を干して、立ち上がった。
    ---
     南の門を出ると、道は二股に分かれていた。
     右は、来た道。左は、南東へ——英雄の道。三つの国を結ぶ、古い幹線だった。千年前、魔神王を討った後に敷かれたと聞く。
     その道の先は、朝の光の中に霞んでいた。
     ツヴァイテが先に歩き出した。マーフナーズが続く。ルシファーが、ゆっくりとその後を行く。
     オジーは一度だけ、北を振り返った。
     空の際が、暗い。
     オジーは前を向き、英雄の道へ足を踏み出した。


    ・・・・・・・・・・

    【第1部】は、ここまでです。
    英雄の道の先は、英雄王国。オジーが死んだことになっている国です。面をつけ、名を変えて、故郷へ帰ります。
    続きは【第2部】で連載中です。
    【第2部】死に損ないの五十歳は、羽ペン一本で英雄譚を組み直す   第18話 仮面と名

    お読みいただきいりがとうございました。


     
     
    五十歳、Bランク、才能なし。 王道ファンタジー 『死に損ないの五十歳は、羽ペン一本で英雄譚を組み直す』 連載中 異世界転生 × 古代ペルシャ風 楽天ROOMもやってます

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