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なぜ「食べ放題」では、元を取ろうとして食べすぎてしまうのか?

    運命デザインラボ

    食卓から読む、人間のクセ 第3回
    「もったいない」の正体は、「もう戻ってこない」だった


    食べ放題の店に入る。

    最初の一皿は、いろいろ迷いながら選べる。「ローストビーフもいい、お寿司も捨てがたい」と、皿を彩る時間は純粋に楽しい。

    しかし、三皿目を過ぎたあたりから、店内の空氣が少し変わり始める。

    お腹はもう十分に満ちている。ベルトの穴を一つ緩め、喉元まで満足感が押し寄せている。

    それなのに、立ち上がって、もう一皿取りに行ってしまうのだ。

    皿の上にカニの脚を山盛りに積み上げているとき、その目はもはや「食を楽しんでいる人」ではなく、どこか戦場の兵士のように真剣だ。
    味への期待は、正直もうそれほど残っていない。

    それでも手が動く。

    「これだけ払ったのだから」。

    そんな氣持ちが、重くなった体を椅子から持ち上げる。

    後から振り返ると少し可笑しいのだが、本人としては至って大真面目だ。

    だが冷静になってみれば、支払う金額は今さらどうやっても戻ってこない。

    どれだけ食べても支払う金額が増えることも減ることもないし、無理に詰め込んで翌日、胃薬を買う羽目になったら本末転倒だ。

    それなのに、「取り返さないと損だ」という感覚だけが先に立つ。

    なぜ、もう十分だと感じているのに、食べることをやめにくくなるのだろう。

    ここには、すでに使ってしまったお金が、これからの判断に入り込んでしまう心の動きがある。

    こうした傾向は、「サンクコスト(埋没費用)効果」と呼ばれている。

    名前を氣にする必要はない。

    大事なのは、この感覚が「意志の弱さ」の話ではなく、誰にでも起きる人間らしいクセだということだ。

    本来なら、次の一皿を食べるかどうかは、今の身体の状態だけで決めればいい話のはずだ。

    まだおいしく食べられるのか。

    本当に食べたいのか。

    もう十分なのか。

    判断の材料は、本来それだけで完結している。

    そこに、「でも今日3,500円払ったしな……」という、全く関係のない情報が混ざり込んでくるのだ。
    身体ではなく、「もったいない」という氣持ちが注文を出してしまう。

    似たようなことは、食べ放題以外の場面でも起きている。

    通う回数が減った習い事を、「月謝がもったいない」という理由だけで続けている。

    ほとんど通っていないジムの会員契約もそうだ。
    解約の手間よりも、「払った分を無駄にしたくない」という氣持ちが上回り、そのまま放置してしまう。
    使っていないトレーニングマシンに、毎月の会費を払い続けているような状態だ。

    読み始めた本が自分に合わなくても、「ここまで100ページ読んだのだから」と最後まで読み続けてしまうこともある。
    退屈な時間に、さらに貴重な自分の時間を追加で投資してしまうのだ。

    どの場合も、すでに使ったお金や時間を無駄にしたくないという氣持ちが、これからの選択に影響を与えている。

    「払ったこと(過去)」と「これからどうするか(未来)」は、本来はまったく別の話だ。

    払った金額は、もう戻ってこない。

    だから、これから先の時間や身体をどう使うかを考えるときに、「すでに払ったから」という理由だけで決める必要はない。

    これからも続けたいのか。
    それとも、もう必要ないのか。

    今の自分にとってどうしたいかを、あらためて考えていい。

    「払ったから」という理由まで一緒に天秤に乗せてしまうと、これからの選択が少しずつずれていくことがある。

    もちろん、食べ放題で好きなものを思い切り食べる行動そのものが悪いわけではない。

    習い事を続けることも、サービスを使い続けることも同じだ。

    大切なのは、その選択をしている理由だ。

    「払ったから」続けるのか。

    「これからも続けたいから」続けるのか。

    同じ「続ける」という行動に見えても、その理由はまったく違う。

    今日の小さな実験

    五分だけ身の回りを見渡してみる。

    「これ、元を取ろうとして続けているものはないだろうか」。

    そう問いかけてみるだけでいい。

    食べ放題の皿でも、契約しているサブスクでも、通っている習い事でも、読みかけの本でも構わない。

    思い当たるものがあったとしても、すぐにやめる必要はない。

    「払ったから」という理由と、「これからも続けたいから」という理由。

    この二つが、自分の中でいつのまにか同じものになっていないか。

    「あ、自分は『払ったから』動いていたのかも」と氣づくだけで、日常の風景がほんの少し違って見えてくることがある。

    もったいないから続けているものの中に、これからどうしたいかで決め直せるものはないでしょうか。



    〜 開運シェルパ / 運命デザインラボ 〜


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