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幸福なラプンツェル

     ラプンツェルみたいに暮らしていた。

     ある日、起き上がれなくて会社に行けなかった。
     次の日も、その次の日も
     一週間が経っても具合にまったく変化がないことに、驚く気力すらなかった。途方に暮れながら「病院に連れていってほしい」と、頼んだのも初めてで、隣を歩く男を杖代わりにして、よたよたと病院まで行って、診断書と、傷病手当の手続きをしてもらえることに安心して、また休職。四度目。慣れたもの。
     家を出れない日はしばらく続いて、ベランダから外を見て、それを「ラプンツェルみたい」と笑って書こうと思ったけれど、だめだった。具合も悪かったし、やっぱり悲しかったのだと思う。悲しさには二種類あって、今すぐに悲しいやつと、少し時間が経たないと、悲しかったことにすら気がつけないやつ。

     きちんと、今までの中でいちばん体が動かなくて、家族にも迷惑をかけて、復職して二ヶ月にも満たずに休職となったことを、ものすごーーーく反省している。ようやく、「悔しい」の「反省」に辿り着けた感じ。病気はわたし個人の問題だと思っていたけれど、同居の家族を巻き込んでよかった。他人にむやみに迷惑をかけるのは、わたしの生き方に反する。この男の人生の、足を引っ張るようなことはしたくない。何か枷になるときには、蹴飛ばすくらいの気概がなければいけない。そういう人間でありたかった。

     とにかく何もせずに暮らした。
     いいことも悪いことも起こり得ないような、息をするだけの日々。
     まぬけなわたしは、毎日ごはんがおいしくて、コーヒーを淹れてしあわせを感じていた。(これは、味覚を失ったことに起因しているかもしれない。という思いに関しては長くなるのでまた今度)
     今思うと、散歩もおしゃべりもできなくて、毎日ソファーに転がっているだけなのに、毎日何を書いていたんだろう……ハイキューとヒロアカを見直して、致死量の江國香織を読んでいる。たぶん、むかしを思い出すような内容を多く書いていたと思う。


     そんなふうに、外との接触も絶ち、ラプンツェルのように外を眺め、「アタシってば何やってんだか……」と落ち込んだり、「でもそれは仕方がないことだ」と飲み込んだり、何もしていないくせに忙しないわたしだったけれど、こんなにも嬉しいことがあった!
     有野さんの、「楽しみにしているnoteたち」に、名を連ねていただいたこと!

     これ、これよ!

    日常の出来事をこんなにもかわいらしく、そしてこんなにもキレイな言葉で表現できるものなのかと、記事が更新されているのを確認するたびに「やっぴ。今日も読める!」と嬉しくなります。

    朝、仕事へ行く準備をしながらテレビでやってる占いをなんとなく見たとき、一位だったら「おっ、今日はなんか良いことあるかも」と、この後の今日がちょっとワクワクするじゃないですか。あれに近い感覚。「おっ、読める!やった!」みたいな。

     こんなに嬉しい言葉を浴びて、ちょっと息が止まった。
     分不相応な幸福だとも思った。直後に「自分を下げて逃げるように呼吸をするのは良くない」と戒めた。

     これはまさしく、「なりかった自分」
     中高生の頃、毎週水曜日が楽しみだった。マガジンとサンデーの発売日。水曜日に生かされていたわたしは、誰かの水曜日になりたかった。
     その理想に、やわらかく触れることができたようで

     嬉しすぎて、なんと言っていいかわからなくて、言葉が出なくてお礼が言えなかったんだけど、とても、とても嬉しかった。飛び跳ねるように。これから何度も、このことを思い出すように。 


     記事を書いてくれた有野さんはナレーターでありながら、怪談を紡ぐ作家さん。
     有野さんに聞いて欲しい、話して欲しい体験をお持ちの方は、ぜひ声をかけてみてください!



     丁寧なメールをくださった方もいて、それもとても嬉しかった。
     これもやっぱり嬉しすぎて、うまく返事ができなかった。
     わたしは、ある一点の感情を突破すると、言葉を失うらしい。
    「マジ?」とか「ヤババババ……」と言っている。友達の前だと。

     うれしい、という言葉を伝えてくれることが、とてもうれしい。
     だって、言ってくれなきゃ知らなかった。
     無人島でも歌うカナリアのように、わたしは紡ぎ続けるのだと決めてはいるけれど、「うれしい」は、やっぱり嬉しい。言葉がうまく出なくて申し訳ないのだけれど。ほんとうに、とても。

     友達ともあまり話せないような時期に(はしゃぐと具合が悪くなるから)
     こうして、エールをいただけることは本当に嬉しい。
     ひとつひとつのハートマークが、わたしを満たしてゆく。
     なくしたものばっかりじゃない、と気づかせてもらえる。
     ないもんはない。でも、あるもんはある。


     極めつけはAmazonの欲しいものリストで、化粧水と本が届いたこと!

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    まさかのプレゼント包装! 嬉しさ倍増!

     とにもかくにも、良いことも悪いこともないような暮らしで、日常の外側のいいこと(フラペチーノを飲みに行くとか、映画を見に行くとか、ドーナツを買いに行くとか)が何もできなくて、かろやかな舌打ちをしている。ジジのまね。「ちぇっ、ちぇっ」ってやつ。

     こんなものがあったらしあわせだなあ、と思うものをAmazonの欲しいものリストに詰めた。
     もともとは、いろいろな感想文を書きながら、「他に読みたい(感想文を書きたい)」本の一覧だったのだけれど、本以外も入れて貼ってみたところ!
     送ってくださった親切な方がいて、とても、とても嬉しい。

     まず、贈り物っていうのがいい。
     贈り物が好き。
     チョコレートのひとかけらでも、コーヒーのドリップバッグひとつでも、わたしはうれしい。プレゼントするのも、されるのも好き。幸福が舞い込んでくる感じがする。
     そして、Amazonの欲しいものリストというのは、わたし個人宛てでありながら、「noteを頑張ったわたしへの大きな高評価」であることを意味している(と思う)ので、これまた飛び跳ねるように喜んだ。
     希望というのは、過去とか未来とかじゃなくて、ここにあるものだと知っていても。過去と未来のわたしも、一緒に抱きしめてあげられるような。

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    読みたかった本と、化粧水

     贈ってもらったユリアージュの化粧水は、今も使っていて。もともと、友達からおすそ分けしてもらったもの。
     自分の調子とか、コンディション(体調の良し悪しもだけど、むくんでるとか、毛穴がどうとか、そういうのが全然わからない)ので、化粧品は「自分にとって悪くないもの」を使っていたのだけれど
     ユリアージュは、良い。
     とろりとした液体で、顔に塗るといい匂いがする。
     2月くらいから、花粉の影響で目の周りがガサガサするのだけれど、これを使ってからよくなった。気がする(時期とかその他の要因かもしれないけど)
     友達がくれた、というのもいい。彼女のことを思い出す。また会いたいと思う。
     透き通る青いボトルに入っているのもいい。きれいで、ポーションみたい。
     白いふたもいい。わたしは、家中の多くのものをポンプ式に変えてしまったのだけれど(ポンプ式はらくでいい)、ふたをするという行為は、特別な感じを増長させた。丁寧に暮らしている気持ちになる。
     良いことも悪いこともない日常の中の、「每日のいいこと」がユリアージュだったといえる。いいことというのは、慣れると当たり前になってしまいがちだけれど、毎度「うれしいなあ」と思っていた。ばかみたいに。

     ずっとこの化粧水を使えたら、すごく幸せだろうなあ、と思って、公式サイトやAmazonを調べたけれど、普段使っている化粧水の倍じゃあぜんぜん足りない値段だった。
     プレゼント用とかにはいいかもしれない。などと思いながら、「わたしは人生の、苦しい局面にぶち当たったら、ユリアージュを買おう」と心に決めた。やさしく勇敢な誓いだった。

     その、ユリアージュが届いて、歓喜している!
     もうすぐ、今のボトルが終わってしまいそうだったので、終わったら使おうと思う。もったいなどと言わずに、ばしゃばしゃと。
     また、嬉しい思い出が重なる。
     わたしの書いたものを、すてきだと言ってくれた人からの贈り物を、每日取り込む。これを勇気とやさしさ以外の、何と呼ぼう。


     本は、たくさんあった中から「よくわかる漢方薬膳」を贈ってもらった。
    「この本が、あなたの役に立つ気がする」というメッセージが添えられていて、ほんとうにその通りで驚いている。

     薬膳という単語は、「なんか苦そう」みたいな感じで、何の知識もなく嫌厭していたのだけれど、「しあわせは食べて寝て待て」というまんがを読んで、興味を持った。

     主人公は病気で、何もできないとか、生活保護を受給するとか、そうではなく、週3,4の時短勤務で暮らしている。というのが、まったくもってわたしと同じで、他人事と思えなかった。暮らしの不安、お金の不安、将来の不安、日々のやるせなさ。
     そんな彼女が、体調に応じて食べるものを選ぶ。というのをさらっとやっていて、すてきだと思えた。
     ちょっと勉強したいなあ、と思うときには本を買う。漫画のついているやつと決めている。

     ぺらぺらと読んでいるのだけれど、もうおもしろい!
     病気になってから、数多の漢方を飲んで「意味ないんじゃ?」と思っていたけれど、意味などが書いてある。知らないことばっかり。
     コーヒーと紅茶、緑茶、烏龍茶がカラダにもたらす違いなども書いてあって、昨日は久しぶりに紅茶を飲んだ。
     もちろん、好きなものを好きなときに、というスタイルは変わらないけれど、やっぱり知ることはおもしろい。と思う。知らないままじゃなくてよかった、と思えることがたくさん書いてある本で、もう少し先の未来のわたしが、すごく喜んでいる姿が浮かぶ。「あの本読んで、変わったよ」って言う気がする。

     とりあえず、漢方も薬膳も何も怖くなかった。
     おばあちゃんの知恵袋みたいな、って書いてあって、その感覚もわたしにはちょうどいい。
     もしかしたら、怖いことの半分くらいは、知らないことかもしれないなあ。なんて思ったり。


     そんなふうに嬉しいことが続いて、
     それも、「嬉しいこと」の中で、「書いたものを喜んでもらえる」というのはトップクラスに嬉しいことなので、今この気持ちを忘れないように書き留めている。ああ、うれしい。

     でも、この「うれしい」にたどり着けたのは、
    「每日書いてるけど大丈夫ですかね?」とお医者さんに聞いてくれた、同居の人(やめたほうがいい。と言われた話はまたこんど)
     静岡で、わたしの書きものを喜んでくれているふたりの母
    「休みます」「やめます」という言葉を受け取ってなお、受け止めてくれるメンバーシップ【家族通信】の家族たち
     そして、ひごろいただいているハートマークにいただいたあたたかさや、声のひとつひとつに守られているからだなあ。と思う。心から。
     何度も言うけど、何もなくても書いたと思う。
     でもわたしは、幸福な物書きだ。あなたのおかげで。

     今日の記事には、幸福なラプンツェル。と名付ける。ほんとうにその通りで、そりゃあつぶれちゃいそうなこともあったけれど、だいぶましなカラダになって、いいことばかりを拾って書けるくらいには元気になりました。
     ありがとうございます。
     お礼を言うのがへたくそだけれど、本当にそう思っています。


     いろいろやりたいこともあるけれど、すべてお休み中です。
     メルマガ、週報、折本名刺などは、ゆっくり順次復活させます。
     書き途中のインタビューとか、手を付けられていないレコーディングも。

     ここまで書いた通り、

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     以上、東京の片隅のラプンツェルより。世界のみなさまへ

    「ラプンツェル」っていう表現、わたし高校生くらいのときから使っているのだけれど(二十代のときには、「脱獄ラプンツェル」という曲も書いた。おまえの思い通りにはいかないって話)、この二十年のあいだにディズニーでもラプンツェルってあったよね……見たことないので、そちらのプリンセスとは一切関係ありません。ごめんなさい。

     その、二十代のラプンツェルだったころ、「何をしてもらうと嬉しいか、きちんと言語化しなさい」って言われたことがあって。音楽活動をしていたころね。
     そのときのことを思い出して書きました。十年かかっちゃった。
     書いていられれば幸せだったけれど、欲しいものもある。という欲を認めること、なかなかに大変でした。「なんもなくてもいい」って、いつも言っちゃう。それも本音で。嬉しさを蓄えて生きている自分も本音。むずかしい。

     体調を慮って、每日書くことを手放さねばならぬ。と思ったりしましたが、わたしのペースで書いていきます。思ったより好きでした。書くことと、每日書く自分。

     明日も、その次も、また
     次の物語で会えたら嬉しいです。

     2025年4月28日 ねる

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