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ふぉっと歴史エッセイ〜綱紀公のおもかげ➓

       10、「お救い小屋」で社会福祉

     寛文10年(1670)には、前年からの凶作の対策として、
    浅野川上流の土地に、細長い小屋を建てて40坪に40人
    と、狭いながらも、米・塩・味噌・薪と衣類を支給して
    貧しい農民を救済しました。

     百万石の太っ腹?
    「お救い」するのは、自領民だけでなく、旅行中の病人・
    行き倒れ(今でいうホームレスの人?)も救済し、たいそう
    感謝されたそう。

     加えて、90歳以上の高齢者(昔なので人数は少なめか?)
    を保護。
     軽犯罪者や徒刑囚などに、新しい農地の開墾にあたれせる
    といった、祖父・利常公時代よりの農業政策を継承しつつ、
    領内を豊かにしていきました。

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    5月のある日“浅野川風景”〜市民や観光客の癒しの場所に


     ただ、元禄時代になって、商いがさかんになると、汗かく
    農業より、町で商売するのを好む人が増えるように。

     また、綱紀公自身も、城下の土地が広がるのを好んで、
    農民を土地拡張の人夫に駆り出すように!

    「そもそも農政をしっかりして“お救い小屋”に入る人を、
    減らすほうが先では?」と、意見する藩士もいた(同様の
    議論をどこかで聞いたような…日本社会の課題は江戸時代
    から変わりない⁉︎)ようですが、晩年はとくに独断で、耳を
    貸さなかったそう。

     実のところ、この時代に開墾された土地も多数あり(今の
    金沢駅周辺など)、数百年の単位で考えると、綱紀公の政策
    も間違いとは言い切れないのかも。

     それでも、米と塩と高級工芸品は、藩内で自給していた!
    そして…その伝統を受け継いで、石川県内で米作りに塩作り、
    工芸品の手仕事にも、多くの方々が励んでおられます。

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    前田綱紀公画像(複製)〜前田土佐守家資料館で撮影

       おわりに
     多くの功績や興味深いエピソードにあふれる綱紀公が、なぜ、
    地元でもあまり知られていないのか?

     それには諸説あるものの、あまりに事業が多すぎる!という
    のもその理由。
     実は、何から書けば良いのか?わからなくなるほど、もっと
    多くのエピソードが!
    (このエッセイが好評なら続編もアリ!かも…)
     そして、綱紀公自身も、外に向けて領内の情報を出さなかった
    という理由も。
     また、幕府や将軍より目立ってはいけない!と気をつかってい
    たとも言われています。
     あまり目立つと…祖父の利常公は、謀叛の疑いをかけられたそ
    うなので。

     それにしても、3歳から「理想を実現しようと努力し続けた、
    百万石の殿様人生」をまっとうした綱紀公。
     金沢市民のひとりとして、心の中で銅像を作り、あおぎ見る
    想いで、このエッセイをおわります。ー了ー

    [参考文献]
    人物叢書『前田綱紀』吉川弘文館
    本康宏史 編著『古地図で楽しむ金沢』風媒社




     
     
    講談社フェーマススクールズにてイラストを学ぶ。カラーコーディネーター2級、パーソナルカラリスト2級取得。石川県金沢市在住。1964年生まれ。noteで小人気?創作マンガ「“お天気屋”テルボー」と、おもに風景写真をお届けする「いちりんの“ふぉっと”エッセイ」が好評です…。

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