
Know Pain
※本作には一部に身体的な苦痛や、ショッキングに感じられる可能性のある描写が含まれます。あらかじめご了承の上、お読みください。
昔、父は「佳央には好きな事を自由にさせたい」と言った。私はこれを言葉のままに受け取った。
「同級生の〇〇ちゃん、もう結婚して子供もいるのよ!あんたも本当はそういう歳なんだからね!」死んだ母は何度も言った。
「いつ結婚するの。」施設のベッドに横たわった祖母は、顔を見るなり言った。
「おばあちゃんに花嫁姿を見せてあげられなかったな。」葬式で父が言った。
男性にモテる努力を必死にすべきだったのか。見合いをすべきだったのか。結婚相談所に登録すべきだったのか。結婚も出産もしなかったが、強い意思で至ったわけではない。
「寺橋家はもう終わりかよ。」
夕暮れの台所でシンクに両手をつき、深くうな垂れる父。中年になった一人娘へ、無念さを滲ませ呟いた。上から差す蛍光灯の光がぼんやりと明るい。カウンターキッチンの向こうに闇が広がる。真っ暗な中で眠る飼い猫は、体を丸めたままだ。私は息を吸い込み父の後頭部を見下ろす。
「武士か!」
心の中で突っ込む。なんだよ、家って。ふざけんな。口に出せなかった。突然家が終わると嘆かれ、何をどうすりゃいいんだ。今からでも股の間から赤ん坊を出せば満足か。唇の表面が徐々に乾き、でこぼこになる。
何十年もの時間が過ぎた。今ごろになってあの言葉は、父の保身でしかなかったと知る。皆、見返りを求めていた。育てていただいた御恩とやらに、私は結婚と子供でお返しせねばならなかったのだ。何もしない、愚かで身勝手な娘に親不孝の焼印が押される。闇が背中にべったりとへばり付き、その跡を冷やした。
二人だけの食卓。野球中継から軽快なラッパが聞こえる。娘が作った夕食を、父はいつも通り黙々と口に運ぶ。その足元におこぼれを貰おうと猫が座った。数年後、私は実家を去った。
誰に構われることもなく一人で暮らす部屋。SNSにSF映画『Share the Pain』の投稿が流れる。童貞の男性は、成人男性からの挿入を受けねばならない「SP法」が存在する世界の話だ。上映時間は40分。暇つぶしに良いだろうとリモコンを手に取り、配信のボタンを押した。
静かな映像が流れ続ける。だが何かおかしい。主人公の男子高校生には彼女がいた。SPは「彼女を好きな証」。だから受けねばならなかった。彼女も「自分を好きなら受けるもの」と信じ疑わない。法律による義務を、何故か二人はロマンチックなアイテムにすり替える。
挿入シーンでは「性的さ」や「快楽」を排除し、ただ痛みを教えるためか、性交人(挿入する人)は主人公に、こんな声かけを繰り返しする。
「そうそうそうそうそう、いいよぉ~。」
「息吸ってぇ~。」
「そうそうそうそうそう。」
「はい、がんばってぇ~。」
「息吐いてぇ~、そうそうそうそうそうそう。」
「そうそうそうそうそうそう、いい感じ、いい感じ。」
物凄く適当な声掛け。やはり何かおかしい。違和感が強くなる。あまりに「そう」を繰り返すので、「モーニング娘。」の『恋愛レボリューション21』の「超超超」と連呼する歌詞を思い出してしまった。
性交人は主人公の体を全く気にかけない。ただ穴の様子を見ながら、上からアホみたいに軽い「そうそう」を大量に浴びせる。この間彼は眉間に深い皺を寄せ、前髪が額につく程汗を滲ませる。言われた通り息を吐いたり吸ったりするも、浅くしか出来ない。ずっと歯を食いしばり続け、広げた足の間からは性交人の上半身が見えた。
声掛けの内容、額の汗、苦しむ顔。力む体、足の間から見える他人。ドラマで見た女性の出産シーンと類似点が多い。これは男性同士での出産シーンのパロディだ。その瞬間、映画の景色が変わる。
先に受け、性行為の良さを言う友人。彼氏との体験を嬉しそうに話す彼女の友人。その話から期待を勝手に膨らます彼女。SPを恐れる彼は追い詰められる。それでも遂に受けると言った時、彼女は
「嬉しい。ありがとう、ありがとう。」
と満面の笑みで言い抱き着く。自分の為に犠牲を払う姿が愛おしくて仕方がない。
その帰り彼は走りながら「やっちゃった、やっちゃった」と繰り返し呟く。どんなに早いスピードで走っても、恐れは振り払えない。
私は結婚の2文字で身内から滅多刺しにされた。その度に一人分の幅の空間に閉じこもる。ひたすら嵐が通り過ぎるのを待ち、聞かなかったふりをするしかなかった。この痛みは必要か。教育か、罰か。一体何のために罰せられるのか。
従うべき法律に彼が恐れを言えるわけがない。家を終わらす私が痛いと言えるわけがない。どちらにも潜む、子を作れ産めの圧が言葉を発しようとする首に手をかける。私は自由でいたかっただけだ。かけられた手の親指が首に沈みだす。自分で自分を幸せにしたかっただけだ。首が徐々に締まる。狭まる気管と共に訴える意思が薄くなる。完全に締められる前に降参するしかなかった。
彼がSPを受けた部屋は真っ白だった。小さな白い机の上には、熨斗紙がかかった桐箱と無色透明のローションが入ったプラスチックボトル。ローションは少し減っていた。挿入の痛みの緩和には全く足りない。
顔を歪め耐える彼の姿は、私が家のためにすべきだった姿。代わりに生まれるはずもない赤ん坊を産もうとするかに見えた。性交人の腕に彼の指が深く食い込む。なぜこの痛みを無視するのだ。
高い天井。明るく清潔な白い部屋。そこは広く、快適な空間に見えた。画面から流れる音楽は、ドラマチックで美しすぎた。
あとがき
最後までお読みいただきありがとうございました。
題名の『Know Pain』は、作中に登場する映画『Share the Pain』から着想を得たもので、『No Pain』とのダブルミーニングです。映画からインスピレーションを受け、家制度やジェンダーのあり方について、自身の経験と社会への批評を交えて書きました。
『Know Pain(痛みを知る)』、そして『No Pain(痛みを拒否する)』。そう掲げながらも、これまで私自身が沢山の誰かを無自覚に傷つけてきた事実は消えません。また生きていくことは、誰かを傷つけることでもあり、決して潔癖ではいられない。ならばせめて、書くという行為が孕む暴力性には自覚的でありたい。そんな己の傲慢さを認知しつつ、今後も書き続けたいと思っています。