
「問い」とはなにか?
はじめまして、「問い」が好きなHALWRDです。
問いそのものを問う。問い好きにとっては自然な流れです。書いといて申し訳ないのですが、僕がこれを検討したのは昔の話で、結果を忘れました。忘れたということは、そんなに面白くなかったということ。なので、軽めにやってみます。
問いとはなにか。
問いは既に勝利している。問いは答えを前提にしているから。答えを前提にしない問いは存在しない。そして、答えと応答は混ぜられている。応答を求めることは答えを容易に偽装する。
だから、問いは傲慢である。
人生とは?と問うとき、そう問える自分を誇っている。あるいは応答を期待している。
死とはなにか?と問うとき、そう問える人は神のようだ。あるいは他者が応答することを期待している。
宇宙人はいるのか? と問うとき、答えがないという答えを、あるいは他者が応答することを期待している。
カミュは問いと答えを拒絶した。問いも答えも不条理だと拒絶した。
では、問いはどのようにして有効となるのか?
既に答えが出ているものを、式とするまでの手間として有効となる。既に答えを知っている事柄の、過程を読むときに有効となる。たとえば、リンゴはなぜ落ちるのか? 答えは「目に見えない力」。彼は答えの式を探した。問う意味は、おそらくこれ以外にはない。真の意味でわからないもの、つまり暗闇に、人は問いを立てることはできない。
イメージ画像は赤ずきんです。問いの構造は傲慢です。自分で答えるにしろ、狼の応えを期待するにしろ、それは交換を前提にしているのだから。