「人間の足が欲しいならブルガリアンスクワット」幼い契約をした「マッスル人魚姫」の選択は?目から減量できる感動のラスト
原作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン『人魚姫』
翻訳参照:楠山正雄訳「人魚のひいさま」
海の底のお城に、六人の人魚姫が暮らしていました。いちばん末の人魚姫は、姉たちの誰よりも美しい声を持っていました。その歌声を聞くと、荒れていた波は静まり、魚たちは泳ぐことを忘れ、海藻までうっとりと身を揺らすのでした。
ある嵐の夜、人魚姫は沈みゆく船から一人の王子を助けました。
気を失った王子を岸まで運び、人が来るまでそばで見守りました。しかし王子が目を覚ます前に、人魚姫は海へ戻らなくてはなりませんでした。
王子は、自分を助けたのが人魚姫だとは知りません。
それでも人魚姫は、もう一度王子に会いたいと思いました。
王子のそばを歩きたい。
同じ大地に立ち、同じ景色を見たい。
その願いをかなえるため、人魚姫は海の魔女を訪ねました。
「おまえの尾を、人間と同じ二本の脚に変えてやろう」
魔女は、濁った鍋をかき混ぜながら言いました。
「ただし、もらったばかりの脚では、人間の世界に適応できない。毎日、左右十回三セットのブルガリアンスクワットをすること。」
魔女はさらに続けました。
「歩くたびに、鋭い刃物を踏むような痛みを感じるだろう。階段を下りるときも、椅子に腰かけるときも、便座に座るときも、それはそれは激しく痛むだろうよ」
「それも魔法の代償なのですか」
「半分はね。残りは筋肉痛だよ」
魔女は笑いました。
そして、いちばん恐ろしい条件を告げました。
「王子がほかの女と結婚すれば、その翌朝、おまえの心臓は破れ、体は海の泡となって消える」
人魚姫は青ざめました。
「その代わり、おまえの美しい声をもらうよ」
王子のそばへ行けるなら、自分がどうなってもいい。
そのときの人魚姫は、そう思っていました。
「かまいません」
魔女は人魚姫から声を取り上げ、二本の脚を与えました。
人間になった最初の日、人魚姫は一歩進むだけで倒れそうになりました。
二日目には、階段の途中で動けなくなりました。
三日目には、便座に座ったことを深く後悔しました。
それでも毎日、ブルガリアンスクワットを続けました。
はじめは王子の隣を美しく歩くためでした。
十回できるようになると、次はもっと深く腰を落としてみました。深くできるようになると、今度はゆっくり下ろしてみました。
昨日より一回多く。
昨日より、ほんの少し深く。
人魚姫はいつしか、お城の鍛冶屋から重い鉄の塊を借り、それを両手にしっかりと抱え込んで、自らにさらなる過負荷を課すようになりました。
そして王子ではなく鏡に映る自分を見るようになりました。
城の女官たちは、毎朝黙々と鍛える人魚姫を不思議そうに眺めていました。
ある朝、一人の女官がおそるおそる人魚姫の隣に立ち、同じように片足を長椅子へ乗せました。
人魚姫はうれしそうに笑い、女官の膝の向きをそっと直しました。
次の日には兵士が加わりました。
その次の日には料理人が加わりました。
やがて城の庭では、身分も性別も年齢も違う人々が、一緒に体を動かすようになりました。
人魚姫には人々を励ます声がありません。
しかし人々は人魚姫がベストを尽くしている姿を見れば、自分たちももう一レップを頑張ることができました。
そんなある日、王子が隣国のお姫さまと結婚することになりました。
王子は、そのお姫さまこそ嵐の夜に自分を救ってくれた人だと思い込んでいました。
人魚姫の胸は痛みました。
けれど、その痛みで自分のすべてが消えてしまったようには感じませんでした。
王子を好きだった自分も、本当の自分ですが、自分を鍛え、昨日の自分を超えることに喜びを感じている自分も本当の自分です。
婚礼の夜、人魚姫の姉たちが海から現れました。
姉たちの美しい髪は、すべて短く切られていました。
「あなたを助けるために、髪を魔女へ渡したの」
姉たちは短刀を差し出しました。
「おばあさまも悲しみのあまり、白い髪が抜けてしまったわ。みんながあなたを愛しているのよ」
「日の出までに王子の胸を刺しなさい。その血を浴びれば、あなたは人魚へ戻れる。私たちのところへ帰ってこられるのよ」
みんな、あなたのためを思っている。
だから、私たちが選んだ道を選びなさい。
声を失った人魚姫は、反論できずにいました。
人魚姫は短刀を受け取り、眠っている王子の前に立ちました。
王子を殺せば生きられる。
家族のもとへ帰れば、すべて元どおりになる。
けれど人魚姫は、もう元どおりになりたいとは思いませんでした。
髪を切ったのは、姉たちの選択です。
王子を刺さないのは、わたしの選択です。
人魚姫は短刀を海へ投げ、胸の中で、もう一度言いました。
かまいません。
王子のためなら自分などどうなってもいい、という意味ではありません。
王子のために命をかけて、相手の気持ち次第で生死が左右される契約を受け入れてしまった最初の未熟な自分。
過ちも自分で選んだ道として受け入れ、自分で選んだ人生を最後生きられるなら、という意味でした。
人魚姫は船の甲板にあった長椅子へ片足を乗せました。
自重のブルガリアンスクワットです。
夜明けまで、あとわずか。
一回。二回。
ゆっくりと腰を落とし、自分の力で立ち上がりました。
今日もよく効いているわ。
人魚姫は満足しました。
最後の一回を立ち上がったとき、海の向こうから朝日が昇りました。
魔女との契約どおり、人魚姫は二本の足から白い泡となり、体も朝の光の中へと吸い込まれるように消えました。
次の朝。
城の庭では、一人の女官が長椅子に片足を乗せてブルガリアンスクワットを始めました。
人魚姫がいつもしていたように、ゆっくりと腰を落としました。
その隣には兵士が立ち、そのまた隣では料理人が呼吸を整えていました。
人魚姫は、もう帰ってきません。
それでも人々は、自分のベストを尽くすことをやめませんでした。
やがて城の外でも、
「昨日の自分を少しだけ超えよう」
そう考える人が増えていきました。
人魚姫は、海の泡となって消えました。けれど、自分の成長を自分で選ぶという心は、人から人へと受け継がれていきました。
彼女が起こした波は、いつまでも消えませんでした。
(おわり)
PCでカタカタ書いていて泣けました😭
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