
カレーハウスに食べに行こう ‐ボーダーラインを飛び超えて‐ #11 あとがき(完) 創作大賞2026
あとがき
本作はフィクションであり、登場人物・出来事は現実とは関係がありません。
しかし、実は本物語の主要な登場人物にはモデルとなった人物達がいます。中村は著者である私自身。さらに、高田係長や西野のモデルとなったX氏、I氏。そして五十嵐春はM1LKEYWAYの伊集院香織さんの半自伝小説である『放課後爆音少女』の主人公であり、香織さんの分身ともいえる五十嵐春から。
【半自伝小説】放課後爆音少女|伊集院香織(M1LKYWAY)|note
そして、物語の題名となった「カレーハウスに食べに行こう」は著者である私の楽曲であり、小説での物語と同様に香織さんにバンドオケに編曲して頂き実際にリリースした楽曲なのです。
カレーハウスに食べに行こう
本小説を作った際には、この小説を世に出すべきか本当に悩み、何度も自問自答を繰り返しました。読んで頂いた読者の方にはお分かりだと思いますが、特にX氏、I氏がモデルの高田係長や西野は物語上で酷い目に遭っています。この小説が元で彼らとのこれまでの友情に亀裂が入ってしまう可能性を本当に危惧しました。
また、楽曲「カレーハウスに食べに行こう」に余計なイメージが加わってしまう可能性も悩む理由の一つでした。
そこでまずI氏に相談した所、驚きつつも「和田さんが作ったものなら自分は良い」と言って頂き、X氏には小説を実際に読んで頂いた上で何度も『本当に出版しても良いか?修正して欲しい所は無いか?』と確認した上で、最終的に出しても良いという返事を頂きました。
そして、香織さん側からはむしろ「(五十嵐春を登場させてくれて)嬉しい」という了承を頂きました。
ここまでカオスな物語を出す事を皆が了承してくれた事を本当に感謝しています。
物語に関してですが、「誤解された言動が人生を狂わせる瞬間」そして「自分が所属する場に窮屈さを感じていた3人が、安定というボーダーラインを超えてそれぞれの天職に向かう」というテーマがあります。
西野がライブパフォーマンス後に発した「全部出し切った」という言葉は、本来は“パフォーマンスをやり切った”という意味でした。
しかし――その言葉を出したタイミングが悪く、聴衆や視聴者や読者は、西野は『尿』や『糞便』を出し切ったという意味でその言葉を発したと解釈してしまった。
実際には西野が飲尿ライブや号泣会見で飲んでいたのは尿ではなく緑茶であり、脱糞ライブは意図した事ではなく腹を壊した状態でライブをした事による事故でした。
文脈は時に残酷で、事実や意図よりも“誤解された物語”のほうが強く独り歩きします。
本作はその “言葉の悲劇性” も描きました。
この物語では“事故”が、周囲の人生までも大きく揺さぶっていきます。
脱糞事件となったライブを企画したのは高田でした。
号泣会見で停職に追い込まれた西野への救済の気持ちから企画したはずが事件に・・・。
。
この不祥事を発端に、彼は文化センターから産業観光課へ左遷され、そこからの巻き返し、自宅全国ツアーをきっかけに脚光を浴びた西野を引き上げようと意図してハフェスを企画した結果、国際問題にまで発展して懲戒免職(丁度処分の内容を役所内で議論しているタイミングで西野がTVでの生放送演奏を収録と勘違いして全裸になり、更なる大きなスキャンダルに波及した事がトドメを刺しました)。
さらに同じ頃、高田係長が長年通っていたカレーレストラン「グランカフェ」も、あの脱糞ライブの会場であった事からイメージダウンの煽りを受けて客足が途絶え、やがて破産へと追い込まれていきます。
そして――
高田はその事実を誰よりも重く受け止めました。
「自分が企画したライブが、愛する行きつけの店の破滅の起点になってしまった」
という罪悪感は、彼の胸に深く残り続けます。
だからこそ、高田はグランカフェの跡地を引き継ぎ、カレー屋として再び店を開く道を選んだのです。
それは償いであり、再生であり、“自分が壊してしまったものを自分の手で立て直す”という静かな決意でもありました。
度重なる西野のスキャンダルの余波の中で、中村の作った「カレーハウスに食べに行こう」は物語内で逆説的に知名度を上げていきました。
五十嵐春のアレンジで音源のクオリティがプロレベルに仕上がったことはもちろん、西野のスキャンダルが結果的に物語性を与えてしまったのも事実です。
ただ、運命は不可思議でその結果、中村は公務員を辞める事になる。
数多くの事件の果てに、登場人物はそれぞれの“落ち着くべき場所”へたどり着きます。
西野は鍼灸師に。
高田はカレー屋店主として再生し。
中村は遺品整理師とミュージシャンの二足のわらじへ。
人生は悲劇の果てに、
まるで等価法則のように“ちょうど良い場所”に収まっていく。
それもまた、この物語で描きたかったテーマのひとつです。
それぞれが安定というボーダーラインを越え、
自分にしか辿れない道へ踏み出していく――
それは決して華やかな成功物語ではありません。
むしろこの物語は、“失敗” “誤解” “破滅” “転落”
そうした負の出来事の連続が、人間をどこへ導くのかを追った記録です。
しかし、私はこう思っています。
人は、ときに間違った場所に落ちることで、
初めて正しい場所に着地する。
もし西野があの日、緑茶を飲んだだけという事が周囲に伝わっていたら。。
もし高田の企画したハフェスが何事もなく成功していたら。
もし中村が「公務員」という分かりやすい安定の中に留まっていたら。
彼らはきっと、
“本来の自分が生きるべき場所”に気づくことはなかったでしょう。
破滅も、誤解も、転落も、
その時は痛く、苦しく、取り返しがつかないように見えても、
長い人生のなかでは
“そこを通るしかなかった道”に変わっていく。
それがこの物語で、私が一番描きたかったことです。
この作品を読んでくださったすべての方へ。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
そして、モデルとなったX氏、I氏、伊集院香織さん。
表紙を作成して下さった水本遥さん。本当に感謝しています。
人間の人生は、時に悲劇的で、時に滑稽で、
それでもどこかで静かに整っていく。
そんな“ボーダーラインの向こう側”を、
少しでも感じていただけたのなら幸いです。
――和田有理