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今年40歳になる少女たちへ

    私は今年40歳になる。
    今までの人生色々あった…ような、なかったような。
    たかが40歳、されど40歳なのだ。
    気持ちは少女を忘れていない。
    いっしょに40歳になる少女たちよ。
    共に思い出を振り返ろうではないか。

    ①初恋編

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    先日、今年小6の娘が赤面しながら
    「友達に好きな人がバレた!!最悪!!」
    と言いながら塾から帰ってきた。
    そうか、娘は好きな人を隠すタイプなのか
    と思いながら、私の自分の初恋に想いを馳せた。

    小学校中学年、私には猛烈に好きな男子がいた。
    クラスを超えて学年の半数の女子を虜にしていた
    足が速い系男子のしんちゃんだ。
    あの頃の女子達は足が速い系男子にめっぽう弱かった。
    足が速いのはもちろんのこと、人当たりも良い
    しんちゃんは誰にでも好かれるモテ男子だった。
    当時の親友まいちゃんもその一人で
    交換日記は【私がいかにしんちゃんを好きか】という女のマウントが日々行われており、
    それが原因で絶交にまで発展することがしばしばあった。
    まいちゃんも私もしんちゃんに本気だったのだ。

    私が今でもしんちゃんのことをよく覚えているのは、本気で好きになった瞬間が映画のワンシーンのように素敵で今も心に深く刻まれているからだ。

    体育の授業で球技のチームを作ることになり、私は運良くしんちゃんがリーダーを務めるチームに入ることができた。
    チーム対決は総当たり戦で、私達のチームはなかなか強く、ついに優勝目前となった。
    しんちゃんがいるなら負けなしだ!とみんなが思っていた。
    そんな優勝がかかった大切な最終戦で私達のチームは大接戦の末、惜しくも負けてしまった。
    悔しい気持ちが抑えられないチームメンバー達。
    「くっそ!しんちゃんがあのゴール決めたら勝てたに!」
    「あとちょっとで勝てたのにー!」
    しんちゃん任せすぎるが、それくらいチームのエースだったのだ。
    私はチームの輪の中にしんちゃんがいないことに気付き、しんちゃんを探した。

    しんちゃんは校庭の端にある体育倉庫の近くに一人でいた。
    校庭に背を向けて、体操着のおなかの部分で顔をぬぐう仕草をしているのが見えた。
    「しんちゃん?」と声をかけると
    「汗すごいわ」
    と言いながら、少し焦ったように腕でおでこの汗をぬぐいながら振り向くしんちゃん。
    「…どんまい!惜しかったね」
    「おう!」
    ぬぐい残したおでこの汗のきらきらと、赤い目から目が離せなくなった。
    (しんちゃん、悔しくて泣いてたんだ…みんなにバレないように)
    みんなの期待に応えられなかった自分が悔しい、でも弱いところは絶対に見せたくない。
    そんなしんちゃんを知って、私はすごくグッときてしまった。
    今だからわかる表現で言うと、その男泣きにクソ萌えた。
    これはまいちゃんにも言っていない私だけの宝物になった。

    そこからはもう頭の中がしんちゃんでいっぱいになり、初恋大暴走状態の小学校中学年時代を過ごした。
    そんな初恋は唐突に終わりを迎える。

    しんちゃんが4年生の終わりに転校することになってしまったのだ。
    しんちゃんは最後の日まで泣かなかった。
    でもやっぱり赤い目をしていた。
    私も笑顔でさようならをしたくて、涙を我慢した。
    しんちゃんリスペクトだ。

    私は家に帰るなり、洗面台にかけてあった湿ったタオルをひっぱり抜いてトイレに駆け込んだ。
    そして声を押し殺して号泣した。
    もう会えないなんて信じられないほど悲しいし、
    しんちゃんほど好きになれる男子なんてもういないと思って絶望した。
    私の甘酸っぱい初恋はトイレに流れていった。

    私の初恋の思い出はこんな感じだったけど、
    娘の恋はどんな思い出になるのだろうか。
    もしトイレで号泣していたら、その時はキレイなタオルを差し入れてあげたい。

    ②一人遊び編

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    私は一人っ子だ。
    兄弟がいる人は、一人っ子がどんな一人遊びをしていたかご存知だろうか。
    私が昔やっていた一人遊びをちょっとだけ共有したいと思う。

    ①イッツ・ア・スモールワールドごっこ

    ディズニーランドの中でもキッズ人気の高いアトラクションであるイッツ・ア・スモールワールドを家でも体験したい!という思いからできた一人遊びだ。

    まずは両親がUFOキャッチャーで取りまくってくれたぬいぐるみ箱をひっくり返して全部出すとこからはじまる。
    ぬいぐるみ箱はおもちゃ箱6箱以上はあっただろうか。
    当時ゲームセンター大盛況時代で、週末はUFOキャッチャーで好きなぬいぐるみを取ってもらうのがお決まりで、気付いたら山積みになっていた。
    その人形たちをとにかく部屋中に敷き詰めるようにキレイに並べる。
    UFOキャッチャーじゃない旅のお土産などで買ってもらう高価なぬいぐるみは、最後にいいポジションをゲットできる。
    かつての相棒ワオキツネザルは1番の見せ場であるテレビ台に置いた。
    そこまできたら、あとは簡単だ。
    赤ちゃん用の手押し車に乗り、あの音楽を口ずさみならが部屋をゆっくり周回しながら見てまわるのだ。
    赤ちゃん用の手押し車は、この遊びをするためだけに小学生の低学年まで捨てずに現役だった。

    私はこのイッツ・ア・スモールワールドごっこが大好きだったので、幼馴染の一つ年上のゆかりちゃんにも体験させてあげたのだが、想像よりもゆかりちゃんが渋い顔をしていたので、それから一人遊び専用の遊びになった。
    思い返すと、たしかにカオスな空間ではあるが、我ながらいい遊びだったと自慢に思っている。

    ②誘拐されるティモテちゃん

    リカちゃん、ジェニーちゃん、セーラームーンドールなどのお人形遊びも大好きだった。
    私も例に漏れず、髪を切る美容院ごっこや、サインペンでメイクごっこも楽しんでいたのでお人形たちはズダボロだった。
    そんな中でも大切にしていたのが、ジェニーちゃんのお友達ティモテちゃん。
    ティモテちゃんだけは、髪は理想的だし、顔もドタイプだったので、ずっとすっぴんでいてもらっていた。
    そんなティモテちゃんは可愛すぎるが故、いつも悪の組織に誘拐されてしまうのが、お人形遊び定番のシナリオだった。
    可愛いすぎるティモテちゃんは可愛い服を剥ぎ取られ、誰もいない個室に監禁されてしまう。
    泣き叫びながら仲間の助けを待っているしかない。
    どう考えても可哀想すぎる状況。
    そんな可哀想なティモテちゃんをリカちゃん達みんなが協力し合って救い出すのだ。
    しかし、悪の組織は次々にリカちゃん達に襲い掛かり、リカちゃん達は順番に命を落として行ってしまう。
    わりと最後まで残るのがセーラームーンドールのジュピターで、ティモテちゃんを命さながらに救出する。
    毎回涙ものである。
    でもよく考えると悪の組織役のお人形はいなかった。
    数年前にマリオの映画を見た時に、知らぬ間にクッパに感情移入をしていたことを考えると、私自身が悪の組織だったってことなんだと思う。

    ③セーラームーンごっこ

    世代的にセーラームーンごっこを友達とした人はすごく多いと思う。
    ただ私は友達とは合わなかった。方向性の違いで。

    私はネプチューン狂いだった。
    完全無敵のお嬢様で美しくセクシーで優雅なのに熱い情熱を持って、ウラヌスとの禁断の関係も幼少期の私を熱くときめかせた。
    変身リップロッドはもちろん買ってもらったし、リップは底が見えるまで使った。
    今で言う、初の底見えコスメである。

    私がセーラームーンごっこをやりたいのは、
    セーラームーンS
    110話 「ウラヌス達の死? タリスマン出現」
    のネプチューンを再現したいからだった。
    簡単に言うとネプチューンが愛のために死ぬ回だ。
    なんならウラヌスも死ぬ。
    今でも泣いちゃうくらいに感動的な回である。

    そのネプチューンをやりたかった私は、その回のビデオをリピートしまくってネプチューンのセリフを暗記。
    それを友達にも強要した。
    もちろん数回リピートして覚えられるわけがない。
    私はもう何十回、下手したら100回は見ているかもしれない。
    私は自慢げにペラペラとセリフを喋りながら感動的にネプチューンを演じて死んだ。
    誰もついてこれなかった。
    たぶんみんなラフにセーラームーンごっこを楽しみたかっただけなのだ。

    私は友達とのセーラームーンごっこは諦めて、ビデオテープをつけながらネプチューンを演じることにした。
    そっちの方がBGMもあり、臨場感もある。

    この頃からだろう。友達に大きな期待をしすぎるのはやめた。

    以上、これが私の思い出に残る一人遊び。
    書き出してみると、少し狂気を感じたけども、
    一人っ子の一人遊びって誰も見てないし言ってこないから狂気も育つんじゃないだろうか。
    どうだろうか。

    ③推し活キッズ編

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    今で言う推し活を初めてしたのは小学5年生の時だった。
    当時「8時だJ」が一大ムーブメントを起こしていて、小5の私もそりゃもうジャニーズJr.に夢中になった。
    小4の終わりに甘酸っぱい初恋が終わったと思ったら、とんでもないイケメン達を知ってしまったのだ。
    もう恋どころの騒ぎではない。
    私は「8時だJ」内で、やる気なくでんぐり返しをした二宮和也に稲妻のような衝撃を受け、無事二宮担となった。

    新しく同じクラスになったえみちゃんはタッキー担だった。
    えみちゃんとは毎日のようにジャニーズJr.について語り合った。
    小学生だけでは原宿まで遠いので、地元にできたパチもんの生写真屋に通ったりもした。
    ぼやけた盗撮写真は子供の目から見ても怪しかったので買わなかった。
    えみちゃんの他に、タッキー担の中島という男子がいて3人で話したりもした。
    中島はなぜかジャニーズJr.の夢小説を書いて読んでくれたりもした。
    中島が書いたニノの夢小説内に「俺はえみちゃんよりスシ美ちゃんのがキレイだから好きだな」というセリフがあり、密かに中島を好きだったえみちゃんがブチギレ、一方的に私が絶交されるという事件も起きた。
    中島は私向けに書いてくれただけなのに、夢小説とは恐ろしいものである。
    女子に対して他者と比べた褒め方をしてはいけないと、中島は男として大きい学びがあったことだろう。

    そんなジャニーズJr.にどっぷりつかった日々の中、
    えみちゃんから
    「ファンレターを書こうよ!」
    とお誘いがあった。
    「いいね!」
    と二つ返事で返したものの、好きなアイドルにお手紙を書くなんてドキドキと手汗が止まらない。
    「あのさ…先に練習しない?」
    私は好きだけど好きすぎないJr.にまずファンレターを送ろうと提案した。
    二人で相談して、生田斗真くんにファンレターを書くことになった。
    二人で葉書を買ってきて、
    「いつも応援しています」
    と書いた当たり障りのないファンレターができあがったので、そのままポストに投函した。
    「じゃあ、次は担当にお互い家で書いて送ろう!」
    「わかった!」
    そう約束して、その日はおしまいになった。

    家に帰った私は、とっておきの不思議な国のアリスの可愛いレターセットをひっぱり出してきて、ニノに熱いファンレターをしたためた。
    そこまではまあよかったのだが、手紙だけでは足りない気がしてしまった。
    何かないかな?と机の引き出しをあけると、幼馴染のゆかりちゃんからお土産でもらった「石の上にも三年」とかかれたお地蔵様のキーホルダーが目に入った。
    これ良いんじゃないか…?お守りにもなると思うし…
    そう思った私は、ゆかりちゃんからもらったお土産なのに申し訳ないなと罪悪感を抱えながらも、その渋すぎるお地蔵キーホルダーをファンレターの中にしまった。
    翌日ドキドキしながらファンレターに切手を貼って、震える手で投函した。
    ニノにこの想いが届きますよーに!

    翌日だったが、二日後だったか…悲劇は起きた。
    小学校から帰宅したら、ニノへ送ったはずのファンレターが開封され、封筒が洗面台の水桶の中で水に漬けられていたのだ。
    私はどういう状況かわからず、震える声で
    「こ、これは…な、なに…?」
    と母に問うと
    「あんたバカね〜。封筒の重量オーバーで切手が足りなくて返送されてきたよ!もったいないから水に漬けて使えなかった切手剥がすんだよ。再利用できるから」
    …封筒の重量オーバー?????再利用????
    小学生の私にそんな知識は全くなかった。
    封筒は基本の封筒代で届くと思っていた。
    間違いなく、あの地蔵のせいである。
    せっかく幼馴染がお土産でくれた地蔵を他の人の贈り物にするなんてバチが当たったのだ。
    これは地蔵の呪いだ…と絶望した。
    「ジャニーズ事務所 二宮和也様」と浮かれた文字が水の中で滲んでいる。
    それを見て強烈な羞恥心が湧いてきた。
    再利用なんてどうでもいいでしょ!!!
    私は手紙を奪って部屋に逃げ込んだ。
    泣いた。
    これ以降、私の中でファンレターは黒歴史となっており、どんなに好きな推しにも出したことはない。
    生田斗真が最初で最後である。

    母よ…
    もう届いたことにして、娘には秘密にしてファンレターごと処分出来なかったのだろうか…
    あんな姿になったファンレターはもう2度と見たくない。
    でもよかったこともある。
    あの大出世した二宮和也に「石の上にも三年」と書かれたキーホルダーを渡すところだったのだ。
    マジで恥を知れ、自分。
    届かなくてよかった。本当に。

    そして私はいまだに二宮和也を推している。
    好きになると好きでい続けるタイプらしい。
    でもファンレターは贈らない。
    ここで言わせてもらう。
    ずっと応援しています。

    ④秘密基地編

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    私達の小学生時代の憧れの遊びといえば
    【秘密基地】が挙げられるのではないだろうか。
    子供の夢と好きがぎゅっと詰まった空間は、
    大人は知らない小さな秘密の世界…

    小2の私は噂に聞く秘密基地が作りたくてたまらなくなり、同じクラスのなりちゃんと遊んでいる時に提案してみることにした。

    「なりちゃん、秘密基地作ろう!」
    「いいよ!どこに?」
    「なりちゃん家に作ろう!」
    「えっ?」

    なりちゃん家はそこそこ大きく素敵なお家で、
    ハイセンスっぽい家具や大きなグランドピアノがあり、
    その当時お気に入りの遊び場だった。
    秘密基地といっても、実際に友達の秘密基地は見たことがないし、正直どんなものかもよくわからない。
    ツリーハウスのようなものは想像してみるけど、
    まず労力が大変そうだし、断然野外より屋内がいい。
    私は小さい頃から現実的なのだ。

    「私、良い場所を思いついたの。来て!」

    そう言って、我が物顔でなりちゃん家のグランドピアノの下に潜り込んだ。

    「ここに私達の秘密基地を作るの!」
    「…いいね!」

    おそらく戸惑っていたと思うのだが、 
    とても優しいなりちゃんは快く了承してくれた。

    早速なりちゃん家にある素敵なものをグランドピアノの下に集めた。

    かわいい動物のぬいぐるみ、トランプやオセロなどのゲーム、まわりを遮断をするための毛布、子供用のルームランプ、ちょっと良いお菓子

    グランドピアノの下で素敵なものに囲まれたら、もうそこは素敵な秘密基地だった。
    ちょっと頭をぶつけてもちっとも痛くなかった。

    「楽しいね!みんなには秘密だよ」
    「二人だけの秘密基地だね」

    私達は秘密基地を完成させたことで気持ちが大きくなり、このあと重罪を犯してしまう。

    ミロの直舐めだ。

    なりちゃんがキッチンからミロの袋を持ってきて、二人で指を突っ込んで夢中で舐めた。
    私達しかいない世界では、そこに舞い散る粉なんて
    もはやどうでもよかった。
    ここは二人だけの秘密の世界。
    こんな禁忌も絶対にバレないのだ!!

    しかし、その日を堺になりちゃん家で遊べなくなった。
    多分なりちゃんのおばちゃんに私達の悪行が全部バレたのだ。
    おそらく私達の秘密基地は即日解体され、掃除されたのだろう。

    秘密基地とはなんと儚い夢なのだろうか。

    大人になって好きなだけミロを飲んでみても、直舐めしてみても、あの味は再現できないし、
    グランドピアノの下に潜ったとしても、あんなにドキドキすることはないだろう。
    なりちゃんのおばちゃんには大変申し訳ないと思いつつも、
    私はあの日の思い出をとても大切にしている。

    ⑤母の日編

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    先月の母の日、小6の娘から折り紙で作ったカーネーションを2本もらった。
    折り紙だと枯れないし、花を枯らす才能には長けている私にはぴったりだ。
    なにより母の日だと思ってわざわざ作ってくれた気持ちが嬉しい。
    ありがとう、娘よ。

    私は自分が小4の時の母の日を執念深く覚えている。

    中学受験のため小3から隣駅の塾に通っていた私は、小学校にしては活動範囲がわりとアクティブだった。
    母の日の一週間前、はじめて自分のお小遣いで母の日をお祝いしようと考え、塾の時間より早く家を出て隣駅のユニーに向かった。
    ユニーは一階が食料品、二階が衣料品、三階が子供用品といった一般的なスーパーだった。
    それまで一人で大人の衣料品コーナーに足を運ぶことはなかったので、少し大人になったような気がしてムズムズした。
    私の目当ては、エプロンだった。
    母の日のプレゼントといえば、第5位までには入る定番商品ではないだろうか。
    エプロンコーナーに辿り着くと、カラフルに彩られたエプロンがたくさんあった。
    この中からデザインが良いものを選び、お小遣いと相談する。

    まず、ピンクが良いだろう。
    (私はピンクが好きだ)
    ピンクの柄が良いだろう。
    (私は柄物が好きだ)

    ここまでは自分の好みで決めた。
    ここから、お小遣いと相談して候補を絞る。
    素敵なデザインは高いし、普通なデザインは安い。
    少ないお小遣いを握りしめ、決断した。
    素敵なデザインの方にしよう!
    それはママ御用達ファッションブランドのものだった。

    素敵なプレゼントを手に入れたい私は、塾を終えてから自宅に帰り、いそいそとプレゼントを隠した。
    隠したは良いが、素直で顔にすぐ出るタイプの私は怪しさが隠しきれない。

    『あなたの娘は親孝行の良い娘ですよ!加えてセンスもいい!ラッキー母ですね!よっ!この幸せ者!』
    と今にも口から飛び出そうだ。
    とにかく私の素晴らしい善行ぶりを早く放出したい。

    「あのね、お母さん」
    「なに?」
    「母の日、期待してて。プレゼント買った!」
    「え?買ってくれたの?なにを?」
    「当日までは秘密だよ〜ヒントはエルだよ」
    「エル…?」

    母の表情が曇った。
    私的にはめちゃくちゃ喜ぶヒントだったのに、なぜ表情が曇るのかわからない。

    「え?エルだよ!?」
    「なんでエルよ」

    やはり怪訝な表情をされる。
    「エルだって」
    私はもう半ギレで返す。
    隠したばかりのプレゼントを持ってきてぶっきらぼうに渡す。
    「もうあげる。あけて!絶対喜ぶから!」

    包装紙をあけて、母が声をあげる。
    「あら!ELLEのエプロンじゃない!」
    「エルって言ってるじゃん」
    「エルって、サイズのLかと思ったわよ!」

    母は大きいサイズの洋服を買われたと思い、機嫌が悪くなっていたのだ。
    私はずっとママ御用達ファッションブランドのELLEのことを言っていたのに。

    不幸なすれ違いだ。
    だけど、この母の日のことをずっと根に持っている。
    以後、母の日は母にヒアリングしてからプレゼントを買うようにしている。

    ⑥連れション編

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    小学生女子は、なぜ連れションをしていたのか?

    誰が初めに始めたのか、誰に誘われたのか、
    今となっては永遠の謎なのだけど…
    私はよく女友達と連れションをしていた。

    仲良しレベルによって連れションの様相も異なる。

    仲良しレベル1:
    トイレまで一緒に行くだけ

    仲良しレベル5:
    相手のトイレが終わるまで入り口付近で待つ

    仲良しレベル10:
    鏡でいっしょにリップを塗る
    ※リップはキャンパスリップ

    仲良しレベル30:
    トイレで内緒話をする

    仲良しレベル88:
    トイレの個室までいっしょに入る
    どちらか一方が小をする時は、見ないように個室の隅で背を向けて待機
    ※色々しながら内緒話をする

    仲良しレベル99:
    いっしょに野糞

    こんな感じで仲良しになればなるほどハードなものになっていった。
    前述で「私は」ではなく「小学生女子は」にしたのは、これが小学校でも塾でも他校でも行われていたからだ。
    私の周辺だけだったら、まじごめんだけど。

    トイレの内緒話は、友達の悪口、愚痴もあるにはあったが、ほぼ恋バナだった。
    実は乙女の素敵な恋バナは秘密のトイレで繰り広げられていたのだ。
    だから、「お花を摘みに行く」と言うのだろうか。
    トイレは秘密の花園だったのだ。

    レベル99の件だが、平成の小学生はしょっちゅうそこいらでやっていたと思う。
    森でやって葉っぱでおしりを拭いて友達と笑い合ったことを思い出す。
    野生児のようだが、一応生まれも育ちも東京だ。
    温室育ちの令和女子が聞いたらドン引きかもしれない。

    これは友達の友達の話だが、
    ある日、アスファルトでレベル99をしてしまったらしい。
    葉っぱもなにもないので、ブツが丸出しになってしまった。
    困ったその子はランドセルから折り紙を取り出して丸出しのブツにそっと被せて隠したらしいのだ。
    それが大切に持っていたオーロラの折り紙だったようで、友達は「オーロラに輝く友達のブツを見た」と言っていた。
    その子のあだ名は「オーロラ」だった。
    まさかの由来である。

    小学生女子の連れション事情、今思うと衝撃の数々だ。
    あれは平成の小学生女子の文化だったのか、局所的文化だったのか、またもや現代で行われているのか…
    真相は闇の中。だって乙女の秘密の花園だから。

    ちなみに、大人になってからはレベル30で止まっている。
    レベル99はしていない。安心してほしい。

    ⑦手紙編

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    小4年の頃、塾の友達ゆかちゃんとよく手紙交換をしていた。
    私もゆかちゃんも筆マメなタイプで、毎日のように便箋数枚にぎっしり文字を書けたし、いくらでも手紙をかけたが、そのペースについていけるのがお互いだけだった。
    ある日、手紙欲がたぎりすぎた私たちは「塾の机の中に手紙を置いておいたら、誰かが文通してくれるのでは?」と思いつき、即実行に移した。

    〝この手紙を読んだ人へ
    こんにちは。お元気ですか?
    突然ですが、私と文通しませんか?“

    私たちはかわいいレターセットに手紙を書き、塾の机の中に手紙を入れて退室した。
    「返事くるといいね!」
    「楽しみだね!」

    翌日、塾に来るなり机の中を確認すると、まさかの違う封筒が入れてあった。
    「きてる!!」
    「え!すごい!!!」

    〝手紙をくれた子へ
    こんにちは。
    私は中学生です。
    前の授業の小学生が書いてくれたのかな?
    お手紙ありがとう!“

    「「フォオオオーーーー!!!」」
    私達は誰かにちゃんと手紙が届き、返事がきたことにとても感動した。
    その後、何週かに渡り中学生のお姉さんと何度か文通をさせていただくことに成功した。

    私達は見ず知らずの人と文通をする喜びを知ってしまい、さらなる文通相手を思い付いた。
    友達の友達だ。
    私はゆかちゃんの友達と、ゆかちゃんは私の友達と文通することにした。
    私達は塾友なので、塾以外の友達を見繕うことにした。

    私が紹介したのは、隣のアパートに住む3歳年上の和子さんだ。
    いつも優しく穏やかな性格のお姉さんで、子供の頃から姉のように慕っている。

    ゆかちゃんが紹介したのは、ゆかちゃんのクラスメイトのまあやちゃんだ。
    明るい性格で友達も多く、ゆかちゃんの親友らしい。

    私とまあやちゃん、ゆかちゃんと友子さんの文通は長く続いた。
    二人とも筆マメで塾のたびに手紙交換をした。
    毎日の出来事や、友達との悩みごとなんかを書き合った。
    まあやちゃんから見たゆかちゃんの好きなところなども書かれていて、私もゆかちゃんの好きなところを答えたりした。
    手紙をもらうのも書くのもとても楽しく、文通って面白いなと思った。

    結果から言うが、
    友子さんもまあやちゃんも存在しない。

    私達は偶然にも架空の友達を紹介し合ったのだ。

    私達はお馴染みの筆跡の手紙を受け取り、お互い気付かなかったことにして文通をし続けたのだ。
    前述にも書いたが、私とゆかちゃんのペースについていける筆マメなど、たやすく存在しない。
    中学生のお姉さんと奇跡的に文通できたことで、私達は文通モンスターと化してしまったのだ。
    怖いことに二人の文通ブームが終わるまで、週3で毎回2通の文通をしていた。
    ゆかちゃん、まあやちゃん(という名のゆかちゃん)、たくさんの手紙をありがとう。

    手紙といえば、他にも忘れられない出来事がある。

    小2の頃、毎月誕生日のクラスメイトに誕生日カードを渡すという習慣があった。

    その月が誕生日だったあるクラスメイトが、私の悪口を他の子に吹き込んでいる所に遭遇してしまった。
    ムカついた私は、その当時流行っていた「不幸の手紙」をそのクラスメイトに書くことを思い付いた。
    不幸の手紙とは、この手紙をもらった人は同じように不幸の手紙を10通書かないと不幸になるという呪いの手紙だ。
    ちょうど誕生日月だ。思いっきり呪いっぽい不幸の手紙を書いてやろう…。
    黒い色画用紙を使って、おどろおどろしい不幸の手紙を書き上げた。
    翌日、誕生日カードを回収する大きい茶封筒をこそこそと入れた。

    帰りの回、
    「残念なお知らせがあります。お友達の誕生日カードに良くない手紙を書いた人がいます。こんなことは最低です!書いた人は名乗り出てください。」
    と先生が言った。

    めっちゃ大ごとになってしまった。

    先生が中身をチェックしていたのだ。
    他人宛の手紙を見るとは何事だ。
    信じられない。人としてどうなのか。
    しかも絶対私だってバレてる。
    よく考えたら、無記名なのは私だけだ。
    消去法で犯人確定だ。
    なら私に直接言えばいいじゃないか。
    こんな大ごとにすることないだろ。

    などとは思ったが、私の悪事だ。
    放課後、全力で謝りに行った。

    あれから反省して不幸の手紙は書いていない。

    以上が私の記憶に残る手紙エピソードだ。
    私の学びとしては、手紙は宛先以外の人も読むかもと思って書いた方がいい。
    私も読むチャンスがあれば読むだろうし。
    手紙って黒歴史を残しやすいなと思う。
    だから大人になってからは手紙が少し苦手だ。

    ⑧最後に

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    ねぇ、少女の私たち。
    私たちって無敵だったでしょ?

    小学校からの帰り道、
    学校の金網フェンスをよじ登ってショートカットしたり、
    人の敷地をショートカットで横切ったり、
    道端に生えてるツツジの蜜を躊躇なく吸い尽くしたり、
    知らない人の庭で外飼いの犬を勝手に愛でたり、
    公園でエロ本拾ってこっそり回し読みしたり、
    買い食いしようとして駄菓子屋のババアに怒られたり、
    アパート使って全力かくれんぼしたり、
    私たちやりたい放題だったよね?

    毎日全力で笑って怒って泣いて騒いでた。
    自分が主役の人生で、いつだって道路の真ん中を歩いてた。

    40歳の私たちもずっと主役だよね?
    主役だったんなら、死ぬまで主役のはずだもんね。
    高尚な朝ドラヒロインじゃないんだし、
    そのへんの私たちはずっと主役でいいじゃん。
    私はそう思うよ。


    今年40歳になる少女たちへ

    無敵の少女だった私たちより