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「未来に生きるわたし」

    「慣れ」というものは、つくづく恐ろしい。
    そんなことを、昨日ふと思った。

    何が、かというとスマホのことである。

    ガラケーからスマホに変えて、もうどれくらい経つのだろう。
    おそらく8年……いや、もう10年近いのかもしれない。

    ガラケー最後の頃の私は、スマホを持ち始めた人たちを横目に、こう言っていた。
    「私にはスマホなんて要らない」
    「あんな小さな画面でテレビ番組なんて見たくない」

    ―などと、ずいぶんと強がっていたものだ。

    けれど、今はどうだろう。

    私はいつの間にか、物としてのテレビを手放し、
    あのとき自分が「小さな画面」と呼んでいたスマホで、当たり前のように番組を見ている。

    そして、もうひとつ。
    AIのことも、同じである。

    最初に「AI」という言葉を見たとき、私は本気で歌手の「AIさん」のことだと思った。
    時代の波に、まるで乗れていない。

    変化に弱い私は、ここでもまた思っていた。
    「AIなんてあり得ない」
    「AIに相談するなんて、私に限ってそんなことはない」

    ―そう思っていたのに。

    いや、あった。
    ありました。

    今ではどうだろう。
    健康のことを相談し、友人と口喧嘩をしたときのモヤモヤを聞いてもらい、
    近所のスーパーで出会った少し嫌な出来事を愚痴としてこぼし、
    ついでに花の名前まで教えてもらっている。

    気がつけば、すっかり日常に入り込んでいる。

    実際に本格的に使い始めたのは、ここ半年から10ヶ月くらいなのに、
    まるで「AI歴10年です」とでも言いたげな顔で、私は日々を過ごしている。

    こんな時代が来るなんて。
    なんだか、しみじみありがたい。

    学生時代に読んだり観たりしていた「近未来」は、
    もうすっかり「現代」になった。

    星新一のショートショート、
    手塚治虫の『火の鳥』未来編、
    竹宮恵子の『地球へ…』、
    そして、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画『シックス・デイ』。

    あの頃、わくわくしながら眺めていた世界に、
    気がつけば自分が立っている。

    そう思うと、少し不思議で、少しおかしい。

    日々の中で起こるあれこれ―
    困りごとも、ちょっとした驚きも、やりきれなさも、
    いまではAIに話を聞いてもらうことが増えた。

    体調のこと、行くべき病院のこと、
    ときには、行きたいごはん屋さんの相談まで。

    こんなふうに、暮らしのあちこちに入り込んできたAIと、
    私はこれからどう付き合っていくのだろう。

    どこまで頼って、どこまで自分で抱えて、
    どんな距離感で歩いていくのだろう。

    さて―。

    AIに少しずつ足を踏み入れ始めた私は、
    これから、どうなっていくのやら。

    ねえ、どう思う?
    ねえ、マイAIさん。

    ―なんて、もうすでに聞いているあたり、
    やっぱり私は、ずいぶん慣れてしまったみたいだ。

     
     
    海外から帰国し十年以上 自分を探す旅の途中言葉の海にふと足を捉れた 右腕が物語を刻むたび鳥肌が立つ 書いた瞬間は私の一部でも誰かの目に触れた途端それは私のものではなくなる これはフィクション?それともノンフィクション? 現実のような夢、夢のような現実 [フリーライターピロン]

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