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病名のない難病もちですが、第二の人生を満喫してます~作家志望12年目の本音~

    ※病気や障がいなどの表現があります。

    病院の待合室。
    今日も今日とて脳神経内科はガラガラだ。
    人類滅んだのか? ってぐらい人がいない。
    つまりこの調子だと、10分以内には診察室に呼ばれる。

    脳神経内科とは、かれこれ20年以上のお付き合いである。
    それ以前はずっと小児科だったので、病院とのお付き合いだけなら
    30年ぐらいになるだろうか。

    脳神経内科にかかっているというと、「なんの病気ですか?」と聞かれることがたまにある。
    でも、答えにとても困ってしまうんだよ。

    だって病名ついてないから……。

    病名がついてないと本当に困る。
    問診表とか健康診断に病名を書くとき。
    あと、別の病院で口頭で説明するときに困る。
    もう私が適当に病名つけたろか!

    おまけに原因不明、治療法不明。
    医者いわく
    「似たような症例が、国内で恐らくあと1人、国外にも2人いるかどうか」
    フルコンボだドン!

    これは、そんな病名のない難病と幼いころから付き合っている
    花千世子(45)の、闘病だか作家志望のぼやきだかよく分からないエッセイである。

    私は5年前にポプラキミノベルで大賞をいただき、4年前に書籍化している。
    シリーズは4作続いたが、その後に実質打ち切り。
    それ以降は企画書を通せず、公募勢に戻り再受賞を狙って今に至る。

    今年の7月で書籍デビュー4年目になるが、水面下で動いている作業なし。
    応募しているコンテストは軒並み落選。
    人生こんなものである。
    嘆いているわけではなく、楽しくやっているので問題なし。

    私の人生で
    受賞→書籍化→4冊も出してもらえるという幸運が続いたので
    これ以上に幸運が続くと、反動でどんな不幸が訪れるかハラハラしていた。
    だけど、現状になって結構ホッとしている自分がいるのだ。
    つまり現在は、運が通常営業に戻っただけである。

    とはいえ、現状を不幸だと嘆いているわけでもない。
    創作では、かなりラッキー寄りの人間だと思っている。

    しかし、健康運はあまりラッキーなほうではないだろう。

    私は昭和56年4月の午後4時頃に生まれた。
    やや低体重気味なことと、生まれた直後に黄疸が出たので
    母より少し長く入院したこと以外は、特に何も問題のない赤子だったそうだ。

    最初に私の異変に気付いたのは、保育士さんだった。
    保育園の夏まつりで、ヨーヨー釣りをしていたとき。4歳頃だろうか。
    私の手がかすかに震えていたらしい。
    それを見ていた保育士さんが、母に念のため伝えてくれたそうだ。
    さすがプロ。よく見てる。

    それからすぐに母は私を病院へ連れて行った。
    しかし。
    特に何も異常はないし、「よくわからないねえ」という結論に。

    それ以降、私の症状は手の震えだけに収まらなくなっていく。
    歩くこと、立っていること、じっと座っていることに影響が出始めたのだ。
    今まで隠れていた症状たちが、こんにちはしている。
    出てこなくていいよ!

    そうなると、母にいくつもの病院に連れて行かれた。
    でも、どこへ行っても原因不明。

    そして最終的に中学1年の夏休みに大学病院で検査入院をして、徹底機に調べてもらって、ようやく「病気」ということが分かったのだ。
    分かったのは概念のみである。
    とはいえ、「意味不明」から「病気」という概念がわかっただけでも進歩だった。
    あと、以前よりは効果のある薬も処方されるようになった。

    私の病気は小脳が原因らしい。
    ざっくりいうと、脳の信号が体にうまく伝わらないらしい。
    そのうえ、自分の意思とは関係なく体が勝手に動く、という非常に厄介なものである。

    そのため、先ほど書いたように日常生活では支障もある。
    歩行、食事、家事(主に調理、買い物)など、スムーズにできない。
    脳の信号が体にうまく伝わらないうえに、余計な動きはするので……。

    わかりやすいイメージを伝えるならば。
    頻繁にくしゃみをしているような動きがある、というところだろうか。
    そして、その動きが全身に出る。
    おまけに特定の動きになると、今後は体が硬くなるという……。
    伝わるだろうか、これ。説明やっぱ難しい。
    とにかく生きてるだけでカロリー消費はんぱねえ!
    そのわりにここ数年で体重増えたのはなぜ?!

    そんな私は、家の外にあまり出ない。
    病気のせいというよりは、強い意志を持った引きこもりである。
    そういえば小学5年生だか6年生の頃に「家にずっといたい」と強く思った。
    これが私の将来の夢だったのだ。
    夢かなったね☆

    とはいえ、ずっと引きこもりをしているわけにもいかない。
    運動不足はよくないのだ。
    運動不足だと体重が増えるだけではなく、健康状態も問題が出てしまう。
    だが、外に出られない事情がある。
    それは熊。

    今は熊が怖い……。山が近い田舎なので。
    歩いていると小説のアイデアがまとまりやすいから歩きたいけど、やはり熊との遭遇が怖い。

    私は病気で走ることができない。
    そのため、熊に出会ったら逃げられなくて詰む。
    とはいえ、熊ってすごく足が速いらしいので、私が走れたとて……。

    私が自分の足で走れたのは、小学3年生くらいまでだろうか。
    小学4年生くらいの頃に、なぜか突然、走れなくなった。
    足がうまく動かなくなったのだ。
    それ以降、運動会はすべて見学していた。
    もともと運動音痴なので、堂々と見学できるのはラッキー。
    クラス対抗リレーを高みの見物!

    走れないが、その場で駆け足だけはできるんだ……意味が分からないだろ?
    ぼくもわけがわからないよ。
    だからリングフィットはできるんだよね。

    そして小学六年生の時に、急に歩けなくなった。
    それまで歩けていたのに、ある日とつぜん歩こうとすると足が前にでなくなったのだ。
    しかし、なぜか家では歩ける。
    なんなら学校内でも歩ける。
    歩けないのは外だけなのだ。

    私の病気はメンタルと直結している。
    私が恐怖感を抱くような出来事があり、次にその出来事に関連した動きをしようとすると脳が強めにブレーキをかけてしまうのだ。
    結果、体が動かないという症状として体に出てしまう。

    走るのもそうだ。
    転んでケガをしたことがあった。
    それ以来、走るのが怖くなった。

    そう、「怖い」とか「痛い」で症状が大きく変わるのだ。

    私は、幼いころからめちゃくちゃ痛がりで怖がりだった。
    世界痛がりチャンピオンになれる自信すらある。
    怖がり世界大会があったら、日本代表の1人にはなれるだろう。
    そして病気とメンタルが異様にシンクロするのである。

    それにしたって歩けなくなるのはとても困る。
    小学校は片道1キロだったが、中学校は片道2キロである。
    それなのに許されていない自転車通学……!

    歩けないのにどうやって、登下校をしていたのか。
    それはスキップである。
    なぜかスキップはできたのである。
    そして、後ろ歩き。
    これもできたのだ。

    スキップも後ろ歩きも転ぶ心配がない(そんなことはないのだけど)
    当時はそう思っていた。
    だからスキップと後ろ歩きだけで登下校を乗り越えていたのだ。

    しかし、集団登校でスキップはちょっとね。目立っちゃうね。
    なので、下校中は堂々とスキップで帰った。
    うきうきで下校する小学生にしか見えなかっただろう。

    歩くことが難しくなってしまい、もう私は中学はスキップで通うしかないのか。
    学校嫌いなのに、すごく学校好きだと思われちゃう……。
    そうあきらめていた時だった。

    「歩けないはずがない。だって前は歩けたんだから!」

    母はそういって、あきらめなかった。

    母は私の歩き方を徹底機に分析してくれた。
    そして、コルセットを巻けば背中が伸びて、姿勢が安定する。
    そうなると病気で無駄な動きをする余地がなくなると判断したのだ。
    私は半信半疑で制服の下にコルセットを巻いてみた。
    すると、歩けるようになった!
    母の観察力、すごい。

    歩けるようにはなったが、やはり今も支障はある。
    足がうまくついてこないので、片足を引きづるようになってしまう。

    若い頃は、自分が歩くと人目を引いているようですごく嫌だった。
    でもさ、足を引きずっている人を見ちゃうのは心配の意味もあるんだよね。
    若い頃の私はそれが分かっていなかった。自意識過剰だったね。
    そして今ならわかる!
    誰も見てない! だれも他人に興味なんてない!
    私だってそうだ。他人なんて見ていない。
    自分のことだけで精一杯で、誰かに迷惑をかけないようにするだけでもうキャパオーバーである。

    走れなくなったり、歩けなくなったり、飲み物の入ったコップや器を手でうまく持てなくなったり……。
    今まで問題なくできていたことが、小学高学年くらいから突然できなくなっていく。

    超能天気な小学生だったから、あまり深くは考えなかった。
    またできるようになるかも、とも考えていた(今もできないままだが)
    でも、やっぱり「次は何ができなくなるんだろう」と不安にはなる。
    そういう時は、よく妄想の中に逃げ込んだ。

    妄想の中では、私は万能人間である。
    できないことなんてないし、なんなら運動神経抜群、頭だっていい。
    そして、妄想の中の私は、みんなから尊敬されている。
    できないスポーツはないし、テストだっていつも100点。
    いや、勉強は現実でも頑張れよ……。さぼってただけだろう。

    妄想力だけは、非常に鍛えられた。
    中学でたくさん妄想に逃げたおかげで、自分でも創作をしてみたいと思ったのだ。
    これは今の創作活動にもめちゃくちゃ活かされている。

    中学の頃は、大好きだった映画の続きを考えてみたり。
    大好きだったドラマのスピンオフを考えてみたり。
    高校生の頃は、片思いの人と両想いになる妄想をひたすらしてみたり。
    大好きな海外ドラマの脚本を書いている自分を妄想してみたり。
    妄想は何でもアリなのだ。
    私はことあるごとに妄想に浸った。
    その癖は今もあり、眠れない夜は再受賞した自分を妄想している。
    ……こうやって文字にしてみると、なんかちょっと切ないな。

    さて、そんな私は現在は無職である。
    無職というか、専業主婦のはずだが……。
    専業主婦といえるほどに、ちゃんと家事をしていない。
    病気だからできないのではなく、強い意思を持ってサボっている。
    それに夫婦ふたり、猫1匹の家事って少ないものだ。

    本当のところは、ライターに復帰したい。
    在宅ライターは10年続けた。
    でも、書籍化作業に支障が出そうで、ライターの会社に、「1カ月10万文字は厳しいです。7万文字ぐらいに減らせませんか?」と言ったら、仕事こなくなった/(^o^)\
    1か月10万文字なんて、小説では書いたことないんだよおお。

    そもそも最近、求人見つからないんだよね……。
    ライターにこだわらなくても、書く作業に携われるならいいな。
    手で字は書けないけど、編集ソフトは使えるからオンライン上で文字は書けるよ?
    どうですかね?(切実)

    とはいえ通勤するタイプのライターは無理である。
    上記の理由で、一人での外出がめちゃくちゃ大変だから。
    通勤なんてしたら、毎日が「はじめてのおつかい」になってしまう。

    あと、問題はまだある。
    病気の症状で、椅子に座ってパソコン作業ができない。
    椅子に座ると足が自由になるため、病気の症状で足が勝手に動くのだ。
    それを押さえるために、地べた族という選択肢しかない。
    こたつやローテーブルにパソコンを置いて作業をする。
    地べた族、とても快適である。

    さて、完全在宅のライターの求人。
    私の探した方悪いのかもしれないが、昔よりも……12年前にライターを始めた当初よりは断然、求人は減っている気がする。
    あと、単価が安いところが増えてる!
    1日6000文字以上のノルマで、1文字0.5円はちょっと……。
    しかも、それ以下の単価もゴロゴロある。
    花千世子は激怒した。
    単価が異様に安い仕事はロクなものではないので応募しないと決意した。
    花千世子は算数がわからぬ。算数は分数で挫折した。
    しかし単価には人一倍敏感であった。

    正直なところ。
    小説で再受賞→爆売れ!
    これがいい!
    そんなルートをたどりたいところだが、そんなルートなぞ存在しない!

    むしろ私にお金を稼ぐ手段があることが奇跡なのである。
    子どもの頃や10代の頃、自分が働く姿を想像できなかった。
    それどころか、毎日元気に学校へ行くことすら難しかったのだ。

    小学生の頃、まだ病気だと医者に診断されなかった時期。
    母に病院に連れられ、「よくわからないですねえ」と医者に首をひねられる。
    それがいつものパターンになりつつあった。

    愛知県内の病院はあらかた行ったかもしれない。
    それぐらい、母はわたしをあちこちの病院へ連れて行ったのだ。
    だけど、病院は無限に湧いて出てこない。
    行く病院がなくなると、母は方針を変えてくる。

    そのうち、母は私を整体や気功へ連れて行くようになる。
    どれも治らない。

    母は、とうとう霊媒師の元へ私を連れて行った。

    霊媒師の元へ行ったとき、なんかすごい祭壇?を前に
    大げさにお経を唱えられつつ思った。

    これはちがうやろ(似非関西弁)

    おそらく、これではない。
    霊媒師でなんとかなるやつではない。
    逆にお祓いをしてもらって治ったら、それはそれで怖い!
    なにが憑いてたんだよ!

    霊媒師にお祓いをしてもらったあと、もちろん治っていなかった。
    ホッとしたような、予想通りのような……。
    それを見た母がポツリと言った。

    「さすがにちがうか」

    母は正気であった。よかった!
    だってめちゃくちゃ心配していたのだ。
    このまま母が、「仏教がダメなら別の」とか言って変な宗教に走らなくて、本当によかった!
    母は焦ってはいたが、常識はあった。

    中学1年生の検査入院で病気(概念)だとわかり、とはいえそのあと別に生活が劇的に変化したわけではない。
    薬がめっちゃ効いたわけでもないし。
    しかも、中学の頃は思春期が邪魔をして、症状にいちいち疲れていた。

    中学生の時は、さまざまな仕事にあこがれた。
    看護師、警察……ぜんぶ漫画とドラマの影響だけど。
    でも、これらの仕事はできない。病気の症状から無理だ。

    中学3年生で、私はようやく自分の未来が暗いことを直視し始める。
    ……遅くね?
    とはいえ、直視して悲観したところで何も始まらない。

    だけど、私には一体なにができるんだ?
    何かになれるのか?
    いや、なれなくてもいい。
    まともな大人になれるのか?

    中学3年生ぐらいから、字を書くことができなくなっていった。
    もともと字を書くのが大変ではあったのだ。
    それが年々、手が動きにくくなっていった。

    現状も字が書けないままだ。
    頑張れば、問診票を埋められるのだが。
    動きにくい手で無理やり書くので、めちゃくちゃ読みずらい。
    そのため、選挙なんかは代筆を頼んでいる。
    ありがたいね、代筆してくれるの。

    小学6年生の頃から、趣味で漫画を描いていた。
    しかし、字が書けなくなれば絵だって描けなくなる。
    高校生の途中ぐらいで描くのをやめた。
    絵を無理に書くと、そのあと手が硬直して動きが鈍くなるからだ。

    そんなふうだったから高校生の頃
    人生をちょっと悲観し始めた時期があった。

    こんな状態で、私は将来、どんな仕事ができるんだろうか。
    字も書けない、走れない、立っているのもフラフラする、細かい作業はできないことも多い。
    これじゃあ、なんの仕事もできないのでは?
    そんな不安が襲う。

    実際に、高校生の頃に何度かバイトの面接に行ったが(軽作業系)
    すべて不採用であった。まあ、それはそうだろう。

    高校を卒業し、専門学校へ入学した。
    専門的な何かをやりたいわけではない。
    ただただ社会人になるのを先延ばししたいだけだったのだ。

    そして、専門学校では、命の危機を感じるほどのいじめに遭った。

    とはいえ小、中、高とイジメには遭った。
    病気があると、そして目立つような症状があると
    どれだけ周囲に迷惑をかけていなくても、いじめてくる人間はいる。
    私は、周囲に迷惑がかからないよう生きてきた。
    少なくとも、いじめてくる人間とは関わったことはない。
    しかし、向こうから関わってくるのだ。心底うざい。

    専門学校はそれが酷かった。
    暴力を振るわれることこそなかったが、体のデカい男子が「殺す」と言ってきたら、警察案件でよかったのでは?
    先生までいっしょになって私をいじめてきたので、二年生の夏休みで退学した。

    病気があると、ものすごく良い人に出会うことがある反面。
    ものすごく悪い人間が絡んでくることもある。
    私は、世間でいうところの弱者らしいので、人間の本性をよく見るのだ。
    創作の上では役に立つかもしれない。キャラを書くのは今も苦手だけど。

    専門学校を自主退学後、正社員として雇ってもらおうと動き出す。
    パソコン教室へ通い始めたのだ。
    しかし私がとったパソコンの検定の1級は、通っていたパソコン教室でしか通用しないものだと後から分かった。
    つまり……無意味な資格ってコト?
    無意味な資格と持病持ち。必要のないものしか持ってない。

    おまけに時代は就職氷河期である。
    どんな大学を出ていようが、どんなに専門分野にと特化していようが、就職が難しい時代。

    当時の担当医に、薬をもらいにいくたびに現状を報告した。
    母も担当医の話を聞くために診察室までついてきた。
    仕事がなかなか決まらない、病気があるとできることも限られてしまう。
    そんなことを私が話すと、担当医は言った。

    「千世子さん、障がい者手帳を取得してもいいかもしれませんね」

    つまり障がい者枠で雇ってもらうのが一番、可能性があるということだ。
    しかし、母は障害者手帳の取得には絶対に反対だった。
    母は見栄を気にする人だ。
    周囲に娘が名前のない難病がある、とすら話していない。母の実の姉妹にすら話していない。

    ちなみに、私には弟が二人いる。
    一番下の弟は、重度の知的障がいがある。意思疎通もままならない。
    母はこれ以上、健常者の我が子を減らしたくなかったのだろう。
    私はもともと健常者ではないんだが。
    母としては、私が治るという選択肢を捨てたくなかったのだろう。
    別に障がい者手帳をもったからといって、治らないとは限らないが。

    20歳頃に、ようやくバイトを見つけた。
    ちょうどその時、私には趣味があった。

    それは、小説を書くこと。

    実家にはワープロがあった。
    年賀状を作るためだけに購入された代物である。
    19歳の頃、ワープロで文章が書けることに気づいた。
    そういう機能があることすら知らなかったのだ。年賀状以外で触らなかったから……。

    私はワープロで文章を書けると知ると、あれこれと物語を書いてみた。
    当時ハマっていた、レオンとか踊る大捜査線の二次創作。
    でも、冒頭だけ書いて飽きてやめていた。
    そのうち、片思いの人と自分が両想いになる妄想を小説として書くようになる。

    とにかく手書きでなくても、文章が書けるということが嬉しくてたまらなかった。
    中学の頃に何度も「小説を書いてみたいな、でも手書きだと厳しいな」と考えた。
    それが、こんなふうに書けるなんて思ってみなかったのだ。

    24歳の時に結婚した。
    夫とはFF11(オンラインゲーム)で出会った。
    こうして私は、愛知から栃木へ。

    結婚後は、専業主婦となった。
    この名もなき病気で、生活にも支障があるのだが。
    工夫すれば、できない家事はない。まあできないこともあるが……。

    母は、昔からわたしを決して「病気の子」として扱わなかった。
    他人に頼らず、なんでも工夫して自分でやる。
    周囲に迷惑をかけそうだったり、どうしても困ったりしたときは他人に頼る。
    とにかく何でも自分でやってみること。
    母は、わたしにそう教えてくれた。
    だから、わたしは「とりあえず何でも自分でやってみる」がモットーだ。

    そして、夫はかなりできた人である。
    わたしの症状をきっちり分析して、めちゃくちゃサポートしてくれているのだ。
    人に頼るのが苦手だったが、夫にはめっちゃ頼っている。
    母は「なんでもとりあえず自分で」派。
    夫は「できる限り頼ってほしい」派。
    結局、母も夫もわたしをサポートしてくれるので、ありがたい。
    でも、夫のサポート力すごすぎて、頼りすぎているかもしれないな……。
    なかなか物を捨てない癖は治したい(病気はと関係ない)

    さて、そんなこんなで5年専業主婦をしたのち。
    夫が脱サラして自営業になると宣言。
    私もだいぶ気ままな専業主婦(さぼってたし)をさせてもらったので、夫の夢は応援しようと思った。

    そして、私も仕事をしたほうがいいなと思った。
    最初に夫に提案されたのは、障がい者手帳の取得であった。
    もし、夫が働けない状態になったとしても、障がい者枠で働ける可能性がある。

    私は納得して、担当医に障がい者手帳を取得したいと伝えた。
    検査などをして、障が者手帳を取得。
    予想よりも少し級が重かった。
    正直なところ、複雑な心境だった。

    障がい者手帳をもらうと、重みが違う。
    これを持つと、自分が病気だということを真正面から受け止めないといけない。
    むしろ今まで目を逸らし過ぎていたのだろう。
    仕事で必要になるかもしれないとはいえ、母にはなんて言おう。
    とりあえず黙っておくか! 実家が離れてるとこういう時に便利!

    結局、仕事では障がい者手帳を活用することなく在宅ライターになった。
    とはいえ、障がい者手帳は色々な割引をしてもらえる。
    とてつもなくありがたい。ありがたすぎる。

    障がい者手帳を取得したことは、数年後に母にも伝えた。
    どう反応されると思えば……。

    「へー! いろいろと割引されるでしょ!」

    あ、うん。そうね……?
    母は現在はだいぶ吹っ切れていた。
    でも、よかった、ショック受けてなさそうで。

    在宅ライターをしているうちに、ライターでのストレスを小説で発散というか、現実逃避するようになった。
    公募に力を入れ始めたのも、その時期だ。
    人間って、「時間がない」という焦りで本気になれるものなんだ。私だけかもしれないけど。

    私は人生で初めて夢中になるものができた。
    それが、小説だったのだ。
    病気があっても、タイピングさえできれば書けてしまう。
    真っ白なパソコンのメモ帳には、無限の可能性と世界が広がっている。
    わたしがかみだ(言ってみたかった)

    それまでは本当に根性なしで、何をやっても「もうやだ」となっていた。
    ある意味、あきらめが良い。まあやっぱ根性なしだったのだ。
    だけど、小説を書き始め、公募をして、落選ばかりだがたまに良い結果があって。
    いつの間にか、小説を書くことが私の生きがいとなっていた。

    小説の公募をするようになって、他のことも集中力が上がった。
    すぐにあきらめないようになったのだ。
    根気よくやれば、自分でもできる。
    それを教えてくれたのは、小説を書くことから学んだ。

    年に一度、愛知の実家に農作業の手伝いに2週間ほど帰るのだが。
    登下校をした道や、学校の前を通ると、あの頃の私は夢も希望もなかった。
    そんなこと思い出す。
    今みたいにキラキラした夢を持てるとは思えなかった。
    人生詰んでるって思ってた。

    だけど私はライターにもなれたし、小説で一度、受賞もして書籍化もしている。
    まあ、いまちょっと、2年ばかり無職だが……。

    でも、バイトすら困難だったわたしがフリーランスだよ。
    夢なんて持てない、大人になりたくないって思っていた高校時代。
    それが、作家だよ。まあ、今はね、うん、また再受賞狙ってるけどね。

    大丈夫だよ。
    病気とか、環境とか、色んな不自由があっても、そんなのぜんぜんハンデじゃないよ。
    むしろ、おかげで妄想力を鍛えられてるよ。
    まあ、もっと勉強はしてほしかったけど。
    でも、仕事も夢もちゃんとあるよ。大丈夫。
    思ったような大人じゃないけど、人生を楽しめてるよ。

    そんなふうに中学や高校時代の、悩んでいる自分に言いたい。
    だけど、それをいったら「あ、じゃあ何もしなくてもいいか」ってだらだらしそうだな……。

    だけど、私はときおり思うのだ。

    自分が病気がなくて、健常者として生まれてきたら……。
    幸せだったのかなあ。
    きっと、それはそれで充実していたかもしれない。

    だけど、今は今で楽しくやっている。
    「かなり幸せだよ」と胸を張っていえるのだ。

    まあ、小説は直近で良い成績がないけどね……。
    カクヨムコンでエッセイ、落選したし。中間通っただけでもうれしいけど。
    なんなら、今年になってから落選しかしてない!
    落選の数なら任せてほしい。

    それでも書き続けるよ。
    だって、小説を考えているとき、書いているとき。
    わたしは、自由に動けて何にだってなれるんだから。
    こんな楽しい場所、一生手放してやるもんか。

    でも、再受賞したいね!(結局はそこ)
    だからさ。今夜も一緒に、画面の前で「かみ」になろうよ。

     
     
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