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美味しくて御麺。

    SNSなどで、ご飯を載せて‪”‬優勝‪”‬といってる人たちをよく見る。まったくその通りだと思う。

    食すということは、生きること。

    過去のさらに前────いわば「大過去」‪の私は、ひとり〇〇を「恥ずかしいもの」や「寂しいもの」だと思っていた。

    でも、その少しあと────時が少し進んだ過去の私は、ひとりカラオケやひとりすき家をよく楽しんでいた。むしろ、その時間が好きだった。誰にも気を遣わず、自分のペースで過ごせるあの時間が心地よかった。「ひとりで楽しめる自分って、なんだか大人になったな」そんな感覚を覚えていた気がする。

    だから、「ひとり〇〇に抵抗があったのは、自分の考えが成熟していなかったのかな」とも思う。もちろん、人それぞれだろうけど、「べき」や「ねば」の思考に支配されていたのだろうな。大勢でなければ寂しい人間という考えに固執していた。でもそれが完全な誤解だった。


    それよりも、誰にも邪魔されない‪”‬自分のための時間‪”‬や、‪”‬イマここに集中する時間‪”‬、そして‪”‬自己との対話の時間‪”‬が、もっとも大切にするべきスペースだったのかもしれない。

    この日、私は丸亀製麺にいた。気づいたら丸亀製麺の列に並んでいたのだ。少しずつ暖かくなってきたこの時期、ラーメンはちょっと熱いなって、冷えたうどんを食べたくなり足を運んでしまった。そしてお腹が減っていなかったのでうどんにした。腹減ってなかったんかい!

    うどんはスルスルと喉を通るから好きだ。
    製麺は「手作り」とか「できたて」というスタイルからきた言葉らしい。確かにその場で作るあのスタイルは見ていて心地よいものだ。

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    何を頼んだかというと、「ナスおろし冷かけうどん」。ナスの気分だった。ナスさん、ごめんナス。正式な名前なんてどうでもよくなるくらい、ナスな気分だった。たしかナスが2本乗っかってた。千鳥のノブだったら、「ナス2本!!」と大声で叫んでいるところだろう。

    ナスが、やたらいい顔してる。アゴを突き出し、まるでアインシュタインの稲ちゃんのよう。

    「なんすか?今日は俺が、主役っす。ごめんナスって」みたいな顔してドヤってる。


    そこに、ワカメとネギを山のように盛り付ける。ここでは話も盛り放題なのです。正確には山盛りにはしてない。

    記事にもトッピング。
    読んでる人が引くほど盛ってしまおう。


    さらに、かき揚げ。そして、いなり寿司。
    何故こんなに、かき揚げはうどんに合うのか。何故こんなに、いなり寿司はすすむのか。

    ひと口ひと口、口に運ぶたび、心がゆっくり満たされていくのを感じた。


    このとき私はひとりではなかったが、ひとりご飯とする。ナスに集中してるからだ。それはほぼ一人の時間。うどん一本一本を大切にすする。チュルチュルという音が木霊する。木霊してないけど。

    なんだこれは!!食欲がないのに次々と喉を通っていく麺。止まらない。麺が消えていく。
    第三者から見た、その光景はまるで麺が一本にまとまってるようだった


    「味の宝石箱や~」と言おうとしたら、空(から)だ。
    「もう空箱や・・・」

    気づいたら、もう食べ終わってた。


    うまいかどうかも忘れるほど、一瞬だった。

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    この選択は間違ってなかった。満足。
    ひとりご飯って、孤独じゃなくて、‪”‬自分とちゃんと向き合う時間‪”‬なのかもしれない。


    とか言いつつ、パンパンになったお腹で、最後少しだけ後悔したのはここだけの話です。

    それも含めて満たされてる。

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    ごめんナスって。

    今日も読んでいただきありがとうございます。

    では、また次の記事で。
    素敵な一日を。

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    大人ASD/ADHDの哲学的な人。#ちりつも哲学。「人間関係の悩み」を、細部まで思考します。重度な「心の不調」や「お酒での失敗」心を整えている「イマ」を記録。内向的だからこその視点で、物事の「なぜ?」に向き合い続け、自分なりの最適解を探してます。声/絵/筆文字でも届けます。

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