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ボクが大切にしたいのは、交流の量じゃなく、心が動いた瞬間。ーnoteで繋がるということー

※今日も読みもの増やしてしまい、
連日、本当にすみません。
『こいつ、謝れば済むと思ってやがんな。』
その気持ち、わかります。
こんな形になってしまい、
深く反省しております。
それでは、本文をどうぞ!


はじめに

昨日、

noteの中で最近増えている“バトン企画”について書きました。

バトン企画そのものを否定したいわけではありません。

普段知らなかったクリエイターさんを知るきっかけになったり、

誰かが誰かを紹介することで、
新しい繋がりが生まれたり。

交流が広がるという意味では、
とても素敵な文化だと思っています。

ただ、

昨日の記事を書いたあと、
もう一つ考えていたことがあります。

それは、

交流って、そもそも何なんだろう。

ということです。

繋がった人数が増えることと、心が繋がること

バトン企画では、

一人から三人へ。

三人から、またその先へ。

数珠つなぎのように、
人と人が繋がっていきます。

それはそれで、
面白いことだと思います。

でも、

繋がる人の数が増えることと、

心が繋がることは、

少し違う気がしています。

これはバトン企画に限った話ではありません。

リアルでもネットでも、

ボクは、

交流することそのものよりも、
気持ちで通じ合うことの方が大切


だと思っています。

コメントも、スキも、フォローも「形」

noteには、

目に見える交流がたくさんあります。

コメントする。

スキを押す。

フォローする。

記事を紹介する。

もちろん、
どれも嬉しいです。

でも、

ボクの中では、

それらは全部、

交流を伝えるための“形”

なんです。

形があるからこそ、
気持ちは分かりやすく伝わります。

だから大切。

でも、

形がなければ交流がないのかというと、

ボクはそうは思いません。

例えば、

ボクのことをフォローしていない人が、
たまたま一つの作品を読みに来てくれたとします。

スキは押さない。

コメントもしない。

フォローもしない。

それでも、

作品を読んで、

何かを感じて、

何か一つでも心に持ち帰ってくれた。

ボクは、

それだけで充分なんです。

ボクが作品に置いた想いと、

その人の心が、

ほんの少しでも触れた。

そこには、

目には見えなくても、

もう交流が生まれていると思っています。

想いは、見えないところでも動いている

誰かが作品を読んで、

少し優しい気持ちになった。

その人が、

また別の誰かに優しくした。

その先で、

また誰かの心が動いた。

ボクには、

その先を見ることはできません。

スキの数字にも出ない。

コメントにも残らない。

フォロワーにも増えない。

でも、

想いって、

そうやって見えないところでも
回っていくものなんじゃないかなと思います。

だから、

毎日コメントを交わしていなくても、

ずっと繋がっている人はいる。

何かのタイミングで久しぶりに言葉を交わして、

「あぁ、ちゃんと繋がってたんだな」

と思うこともあります。

交流の頻度と、

心の距離は、

必ずしも同じではない。

ボクは、
そんなふうに感じています。

ボクが「いいな」と思う交流の形

そんなことを考えた時、

ボクから見て、

それをとても自然に形にしているクリエイターさんがいます。

こっぺぱんさん。

フォロワー1.2万人の、
大きなアカウントを運営しているクリエイターさんです。

抜群の創造力と実力。

そして人気。

でも、

ボクが一番惹かれているのは、

そこではありません。

こっぺぱんさんの、

noteでの在り方

です。

“発信する人”ではなく、“みんなと遊ぶ人”

ボクから見ると、

大きなアカウントになっていくほど、

どうしても

「発信する人」

になっていくことが多い気がします。

たくさんの人に何かを伝える。

考えを届ける。

情報を発信する。

もちろん、
それも素晴らしいことです。

でも、

こっぺぱんさんは、

少し違って見えるんです。

ボクの目には、

たくさんの人の前に立って話す人というより、

広場の真ん中に面白そうな遊びを置いている人

に見えます。

「こんなの作ったよ〜」

「遊びたい人、おいで〜」

って。

そこに、

遊びたい人が集まってくる。

毎回来る人もいる。

たまに来る人もいる。

初めて来る人もいる。

でも、

そんなことはあまり関係ない。

来たい人が来る。

遊びたい人が遊ぶ。

眺めて帰る人がいてもいい。

誰にも強制しない。

ただ、

そこに楽しい場所を置いておく。

そして、

遊びに来た人たちと一緒に笑う。

ボクは、

そんな交流の形が好きです。

答えではなく、在り方を置いていく

こっぺぱんさんのプロフィールにもありますが、

こっぺぱんさんの記事を見ていると、

「これが正解です」

と答えを置くというより、

自分の在り方を置いている

ように感じます。

その在り方を見て、

面白そうだと思った人が集まる。

そこから、

自然に交流が生まれていく。

「交流しなきゃ」

ではない。

「コメントしなきゃ」

でもない。

「紹介してもらったから返さなきゃ」

でもない。

ただ、

そこに行きたいから行く。

遊びたいから遊ぶ。

そして、

その時間の中で、

自然に心が動く。

ボクが大切にしたい交流って、

たぶんこういうものなんだと思います。

ボクにとって、一番尊敬するクリエイター

あまり、

人に順位をつけるのは好きではありません。

でも、

もし、

“クリエイター”という言葉が、
何かを創造する人を指す言葉だとしたら。


ボクにとって、

noteの中で一番尊敬に値するクリエイターは、

こっぺぱんさんです。

それは、

作品が面白いからだけではありません。

創造力があるからだけでも、

人気があるからでもありません。

ボクがそう思う一番の理由は、

こっぺぱんさんの在り方そのもの

です。

凄い人になろうとしない。

有名になろうとしない。

ただ、

自分が面白いと思うものを作って、

みんなと遊ぶ。

その結果、

たくさんの人が自然に集まってくる。

ボクは、

そこにクリエイターとしての凄さを感じています。

……

ただし。

そんな、

ボクがnoteで一番尊敬しているクリエイター、

こっぺぱんさんは、

いつもパンツのことで頭がいっぱいです!!!

🤣🤣🤣

昨日も、

こっぺぱんさんと、

そんな会話を楽しんでいました。

何万人に読まれるとか。

何千人にフォローされるとか。

そんなこととは関係なく、

パンツの話をして笑ってる。

たぶん、

ボクが好きなのは、

そこも含めてなんだと思います。

おわりに

コメントの数でもない。

スキの数でもない。

フォロワーの数でもない。

交流した人数でもない。

一緒に笑った。

何かを感じた。

誰かの言葉で心が動いた。

作品から何かを持ち帰った。

ボクが大切にしたいのは、

そういう瞬間です。

交流の量じゃなく、心が動いた瞬間。

目に見えなくてもいい。

数字に残らなくてもいい。

想いと想いがどこかで触れたなら、

そこにはもう、

ちゃんと交流がある。

ボクは、

そんなnoteが好きです。

最後の最後に

以前も何かの記事に書きましたが、
ボクたちが生きられる時間には限りがあります。

つまり、
何かに時間を使うということは、
その分だけ自分の命を使っていることでもあると思うんです。

だったら、
形だけで終わってしまいそうな交流より、
ちゃんと心が繋がる交流に、
ボクは時間を使いたい。

笑ったり。
心が動いたり。
誰かの想いに触れたり。

そんな時間に、
自分の命を使えたらいいなと思います。

命を削ってパンツのことを考えている、
こっぺぱんさんのように。  🤣🤣🤣

こっぺぱんさんの至福の時間が生み出した
パンツの記事はこちら👇

この記事の投稿から1時間半。
この記事がキッカケで新たな素敵なパンツが誕生しました‼️
こっぺぱんさん、ありがとうございます☺️

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