
「一旦持ち帰りで」って言う上司、実はCIAの工作員かもしれません
1944年の妨害マニュアルと令和オフィスの完全一致。疲れた47歳課長と、笑顔で労基署を検索する23歳新人が観測した、80年続く茶番劇
疲れ果てた47歳の課長・田村は、今日も部長の武勇伝に完璧な相槌を打つ。23歳の新入社員・鈴木は、満面の笑みでビールを注ぎながら、内心で労基署を検索している。二人が観測する「同じ職場」の茶番。その正体は、1944年にCIAが書いた妨害マニュアルの完全再現だった。
プロローグ:1944年、CIAからの落とし物

1944年、アメリカのCIA(当時はOSS(注0))が、敵国の組織を内側から腐らせるためのマニュアルを作成した。名を『シンプル・サボタージュ・フィールドマニュアル』という。
そこには、こんな記載がある。
・何事も委員会に付託せよ。委員会はできるだけ大きく編成せよ。
・重要でない仕事を完璧にこなせ。重要な仕事は些末な欠点を見つけて突き返せ。
・会議では長い演説をせよ。個人的な体験談を頻繁に交えよ。
・あらゆる決定に対し、本当にそれで大丈夫かと再検討を求めよ。
これを読んで、あなたが今週参加した会議の顔ぶれを思い出したなら、おめでとうございます。あなたの会社は、80年前の敵国工作員に無許可で乗っ取られている。
(注0)OSS(オー・エス・エス)とは
Office of Strategic Services(戦略諜報局)の略。第二次世界大戦中にアメリカが設立した情報機関で、CIA(中央情報局)の前身にあたる。冒頭で紹介した『シンプル・サボタージュ・フィールドマニュアル』を作成した張本人。80年後、極東の島国で自分たちのマニュアルが完全再現されるとは、たぶん想定していなかった。
第1章:朝10時、会議室Aで起きていたこと

課長・田村(47歳)の視点
今日も定例会議だ。議題は「来期の営業方針について」。俺はもう15年、この方針会議に出続けている。
方針、決まったことある? ない。
部長が入ってきた。手には30ページの資料。ページの半分は「昨年度の振り返り」で、残り半分は「昨年度の振り返りから得られた示唆」だ。示唆って何だよ、と毎回思うが、口には出さない。出したら最後、じゃあ君はどう思う、と振られて、俺の15時までの予定が全部消える。
部長が話し始めた。「まずですね、この件については慎重に検討する必要があると思っておりまして」
始まった。慎重に検討する、が始まった。
でも、まぁ、いい。部長も部長で辛いんだろう。あの人、去年子どもが生まれたばっかで、家でも会議室でも肩身が狭い。俺は資料の余白に、こっそり今晩の献立を書いていく。豚こま、あるな。生姜焼きでいくか。

新入社員・鈴木(23歳)の視点
初めての営業方針会議に参加させていただきました。ワクワクします。
嘘です。3分でわかりました。ここは言葉の墓場です。
部長という方が話し始めて、私は必死にメモを取ろうとしたのですが、書くことがありません。慎重に、多角的に、しかるべきタイミングで、関係各所と連携しつつ。これ、名詞がひとつもない文章なんですよ。動詞と副詞と接続詞だけで15分喋れる人類、生まれて初めて見ました。天然記念物では?
隣の課長さんは、真剣にメモを取っているように見えます。よく見たら、「豚こま 生姜焼き」と書いてありました。この人が、この会社で一番信用できます。
(注1)SWOT(スウォット)とは
企業の戦略分析でよく使われるフレームワーク。Strength(強み)、Weakness(弱み)、Opportunity(機会)、Threat(脅威)の4象限で自社の状況を整理する手法。役員会資料の定番であり、埋めるだけで賢そうに見える魔法の四角形として重宝されている。第2章で登場するので先に予習。
(注2)KPI(ケーピーアイ)とは
Key Performance Indicatorの略。日本語では重要業績評価指標。目標達成度を測る数値のこと。本来は現場を導く羅針盤だが、日本企業では「達成できそうな数字を後から設定する儀式」に変質することが多い。こちらも第2章にて登場予定。
第2章:資料20ページの正体

課長・田村の視点
会議終了後、部長に呼ばれた。
「田村くん、来週の役員会用に、今日の内容まとめといて。あ、パワポで。20ページくらいで」
20ページ。今日の会議、実質的な情報量、A4半ページなんですけど。
でもわかる。わかるよ、部長。役員会で1枚ですって出したら、軽視してるのかって怒られるんだよな。あの人たち、ページ数を仕事量だと思ってるもんな。厚さイコール誠意、みたいな。江戸時代の御進物か。
俺は席に戻って、パワポを開く。表紙、目次、エグゼクティブサマリー(注3)、背景、現状分析、課題整理、SWOT、示唆、提言、ロードマップ、KPI、想定リスク、まとめ、Appendix(注4)。中身がなくても14ページは水増しできる。この技術、俺の唯一の特技だ。誰か表彰してくれ。

新入社員・鈴木の視点
課長さんが、鈴木さんこれ手伝ってくれる、と声をかけてくれました。20ページの資料作成です。
作業しながら気づいたのですが、この資料、今日決まったことを書く欄がゼロなんですね。ということは、この20ページは、何も決まっていないことを、決まっているように見せるための装置ということになります。
高度です。芸術です。日本の伝統芸能に、無を有に見せる技があるとは知りませんでした。歌舞伎より難しいのでは? 人間国宝、この階の3列目に4人くらいいます。
Appendixに過去5年の市場データ入れといて、と課長さん。これ、役員読まないですよね、と聞いたら、課長さんは遠い目をして言いました。
読まない。でも、無いと怒られる。
読まないのに、無いと怒られる書類。この会社、シュレーディンガーの資料(注5)で回ってます。
(注3)エグゼクティブサマリーとは
役員向けに、資料の要点を最初の1〜2ページにまとめたもの。本来は忙しい経営陣が全体を読まなくても要旨を掴めるようにする配慮。ただし日本企業では、エグゼクティブサマリーだけで本編が読まれないため、本編の意味が消滅するという副作用を伴う。
(注4)Appendix(アペンディックス)とは
資料の巻末に付ける補足資料・参考データ集のこと。付録。読まれることを前提としない資料の墓場でもある。ページ数を稼ぐための増量剤として、日本の会議文化を陰で支えている。
(注5)シュレーディンガーの資料とは
物理学者シュレーディンガーの思考実験「箱の中の猫は、開けるまで生きているとも死んでいるとも言える状態にある」から拝借した比喩。本稿では、読まれないのに存在は必要とされる資料、つまり「読まれた状態」と「読まれない状態」が同時に成立している資料を指す造語。量子力学的オフィスワーク。
第3章:役員会、動物園説

課長・田村の視点
役員会当日。俺は末席で議事録を取る係だ。もう10年やってる。議事録係の在任期間としては、たぶん社内歴代1位。誰も代わってくれない。
役員たちが入ってくる。専務、常務、取締役A、取締役B。全員、俺が入社したときすでに役員だった。この人たち、時が止まっている。
案件の説明が始まる。5分後、専務が口を開いた。
「これ、本当にニーズあるの?」
出た。本当にニーズあるの、が出た。役員会・頻出フレーズランキング、堂々の1位。定義、現場が3ヶ月かけて調べたデータを、5秒で無効化する呪文。
続けて常務。「もう少しデータを揃えて、来月また持ってきて」
来月また持ってこい構文。これで案件が塩漬けになって消えていくのを、俺は何度も見てきた。でも、まぁ、常務も悪気はないんだ。たぶん、決めるのが怖いんだ。決めて失敗したら、自分の責任になるから。決めない限り、失敗もしない。人間、追い詰められると、そういう防衛本能が働く。仕方ない。仕方ないんだよ。ないのか?
新入社員・鈴木の視点
役員会、傍聴させていただきました。控えめに言って、動物園でした。
一番驚いたのは、この方々、誰も現場に出ていないということです。専務は最後にお客様と話したのが2013年、常務は営業経験ゼロ、取締役AはPC分からないから紙でと資料を印刷させ、取締役Bは会議中の8割、目を閉じています。悟りを開かれているのだと思います。
そして全員が全員、評論だけはできる。
これ市場性が、これタイミングが、これ他社事例が。批評家として全員100点満点です。ぴあの映画評(注6)ぐらい辛口です。ただ、じゃあどうすればいいか、については誰も何も言いません。
気づきました。この方々、評論家というポジションで給料をもらっているんです。日本企業、すごい仕組みですね。批評だけで役員報酬が発生する。私も30年後、あちら側に行けるよう精進します(行きたくない)。
(注6)ぴあの映画評とは
かつて雑誌『ぴあ』が掲載していた辛口の映画レビューのこと。5段階評価で容赦なく点数を付けることで有名だった。批評の厳しさの代名詞として、今もエッセイストに愛用されている由緒正しき比喩素材。
第4章:一旦持ち帰りという名の埋葬

課長・田村の視点
役員会が終わった。結論は、一旦持ち帰り、だった。
一旦持ち帰り。それは、二度と戻ってこないの意。
俺は席に戻って、営業部の若手にLINEした。悪い、あの件、また流れた。若手から返信が来ない。当然だ。3回目だからな、あの案件。若手はもう俺のことを、上に何も通せない無能課長だと思ってる。
思ってていい。俺もそう思う。上に通す前に、上が壁になってるなんて、若手には見えないもんな。壁の向こうに、もっと大きな壁があるって、入社5年目くらいまでわからないんだよ。
俺、家に帰ろう。今日は生姜焼きだ。豚こまがある。豚こまは、裏切らない。
新入社員・鈴木の視点
一旦持ち帰りというフレーズ、初めて聞いた瞬間は、あ、じゃあ来週結論出るのかな、と思いました。純粋でした、あの頃の私。3時間前の私。
課長さんに聞いたら、あれは死亡宣告、と教えてくれました。日本の会議室では、持ち帰りは埋葬の同義語なんですね。国語辞典に載せるべきです。三省堂さん、お願いします。
そして気づいたのですが、この会社、決めないことを全員が最適化して選んでいるんですよ。決めなければ責任は発生しない、責任が発生しなければ査定は下がらない、査定が下がらなければ給料は減らない。個人としては合理的なんです。ただし全員がそれをやると、会社が死ぬ。
これ、経済学で習った合成の誤謬(注7)ってやつでは? 教科書の例題が、目の前でリアルタイム上演されています。学費、返してほしい。ここで十分学べます。
(注7)合成の誤謬(ごびゅう)とは
「木を見て森を見ず」に似た経済学の概念です。個人や個別企業にとっては合理的で正しい行動であっても、それが社会全体(マクロ)に集計されると、意図しない不都合や矛盾した結果をもたらしてしまう現象のこと。
第5章:金曜17時、飲み会という名の再演

課長・田村の視点
金曜の夜。部の飲み会だ。行きたくない。でも、行かないと協調性がないと部長が拗ねる。47歳の管理職が、47歳の部長の機嫌を取る。この国の生産性が上がらない理由、たぶんここにある。
居酒屋で、部長がまた同じ話を始めた。俺が若い頃はさぁ。知ってる。その話、俺、17回聞いてる。バブル期に部長が新人だった話、飛び込み営業で契約取った話、上司に殴られた話。もう俺、そらで言える。
でも、まぁ、聞くよ。部長も寂しいんだよ、たぶん。家に帰っても子どもは相手してくれないし、奥さんとは会話ないし、会社でも部下は距離取ってるし。この人の話を聞ける場所、ここしかないんだ。俺が聞かなくて、誰が聞くんだよ。
だから今日も俺は、へぇ〜、すごいですね、知らなかったです、の三段活用で夜を乗り切る。いや、17回聞いたけどな。

新入社員・鈴木の視点
金曜、強制参加の飲み会でした。労基署(注8)に通報したい案件No.1です。
部長が武勇伝を始めました。3分で確信したのですが、この話、課長さんが完璧なタイミングで相槌を打っている。へぇ〜の、へ、の音の高さまで、練習された役者のようです。歌舞伎座で見た勧進帳(注9)より完成度が高い。人間国宝、確定。
でも、じっと見ていて気づきました。課長さん、たぶん、部長のことが嫌いじゃないんですよ。呆れてるし諦めてるけど、憎んではいない。この人の話を聞いてやれる人間、自分しかいないと思ってる顔をしています。
ずるいですね、この人。皮肉屋のフリして、ちゃんと優しい。私、この人みたいには絶対なれない。私は10年後、たぶん転職しています。でも、この会社に田村さんみたいな人がいるという事実だけは、なんか、覚えておこうと思います。
(あ、部長のグラスが空きました。部長〜、ビールもう一杯いかがですか〜。顔面ニコニコ、内心は労基署のフォームを開いています)
(注8)労基署(ろうきしょ)とは
労働基準監督署の略。労働基準法違反の取り締まりや、労働者からの相談を受け付ける行政機関。強制参加の飲み会、サービス残業、パワハラなどの駆け込み先。令和の会社員にとって、心のセーフティネットのような存在。
(注9)勧進帳(かんじんちょう)とは
歌舞伎十八番のひとつ。源義経一行が関所を通り抜けるため、弁慶が白紙の巻物を勧進帳(寄付を募る趣意書)だと偽って朗々と読み上げる名場面が有名。何もないところから、あるように演じきる芸の到達点として引用される。日本の会議室で日々上演されているのは、その劣化版。
第6章:シンプル・サボタージュ、答え合わせ

さて、冒頭のCIAマニュアルを、もう一度読み直してみよう。
CIAの妨害指示(1944年)と、令和の日本企業(2026年)の対応表がこちらである。
・委員会に付託し、大きく編成せよ → 関係各部と横串で、会議参加者20名
・重要でない仕事を完璧にこなせ → 役員が読まない20ページのパワポ
・些末な欠点で重要案件を突き返せ → これ本当にニーズあるの?
・長い演説と個人的体験談で会議を潰せ → 俺が若い頃はな(17回目)
・決定に本当にそれで大丈夫かと再検討を求めよ → 一旦持ち帰りで
答え合わせ、完璧である。
CIAが80年前に、敵国を弱体化させるためのマニュアルとして設計したものが、令和の日本企業では新入社員研修で当たり前のマナーとして教えられている。人事の皆様、そろそろOSSに著作権使用料を払ったほうがいい。
第7章:じゃあ、どうすんの問題

課長・田村の視点
じゃあどうすんだよ、と言われそうだから、俺なりに答えておく。
どうにもならん。
いや、正確に言うと、組織全体をどうにかするのは俺には無理。俺は課長で、上には部長がいて、その上には役員がいて、彼らは全員、この仕組みで20年30年やってきて、今さら変えたら自分たちのアイデンティティが崩壊する。だから変わらん。革命は起きない。
でも、俺個人にできることはある。若手のアイデアに、俺だけは真面目に耳を傾けること。部下に持ち帰りと言う前に、その場で1個は結論を出すこと。20ページのパワポを14ページに減らす努力をすること(部長は怒るが、無視する)。
小さな抵抗運動だ。ゲリラだ。俺は俺の課の中では、CIAマニュアルの真逆をやる。それだけだ。
できてるか、って? できてないよ。今日も20ページ作ったし、持ち帰りって言ったし。でも、やろうとはしてる。やろうとしてるだけでも、やらないよりはマシだ。マシ、だよな? マシってことにしてくれ。頼む。
新入社員・鈴木の視点
私の結論は、シンプルです。
この会社を、いつか辞めます。
でも、辞めるまでの間に、田村課長みたいな人をもう少し観察させてもらおうと思っています。あの人、絶滅危惧種なんですよ。組織に飼い慣らされていながら、まだ自分の頭で考えている人。動物園でいうと、コウノトリくらいの希少度です。
そして、いつか私が誰かの上司になったとき。本当にニーズあるの、と絶対に言わない。一旦持ち帰りで、と絶対に言わない。20ページの意味のない資料を、絶対に作らせない。
CIAマニュアルの、真逆をやる人間になる。それが、令和のオフィスで無許可上演されている茶番劇への、私からのささやかなカーテンコール拒否です。
(そして今週末、私は転職サイトに登録します)
エピローグ:豚こまと、生姜焼きと、明日の会議

金曜の夜、田村課長は電車に揺られながら、スマホでレシピを開いた。豚こま生姜焼き、10分でできるやつ。今日も一日、よく耐えた。
同じ電車の3両後ろで、新入社員の鈴木は転職サイトを開いていた。年収400万円以上、リモート可、成長企業。指の動きに迷いはない。
2人は、同じ会社の、同じ会議の、同じ茶番を見ていた。
田村は諦めながら、それでも明日も出社する。 鈴木は呆れながら、それでも来週の月曜は出社する。
組織を殺すのは、CIAのマニュアルではない。 それを80年間、律儀に実行し続ける、真面目な私たちである。
とはいえ、明日は土曜だ。田村は生姜焼きを焼き、鈴木は履歴書を書く。それぞれのやり方で、令和のオフィスに、心の中で舌を出しながら。
(了)
開運シェルパ / 運命デザインラボ
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