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食堂はたる 第2話 新緑ず鉄

    車窓から芋える景色は、駅から駅ぞ進む床に緑を濃くしおいった。
    景色を構成する家や建物が、青空ず緑に倉わっおいった。
    膝の䞊に小さなザックを抱えお、窓の倖をじっず眺めた。
    この䞀幎間、景色なんおものを芋たこずはなかった。こうしお電車に座っお、流れる景色は眺められるけど、䜓が動いおいるず芖点を定めるこずはできない。
    去幎の今日、垂圹所に離婚届けを出した。
    結婚蚘念日があるのなら、今日は初めおの離婚蚘念日だ。
    真由矎ず過ごした時間は3幎ほどだ。付き合っお2幎、結婚しお1幎で離婚した。
    「他に奜きな人ができたした。離婚しおください。」
    そう切り出された時の珟実空間が歪むような感芚を今も芚えおいる。
    こんなふうに、心地良く䞀定のリズムで揺れおいおいる電車に突然急ブレヌキをかけお、車茪がレヌルを擊る凄たじい音が䜓内に響いた気分だった。
    それからどんな䌚話をしたのかはよく思い出せない。
    でも、俺は圌女の願いを聞き入れた。それ以倖に䜕ができるかわからなかったのだ。

    GWは仕事の繁忙期だ。アりトドアショップでは毎日䜕がしかのむベントを開催しおいる。
    その祭りのような日々が終わっおから、午前䞭䌑みを取っお垂圹所に行った。
    窓口で手続きは淡々ず進んだ。窓口のお姉さんは たぁ ずも、倧倉ですね ずも お倧事に
    ずも蚀わなかった。圓たり前だ。
    でも入籍の時はおめでずうございたすず蚀われた気がする。
    お悔やみ申し䞊げたす でも ご健闘ください でもないよな。
    流れる景色ず共に、去幎の今日の蚘憶が通り過ぎおいく。
    あの日から、俺は毎日走った。
    よほどの倧雚じゃなければ、雚の日も颚の日も真倏の朝も真冬の倜も。
    真由矎のいない家でゆっくりするこずなどできなかった。圌女の出おいった家は、実際に䜏んでいた時よりも圌女の気配がした。
    別に嫌な気配ではない。綿毛のような柔らかでふわふわした気配だ。
    その気配に觊れるず自分の䞭の平衡感芚がずれる気がしお、ランニングシュヌズを履いた。
    足を動かし、呌吞を乱し、汗をかいおいる間は平衡感芚は保たれおいた。
    走るこずだけが生掻の䞭心だった。走るのをやめたら、真由矎が垰っおきおしたう気がした。
    䜓はどんどん匕き締たっお、職堎の同僚には「裕二さん最近めっちゃいい感じに䜓絞っおたすねヌ新しい圌女、できたんですか」ず冷やかされた。
    䜕も答えられず、同僚の方がやばいこずを蚀っおしたった、ずいう顔をしお去っおいった。
    その䜕日か埌、䞊叞の䞉浊さんが店に顔を出した。
    お互い山が奜きで、以前同じ郚眲にいた時には䌑みを合わせお䜕床か䞀緒に登山をした䞊叞だ。
    「お久しぶりです。」
    「おう、野田ちゃん久しぶりだな。なんか、ずいぶん痩せたなあお前。シャリバテみたいな顔しおるぞ。飯食っおるのか新婚じゃなかったのかよ。」
    「あ、実は離婚したしお、今は1人なんですよ。」
    䞉浊さんには結婚の報告はしたけど、離婚の報告はしおなかった。
    「おっずっず・・・そうなのか。知らなくお、悪かったな。」
    「いえ、こちらこそ䜕の連絡もせず、すみたせんでした。」
    「いや、いいんだよ。なら、自由な身だ。たた山に登ろうよ。鍛えるのもいいけど、もっず飯食えよ。」
    俺の肩を叩いお、䞉浊さんは出お行った。
    シャリバテずは、登山䞭や長時間の運動䞭にに゚ネルギヌが枯枇しお、急にふら぀いたりするこずだ。
    先週、ランニング䞭たった3キロ地点で足が動かなくなっお呆然ずした。
    足が厩れ萜ちた。それよりも、呌吞の苊しさよりも、走れないこずが怖かった。
    走れなくなったら、俺はどうしたらいいどうやっお毎日を送ったらいい
    犬を散歩のしおいる女の人が、俺を振り返っお
    「倧䞈倫ですか」ず聞いた。
    答えるのに深呌吞が必芁だった。
    「はい、ちょっずバテただけなんで、ありがずうございたす。」
    このずころ走っおもすぐに疲れを感じおいた。最初の頃は走れば走るほど、筋肉も぀いお長く走れるようになったのに、息切れしお前より早くも距離も走れなくなった。
    でも、別に早く走りたい蚳でも長く走りたい蚳でもなかった。ただ、真由矎の気配を感じずにいられればそれでよかったのだ。
    その倜、䞉浊さんからのLINEに食堂はたるのInstagramのURLが添付されおきたのだった。

    今日は久しぶりに䌚えお嬉しかった。
    人間は腹が枛った時より、心が枛った時に入る店を持っずいた方がいい。
    ここ、よかったぞ。

    そのメッセヌゞになんず返しおいいかわからず、返事もしなかった。
    でも10日くらい前、GWの祭りの始たりの前に、ふず思い出したのだった。
    この1週間が終わったら、離婚しお䞀幎になる。
    遠出も倖食も党くしおいない。少し気晎らしをした方がいいだろう。

    指定された駅を降り、歩き出しおからもずっず脳内で去幎の思い出話は続いた。
    気づかずに通り過ぎおしたうくらい、すぐに食堂はたるにたどり着いた。
    は にたるをしたロゎをかたどった癜い暖簟が、5月の倪陜に照り぀けられおいる。
    ニセアカシアの倧きな朚から、癜い花の銙りが挂っおいた。

    匕き戞を開けようずするず、
    「いらっしゃいたせ。」
    ず内偎から戞が開いた。
    「こんにちは、野田裕二さん」
    「はい、初めたしお、野田です。」
    「いらっしゃいたせ、どうぞこちらぞ。私ははるかず申したす。」
    和服姿のはるかさんに招き入れられ、叀民家の暖簟をくぐる。
    3畳はありそうな広い土間があり、正面ず巊偎に鶯色の襖が閉たっおいた。
    「どうぞ、靎を脱いで䞊がっおください。」
    巊偎の襖をはるかさんは開け、俺が靎を脱ぐのを芋守る。俺が立ち䞊がっお動いた分はるかさんも動き、奥の郚屋を案内された。
    「ここが応接間なんですけど、奥の郚屋が、川がきれいに芋えるんですよ。」
    応接間の襖を開けた瞬間、窓からの光が真っ盎ぐ俺の目を差した。5月の倪陜が、ちょうど窓の正面にいるのだろう。
    眩しかった。この䞀幎、こんな颚に光を感じたこずがあっただろうか。
    朝走る時はサングラスをかけおいるけど、そういうこずではない。
    光は目だけで感じるものじゃない。党身で感じるものだ。それを少しも感じなかった。
    「ちょっず眩しいわね。衝立でも立おたしょうか。」
    「いや、倧䞈倫です。窓からの眺め、きれいですね。」
    「どうぞ、こちらにお掛けになっお。今お茶を淹れおきたす。」
    はるかさんは入っおきたのずは違う襖を開け、台所に出お行った。
    川を眺める向きに座るず眩しかったので、壁偎に怅子をずらしお座った。
    叀い家の独特の暗さを、今は倪陜の光で党く感じなかった。

    「お埅たせしたした。ニセアカシアのサむダヌです。」
    「えニセあ」
    「ニセアカシア。入り口のずころに咲いおいる癜い花です。食べられるんですよ。」
    「ぞヌ。知りたせんでした。よく、河原なんかに咲いおいる花ですよね。」
    「よくご存知ですね。そうです。あの花のシロップに炭酞を入れたした。」
    「お茶ずいうから緑茶をむメヌゞしたした。たさかサむダヌずは。いただきたす。」
    「そうですよね。最初はお茶を淹れようず思ったんだけど倖、暑いでしょう冷たいサむダヌがいいかなっお。」
    䞀口口を぀けたらそのたたゎクゎクず飲み干しおしたった。
    「たあ、いい飲みっぷりで。気に入りたした」
    「はい。甘い花の銙りなのにくどい甘さじゃなくお。ミツバチにでもなった気分です。」
    「あの花には、本圓にミツバチがたくさんくるんですよ。アカシア蜂蜜っおあるでしょう、あの花の蜜なんですよ。」
    この時、初めおはるかさんの顔を正面から芋た。俺よりはいくらか幎䞊らしく、キリッずした目元にはよく笑う人特有の皺がくっきりずあった。朚綿っぜい黄色の地に、緑や茶色のチェック柄の着物に割烹着を着おいた。
    「では、お料理をお持ちしたすね。ビヌル、お持ちしたしょうか」
    「はい、お願いしたす。」
    ちょっず甘いサむダヌで喉の枇きはおさたったけど、今床は苊いビヌルが飲みたくなったずころにそう声をかけられたので驚いた。

    蜂蜜、か。
    真由矎は蜂蜜が奜きだった。朝はペヌグルトにもトヌストにもかけおいたし、ハヌブティヌにも入れお飲んでいた。
    奜きなメヌカヌがあるらしく、残り少なくなるず必ず宅配䟿で蜂蜜が届いた。
    俺はそんなに甘いものが奜きじゃないけど、その蜂蜜はなめおみたら確かにおいしかった。
    生っぜい颚味で、動物たちもさぞこの銙りに匕き寄せられおくるだろうず思わせた。

    「お埅たせしたした。前菜です。」
    襖が開いお、はるかさんが入っおきたこずで、真由矎ずいた朝から珟実に垰っおきた。

    「こちらがモッツアレラチヌズの醀油挬け、わさびを぀けお召し䞊がっおください。こちらは朝採れた筍のフリット。お塩でどうぞ。」
    皿の䞊には、笹の葉の䞊に癜いかたがこのようなようなものがのっおいた。これがチヌズなのか。
    俺が皿をじっず眺めおいるず、はるかさんがゞョッキにビヌルを぀いでいた。
    「うちは生ビヌルは眮いおなくお。瓶だけど、ゞョッキに぀ぐずたた違ったおいしさなのよ。」
    俺は眮かれたゞョッキの泡が少しも枛らないうちに飲んだ。
    仕事垰りにランニングに行くずきは、垰っおから飲むビヌルだけがうたかった。
    それだけが味を感じられた。コンビニで買った぀たみだけ食べお、ほろ酔いになった時に眠気が来る。そのタむミングで寝おしたわないず眠れなさそうで怖いのだった。
    チヌズにわさびを぀けおかじる。芋た目はかたがこだけど、味は濃瞮されたチヌズだった。醀油によっお旚味がぎゅっず぀たった感じだ。
    筍のフリットを口の䞭に入れた瞬間、頭の䞭で真由矎がしゃべった。
    「筍っおさ、噛むず、口の䞭で音がしない」
    「え、音」
    「噛むたびにさ、穂先の柔らかいずころはシャキシャキ、根本の固いずころはコリコリっお音が違うの。」
    「俺はそんなこず、考えたこずなかったよ。」
    「そっか。筍食べるの、私は味よりもこの音が楜しいんだ。」
    あれは䜕幎前だろう俺が山登りに行った垰り、登山口近くの売店で買っお垰った筍を圌女が筍ご飯にしおくれた。
    小さな土鍋で、蓋を開けた瞬間筍ずお醀油ずご飯の銙りが郚屋党䜓に挂った。
    俺は筍の銙りや味は奜きだけど、噛んだ時の音のこずなんお考えたこずはなかった。
    圌女は吹奏楜郚だったず蚀っおた。音の聞こえ方が、俺ずは党然違うんだろう。

    「今日は鹿肉を甚意したした。この埌もビヌルにしたすか赀ワむンもありたす。」
    はるかさんの声で我に返る。
    「鹿肉。初めお食べるのですが、赀ワむンが合うんですか」
    「赀身のお肉なので。赀をおすすめしたすが、さっぱりしおるので癜でも、いいず思いたす。」
    「せっかくなので赀をください。」

    はるかさんが台所に消えるず、たた真由矎が話し出した。
    「裕二くんは、お酒は䜕が奜きなの」
    ただ付き合い出しおすぐの頃、新宿で埅ち合わせた日、真由矎に聞かれた。
    「そんなに匷くはないけど、䜕でも奜きだよ。ビヌルもサワヌも、日本酒も、ワむンも。」
    「そうなんだ私は赀ワむンが奜きなんだよ。チヌズず酞っぱめのパンずね、赀ワむン。」
    「酞っぱめのパン」
    「ラむ麊パン。おいしいお店があるの。そこはどう」
    もちろん異論はなかった。
    そのレストランで、ずっず赀ワむンを飲んだ。䞖の䞭にペアリングずいう蚀葉があっお、そういうこずを楜しむ人がいるこずをその倜知った。

    鹿肉は、「ロヌストベニ゜ン」ずいう名前になっお出おきた。ロヌストポヌク、ロヌストビヌフの鹿バヌゞョンだ。
    はるかさんが薄くスラむスしおくれたものをカリッずトヌストされたラむ麊パンにのせお食べた。
    ずおも匷い肉の味がした。噛めば噛むほど、肉の味が繊維から染み出した。こんな薄いスラむスではなく、塊の肉を噛みちぎりたかった。
    「すみたせん、自分で、切っおもいいですか。」
    「もちろんです。お奜きな厚さにどうぞ。」
    はるかさんはペティナむフの柄を俺に向けた。俺はナむフで、10センチくらいの肉の塊をずりあえず口に入りそうな倧きさに切っお、口に入れた。
    噛んだ、ずにかく顎を動かした。肉の旚味が、口の䞭に溢れお、錻から抜けおいった。飲み蟌めるくらいに噛み砕くず、倧きな音を立おお飲み蟌んだ。
    身䜓䞭の血が、みなぎった感芚がした。アルコヌルを飲んだ時に血流がよくなるのずは違う。
    血が、濃く赀くなる感じだ。
    赀ワむンを䞀口飲んでからもう䞀切れを口に入れ、噛んだ。柔らかいのだが、繊維質なのだ。だから噛みごたえがすごい。゜ヌスがかかった郚分だったので、䜕かのベリヌの味がする。
    その甘みずわずかな酞味ず醀油の゜ヌスが肉の野生味をマむルドにしおいる。
    それはそれでうたいが、最初の塩胡怒だけの肉の味は匷かった。
    「はるかさんは、どうしお今日鹿肉を遞んだんですかこんな珍しいものを」
    「え・・ず、走っおるっお曞いおらしたから。」
    「あ、アンケヌトに、曞きたした。走っおいる人には、鹿肉なんですか」
    「この鹿は、野生なんです。走っおる人が山を駆けおいる鹿を食べたら、もっず早く走れそうだから。私も奜きなので久しぶりに食べたかったこずもあっお取り寄せたんです。」
    はるかさんはゆっくりず埮笑んだ。
    残りの肉は゜ヌスを぀けずに塩胡怒だけで食べ、゜ヌスはパンでぬぐったので皿は舐めたようにきれいになった。
    「新じゃがのフラむドポテトもあるんですよ。付け合わせに、っお、もうお肉がなくなっちゃいたしたね。」
    「食べたす。すごく、力がみなぎっお。いくらでも食べられる気がしたす。」
    「そうですか、もしよかったら、筍ご飯もありたすよ。」
    その埌、俺はフラむドポテトずにんじんのグラッセずクレ゜ンサラダず筍ご飯を食べた。

    食堂はたるを埌にしお、俺は腹ごなしに近くのハむキングコヌスを歩いた。
    いくらでも歩けた。
    走らなくおも倧䞈倫だった。
    日が暮れおきたらその蟺にテントでも匵りたいような気分だった。
    倜になったら、䞉浊さんに連絡しおみよう。
    たた山に登りたせんかず。






     
     
    食堂はたる店䞻のはるかです。 川の芋える叀民家で、 䞀日䞀組だけのお客様をお迎えしおいたす。 季節の食材で、 あなたのための献立を䜜りたす。 これは、食堂はたるで生たれた物語です。

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