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なぜ、やさしい人ほど傷つきやすいのか?

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〜10月23日 09:30

「おめでとう」と言われて、傷ついたことがある。

相手に悪意はなかった、と思う。 むしろ喜んでいたのかもしれない。 なのに、その言葉のあとで、胸のどこかに小さな棘が残った。

しばらく、それを自分の問題だと思っていた。 感受性が強すぎるのだと。 受け取り方が歪んでいるのだと。

でも、別の見方もできるのかもしれない。

言葉に傷ついたとき、 自分の感受性だけを見るのではなく、 その言葉が置かれた「関係」に目を向けてみる。

人との関わり方には、いろいろな形がある。

ここでは、その違いを 私なりに「丸」と「三角」と呼んでみたい。

これは、人を二種類に分類する話ではない。 同じ人でも、相手や場面によって変わる。 人間関係の中で、どんな前提が働いているかを見るための比喩だ。

「丸」は、関係を横に広げていく形。

相手の記録を見て応援したり、 嬉しい出来事を一緒に喜んだりする。 自分と相手を、上下ではなく並びとして捉える。

「三角」は、位置関係を意識する形。

上か下か。 先か後か。 多いか少ないか。

そんな比較の軸が、やり取りの中に入り込むことがある。

人は、自分を他者と比べて捉えることがある。 その比較によって、自分の位置を知ったり、 目標を見つけたりすることもある。

一方で、比較する相手や状況によっては、 自分の評価や感情に負担が生じることもある。

だから、「丸」と「三角」は、 良い人と悪い人を分けるものではない。

違うのは、関係を捉えるときの前提だ。


「おめでとう」という言葉に戻る。

丸い前提なら、それは祝福として届く。
「よかったね」と、横に並んで喜ぶ言葉になる。

でも、もしその前後に比較や優劣の意識が強く入っている文脈や表現が含まれていれば、同じ「おめでとう」でも、別の響きになることがある。

「あなたはそこまで来たんだね」 という祝福ではなく、「私はあなたより上にいる」 という位置確認のように受け取ってしまう。

ここで大切なのは、 相手の本心を決めつけないことだと思う。

言葉の裏に何があったのかは、 受け取る側だけでは分からない。

ただ、自分がなぜ傷ついたのかを考える手がかりにはなる。

かみ合わない会話というものがある。

相手は普通に話している。 こちらも普通に聞いている。 それでも、言葉が少しずつ違う方向へ進んでいく。

たとえば、 「あがいているね」と言われたとする。

その人にとっては、 「頑張っているね」という観察だったのかもしれない。

一方で、こちらには、 「そんなに必死になるなんて」 という評価に聞こえることがある。

言葉だけを見れば、短い一言だ。

しかし、その言葉が 「一緒に見る」ために使われたのか、 「位置を測る」ために使われたのかで、 受け取る意味は変わりうる。

もちろん、これも相手の意図を 断定できる話ではない。

大切なのは、 「相手は何を考えていたのか」より、 「私はなぜ、この言葉をこう受け取ったのか」 を見てみることだ。

傷ついたとき、 すぐに「自分が弱いから」と決めなくてもよい。

その場には、 言葉だけでは見えない関係の前提が あったのかもしれない。

そして、もう一つ。 比較の軸は、相手だけが持っているとは限らない。

自分自身も、仕事や数字、反応の数などを見て、 いつの間にか誰かと比べていることがある。

昨日まで「楽しく書けた」と思っていた記事が、 別の日には「自分はあの人より伸びていない」と見えてしまう。

そんなとき、同じ出来事でも、 自分の中にある比較の軸によって 景色が変わることがある。

だから、あの人は「丸い人」だとか「三角の人」だとかというように、人を固定観念で分類分けしてしまわないことが大切なのだと思う。

では、丸い人はどうすればいいのか。

三角になればいい、という話ではない。

自分を変えることより、 まず前提の違いに氣づいてみる。

かみ合わないと感じたとき、 それは自分だけの問題ではないかもしれない。

相手を責める必要もない。

ただ、二人が違う前提から 言葉を交わしている場合がある。

そう見えると、 「傷ついた自分」を責める必要が少し減る。

刺さった棘を抜く前に、 どこから飛んできたのかを考えてみる。

それだけでも、 次に取る行動は変わるかもしれない。

人との関わり方は、 いつでも同じではない。

ある場では競争を意識し、 別の場では共に喜ぶ。

同じ人の中にも、 丸と三角の両方がある。

だから、相手を丸か三角かに 決めつける必要もない。

ただ、かみ合わない相手と、 無理に同じ言葉で話し続けなくてよい。

相手の前提を変えようとしなくてもよい。

距離の取り方は、選べる。

丸いまま、少し離れたところに立つ。 それも一つの選択だと思う。

傷つきやすさを、 すぐに弱さと呼ばなくてもよい。

そこには、言葉を受け取るときの 前提や関係性が関わっているかもしれない。

だからこそ、 傷ついた自分を責める前に、 その言葉が置かれていた場所を見てみる。

今日の小さな実験。

最近、かみ合わないと感じた会話を 一つ思い出してみる。

そして、こう問いかけてみる。

「私は、何を比べられたと感じたのだろう?」

実際に相手が比べていたかどうかは、 ここでは決めなくてよい。

自分の中で、どんな比較の軸が動いたのか。 そこだけを見てみる。

それだけで、 あの会話の見え方が少し変わるかもしれない。

あなたの傷つきは、 どんな前提から生まれていたのでしょうか。


この問いを、もう少しだけ、自分の中で辿ってみたい人のために。

まず、実際に何が起きたのかを、感情を挟まずに思い出してみる。

誰が、どんな言葉を、どんな状況下で口にしたか。

録音していたら、そのまま流れているであろう部分だけを取り出す。

次に、そのとき自分の中に湧いた感情に、名前をつけてみる。

怒りだったのか、悲しみだったのか、それとも戸惑いだったのか。

どれが正しいかを決める必要はない。

一番近いと感じる言葉を、一つ選ぶだけでよい。

そのうえで、なぜその言葉がそれほど響いたのかを考えてみる。

その場の空気や、相手との関係。

似たような場面を、前にも経験したことがなかったか。

強く反応した理由は、その場の出来事だけではないかもしれない。

そして、その違和感の奥にあるものを見てみる。

嫌だと感じたことの裏には、たいてい、自分が大切にしているものがある。

「〜が嫌だった」を、「私は〜を大切にしているんだ」と言い換えてみると、見えてくるものがある。

最後に、これからどう関わっていくかを、自分で選ぶ。

相手に悪意がなかったのなら、感じたことをそのまま伝えてみるのも一つの道。

配慮のない相手には、距離を置くという選択もある。

過去の記憶が重なっているだけだと分かれば、そのまま手放すという道もある。

どの道を選んでも、間違いではない。

ここまで辿ってきたこと自体に、もう意味がある。


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正直に書きます。この記事を書くきっかけになったのは、私自身が誰かに傷つけられた経験でした。

こちらが何かを差し出すたびに、相手はそれを当然のように受け取り、お返しはありませんでした。
困っているときだけ連絡が来て、うまくいったときには報告さえありません。
何年か経ってから、ようやく氣づきました。
与える以上に、こちらから奪おうとする人がいます。ここでは「テイカー」と呼びます。

別の場面では、こちらが少し困った顔をしたことがありました。「そんなことも氣にするなんて」。そう言われました。その場では、自分の受け取り方が悪いのだと思いました。
あとから思い返すと、責められているのはいつも私の側でした。
言葉や態度で、相手の感情を操作しようとする人もいます。ここでは「マニピュレーター」と呼びます。

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