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【読書感想文】 クリームイエローの海と春キャベツのある家 #クリキャベ

     これは読書感想文じゃなくて、ひとりごとかもしれない

     洗濯物を干す。
     洗濯は長年わたしの担当で、何度引越しても部屋干しを貫いている。
     天気予報を見るのが面倒で、天気のせいで一喜一憂するのはもっと面倒だった。洗濯のために早起きもできないし。できないこと尽くしだ。だからもう全部諦めて、部屋の隅に一番上等の突っ張り棒を設置して、そこに洗濯物を干す。数日経って、乾いたら回収する。時期にもよるけれど、干せる量が少ない+乾くまで時間がかかるので、洗濯のタイミングが難しかったりする。昔は、洗濯のタイミングひとつに悩んだりしたのに……最近はようやく、「まあとりあえず干せればいい」「溜まったら2回に分ければいい」など、柔軟に考えられるようになった。
     言葉にするとたったそれだけのことなのだけれど、「柔軟に考える」までにはずいぶんの時間を要した。洗濯、洗濯くらいもできないのかと、自分を責めた。ただ洗濯機に服をぶちこんで、干すだけ。毎日じゃなくていい。たった、たったそれだけが……できない自分が途方も無いくらい情けなかった。

     今日も、洗濯を干す。
     うちは、おとなの二人暮らし。わたしじゃないほうのおとなも、一人暮らし歴は長いので、自分で洗濯もできるのだけれど、わたしが担当している。いま思えばこれも、「洗濯くらいできない自分なんて……」という呪縛の、成れの果てだったのかもしれない。
    「ひとりもふたりも変わらない」というあの言葉は、どこから出てきたんだろう。そんなゴッドマザー的な人は、一体いつの時代に存在したというのだろう。ひとりとふたりは違う。ひとりでもふたりでも洗濯はどちらかがやらなければいけないけれど、やっぱり二人分は多い。オトコモノっていうのは、わたしの洋服よりもずいぶんと大きい。やつのスウェットと、わたしのワンピースの、大きさが変わらなかったりする。
     洗濯なんて、放り込んで干すだけ。洗濯しているのは洗濯機で、わたしじゃない。いつものこと、慣れたことなのに、ときどき天を仰いでしまう。「家事ってめんどうだなあ」と思ったりするのを、どうしても辞められない。

     友達のことを思い出す。
     友達は四人家族で、自分・夫・息子4歳・息子6歳と暮らしている。
     洗濯物が四人分。それだけで気が遠くなる。息子ふたりの衣服は、今現在であれば布面積こそ少ないけれど、大人より量が多いはずだ。もう数年経てば、面積も量も溢れ返ってしまうことは想像に難くない。長男はすぐに、わたしの身長を追い抜くだろう……
     えらいなあ。洗濯だって倍以上の量をこなして、自分じゃない人に適当すぎないごはんを食べさせ、家族四人の住む広い家を美しく維持する。家が大きければ掃除も大変だし、ゴミ箱も多い。ああ、気が遠くなる……そして仕事までしているだなんて。拍手喝采。

    「大学生のころね、君が一人暮らしで洗濯したりゴミ出ししたりしているのを見て、エライなあと思っていたんだよ」

     そう言ってくれたのは、拍手喝采を送ったその友人であった。
     大学生の頃、わたしは一人暮らしで、彼女は実家暮らしだった。
     わたしは、18歳で上京するとずいぶん早くから決めていて、念願のひとり暮らし。それまで家事なんてやったことなかったけれど、自然と覚えた。面倒なことは多かったけれど、難しいことはひとつもなかった。やればできた。今でもやればできることしかしていないので、他所様のおうちよりも、うちの家事はずいぶんと手抜きかもしれない。でも、比べようがない。
     そして、ひとり暮らしの友達は、漏れなくみんな自分で家事をしていた。そっちのほうが当たり前で、褒められる何かではなかった……あのころ、掃除なんてほとんどしたことなかったし、ゴミだってよく出し忘れて落ち込んでたよ……

     それでも、36歳のわたしに「18歳のあのころの君はエラかったね」と言ってくれるのは、優しい薬のようだった。じんわり、身体中をめぐってゆく。
     今の家事の量は、彼女のほうが多いだろう。
     けれども、18歳で上京してからただの一度も、家事を諦めなかった。わたしなりにいつも、快適な部屋であるようにと努め続けたことも、ただそれだけのことも、ずいぶん立派なのではないか。今ならそう思える。


     せやま南天さんの「クリームイエローの海と春キャベツのある家」の登場人物とわたしは、あまりにもかけ離れている。わたしには子どももいないし、主人公の津麦のように二十代でもないし、そこまで懸命に働いたこともない。いつも何かから逃げてばっかりだった。
     子どもを欲しいと思えなかったわたしに、子育てをする物語に共感できるだろうか。いつも、”子ども”を見ると、どきまぎしてしまう。あるいは、「家族」「母親」「子育て」という単語も、いつもどこか「すみませんねえ」という気持ちで、脇をササッと隠れるように通っている。

     この物語は、そんなわたしの劣等感ごと優しく包み込んでくれる。全人類向けの、暖かな物語だと思った。だって”家事”はみんなのそばにある。絶対にある。自分が家事の役割を担っていなくても、誰かが洗った服を、今日も着ている。

     家事代行歴3ヶ月・津麦の新しい勤務先は、5人の子どもを育てるシングルファーザーの織野家。
     一歩家の中に入ると、そこには「洗濯物の海」が広がっていた──。
     仕事や家事、そして育児……
     何かを頑張りすぎているあなたへ贈る物語

    Amazonの紹介ページより

    「きちんとしなさい」と言われ育った津麦のことを、他人事とは思えなかった。「きちんと」は当然の顔をして、まるで息をするとのおなじようにそこに座っている。

     皆がのぼってゆく階段を、ひとり見上げてるような気持ちになる。

    p88

     それはまるで、わたしの視界そのものみたいな痛みだった。みんなができる当たり前を、自分だけができていない。フルタイムで働けなくなったとき、ずいぶん自分を追い詰めた。
     だからせめて家事くらいは……働いて帰ってくる家族が快適でありますように、なんて言い訳だ。家事”くらい”はこなすことで、この家に暮らすことや、人間であることを許せるような。意地だった。

     物語の終盤で、ようやく問われた朔也の言葉「家事のしすぎだと思います?」も、じんと響く。五人の子どもをひとりで養い、育てる。やってもやっても終わらない家事。みんなが当たり前の顔をしてやっているように見える家事。
    「家事のしすぎだと思います?」という言葉は、ありそうでないものだと思う。
     人が家の中でどう過ごしているのか、どれくらい家事をしているのか、それは目に見えない。
    「家事くらい自分で」と、皆が思う。一度は思う。でも、しすぎかどうかなんてわからない……足りない部分を数えることは、簡単なのに。


     たぶん物語を通して、津麦さんはわたしの部屋にも来てくれたんだと思う。あるいは、これから来るのかもしれない。
     それぞれの家庭の事情と、それぞれに適した家事があって、家族のひとりひとりみんなが、部屋に求める快適さが違う。それは、家事に割く時間と労力の違いともいえる。散らかった部屋のほうが眠れるという人もいれば、散らかっているようだけれど本の位置は全部把握していると言われたこともある。定位置に戻せば部屋は片付くけれど、そのひと手間すら面倒と言われれば、何も言い返せない。織野家のように、キッチンだけがぎりぎりの、決壊寸前を保っていることをあるだろう。食わねば生きられない。そう思えば、洗濯物の海なんて、瑣末なことだとようやく気がつく。

     あなたの家が、あなたにとって快適であればいい。
     けれども複数人で暮らしている場合は、それぞれに折り合いをつけて快適であればいい。と、願わずにはいられない。

     わたしが自分で洗濯をしている理由は幾つかあるのだけれど、本当はハンガーの向きだった。違う向きになっていると気になってしまって、それを強要するのもバカらしくなってしまって、だったら自分で……と言って、今に至る。
     いま思えば、それはわたしの心の小さな安寧のひとつであった。けれども手放せばよかった。そんな些細なこと。それよりも、「他人であるあなたと協力して、この家で暮らしてゆくこと」を考えてゆけばよかった。ただそれだけのことが難しかった。ひとり暮らしの延長がふたり暮らしになって、この家はわたしの城であり、あなたの城であることを、忘れてはならない。


     津麦さんがわたしの家を訪れたら、ぜひとも褒めて欲しい。
     片付け・掃除に手を加えなければいけないところは多いけれど、最低限整っている。などと言って欲しい。洗濯物も大幅には溜まっていないし、目立つホコリもない。
     そして、どうしたらもう少し暮らしやすくなるか、一緒に考えて欲しい。キッチンの引き出しとか、むやみに置いてしまったカゴの中にルールが存在していないことを、わたしはずっと気にしている。けれども、自分で整理するほどのやる気のないわたしが、「ちゃんと整理してよ」と相手に押し付けるのは違う気がする。相手は、散らかっていても平気なタイプなのである。
     家事のできないおとなふたりを情けなく思ったりするけれど、どうして友達に相談してみようって思わなかったんだろう。こんな些細なことだって、本当は助けてもらってもよかったはずなのに。

     そしてわたしも、津麦さんみたいな人になりたいと思う。
     ついつい、いろんなおせっかいを焼いて、あれこれ口を出してしまいたいのを、近年はぐっと堪えている。それはわたしの意見であって、今は求められていない。ということが多い。まずは、黙って聞く。
     そして、あなたがどうしていきたいのか、一緒に考えていきたい。そのための手助けをしたい。きっと、多くの場合が「どうしていいかわからない」から困っているのであろうから、そこから一緒に話したっていいじゃないか。何歳だって、誰だって関係ない。


     あなたの生きやすさに宛てて。
     家事代行の永井津麦と、織野家の場合の答えは、この本に記されている。ぜひ覗いて欲しい。
     現代社会を生きる、すべての人へ。優しい手紙となりますように。

    ▼せやまさんの次の物語が発表に!!

    2025年春に発売予定の単行本として、新作の
    『パルティータ(仮)』をご紹介いただいています📙✨

    デビュー後第一作、はじめてのご紹介です。あらすじもぜひ読んでみてください☺️

    2025年に朝日新聞出版から発売予定の文芸書単行本情報を一挙に解禁します!@asahi_pub_PR https://t.co/CxHSPtstHR

    — せやま南天 (@s_yamananten) January 8, 2025

    ▼少しだけでも物語を覗いてみたいあなたへ


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