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当たり前じゃなかった日——私はその日、世界の見え方が変わった

    あの日まで、私は「当たり前」という言葉を疑ったことがなかった。

    元気でいられることも、人と関われることも、明日が来ることも。
    それは努力の結果ではなく、最初からそこにあるものだと思っていた。

    でもある日、その前提が音もなく崩れた。

    何か大きな事件があったわけじゃない。
    ただ、心の奥に小さなひびが入ったような感覚だった。

    そのひびは目に見えないまま、じわじわと広がっていって、
    気づいたときには、自分が立っている足場の感覚が少しだけ変わっていた。

    私はずっと、「ちゃんとできる人」でいようとしてきた。

    迷惑をかけないように。
    期待を外さないように。
    場の空気を乱さないように。

    その生き方は、一見すると安定して見えた。
    でも実際は、自分の輪郭を少しずつ削っていくようなものだった。

    誰かの反応を先に読み、
    言葉を選びすぎて、
    気づけば「本当の自分の感情」がどこにあるのかわからなくなることもあった。

    誰かの何気ない言葉に、傷ついたこともあった。

    でもそのときの私は、「傷ついた」と認めるより先に、
    「気にしないようにすること」を選んでいた。

    それが大人になることだと思っていたし、
    それが正しい振る舞いだと信じていた。

    けれど、その積み重ねは静かに自分をすり減らしていった。

    “感じないようにすること”に慣れるほど、
    自分の感情は少しずつ遠くなっていった。

    ある日ふと気づいた。

    私は「誰かのために頑張ること」には慣れていたのに、
    「自分のために立ち止まること」ができなくなっていた。

    当たり前だと思っていた日常は、
    実は誰かの気遣いや支えの上に成り立っていたこと。

    そして私は、そのことに気づかないまま立っていたこと。

    その事実が、静かに胸に落ちた。

    今なら少しだけわかる。

    当たり前だと思っていたものは、最初から当たり前ではなかった。

    誰かが気づかないところで支えていたものや、
    見えないまま積み重なっていた優しさの上に、
    私は立っていた。

    今の私は、以前のように完璧ではない。

    うまくできない日もあるし、立ち止まる日もある。
    それでも、その不完全さを少しずつ受け入れられるようになってきた。

    無理に合わせなくてもいい日があること。
    何もできない時間にも意味があること。
    そして、自分の感情を置き去りにしなくてもいいということ。

    そういう小さな気づきが、少しずつ積み重なっている。

    当たり前だと思わなくなったことで、
    世界は劇的には変わらなかった。

    けれど、同じ景色なのに、少しだけ違って見える瞬間がある。

    その違いは派手ではないけれど、
    確かに私の中に残っている。

    あの日の「ひび」は、まだ完全には消えていない。

    でも今は、そのひびの存在が、
    私にとっての始まりだったような気もしている。

    壊れたのではなく、
    見えなかったものが見えるようになっただけなのかもしれない。

    当たり前じゃなかった日。

    それは、私が世界の見え方を少しだけ知り直した日だった。

    そしてその気づきは今も、静かに続いている。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

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