
なぜメニューを見れば見るほど、決められなくなるのか?
食卓から読む、人間のクセ 第4回
選択肢が増えると、なぜ選べなくなるのか
メニューを開いた。
ページが、めくれどもめくれども終わらない。
ランチセット、日替わり定食、パスタが七種、ピザが五種、グラタン、サラダ、スープのセット。
まるで、これから国家の重要課題でも決議するかのように、真剣にメニューを見つめてしまう。
選べるものが、多い。
それなのに、手が止まる。
「なんでもある」はずなのに、なぜか決められない。
最初の一ページ目を見ているときは、まだ楽しい。
「これもいい、あれも悪くない」と、いくつかの候補が頭に並ぶ。
ところが、ページが増えるにつれて、少しずつ何かが変わってくる。
比べる相手が増える。
「こっちより、あっちのほうがいいかもしれない」と、考えることも増えていく。
選んだあとに、
「ほかのほうが良かったかもしれない」
と思う余地も増えていく。
決めるために使うエネルギーが、少しずつ積み重なっていく。
氣づけば、穴が開くほどメニューを見返している。
そういうとき、どうするか。
「おすすめは何ですか?」
と聞く。
または、隣のテーブルの料理を指して、
「あれと同じものを」
と言う。
あれだけあった自由な選択肢を、あっさりと他人に明け渡す瞬間だ。
あるいは、
「どちらにしようかな、天の神様の言う通り」
と唱えながら、指で決める。
大人が真顔で運任せにしている。
よく考えると、なかなか面白い。
選ぶことより、選ぶ負担を減らそうとする。
選択肢が増えたのに、選ぶことから離れていく。
これは、その人が優柔不断だから、というだけではないのかもしれない。
選択肢が多いほど、選ぶ前に比べることが増える。
七種のパスタを比べるなら、七種それぞれについて考えることになる。
「どんな味だろう」
「今日はどれが食べたいだろう」
「これを選んで、後悔しないだろうか」
そして、一つを選んだ瞬間、残りの六種は「選ばなかったもの」になる。
そこで、頭の片隅で思い直す。
「やっぱりカルボナーラにすれば良かったかもしれない」
まだ一口も食べていないのに、である。
選択肢が少ないと、そこまで比べずに済むことがある。
「今日のランチはAかBです」
と言われたら、案外あっさり決まる。
もちろん、もう一方を選べば良かったかな、と思うことはある。
ところが、七種の中から一つを選んだときは、少し違う。
「もしかしたら、あれが一番だったかもしれない」
そんな感覚が残ることがある。
候補が増えるほど、選ばなかったものが氣になってくる。
不思議なのは、選択肢が多いほど、自由が増えたように感じることだ。
「なんでも選べる」
それは、たしかに自由に見える。
だから、選べる種類が多いメニューを見ると、
「良い店だな」
と思うこともある。
しかし、選択肢が増えることと、選びやすくなることは、同じではない。
選んだものを楽しむ前に、
「ほかにもっと良いものがあったかもしれない」
という氣持ちが残ることもある。
これは、食べ物に限らない。
動画配信サービスを開いて、見たい作品を探しているうちに、時間が過ぎてしまったことはないだろうか。
作品は、たくさんある。
選べる。
でも、その多さが、
「何を見るかを考える」
という作業に変わっていく。
氣づけば、
「一時間かけて、予告編だけを見続けた夜」
になっている。
通販サイトも同じだ。
「良い枕が欲しい」と思って検索したら、たくさんの商品が出てくる。
価格、素材、高さ、口コミの数、星の数。
比べるものが増えるほど、選ぶための基準も増えていく。
そのうちに、
「もっと良いものがあるかもしれない」
という感覚が先に立つ。
買うことより、比べることに時間を使ってしまう。
そして結局、最初に見た商品に戻ってきてしまうこともある。
転職活動は、もう少し重い。
求人の数が増えると、
「もっと自分に合う場所があるかもしれない」
という可能性も広がる。
選択肢が少なければ、
「この中から選ぶ」
と決めやすいこともある。
でも、選択肢が増えるほど、
「もう少し探せば、もっと良い場所があるかもしれない」
という感覚も生まれる。
選べるはずなのに、決めにくくなる。
「選べない」のには、理由があるのかもしれない。
選択肢の多さに、人間が正直に反応しているだけかもしれない。
選ぶためには、比べる。
比べるためには、一つひとつを見ていく。
選択肢が増えれば、その作業も増えていく。
どこかで、
「もう、これ以上は比べなくてもいい」
と思うところまで来る。
そのとき、
「おすすめは何ですか?」
と聞きたくなることもある。
ここで少し、立ち止まって考えてみたい。
選択肢が増えたことは、本当に「自由」が増えたことなのだろうか。
選べる種類は増えた。
でも、選ぶために使う時間も増えた。
選んだあとに、
「ほかのほうが良かったかもしれない」
と考える余地も増えた。
「何でも選べること」と、
「軽やかに選べること」は、
必ずしも同じではないのかもしれない。
今日の小さな実験
次の昼食で迷ったら、選択肢を三つに絞ってみる。
メニューを見ながら、
「これもいい」
「これも氣になる」
「これもありそう」
と思ったものを、三つだけ残す。
そこから一つを選んでみる。
そして、あとで少しだけ観察してみる。
いつもより早く決まったか。
選んだあと、いつもより氣にならなかったか。
それとも、
「やっぱり残りの四つの中に、正解があったのでは」
と、未練がましく考えてしまったか。
正解を探さなくていい。
ただ、観察してみる。
あなたが「選べない」と感じるのは、どんな場面でしょう?
おまけ|選択肢を三つに絞ったら、絵が生まれた。
今日の実験を、そのまま試してみた。
「ハロウィン」というテーマで、どんな世界を作ろうか。
候補は、いくらでも出てくる。
幽霊、魔女、吸血鬼、かぼちゃ、骸骨、お化け屋敷……。
ページをめくるように、アイデアが増えていく。
そのまま考え続けると、あの「国家の重要課題を決議するような顔」になってくる。
だから、三つに絞った。
「ハロウィン × お菓子モンスター × キラキラ」
その三つだけを残して、あとは手放した。
決めたら、早かった。
開運シェルパ、ニャンニャン、ワンワン、ピョンピョンたちに、王道を外したオリジナルの衣装を着せる。
ジャック・オ・ランタンの灯りと、お菓子があふれる夜の街。
光と影の中に、それぞれの動物のエッセンスを残したまま。

できあがったのが、上の一枚だ。
選択肢を手放したとき、何かが動き出すことがある。
「どれが正解か」より、
「これで行く」と決めた瞬間のほうが、
ずっと楽しかった。
この絵は、ミナト汐さん(@光と構図のアトリエ)のフォロワー1000人記念企画「#ミナトハロウィン」への参加作品です。
9月23日23時59分まで、オリジナルキャラクターのハロウィン仮装イラストを募集されています。
〜 開運シェルパ / 運命デザインラボ 〜
◆ メインアカウント連載『運命レボリューション』→ 開運シェルパ @hanamiti369(https://note.com/hanamiti369)
◆ このラボについて → 運命デザインラボ @hanamiti369labo(https://note.com/hanamiti369labo)
