アプリを作り始めたのに、ゲームになっていた
いつも通りアプリを作っていたつもりが、
気づくと「ゲームになっている」ことがあります。
私の場合、最初から意気込んで作るよりも、触っているうちに段々とゲームになっていくことの方が多い気がします。
何かを作り始めるとき、あまり「ルール」から考えていません。先に作るのは「動かせるもの」です。
そんな作り方なので、最初はゲームとして成立していないことの方が多いです。
「触っていて心地いいか」
それだけを大切にして遊んでいます。
歯車を飛び移るゲーム
「GearHopper」も、そこから始まりました。
最初は、ただ歯車を回していただけでした。
正確に噛み合って、静かに回る様子をただ眺めていました。
しばらく見ていると、「あ、ここに乗れそうだな」と思い始めます。
そこにキャラクターを置いてみる。
タイミングを合わせて、飛び移れるようにする。
それだけで、無機質に回っていた歯車がいつの間にか「渡っていく場所」へと変わりました。

「FlipCoin」も同じです。
最初はゲームではなく、
ただの「気持ちいい動き」から始まりました。
元々、他のアプリに使っていた動きです。
偶然面白くなり、弾いたりぶつけたりしてみました。
その中で、コイン同士が当たって弾け飛ぶと気持ちいいという感覚だけが残ります。
そこに、あとからルールを乗せていきました。
ゴールや点数を作ってみる。
当たったときにエフェクトを追加する。
気づけば、ゲームになっていました。

「The Demon of Theseus」は、
途中で壊れていったケースです。
ゲームの主人公を勇者ではなく、道具屋の店主にしてみるところから始まりました。
最初は道具を売って店を広げていく、ただのシミュレーションのつもりでした。
でも、それだけでは退屈でした。
もう少しだけ選択に痛みが欲しいと思い、ルールにノイズを混ぜ、少しずつ歪ませていきました。
気づくと、じゃんけんとブラックジャックが混ざったような取引となり、
誰に何を売ったかで世界を動かしてしまう、奇妙なゲームに変わっていました。

こういうことを繰り返していると、考え方が変わってきます。
ゲームは、頭で設計して作るだけではなく、手で触りながら見つかることもある。
画面の中の部品を触っていると、ふと面白い動きが現れ、そこで見つけた心地良さが、そのままゲームとして残っていく。
ゲームを作っているのではく、
気づくとゲームを探しているような感覚です。
