
素直さと言い回し
夫は妻である私を、他人に説明する場合に「嫁」という言葉を使う。
「妻」という言葉の語源が「酒のつま」から来ていることから失礼な気がするそうだ。(本人談)
けれど、夫の言う「嫁」である私からしたら、「嫁」という言葉の方が失礼な気がするのだ。
そもそも嫁という漢字が、よく言われるが女へんに家、女は家にいるもの、と思わせる。
「嫁ぐ」という言葉にもあるように、夫側の家に入るという意味合いが強く感じられる。
だが夫は私に家にこもっていて欲しくないのだ。
ところで、私たちは紫陽花の見て「花」が咲いたなあ、と思うのは青だったり赤だったりする集合体がきれいにそろったときに思うものだが、私たちが呼んでいるそれは本来紫陽花の「萼片」である。
「紫陽花の萼片がきれいだね。」「紫陽花の萼片が開くが楽しみだなあ。」など、なかなか言わないのではないかと思う。
私はこの「紫陽花の萼片」と夫の「嫁」の言葉への違和感を同じものと捉えた。
私としては夫には人様に説明をする時には「妻」を使って欲しいところだが、紫陽花からしたらどうだろう。
「あんさんが咲いた咲いた喜んでるんは、萼片でっせ。花はこの真ん中のちっちゃいの。知ったかぶりしないでちょんまげ。」
と思っているかもしれない。可愛げがない。
夫は「妻」という言葉の出どころを「酒のつま」と同じと捉えているようだが、私が調べたところその意味は残念ながら出てこなかった。
私が「妻」の意味調べたところ、「息子と一緒に住む良い女性」がしっくりきた。
彼にとって「嫁」イコール「良い女性」なのではないか。
一方の紫陽花に関しては、「紫陽花の萼片」と「紫陽花の花」はどうしたってイコールでは繋がらない。
だが本来は萼片である部分を、多くの人は花と呼ぶ。
先の可愛げのない紫陽花はひねくれていたのかもしれない。もう少し素直な紫陽花であれば
「きれいって言うてくれておおきにな。」
と答えただけかもしれない。
そう、嫁の私に足りないのは素直さかもしれない。
紫陽花は萼片であろうが花であろうが、咲いたらきれいなのだ。
夫は妻という言葉を毛嫌いする節があるが、そう思わせるは私の中のひねくれが大きく関わっているのだ。
妻だろうが嫁だろうが、夫にとっては私を記す単語のひとつに過ぎないわけで、結局一緒に暮らす良い女性なわけだ。
紫陽花の花言葉には「移り気」や「浮気」があるが、「家族」や「団欒」の花言葉もある。
言い方や捉え方など、それぞれなのだ。
花を見てきれいだと思える気持ちを大事にすれば、「妻」だの「嫁」に目くじら立てるのも時間の無駄であるし、紫陽花の「花」であろうが「萼片」であろうがぱっと咲いたら嬉しい気分になるものである。
紫陽花が咲く季節が来るたび、結婚した当初はしつこくこのように思っていたことを思い出す。
現在の夫は、人に私のことを説明する際には「奥さん」と言っているらしい。
もう言い回しなど、どうでもよくなった。
おおらかな気持ちを持てば、家族団欒睦まじく暮らせるのであろう。