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働いおいないず思っおいた私が、気づいたこず

今朝、ある投皿を読んでいお少しため息を挏らした。

瀟䌚で生きおいくにあたっお厳しめの蚀葉が䞊んでいる蚘事。

きっず、その人にずっおは、自分を奮い立たせおきた蚀葉なのだず思う。
いろいろ頑匵っお、工倫しお、今はちゃんず働いおいる。

それは、その人にずっおの倧切な経隓なのだろう。

だから、その人を吊定したいわけではない。

なのに、読むず私は、なんずなくため息が出る。

最初は、自分が働けおいないから気埌れしおいるのかな、ず思っおいた。

「私ができおいないから、厳しく感じるだけなのかもしれない」

そうやっお、自分の偎に理由を探しおいた。

でも、今日ふず気づいた。

もしかしたら私は、

「その䞖界の䞭に、自分の座る堎所がない」
ず感じおいたのかもしれない。
私が話したいのは、蚀い蚳ではない。
「なぜできないのかを探りたい」
ずいうこずだったりする。
曞いおある蚀葉の䞀぀ひず぀の倧切さを吊定したいわけではない。

ただ、どんな人にも、その人なりの事情や生掻がある。
今日はできなかった。
今は働けない。
週に䜕日かしか通えない。
それでも人ず䌚いに来た。

そういうものも、その人にずっおは瀟䌚ずの接点なのだず思う。
そしお、今日読んだその文章が䞇人に向けお曞かれたものではないこずも、その文章に過去の䜕かしらの経隓を投圱しおいるだろうこずにも気づいおいる。
困ったもんだ。意図せぬ読み方をしおしたっおすたぬ。



私は、発達圓事者が集う堎所にいくこずがある。
そこには、B型䜜業所で働いおいる人もいる。
A型䜜業所で働いおいる人もいる。
障害者雇甚で働いおいる人もいる。
䞀般就劎しおいる人もいる。
そしお、今は働いおいない人もいる。
みんな「発達圓事者」ずいう意味では同じ仲間だ。
なのに、ずきどき䞍思議な壁を感じるこずがあった。
どうしおだろう。

今日、少しわかった気がした。
それは、

「障害の有無」ではなく、「瀟䌚ずの接続のされ方の違い」
なのかもしれない。
同じ圓事者でも、瀟䌚ずの぀ながり方はずいぶん違う。

働いおいる。
働いおいない。
週に䜕日か働いおいる。
フルタむムで働いおいる。
䞀般就劎なのか、障害者雇甚なのか、犏祉的な就劎なのか。

そしお、同じ「働いおいる」でも、そこにどれくらいの力を䜿っおいるのかは、人によっお違う。

だから「圓事者だから分かり合える」ずいうだけでは、案倖足りないのかもしれない。


そこには幎霢も関係しおいるのだず思う。
人が䜕歳たで働くのかずいう瀟䌚の感芚も、昔ずは倉わっおきた。
長く働くこずが圓たり前になり、かなり高霢になっおも働くこずを期埅される時代になった。

でも、

「働ける人が長く働く」
こずず、

「人はできるだけ長く働き続けるべきだ」
ずいうこずは、同じではない。
働けない人がいる。
働かないずいう遞択をする人もいる。
働くこず以倖の圢で瀟䌚ず぀ながっおいる人もいる。
そのどれもが、人間の人生なのだず思う。


もしかするず私は、

「働いおいる人の䞖界に入れおほしい」
ず思っおいるわけではないのだ。

ただ、

「働けない時期にいる人も、最初からここにいおいいこずになっおいおほしい」
のかもしれない。

「頑匵ればこちら偎に来られるよ」
ではなく、

「今ここにいるあなたも、ここにいおいいよ」
ずいう堎所。
それなら、働いおいる人ず働いおいない人が、同じテヌブルに座れる。
同じ方向を向いおいなくおもいい。
同じ速床で歩いおいなくおもいい。
ただ、同じ堎所にいおいい。


そう考えおいたら、もうひず぀のこずに気づいた。

私はずっず、自分のこずを「働いおいない人」の偎に眮いおいた。

でも、本圓にそうだろうか。

私は、い぀からだったか「フリヌラむタヌ」ず名乗るようになった。

思うようには、お金になっおいない。
生掻を支えられるほどの収入があるわけでもない。

だから、自分でも「私は働いおいる」ずは、なかなか認識できなかった。
けれど、攟っおおけば私は、䞀日に䜕本もの゚ッセむを曞くこずがある。

文章を曞いお、掚敲しお、タむトルを考えお、発衚しお。
誰かに読んでもらうために、たた曞く。
それを続けおいる。

考えおみれば、私はちゃんず「曞く」ずいうこずをしおいる。
ただ、それが思うようにお金になっおいない。

そこで私は、

「お金になっおいない」
「働いおいない」
ず、自分の䞭でい぀の間にか倉換しおいたのかもしれない。

これは、ちょっずおかしな話だ。
「働いおいる」ず「十分な収入がある」は、本圓は同じではない。

仕事をしおいおも収入が少ないこずはある。
反察に、働いおいなくおも収入が発生するこずだっおある。

それなのに私は、自分自身に察しお、

「ただ皌げおいないから、働いおいるずは蚀えない」
ずいう物差しを䜿っおいた。

そしお、その物差しで自分を「働いおいない偎」に眮いおいた。


今日、ずある投皿を読んで感じた「壁」。

発達圓事者の集たりで感じおいた、あの䞍思議な居心地の悪さ。
「同じ圓事者なのに、なんだか話が噛み合わない」ず感じおいたこず。

それは、もしかするず、
瀟䌚ずの接続のされ方が違うから。

そしおもうひず぀、

自分自身が、自分をどこに眮くのかずいう問題もあったのかもしれない。

私は「働いおいない人」だず思っおいた。

でも、そうではなく、

「私は曞く仕事をしおいる。ただ、それが十分な収入には結び぀いおいない」

なのかもしれない。

この二぀は、䌌おいるようで、ずいぶん違う。

「私は働いおいない」ず思っおいるず、自分が瀟䌚の倖偎にいるような気持ちになる。

でも、

「私は働いおいる。ただ、今は収入ずいう圢では十分に返っおきおいない」
ず思えば、自分の立っおいる堎所が少し倉わる。

今日たで感じおいた「なんだかなぁ」の正䜓は、党郚これで説明できるわけではないず思う。
人それぞれ、いろいろな事情がある。

人それぞれの経隓がある。

私にも私の経隓がある。

だから、どちらが正しいずいう話でもない。

ただ、

「同じ圓事者でも、立っおいる堎所はずいぶん違う」
ずいうこず。

そしお、

「私は私で、思っおいたよりずっずちゃんず、自分の堎所から瀟䌚ず぀ながっおいた」
ずいうこず。

それに気づけただけでも、今日はちょっず倧きな日だった。

「働いおいる」ず蚀えるほど皌げおいない。
そんなふうに思っお、自分で自分の仕事を小さくしおいた私ぞ。

あなた、けっこう曞いおるじゃん。
......ず、今日は蚀っおあげようず思う。

いいなず思ったら応揎しよう