
太陽のソフトテニスBOYS
はじまり
「なんの部活に入ろうかな〜」
2009年、息子が中学校へ入学しました。
「できれば一番ゆるい部活がいいな」
とスポーツに無縁の息子はソフトテニス部を選びました。
親子ともに熱い思いがあったわけではありません。
入部が決まると「スポーツに目覚めるかも」と親心で初心者用の中では一番高価だった7,800円のラケットを買いました。
息子は初めてのスポーツだったので、宝物を手に入れたような笑顔でした。
家では毎日、何も知らずの素振りをしていましたが、背も低いので、ラケットに振り回されているような変な素振りです。
素人の私が余計なことを言うとお怒りになるので、黙って見守ることにしました。
この中学校では学年ごとに外部コーチがついていましたが、1年生を見てくれるコーチはおらず、3年生のコーチが片手間で面倒を見てくれていましたが中体連前で3年生の指導で精一杯。
1年生は殆どボール拾いです。3年生は1年生を可愛がってくれましたが、そうすると2年生からの当たりがきつくなるだろうなと思っていました。
中体連が終わり、3年生が引退すると、1年生と2年生だけの練習が始まりました。1年生13人、2年生10人ほど。しかし3年生のコーチは辞めてしまい一年生には担当コーチがいません。
新人戦間近でしたが、練習らしい練習は殆どありませんでした。
折られたラケット
そんなある日のことです。私が家で夕食を終えてパソコンをしていると、息子が静かにラケットを持ってきました。
「お父ちゃん、このラケット見て……」
何だろうと思い、ケースを開けた瞬間、息をのみました。
「なんだこれは!」
ラケットは根元から真っ二つに折れていたのです。
思わず大きな声を出してしまいました。息子は何も言えず、その場で泣き出しました。
すぐに顧問の先生のところへ行きました。
どうやら平日の部活動中に折られたらしい。
学級の当番で練習に遅れてきた息子を、ただ遅刻したと勘違いした2年生が腹を立てたようです。
「証拠もないからね〜」
「そこにラケットを置いていた息子さんの運が悪かったとしか言えません」
顧問の先生から返ってきた言葉は、今でも忘れられません。
私は言葉を失いました。
実は以前から息子は「1年生が2年生にいびられている」と言っていました。
しかし私は「先輩が威張るなんて、どこの学校でも一緒や」と軽く考えていました。今思えば、それが間違いでした。
私は新しいラケットを買い、土日の練習を見に行くことにしました。ところが、そこで目にした光景は、私の想像をはるかに超えていました。
外部コーチは1年生にボールを手渡しさせ、自分が打ったボールをまた手のひらへ返させます。野球でいうノックのような練習です。少しでもうまくできないと、怒鳴り声が飛びました。
「手のひらに乗せろって言っとるやろ! 馬鹿野郎!」
コート中に響く怒声。子どもたちは震えながらボールを差し出していました。私は胸が苦しくなりました。しかもそのコーチが不在の日は、2年生の態度がさらにひどい。
コーチがいないから2年生が1年生をいびる。
怒鳴る。
命令する。
ボールを籠ごとほかり、転がっていくボールを拾う競争をさせる。
拾っている途中で、誤ってボールを蹴ってしまえば、大切なボールを蹴ったという事で全体責任で校庭を走らせる。
1年生は、まるで修行僧のようでした。
みかねて私が指摘すると
私がいない所で1年生にちょっかい出すことが分かっているので堪えることにしました。
素人コーチ
ある日、保護者の方と顧問の先生が私のところへ来ました。
「毎週見に来てくださるなら、外部コーチとして入っていただけませんか」
私は即座に断りました。
「私はソフトテニスなんかやったことありません。二度と息子のように不愉快な思いをしなくていいように、監視しているだけですよ」
それでも何度もお願いされ、私は一つだけ条件を出しました。
「あくまで監視役として入ります。指導はできません。」
こうして私は、無理矢理コーチになることになりました。
翌日、一番安い980円の赤いラケットを買いました。
私にはそれで十分でした。
初めて子どもたちに話した言葉を、今でも覚えています。
「俺な、ソフトテニスなんか一回もやったことない素人やでな!ただ2年生からは守ってやる事はできる。どうせやるなら、2年生を追い抜かして強くなろうや」
その瞬間、1年生全員がニヤつき
1人の子が
「ほんなら、早よ練習せんとあかんやん!」
と早速、練習開始!
どうしたら、上手くなるのかを私と皆で話し考え練習が始まりました。
すると、今まで静かだった1年生の練習が、大きな声を出して楽しそうに頑張る練習へと変わっていったのです。
1年生に与えられた練習用のボールは、排球に近い30球。
次のボールが戻ってこなければ練習は止まってしまいます。
私は1年生に
「2グループで打つんだから、ボールを早く拾って循環させんと練習にならへんぞっ!」
2グループで各15球づつの持ち玉となります。
ボールを拾って循環させるために、打ったボールに対して数人がハイエナのようにボールに群がる。
側から見ると
「なんの練習?」
と見えるでしょう。
私は技術を教えられませんが、どうしたら効率の良い理にかなった練習ができるのかを常に考え続けました。
子供達には、練習をただするだけではなく意図として考え、アイデアを出すことで自身で考え練習する事で身になることを教えていきました。
すると目標のある練習に変わり、達成する事の喜びを学ぶことができるようになり、活気がある練習へと変わっていきました。
そんなある日、フェンスの向こうに2年生が立って見ていました。
最初は一人。やがて何人もの2年生が1年生の練習を見ています。
「コーチ、1年生と一緒に練習してもいいですか」
少し驚きました。あれほど1年生をいびっていた2年生が、自分からそんなことを言ってきたのです。
「えっ!?」
「もっ、もちろんや。一緒にやろう」
それから、2年生外部コーチが来ていない土日だけ、2年生が1年生の練習に数人ですが加わるようになりました。
「コーチ、このボール使ってください」
2年生が自分たちのボールを回してくれるようになり、30球しかなかったボールは60球近くまで増えていきました。
2年生と1年生が一緒に笑いながら練習する姿がコートで見られるようになったことが、私は何よりも嬉しかったのです。
試合
新人戦が近づくと、2年生の外部コーチは私ではなく2年生に
「お前ら、1年生のメンバーを決めておけ」
と言ったそうです。
実力だけでなく、気に入られているかどうかも大きく影響していました。
新人戦の結果は、2年生、1年生ともにあっさりと敗退。
なんのコメントもできるレベルではなく続く冬の大会も、思うような結果は残せませんでした。
年が明け、3月のある土曜日、うちの顧問の了承を得たと隣町の中学校の女子が練習試合にやってきました。
私も子供達も何も聞かされていなかったのですが、2年生男子との試合だったので1生は見学です。
試合が始まり、女子選手たちは無理に攻めず一本一本を丁寧につなぎ、対するうちの2年生は焦りから自滅していきました。気がつけば、ほとんどの試合で女子チームが勝っていました。
試合が終わると、ラケットを地面に投げつける子。
悔しさを抑えきれず、そのままコートを後にする子。
私は彼らに何も言うことができず
先方のコーチに、うちの常識のない態度に謝ることしかできませんでした。
「さすがに、あれはないけど。何か逆に押しかけて申し訳なかった」っと
真摯に気を使ってくれてました。
技術以前に、道徳を学ばなければならないことがある。
そう感じながら、その光景を静かに見つめていました。
春季大会
4月となり新年度の始まりです。
各学年が進級となり春季大会が始まりました。
1年生たちは2年生の応援に回ります。
「ナイスサーブ!」「ドンマイ!」
コートの外から飛ぶ声は、以前とはまったく違うものでした。
1年生たちは、心から先輩を応援していました。
その声に背中を押されるように、1組の2年生ペアが接戦を制します。
部員全員で彼らを迎えて拍手を送りました。
ところが、その直後です。
「馬鹿野郎! なんて勝ち方してるんだ!」
会場に響き渡る怒鳴り声でした。2年生の外部コーチです。勝って戻ってきた子どもたちの笑顔が、一瞬で消えました。
その表情を、私は今でも忘れることができません。
やっとの思いで掴んだ勝利。
褒められると思っていたその瞬間に返ってきたのは、叱責でした。
そのとき、隣で見ていた1人の2年生が、大きな声で言いました。
「だから嫌なんだ!」
その言葉を残し、その子はコートを離れていきました。私は呼び止めることもできず、ただ背中を見送ることしかできませんでした。
この年頃は思春期となります。
身体は大きくなり、声変わりもして大人でも子供でもない
精神的にも不安定な時期となるので、そこは大人たちがどう理解し接していくかで、どのようにも成長してしまいます。
飴と鞭ではありませんが、難しい年ごろなんです。
ヤクザのおじさん
春季大会が終わり、3年生にとって最後の夏の公式戦、中体連へ向けた練習が始まりました。
そんなある真夏の日、長袖に長ズボンの年配の男性がやってきました。
腕には、ちらりと入れ墨が見えました。
「この人は、いったい何者なんだろう・・・」
すると、その男性は穏やかな笑顔で私に声をかけてきました。
「こんなに一生懸命やっているなら、一つ私がアドバイスをしましょうか」
そして、子どもたちの練習を見ながら、ボールの出し方や足の運び方を一つひとつ丁寧に教えてくれたのです。話を聞いているうちに、その方がソフトテニスでインターハイに出場した経験を持つ選手だったことを知りました。
私は思い切ってお願いしました。
「もしよろしければ、一緒に指導していただけませんか」
すると、その方は少し笑って首を横に振りました。
「いや、私はこういう体だからね。子どもたちの前には、あまり出ないほうがいい」
自分が前に出ることよりも、子どもたちが成長することを願う。
その言葉に、私は胸を打たれました。
それから私は、教えていただいた練習方法を一つずつ取り入れてました。
楽しさだけでは足りない。
正しい練習には理由があり、上達には順序がある。
本当に良い指導者とは、子どもたちの可能性を信じ、成長する道筋を示せる人なのだと気づかされました。
この出会いは素人コーチだった私自身を、本当の意味で成長させてくれた転機となりました。
先輩の中体連
3年生にとって最後の大会となる中体連が始まりました。
しかし現実は厳しく、思うような結果を残すことはできませんでした。
これまで、この3年生を見て来ましたが、せっかくソフトテニス部に入って今までの間、彼らに何が残ったのだろう。
部活動の理想は、自身を鍛えるだけではなく
また勝負けではなく
一つのことに懸命に取り組み、自分が何処まで辿り着いたのか。
その価値観を学ぶ場ではないか。
それを教えるのが、指導者ではないかと思うのです。
息子たちは、最後の試合はあんな形で終わらせたくはないと、更に彼らの練習に拍車をかけます。
新チーム
中体連が終わり、3年生は引退しました。
翌週、コートには2年生と1年生だけが集まっています。
私は子どもたちの前に立ち、静かに話を始めました。
「三年生は、本当によく頑張った。残念ながら上の大会へ進むことはできなかった。でも、最後まで一生懸命戦ったことは忘れないでほしい。今日からの練習は三年生はいないけど頑張って練習しよう!」
話し終えた、その瞬間でした。
「やったー!」
子どもたちが一斉に両手を上げ、大歓声を上げたのです。
「えっ? どうしたんや?」と問うと
一人の子が笑いながら言いました。
「だって、3年生、もう来ないんでしょう!?」
「おまけに3年のコーチも!これからは自由に練習できる!」
私は言葉を失いました。あれほど三年生を慕っていたように見えた子どもたちが、こんなにも喜んでいる。
練習そのものが嫌だったのではありません。
今までの理不尽なことの積み重ねが脳裏にあって、それから解放されたことが、何よりもうれしかったのです。
中体連が終わってから新人戦までは、およそ一か月半。
決して長い時間ではありません。
新人戦で1試合でも勝てるよう、どう頑張るのかです。
土曜日の朝6時過ぎ息子は、窓の外を見ながら歯を磨いてると同部員の子がラケットを持って全開で走って行く。
「やべっ!あいつ、もう練習に行く!」
と息子は直ぐに追いかける。
新チームが始まってさらにヤル気スイッチが入る。
新人戦までに時間はありませんが、ヤクザのおじさんに教わった練習をひたすらミスのないよう反復で行います。
正直、この練習が良いのか悪いのかなんて誰も考えずひたすら続けます。
しかも、練習は3種類のみ。
たかが3種類ですが、これを1時間ミスなしは、結構ハードでミスをしない事がどれだけ難しいのかが、今回の鍵となっていたのです。
新人戦
あいにく、団体戦は雨で中止となり個人戦のみの試合となります。
新人戦個人戦は市内8校72ペアの大会となります。
私にとっても初めてのコーチングとなるので、何を話すのかよく分からないのと子供達をどうサポートするのかで頭の中は真っ白に。
すると他所の試合のコーチングで怒鳴り声が聞こえます。
試合途中でのコーチングなのに怒鳴り声。
それも、数ヶ所から。
なぜコーチングで怒るのか?
子供達は次のゲームをどうすればいいのかを教えて欲しいのに
あおってもしょうがないのに。
と単純に思い見ていると、その子供達は泣きそうな顔でコーチングを受けている。
すると、うちの子供達は
「うわ〜っ!怒ってる!」
私も
「俺も怒ろうかな〜」
子供達は
「いや〜コーチは、よう怒らんやろ?」
と既に私の性格を見抜いてる。
子供達の方が、私よりも一歩上手。
私は、コーチングは、子供達がココからどうしたらいいかを、教えて欲しくて来ているので、そこをどう答えるのかで彼らのゲームの行先が決まります。
試合が始まり、次々と進んでいきます。
子供達以上に緊張しドキドキしていたと思います。
大会進行はベスト8まで進み、コートに選手は入るようにと放送が入ります。
そんな時、一人の保護者が笑顔で声をかけてくれました。
「コーチ、気づいていますか?」
「何がですか?」
「4つのコートを見てください」
私は言われるまま、会場を見渡しました。
4面あるコート。
その4面すべてに、うちの中学校の選手が立っていたのです。
思わず目を疑いました。
参加したのは72ペア。
その中で、私たちの4ペア全員がベスト8まで勝ち上がっていたのです。
新人戦前まで、この市ではむしろ下位に位置する学校でした。それが今、子どもたちは自分たちの力で強豪校と肩を並べていました。
結果、3ペアは惜しくも敗れましたが、1組だけ勝ち残ったペアがありました。それは、息子たちのペアでした。あと1ゲーム取れば決勝進出。誰もがそう思った、その時でした。
ボールを追った息子が足をひねり、その場に倒れ込みました。
何とか立ち上がろうとします。しかし、足は思うように動きません。
無念の棄権でした。
コートの外で見守ることしかできなかった私は、胸が締めつけられる思いでした。
結果は3位。優勝には届きませんでした。
しかし、表彰式で見せた子どもたちの笑顔は、何よりも輝いていました。
努力は、必ずしもすぐに報われるとは限らない。
それでも、努力は人を成長させる。
そして、その成長は次の挑戦への大きな力になる。
新人戦で得た自信は、子どもたちにとっても、私にとっても、大きな財産となりました。
冬のインドア大会
新人戦を終えてから、相手のミスを待つスタンスから攻めを作るスタンスが必要だと思い
「少しだけ、戦略を変えてみよう」
「繋ぐだけではなく、自分たちからチャンスを作り攻める」
と伝えました。
経験も知識もほとんどなかった私が、ずいぶん思い切ったことをしていたものです。
それでも子どもたちは、そんな私を信じて新しい挑戦を受け入れてくれました。
迎えたインドア大会。試合が始まると、1本決まるたびに
「よっしゃー!」
と喜び合い、ミスをしても
「次、次!」 と励まし合う。
その声は体育館中によく響きました。
結果は、息子のペアがベスト8。
しかしその悔しさを仲間たちが受け継ぎ
2番手のペアが優勝。
3番手のペアが準優勝。
正直、驚きました。
本当に素晴らしいです。
新人戦では、他中のコーチからは
「素人コーチは、変わった練習をするからパターンが読めない。」
「あの試合の展開は、ないでしょう。」
とかなり嫌味を言われてしまいました。
ですが、当時は素人なので分からないので、そのコーチたちに
「では、どんな練習をするといいのですか?」
「どんな展開がいいのですか?」
とド素人丸出しで教えて欲しいと聞いてました。
今思えば、相手も困っていたんじゃないかと思います。
年が変わり最後の半年が始まりました。
新たな年が始まる
年が明け、春季大会に向けての練習をします。
新学期となり、早いもので息子たちは3年生。
いよいよ春季大会、新人戦では雨のため中止となった団体戦が行われます。
子どもたちにとっては初めて経験する団体戦でした。
ありがたいことに、インドア大会の結果もあって市内の強豪中学校から練習試合の申し込みをいただくようになりました。
相手コーチに挨拶をし、色々と話し、私自身も指導を受けました。
「コーチングも指導も、どう子供達の能力を引き上げて自信をつけて、あげるかだよね。中学生なんで、そんな難しい事なんかできないよ。」
やはり、強豪校の指導者は、物事を客観的に捉えているので答えがシンプルで的をついていました。
まだまだ発展途上の私にとっては、ありがたい経験となり、春季大会を迎えます。
春季大会
春季大会、個人戦。
出場した全ペアが順調に勝ち進み、気がつけば4ペア全員がベスト8進出。
そこから、強豪校に当たり進む事はできず、せってはいましたが持ってかれる。
技術ではないのは良く分かるが、何が悪いのか足りないのか分からなくなっていました。
個人戦の失ったポイントの場面が脳裏に描かれ、コーチングや戦略を考え過ぎて眠れない「もしかして、あの時」と・・・
団体戦当日、子供達が私に
「コーチさあ、なんか考え過ぎじゃない?この前の個人戦、あれは俺たちのミスだよ!あれから皆んなで作戦会議したから、任せてっ!」
子供達にコーチングで、逆に励まされました。
子供達が自身の力で歩き始めた気がしました。
試合が始まり、個人戦で負けた相手に淡々と勝っていきます。
いつまで経っても、1試合1ゲーム1ポイントごとに、心臓が胸から出る思いで見守りながらのコーチング。
何を言ったのかも忘れて、気がついたら決勝に上がって、子供達や保護者さんから喜びの声が聞こえます。
私も子供達たちと騒いでいると保護者から
「ところでコーチ、今まで無敗で勝ち進んだのは、ご存じですか?」
「えっ!?本当だ!いや〜緊張で何が何だか分からなくなってる!」
保護者さんは笑顔で
「決勝、お願いしますね!」
決勝が始まり、せってはいましたが全勝で無敗優勝する事ができました。
なんか、ドラマの1ページを観ているような感じで保護者さんも心の底から喜び子供たちを称えました。
「なんか見ているとヘッタくそに見えたけど、みんな強くなったね!」
とお母さんたちが本音を言ってくれました。
中体連
そして迎えた最後の中体連。
個人戦では準決勝まで勝ち進みましたが、息子もまた足を痛め途中棄権。
新人戦と同じ光景でした。私は悔しさよりも、選手の身体を守る知識が足りなかった自分自身を責めました。
団体戦では再び決勝まで勝ち進みましたが、準決勝で息子が足をつり
決勝では2・3・4番手で挑みましたが、あと一歩届かず準優勝。
それでも、この子たちは本当によく頑張った。
個人戦・団体戦ともに地区大会への出場が決まりました。
地区個人戦、息子ペア初戦は他地区3位とあたり圧勝!
2試合目、地区優勝ペア。
2ゲームを先取し、あと一歩で勝利というところまで追い詰めましたが、足の故障が再発して、それでも引きずりながら進めましたが逆転されて終了。
2,3,4番手もあと一歩及ばず。
団体戦では、1勝で敗退。
最後まで諦めず戦いましたが、あと一本届きませんでした。
試合が終わりました。
どうやって子供たちを励まそうと最後の挨拶。
彼らを見ると、達成感に満ちた顔をしていました。
「くそーっ!あと少しだったのにな~」
おそらく悔しくてしょうがなかったのだと思います。
彼らは、私に気を使ってくれていると直ぐに気が付きました。
「ありがとうございました!」
全員で一斉に私にぶつけてくれました。
こうして、息子たちの中学校最後の大会は終わりました。
優勝した日もありました。悔し涙を流した日もありました。
それでも、この三年間で子どもたちが手に入れたものは、賞状やトロフィーだけではありません。
仲間を信じること。
努力を続けること。
そして、どんな結果でも前を向く強さ。私は、その姿を一番近くで見届けることができたことを、今でも誇りに思っています。
今振り返ると、平日も土日の練習も早朝から、土日は日が暮れるまで。太陽が昇っている間コートにいました。
彼らをこう呼びます。
「太陽のソフトテニスBOYS」
そして受験
中学校最後の大会を終え、息子は憧れていた先輩がいる進学校へ見事に合格しました。受験が終わった日、私は息子に聞きました。
「入試は緊張したか?」
息子は笑いながら答えました。
「全然、中体連のほうが何倍も緊張したわ」
あれほど必死に戦った3年間が、子どもたちの中で確かな経験として残っていたことを感じました。
高校入学後間もない大会で、一人の選手が後ろから息子の肩を叩いたそうです。
「俺のこと、覚えてる?」
「誰だった?」
「中体連の地区大会で最後に試合した相手だよ。あの試合、本当は負けてた試合なんだ。また会えてよかった」
勝った、負けた。そんな結果だけでは終わらないものが、そこにはありました。スポーツは、人と人をつないでいきます。
その後も私はコートに立ち続けました。最初に教えた子どもたちが卒業すると、また新しい一年生が入ってきます。失敗もたくさんありました。勝てない時期もありました。それでも、一歩ずつ前へ進んできました。
ある日
ある日、高校へ進学した初代の教え子が遊びに来ました。
「コーチ、中学でやってたバックハンド、先生に違うって怒られたよ!」
私は大笑いしながら答えました。
「当たり前や。俺、最初から素人や言うてたやろっ!」
「そんなこと言うんやったら、その先生やコーチに教えてくれへんか頼んでや」
私は昔から変わりません。分からないことは分からないと言い、知っている人に頭を下げて教えてもらう。
その縁の積み重ねから、高校の先生やインターハイ5位の選手、元実業団の方など、多くの指導者との出会いにも恵まれ、気がつけば県大会出場も珍しくないチームになっていました。
でも、それは私の力ではありません。すべては、あの頃の子どもたちがいたからです。
数年後、成人式の日、息子と教え子たち全員が集まりました。
当たり前ですが、みんな大人になっていました。
「コーチ!久しぶりやん!」
目線が違うだけで、昔と変わらない笑顔。
「また会おうな」
と、それぞれの人生へ帰っていきました。
コーチを始めて17年、卒業生がよく手伝いに来てくれます。
部員より卒業生が多いときもあります。
「コーチ、もう57歳やろ?えらそうやで手伝うよ」
それから
「コーチ、飯食いに行こう」
「コーチ、銭湯に行こう」
「コーチ、旅行に行こう」
「コーチ、飲みに行こう」
嬉しく思います。
私はずっと、子どもたちを成長させようと思ってコートに立っていました。ふと頭をよぎりました。
「もしかして、私が彼らに成長させられていたんじゃないか・・・」
