私が小説になった
少し前、noteで活動されている
まる。さんから声をかけていただいた。
新しく書く小説の主人公について、
私をモデルにしてみたいとのことだった。
自分が小説になる。
もちろん初めての経験なので、
最初は少し照れくさかった。
それと同時に、
「私がファンタジーの世界に入ったら、どうなるんだろう」
という、妙なワクワクもあった。
そして始まったのが、
『勇者よ 何ゆえ もがき生きるのか?』という物語だった。
一週間という短い期間で、
毎日のように物語が更新されていった。
自分を探しながら読んでいた
最初のうちは、どうしても、
「どこに私が出てくるんだろう」という目線で読んでいた。
主人公の創助が何かを作ったり、考えたりするたびに、
「あ、これは!」と思う。
これまでnoteに書いてきたことを知っている人であれば気づくような要素も、
物語のあちこちに散りばめられていた。
普通に物語を読んでいるだけなのに、
自分だけは少し舞台裏を知っている。
特等席から見ているような不思議な感覚だった。
ただ、読み進めるうちに、
少しずつその感覚が変わっていった。
創助は、もう私ではなかった
まず、物語としてかなり面白かった。
気づけば、
「ここは私がモデルなのかな」ということより、
「創助はこのあとどうするんだろう」と思って読んでいた。
創助には創助の迷いがあって、
創助なりの作り方があって、
物語の中で少しずつ成長していく。
いつの間にか、私をモデルにした主人公ではなく、
一人のクリエイターとしてそこに存在していた。
他の登場人物たちも魅力的で、
最後の方では完全にこの世界の住人たちを追いかけていた。
自分がモデルになったことより、そのことの方が嬉しかった。
自分の作ったものが、別の世界にあった
特に面白かったのが、
私がこれまでに作ってきたものが、
少し形を変えて物語の中に存在していたことだった。
私が作っている「湯間庭町」は、
物語の中では「湯間ガーデンタウン」として登場する。
私のアプリとそっくりの、創助が作ったアプリを町の人たちが普通に使っている描写もあった。
本人にとっては小さな作品でも、
誰かの日常には当たり前のように存在している。
自分が作っているものの少し先の景色を見せてもらったような気がした。
深く読んでもらっていた
そして何より驚いたのが、
まる。さんが、私の記事を本当に深く読んでくれていたことだった。
表面的な出来事や、言葉を拾っただけではない。
私自身も、書きながら少しずつ気づいてきたような部分まで拾われていた。
しかも、記事を読むだけではなく、
私が作ったゲームまで実際に遊んでくれていた。
『真夜中コーラ』を遊びながら、
「意味のあるものを作りたいというより、
ちょっとした楽しみを突き詰めているのではないか。」
そんなことを見つけられていたりする。
更に『YAKITORI WARS』では、
試行錯誤しながらも、いつの間にか焼き方を完全にマスターされていた。
そこまでやってもらえるとは思わず、かなり嬉しかった。
私が小説になったと思っていた
完結後の「感想戦」と、最初のプロットも見せていただいた。
そこで分かったのは、
私の記事をそのまま小説にしたわけではなかったということだった。
私が書いたことや作ったものを一度受け取り、
そこに、まる。さん自身の創作への思いや、
作ることを楽しむ気持ちまで重ねて、
創助という人物を作ってくれていた。
最初のプロットには、
「もう一度『ワクワク』を取り戻すための物語」と書かれていた。
だから、自分のことを読んでいる感じや、
気恥ずかしさがなかったのだと思う。
創助は創助だった。
それがとても良かった。
最初は「私が小説になった」と思っていた。
でも実際には、
自分の作ったものや書いたものが、
別のものと混ざり、ひとつの物語になって返ってきた。
たった一週間の連載だったが、
次の話を待って、読んで、感想を伝えて。
私も一緒に走り抜けているような感覚があった。
そして感想戦を読んで、
まる。さんも同じようにこの一週間を走っていたことを知った。
物語の中では創助たちが走り、
現実ではまる。さんが書き続け、
私たちも続きを追いかける。
あの一週間そのものが、
作品の一部だったのかもしれない。
記事を書いたり小さなものを作ったりしていると、
こんなこともあるんだな、と
少し不思議で、とても嬉しい経験だった。
