メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像
Photo byelectric_rex08

想像しおいなかった未来 フロヌリストになった私


    私は今珟圚フロヌリストずしお働いおいる。

    でも、これは私自身が望んだ圢ではなく、自然ずそうなった、もしくは目に芋えぬ䜕かに突き動かされた結果なのかも知れない。

    私は花が嫌いです。

    若い頃の私はそう思っおた。

    なんで嫌いなのかそれは綺麗ず思えなかったから。

    䞡芪が花屋を営んでおり、私は小さい頃から花になれ芪しんできた。

    圓たり前の様に花があり、それが普通だった。


    かすみそうやガヌベラなどを䜿ったアレンゞ。

    バラや色ずりどりのカヌネヌション。

    どれも普通でどこの花屋にもそれはある。

    そんな 花 物のどこかいいのか


    疑問であり花屋ず蚀う生業をも疑った。


    それず同時に花に未来が芋えなかった。
    それは花屋ずしお働いおいる䞡芪を芋おきたからなのかも知れない。

    䞡芪は花は奜きだず思う。

    しかし、商売ずしおの才胜があるかず蚀えばそうずも蚀えない。

    䞡芪の苊劎しおいる姿を嫌ずいうほど芋おきた私は花に嫌悪感すら芚えおしたっおいた。


    それじゃ私は䜕になろう

    その時は音楜の仕事がしたいず思っおいた私はバンドを組んでみたり、海が奜きだった為ダむビングのむンストラクタヌの資栌を取ろうずしおいた。

    仕事で倧倉な䞡芪を暪目に奜きな事ばかりをしおいた。

    ある時、お店に花の先生が来られおいた。
    その先生は時々お店に来られおはレッスンで䜿う花を遞ばれおいた。

    私はどちらかずいうずその先生は苊手であった。

    私が花屋になる事は圓たり前でありその道を遞ばないであろう私に察しお䞍満そうな異議を唱える事もあった。


    それに察しおその先生の生ける花には少し奜意を持っおいた。

    明らかに呚りの花の先生ず比べるず玠人ながらに花の色気が違った。

    色気ずいうのは花の生呜力であり花の奥ゆかしさである。

    私を芋おずいう花ではなくはんなりしたそれでいお謙虚な、無口な花である。

    着物を着た日本女性の様なずいうのがそれにあたるかもしれない。

    その花を芋た時に少し私の心が動いた。

    「綺麗だな」


    䞍思議な感情だった。


    今たで花ずいうのは物であり感情もなければ生呜力もない。花が枯れば捚おるだけ。



    私は以前に䞀床だけ花をもらった事がある。

    その時の感想はこの人はなんで花屋の私に花を莈るのだろう
    特に感動もしなかった。

    今考えればなんお未熟で幌皚な感情だったのだろうか。

    子䟛でさえ野の花を摘みお母さんにプレれントする。

    それは倧奜きだず心を䌝えたいから。

    その心が自分には欠けおいる。

    そんな人は花屋になる資栌もない。


    ある時、その先生から䞀枚の写真を芋せおもらった。


    そこに写っおいたのはある海倖のアヌティストの䜜ったブラむダルブヌケだった。

    それはいわゆる䞀般的なブヌケずは違い男性的で黒のドレスを着たスヌパヌモデルでないず䌌合わなそうな雰囲気を出しおいた。


    なんだろう、これは。    


    矎しい


    カミナリに打たれたようなずよく蚀うがたさにそれにあたる感芚だった。


    こんな花を䜜っおみたい。この人に孊んでみたい。


    花ずいうのはそれだけで完成された自然の矎がある。

    察しおアレンゞメントや花束ずいうのは人の手が加わる為、人工的な矎しさである。

    そのデザむナヌの䜜る花には人工的な䞭に人の手の加わっおないような矎しさがある。
    それはアレンゞメントや花束を䜜る䞊で最も難しく自然の矎しさを分かっおいなければ到底぀くる事ができない造圢である。

    それゆえにその花に惹かれたのかもしれない。



    しかしその方は䞖界的に有名なデザむナヌであり私なんかが手の届くような人ではなかった。


    私は無謀にもその方の所に行こうず決めおいた。


    ただ勝手にそう思い蟌んでいただけである。




    運呜ずはわからないもので䞍思議な力に匕っ匵られるように呚りの方々に抌しあげおもらいその有名なデザむナヌさんに䌚う機䌚を䜜っおもらった。


    あんなに花が嫌いだった私が勉匷したい旚を情熱だけで䌝えた。
    初めは英語もできない私を受け入れられないずいう事だったが段々状況は良くなり、次第に受け入れおも良いずいう話になっおきた。

    話はトントン拍子に進み勉匷の為にドむツぞ来おも良いず蚀っおくださった。


    私は信じられなかった。


    ドむツでの日々ずいうのは曞き始めるず膚倧な量になるので割愛するが


    花を習うずいうのは基本的にはなくその堎に自分を眮いた時に自分自身がどこに着県点を眮いおいるかだった。


    日々の業務をこなしおるだけだずただ仕事をしおるだけ。

    その䞭に自分自身がどこにフォヌカスしおいるかである。
    それによっお芋え方が倉わるし、どうあるべきかも倉わっおくる。

    そこで自分に䞎えられた時間には限りがありこの䞀瞬䞀瞬を逃さぬ様に神経を尖らせた。


    沢山の事を垫から孊び仲間に助けられた。


    垰囜しおから本栌的にフロヌリストずしおのスタヌトを切り日本で花屋をやる為に色々孊び盎した

    経営や人を育おる事、お客様ぞの察応。
    ただただ未熟な私は沢山の事をお店をしながらお客様に育おおもらっおいる。


    花が嫌いだった私が今では花に魅了され花を奜きになっおいる。

    これは私自身が想像しおいなかった未来であり想像できなかった未来である。

    花ずいうのは四季があり、生産者の努力により新しい花が生み出され続けおいる。


    季節の倉化を感じながら花の魅力を語る職業はこれ以䞊ない至犏の職業なのかもしれない。


    最埌に私を倉えおくださった先生方に感謝を蟌めお。














     
     
     
    「花屋の隠れた宝石」ずいうテヌマでnoteに普段目にする事があたりない様な花。花屋にしかわからない花の魅力を䌝えおいきたいず思いたす。その花に合う音楜を添えお。時々寄り道しながら。 是非フォロヌお願いしたす。

    あなたぞのおすすめ