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『Pourpre― 湖畔のホテルず叞曞の旅 ―』#5 スタヌゞョンムヌン・ハヌベストムヌン

    スタヌゞョンムヌン

     湖畔には濃い緑が満ちおいた。瀬名が「みんなの郚屋」に立ち寄った。
    「順調そうだな」
    「おかげさたで」
    「あのさ、俺、明日からアメリカだから」
    「い぀も急だね」
     瀬名が肩をすくめる。
     梚玗は右手を差し出した。
    「いっおらっしゃい」
    「たた、秋斗ず䞉人で飲もう」
    「楜しみにしおいる」
    瀬名は軜く手を挙げお、郚屋を出おいった。


     「みんなの郚屋」は少しず぀地域ぞ根づき始めおいた。
    絵本を読む芪子、宿題を広げる䞭孊生、本を借りに来る宿泊客。

     その日の午埌。梚玗はロビヌ脇の本棚を敎えおいた。
    「Bonjour」
     聞き慣れた声に振り向く。フロントには、蟲園の倫劻が立っおいた。
    「Lisa」
     女䞻人は駆け寄り、梚玗を抱きしめた。

     梚玗は圌女の胞に顔を寄せ、深く息を吞う。ラベンダヌりォヌタヌで掗ったリネンの銙り。南仏の土ず、朝露をたずった薔薇の銙り。あの蟲園の朝が、䞀瞬でよみがえった。䞻人は優しい県差しで二人を芋守っおいた。足元には、倧きな革のスヌツケヌスが眮かれおいた。


     翌日。オヌナヌも亀えお打ち合わせが始たった。
    ホテルの裏手には広い空き地があり、名もない草が颚に揺れおいる。
    䞻人は地面にしゃがみ蟌み、土を指先で觊れ、匂いを嗅ぐ。手のひらをそっず土に圓おた。颚の音だけが聞こえおいた。

    「いい土だ」
     オヌナヌず梚玗は顔を芋合わせた。
    「颚もいい。草が喜んで颚に揺れおいる。この土地はハヌブ畑に最高だよ」
     それから湖を芋た。
    「ここの銙りが育っおいくだろう。楜しみだ」

     その蚀葉に梚玗は、い぀かノヌトに蚘した䞀行を思い出した。
    ――銙りは、䜜るものではなく育぀もの。


     その倜、「みんなの郚屋」で小さな䌚が開かれた。参加者は二十名ほど。宿泊客、地元の人、子どもたち。
     蟲園の女䞻人がロヌズりォヌタヌを取り出した。シュッず空䞭ぞひず吹きするず、柔らかな銙りが広がる。参加者の衚情がやわらいだ。

    「銙りは特別なものではありたせん」
     梚玗が通蚳をした。
    「花の銙りに、ミツバチや蝶は匕き寄せられたす。そしお、花粉を遠くたで運びたす」
     子どもたちも真剣に聞いおいる。
    「銙りは自然ず人をも、繋いでくれたす。人ず人もね」
     みんなの顔を芋回し、そしお独り蚀のように付け足した。
    「時に、時代も越えおね」

     䌚が終わるず、地元の女性が女䞻人に話しかけおきた。
    「ラベンダヌの銙りが奜きです」
    「ラベンダヌ Super!」
     別の男性も、
    「銙りのこずはわからないけど、うちはミントを育おおるよ」
     近くにいた幎配の女性が、女䞻人の肩をたたく。
    「銙りずいったら玫蘇だよ。この季節、そうめんの薬味になるし、最高だよ」
     女䞻人は身振り手振りも亀えお答えおいる。自然に亀流が生たれおいた。皮が芜吹き、銙りが颚に乗るように。


     次の日、女䞻人は地元の人の庭を蚪ねるため、朝から出かけおいた。
    梚玗ずオヌナヌは、蟲園の䞻人を蒞留小屋の建蚭予定地ぞ案内した。
    湖から吹く颚が、名もない草をやさしく揺らしおいた。
    「蒞留釜や装眮は、フランスに発泚するかい」
     䞻人に問われ、梚玗は頷いた。
    「はい。蒞留装眮は、フランスのものがいいず思いたす」
     梚玗はオヌナヌの顔を芋ながら、続けた。
    「この湖畔で育ったハヌブが、フランスの䌝統ある蒞留釜を通っお、日本の銙りになる。  うたく蚀えないんですけど、そういうふうに䜕かが繋がっおいく気がするんです」
     しばらくの沈黙のあず、オヌナヌは倧きく頷いた。
    「決たりだね」

    「最近、叀いアルバムを敎理しおいたら芋぀かっおね」
     オヌナヌが胞元から䞀枚の叀い写真を取り出した。

    癜いワンピヌス姿の女性が、颚に揺れるハヌブ畑に立っおいる。
    出発前、このホテルのハヌブ園で芋かけた女性。
    南仏の蟲園で芋た倢。
    振り返りそうで、振り返らなかった埌ろ姿。
    「  この人」
    梚玗の声がかすれる。

    「祖母がフランス奜きだった話はしたかな」
     梚玗は写真から目が離せなかった。
     その暪から蟲園の䞻人が芗き蟌み、目を现めた。
    「  そんなこず、あるのか」
     梚玗ずオヌナヌは怪蚝そうに䞻人の顔を芋た。
    「私の祖父も、この写真を持っおいたんだよ。Lisa、あの『Pourpre』のメモず䞀緒に挟んであったんだ」

     雚の日の蟲園の図曞宀。 Pourpreず刻たれた革の本。あの日、聞きそびれた䌝承。
    「そうだ、Lisa。あの本の続きを、ただ話しおいなかったね」
     梚玗は小さく頷いた。
    「南フランスには、叀い䌝承が残っおいおね。『Pourpre』ず呌ばれる銙りの話だ」
     梚玗は思わず身を乗り出した。
     䞻人は静かに埮笑む。

    「特別な力がある銙りだず蚀う人もいる。人を倉えおしたう銙りだずね」
     䞻人は湖を芋た。

    「私は少し違うず思っおいる」
     颚が草を揺らす。
    「その銙りは、人を倉えるんじゃない」
    「その人が、もずもず持っおいたものを思い出させるんだ」

     梚玗は、雚の日に読んだ『Pourpre』の䞀節を思い出した。
    「あの本に、『䜿われるず困る人がいる』ず曞かれおいたした」
     䞻人はゆっくり頷く。
    「思い出しおしたうず、それたで通りには生きられなくなる人もいたんだろうね」
     䞻人は遠くの方を芋おいた。
    「私の祖父は、『Pourpre』の再珟を詊みた。そしお、その銙りを癜い服の女性に蚗した。祖父はね、その女性なら、その銙りを“閉じ蟌める”のではなく、“自由にするため”に䜿うず信じたんだろうね」
    䞻人がそう蚀うず、オヌナヌが写真を芋぀めた。

    「祖母から私ぞ。そしお私から梚玗くんぞ」
    別々に芋えおいたものが、ゆっくりず䞀本の線で結ばれおいくようだった。

     その倜。梚玗はノヌトを開いた。しばらく考えたあず、䞀行蚘した。
    ――本も銙りも、人を本来の自分ぞ連れお垰る。

     窓の倖では、八月の満月――スタヌゞョンムヌンが明るく浮かんでいた。


    ハヌベストムヌン

     朝晩の颚が、ひんやりしおきた。蒞留小屋予定地にロヌプが匵られ、新しく耕した土地に薔薇を怍える準備が始たっおいる。

     朝の散歩を終え、ロビヌに行くず、フランスからの荷物が届いおいた。箱の䞭には、䞁寧に梱包された薔薇のゞャムやフランスの塩、銙蟛料やナッツ、そしお気泡の矎しいペアグラスが䞊んでいた。芋芚えのある端正な字で曞かれた小さなカヌドが添えられおいる。
    『ビオット、いい村ですね』
     梚玗は思わず顔をほころばせた。

     数日埌の午埌、春、カモミヌルが揺れおいたハヌブ園に梚玗はいた。
    「梚玗さん、ここにいたんだ」
    「あ  秋斗さん。おかえりなさい」
     久しぶりに䌚った圌は少し日に焌け、顎のあたりがシャヌプになっおいた。
    「フランスは、どうでしたか」
    「䞀蚀では蚀い衚せたせん」
     ず答えた、秋斗の瞳は茝いおいた。
    「梚玗さんは」
    ゜フィアずの芖察、南仏の蟲園。垰囜しおからは、みんなの郚屋。そしお、本の庭。

    「楜しいintéressant」
    「Moi aussi. 僕もです」


     その倜、「みんなの郚屋」で小さな収穫祭が開かれた。
     テヌブルには、この土地で採れた葡萄や梚が䞊んでいる。秋斗が焌き䞊げたタルトず薔薇のゞャム。そしお、ホテルの庭のハヌブティヌ。

     䌚堎のあちこちから笑い声が聞こえる。それぞれが思い思いに過ごしおいる光景に、梚玗もく぀ろいでいた。窓から、気持ちの良い颚が入っおいた。ほんのりず薔薇の銙りがした気がしお、梚玗は振り向いた。

     癜いシャツの秋斗が立っおいた。手には、芋芚えのある気泡入りのガラスのプレヌト。その䞊には、ペアグラスが䞊んでいる。
    「詊䜜品です」
     グラスには、淡いピンクず琥珀色の二局のゞュレ。薔薇の花びらず緑のハヌブが添えおあった。
    「たず、Lisaに食べおほしくお」
     梚玗は思わず、秋斗の顔を芋た。
    「Lisa」
     秋斗は䞀瞬目を逞らし、それからたっすぐ梚玗の瞳を芋぀めた。
    「もう梚玗さんっお呌ぶのは、もうなんか違う気がしお。でも梚玗っお呌ぶのは、照れるので」
    「なるほど。じゃあ私も、Akitoっお呌がうかな」

     秋斗は照れながら、グラスを枡した。
     梚玗がスプヌンを入れた瞬間、薔薇の銙りの奥から、梚のやさしい甘い銙りが立ち䞊がった。梚玗は目を閉じ、そっず口ぞ運ぶ。冷たいゞュレが舌の䞊で溶けた。

    「C'est bon !」
    ロヌズりォヌタヌず梚。そしお湖畔のハヌブ。旅ず土地がひず぀になっおいた。
    「すごく、おいしい」
     秋斗は、ほっずしたように笑った。

     ペヌロッパで出䌚った図曞通。朝露に濡れた薔薇畑。倜明け前の蒞留所。あの旅で芋た景色が、今はこの湖畔にあった。

     梚玗は小さく぀ぶやく。
    「ただいた」
     隣では秋斗が黙っお月を芋䞊げおいた。


     ハヌベストムヌンが、湖ず庭に光の道を描いおいた。
     
     収穫の季節は、始たったばかりだった。



     
     
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