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木工職人のビジネス戦略 〜 蓄積型パスカルの賭け

    どうも。奈良は吉野の山奥で木を削っている、木工職人のはくまさです。

    前職は分析機器メーカー。技術職とマーケティングをあわせて20年ほどやりました。それが今は、山あいの工房で桧や杉を削りながら、一人で合同会社を経営しています。技術屋あがりの、職人兼社長です。

    なぜ、売れないものばかり作るのか

    その私が、どう考えても売れそうにないものを、なんだかんだ作り続けています。たとえば桧で作った糸電話、「糸Phone」。厚さ3cmの桧のマウスパッド。noteには収益化もせずに記事を書き続けて、もうすぐ半年。本業の木工と関係ない話も多数。一円にもなりません。

    人に話すと、たいてい「道楽ですね」と言われます。

    半分は当たっています。好きだからやっている、それは間違いない。でも、半分は外れている。これはただの道楽ではなく、私なりの、れっきとした事業戦略の一部なんです。資本も時間も限られた小さな会社が、それでも生き延びて、あわよくば大きな果実を掴むための、ごく合理的な振る舞い。

    長い話になりますが、最後まで読んでもらえれば、たぶん筋は通っていると思います。山奥で一人、木を削っている職人の言うことです。話半分で聞いてもらってかまいません。ただこれは、一人で会社をやってきて、自分なりにたどり着いた結論です。

    私はこれを、「蓄積型パスカルの賭け戦略」と呼んでいます。

    パスカルの賭けとは、
    「神を信じる側に賭けて当たれば、無限の利益。外れても、損失は知れている。信じない側に賭けると、当たってもろくに得るものがないのに、外れたら悲惨なことになる。だから信じておいたほうがいい」
    というヤツ。

    これを、商売に応用します。

    ついでに、先に一つだけ白状しておきます。この戦略には、面白さと引き換えの、怖い落とし穴が一つあります。それは最後に書きます。

    世間の常識、非常識

    スタートアップや小規模の会社について、よく言われることがあります。ターゲットを絞って、リソースを集中投下せよ。それが「戦略」。狙いを定めず、あれこれ手を広げるのは「ギャンブル」。分散は素人、集中は玄人。経営の本を開けば、だいたいそう書いてあります。ランチェスター戦略から言うとごもっともな話です。

    でも私は、逆だと思っています。
    狙ってやるほどのギャンブルはない、と。

    鍵になるのは、確率の話です。

    振り返ってみると、弊社にとっていいことの大半は、「向こうから」やってきました。
    ・ 奈良国立博物館の「吉野大峯展」に関わる仕事。
    ・ 神宮の式年遷宮に関わる仕事。
    ・ 名前は出せませんが、いま進んでいる、有名アーティストとの仕事。
    どれも、こちらから「この相手に売り込もう」「この市場を押さえたい」と狙い澄まして取った仕事ではありません。ある日、向こうから声がかかった。工房で別の仕事の木を削っているときに、です。

    「運がよかった」のは事実です。ただ、問題は、運とは何かということ。

    仏教に、因縁果という言葉があります。結果(果)は、自分の中にある原因(因)だけでは生まれない。そこに縁が絡んで、初めて果が出る。畑にいい種(因)を蒔いて、雨や日照(縁)があって、芽(果)が出る。この三つのうち、縁は他者に依存していて、ある意味、運次第です。そして縁が絡んで決まる果も、半分は運で揺れます。

    一方、因(技術、準備、積み重ね)だけは、確率の外にあって、完全に自分の支配下にあります。この役割分担が、これからの話の土台です。

    運というのは、要するに確率的事象です。そして、確率的な事象の個々を追いかけることをギャンブルと言います。「あの人と繋がりたい」「あの会社に食い込みたい」と狙ったところで、実力と努力でできるのは、せいぜいその確率をほんの少し上げることだけ。努力したのに報われない、と人は嘆きますが、まあ、そんなものです。縁という確率変数を、計算に入れ忘れているからです。

    確率を三倍にするより、百回挑戦する

    確率的事象は、数を増やせば統計に従います。ここで、具体的な数字で考えてみましょう。

    ある挑戦の成功率が、3%だとします。百回に三回しか成功しない、分の悪い賭けです。

    多くの人は、こう考えます。「3%では話にならない。努力して、10%まで引き上げよう」と。確率を三倍以上に高める。立派な努力です。そして、その高めた10%の確率で、十回挑戦する。

    一方、この戦略では、確率は3%のまま、いじりません。その代わり、百回挑戦します。

    さて。それぞれ「少なくとも一回は成功する確率」は、どうなると思いますか?

    確率論で計算すると、10%に上げて十回挑む場合は、約65%。3%のまま百回挑む場合は、約95%です。

    婚活で考えるとわかりやすい。
    「この人」と一人に決めて振り向かせようとすると、どれだけ自分を磨いてコストをかけても、振られるときは振られる。でも「気の合う人と一人出会えればいい」なら、結婚相談所に登録して出会いの数を増やすほうが、はるかに確度が高い。相談所というビジネスは、まさにこの確率論の上に成り立っています。

    つまり、確率の低い領域では、確率を上げる努力よりも、一つを狙わず試行回数を増やすほうが、はるかに効率がいい。これが、この話の肝です。

    もちろん、絶対にしくじれない仕事、高確率の仕事は別です。かかった大物は、確率を上げて確実に獲りにいく。既存のお客さんとの関係や、勝率の見えている仕事は、詰めて、確実に決める。一方、まだ見ぬ縁、新しい出会い、何が当たるかわからない挑戦は、狙わず、数を打つ。

    一点集中の手法は、本当は、確率が高い場面でだけ正しい。レッドオーシャンで競合相手に打ち勝つための手法。それを、確率の低い「縁」の領域にまで持ち込むのは、ギャンブルでしかありません。

    負けても痛くない賭けだけが、何度でも張れる

    「なんだ、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるという話か」
    そう思われた方もいるでしょう。ここからが、この戦略のいちばん大事なところです。

    「成功者は、100回、200回失敗して、成功を掴んだ」という話は、よく聞きます。でも、考えてみてください。百回も二百回も真面目に取り組んで失敗したら、普通、破産しますよ。

    それでも生き残っているということは、言い換えれば、一回あたりの失敗のコストが、その人の資本に対して大したことがなかった、ということです。一回失敗するたびに会社が傾くようなコストをかけていたら、二回目を迎える前に退場しています。

    つまり、パスカルの賭けの本質は、試行回数の多さそのものではありません。一試行あたりの損失が、限りなく小さいこと。負けても痛くない賭けだから、何度でも張れる。何度でも張れるから、試行回数が積み上がる。試行回数が積み上がるから、低い確率でも、いつか当たりに届く。

    すべては、コストの小ささから始まっている。

    だから、この戦略を実践するうえで最初にやるべきは、派手な挑戦ではありません。一回あたりのコストを、徹底的に削ることです。試行の初期費用を限界まで下げ、一つの挑戦にかける金と時間を、致命傷にならない水準まで小さくする。

    うちの場合、小さな木工品は端材で作るので、材料費はほぼゼロ。射出成形などと違って、自分の時間だけで試作でき、ロット数1でも生産できます。noteは月500円のプラン料しか払っていません。一個作れば、ウェブショップに載せられる。注文が来たら作ればいい。使っているBASEは、大手モールほどの販売力はないけれど、売れたときだけマージンを払えばよく、固定費がかからない。

    この設計をせずに確率の低い挑戦を乱発すると、それはもう蓄積型パスカルの賭けではなくなります。期待値がプラスならそのうち儲かるかもしれないけれど、そこまで資金が持つかどうかの、本物のギャンブルです。

    「多方面にあれこれ手を出すのはギャンブルだ」と世間が言うとき、たぶん見ているのは、コスト設計のない分散、
    「好き放題に資金を溶かす振る舞い」
    のほうです。それは確かにギャンブル。でも、コストを削り切ったうえでの分散は、まったくの別物。資産運用でいう分散投資と寸分違わぬ理屈の、最も手堅い振る舞いです。

    消える餌と、消えない餌

    コストを下げて、数を打つ。ここまでは、いわば「撒き餌」の発想です。魚が集まりそうな場所に餌を撒いて、待つ。

    でも普通、撒き餌は食べられたらなくなります。魚が来なければ、その餌は無駄になって海に消えていく。いくら一回のコストが小さくても、積み重なれば山です。期待値がマイナスなら、損にしかならない。そして現実には、期待値というのは、そう正確には計算できません。

    そこで効いてくるのが、「蓄積型」という部分です。

    私が撒いている餌——note記事や、糸Phoneのような作品——は、外れても消えません。形として、コンテンツとして、その場に残り続けます。

    note記事は、書いた瞬間に誰の目にも留まらなくても、ネット上に残ります。検索エンジンに拾われ、人の記憶に積もり、時間が経つほど、むしろ見つけられやすくなっていく。数ヵ月前に書いた記事が、忘れた頃に誰かに読まれて、その道の大御所がスキをくれたりする。まだその先へは進んでいませんが、そういうことが増えれば、いずれ繋がりもできるでしょう。

    吉野の植林について書いた記事、木工品の製作記事は、営業資料としても働いています。毎回長々と説明しなくても、「ご参考までに」とメールにURLを一本貼れば、うちの材木、モノづくりの説明になる。物理的な撒き餌と違って、食べられて消えることがない。百人に読まれても千人に読まれても、記事そのものは無傷どころか価値が増します。
    Xの投稿のように、流れ去ることもありません。

    経済学でいう「非競合財」。ストックとして積み上がるコンテンツは、撒けば撒くほど、盤面に残り続けます。因のこもった記事は、時間とともに試行回数が文字通り無限に積み上がっていき、多方面の記事の群れが、そのまま著者のブランディングになる。

    糸Phoneが一般受けしなくてもいいんです。
    「こういう変なことをやっている職人がいる」
    「こういうものが作れる会社」
    という証明として残れば。いずれそれを見て、仕事を依頼してくる人が出てくればいい。

    一度撒いたら消えない餌。ここが、単なる下手な鉄砲との、決定的な分かれ道です。

    青い海は、探さない

    ここまでの話を、既存のビジネス戦略と突き合わせてみます。

    本来、パスカルの賭けのような分散手法は大手のやること、というのがランチェスター戦略の基本です。うちのような零細は、資本を集中投下しないと競合に勝てない、と。

    でも、そもそもランチェスター戦略は、競合に勝つための、つまり釣り船のひしめくレッドオーシャンを生き抜くための戦略です。ブルーオーシャンの話ではない。裏を返せば、ブルーオーシャンで勝負することが、零細がこの分散戦略を取るための必要条件になります。

    「まだ誰も見つけていないブルーオーシャンを見つけよう」と、よく言われます。競争のない、青い海。そこを見つけて先に泳げ、と。

    でも私のような凡人は、これを「狙って探す」のは、やめておいたほうがいいと思っています。誰も見つけられていない、魚のいる青い海。それを自分だけが見つけられると思うのは、少し傲慢です。みんなが血眼で探して、それでも見つかっていないのに。探索のコストもバカになりません。そして外せば、弱者には致命傷になる。たまたま見つかったなら、そりゃあ乗ればいい。でも真剣に「探しにいく」のは、それこそ試行回数一回の博打に近い。

    だから私は、魚が集まる「可能性のある」海に、餌を撒いています。

    「吉野」という、歴史も由緒もあるけれど、大して観光客の来ない土地。
    奈良に海はありません。あるのは山と森だけ。だからここは、グリーンフォレストとでも呼びましょうか。
    吉野、奥伊勢、ニッチな商品——それが本当に実りのある森なのかは、わからない。わからなくていいんです。
    低コストの、消えない餌を、いくつもの可能性のある海に撒いておく。どこかの餌に魚が来たら、そこが青い海だったと、後からわかる。

    探すのではなく、撒いて、待つ。

    そう言えば、うちから車で十数分の飛鳥・藤原の旧都が、世界遺産登録にほぼ決まったようです。外にはまだ出していませんが、壁画のデザインもいろいろ作ってあります。あの海もこれから熱くなるかもしれません。

    戦略本を読んで、なぞっても、あまり役には立ちません。万能な戦略はないからです。大事なのは、自分が今どの海にいるか、自分のやりたいことは何かを読んで、どの戦略を選ぶか、組み合わせるか、というその一段上の判断です。

    撒いた点は、ある日、突然つながる

    さて、ここまでは「一本の餌が、一匹の魚を釣る」話でした。この戦略が本当に面白いのは、その先です。

    撒いた餌、打った点が、ある時、互いに繋がりはじめます。

    糸Phoneと既存商品が繋がって、新しいブランド構想が立ち上がる。AIの記事を読んでくれていた人が、木工の記事も読んで、商品を買ってくれるようになる。道の駅に商品を置かせてもらったご縁が、思いもしなかった記念品の大口受注に化ける。点と点のあいだに、こちらが設計していなかった線が、勝手に引かれていく。点(ノード)に線(エッジ)が生まれ始めます。

    物理学に、パーコレーション(浸透)という現象があります。もう三十年近く前に講義で聞いた、うろ覚えの話ですが、要するに山火事の理論です。木がまばらだと、一本燃えて終わる。密度が上がると、数本まとまって燃えるようになる(クラスター)。そして、ある臨界点を境に、突然、クラスター同士が繋がって、全体が燃え上がる。それまでジワジワとしか進まなかったものが、ある密度を超えた瞬間、非線形に跳ねるんです。

    商売でも商品開発でも、同じことが起きると考えています。最初は別々だった活動が、いつのまにか互いに関連を持ちはじめる。一つの仕事が次の仕事を呼び、一つの作品が別の縁を連れてくる。点が線になり、線が面になる。やがて閾値を超えると、それまで個別だった活動の全体が、一つの大きなクラスターとして、相乗的に効きはじめる。一つひとつは小さな点でも、繋がれば、全体は桁違いの力を持ちます。

    ただし、ここが決定的に重要なのですが、下手な鉄砲をただ数撃っただけでは、点は繋がりません。

    バラバラに、脈絡なく打った点は、いくら数があっても、点のまま終わります。仮に偶然繋がったとしても、点と点のあいだに矛盾が生じる。あの商品とこの商品が、お客さんから見てちぐはぐに映る。あの発信とこの発信で、言っていることが食い違う。繋がったクラスターの内部で、ノード同士が互いに足を引っ張りはじめる。これでは相乗効果どころか、ない方がマシです。

    点が、矛盾なく繋がるためには、すべての点を貫く一本の筋が要ります。

    その筋こそが、企業理念です。

    何のために、これを作るのか。何を大事にして、何はやらないのか。その一本の芯が通っているからこそ、バラバラに見えた糸Phoneも、note記事も、木工作品も、互いに矛盾せず、一つのクラスターとして繋がっていける。

    私はこれまで、「関係性」にフォーカスして商品作りと発信をしてきました。人と人、人と物、人と自然、人と技術。桧の板にメッセージを刻んで送る木の栞。「適度につながる」ことの象徴としての糸電話。そういうものが繋がって、いま、新しい商品群ができつつあります。そしてそれを見て「面白そうな会社だ」と感じた人から、仕事も集まりつつある。

    分散しろ、と言いながら、バラバラではいけない、と言う。一見、矛盾しています。この矛盾を解くのが、理念です。確率に委ねて広く散らしつつ、芯は持っておく。やりたいから、面白そうだから、きっかけは何でもいい。思いついたらやればいい。ただ、筋が通らなければ、やめればいい。

    理念が分からなければ、とりあえずいろいろやってみればいい。いくつかやりたいことをやったあと、それを見返せば、共通項が見えるかもしれない。そこから外れているのは、修正するか消せばいいんです。

    因だけは、自分の手の中にある

    ここで、因縁果の話に戻ります。

    確率に委ねていいのは、縁と果だけです。誰と繋がるか、いつ当たりが来るかは、狙えない、選べない、操作できない。そこは天に任せるしかない。

    しかし、因は違います。技術、準備、積み重ね、撒く餌の一つひとつの質、そして全体を貫く理念。これらはすべて確率の外にあって、完全に自分の支配下にあります。

    だからこそ、準備だけは、きっちりやっておかないといけない。いくら撒き餌をしても、釣り針がなければ魚は釣れません。撒く餌の質を落とせば、せっかく魚が来た瞬間に「なんだ、たいしたことないな」で終わる。収益の仕組みが整う前に大物が来たら、みすみす逃すことになる。

    だから私は、探すのをやめる代わりに、準備を整えて、ご縁があれば「一期一会」の精神で取り組みます。縁は選べない。でも、来た縁を掴めるだけの因は、いつでも仕込んでおける。

    簡単な戦略。でも、たぶん続かない

    コストを抑えて、質を保って、理念を通して、数を打って、待つ。
    それだけ。
    確率論、コスト設計、蓄積、パーコレーション、因縁果、
    並べるとずいぶん立派に見えますが、やること自体は、誰にでもできます。

    でも、冒頭で予告した「怖い落とし穴」が、ここにあります。

    やってみると、多くの人は挫折すると思います。
    なぜなら、最初はまったく成果が出ないからです。
    びっくりするほど何も起きません。

    低い確率に賭けているのだから、当然のことです。十回や二十回打ったくらいでは、何も起きない。撒いても撒いても、魚は来ない。点はいつまでも点のままで、ちっとも繋がらない。閾値は、はるか遠くにある。
    頑張れば頑張るほど、辛さは増します。

    この、何も起きない時間に、ひたすら準備をして、質の高い餌を撒き続ける。これには長期の見通しと、相当な忍耐力が要ります。

    正直に告白すると、私には、そんな屈強な精神力はありません。成果が出るまで歯を食いしばって頑張る、というのは、私には無理です。

    だから私は、最初の二年は売り上げがなくてもやっていけるだけの資本金を入れました。借金もしていません。そして、結果を期待していません。期待して耐えるのではなく、そもそも耐えなくて済むようにしてあります。
    歯を食いしばって耐えて働くこともありません。

    どういうことかというと、やりたいことをやっているだけです。

    作りたいものを、作っているだけ。糸Phoneを作るのは、それが戦略的に正しいからではなく、作りたいから。noteを書くのは、当たるからではなく、書きたいから。どんな理由でも、出来上がったものに筋が通っていれば問題ないし、通らなければやめればいい。結果が出ようが出まいが、耐える必要がそもそもない。
    もちろん、かかった魚を釣り上げるときは必死ですけど。

    計画以上に長引けば、金銭的に焦らざるを得なくなるところでしたが、幸い、最近は収支も落ち着いてきました。

    これは、根性論への、ささやかな反逆でもあります。長期戦略を貫く最後のピースは、強い意志でも、不屈の忍耐でもない。「続けられる環境」と、「そもそも好きでやっている」という事実。続けられるから、試行回数が積み上がる。積み上がるから、いつか閾値を超える。

    皮肉なことに、結果を手放すことで、結果に近づきました。

    転換点

    万能な戦略はない、という話をしました。
    もし会社がレッドオーシャンでの生存競争に巻き込まれたときには、今の戦略では生き残れないでしょう。
    そうなったときどうするか、そうならないようにどうするか。
    少なくとも私は、一人の職人として、やりたいことができる環境に身を置いておきたいとは思っています。

    おわりに ~ この記事も、一つの撒き餌として

    売れるものは作れず、青い海も探せず、忍耐力もない。そんな職人の処世術みたいな話になってしまいました。本当はビジネス戦略を堂々と書いて、この創作大賞のビジネス部門で賞金をいただく算段だったんですが、、、
    おかしいなぁ。

    でも、まあ、この記事も消えない餌としてnoteの海に撒かれたものです。
    今日、誰にも読まれなくてもかまいません。数を打ち、蓄積し、筋を通して、待つ。忘れた頃に、どこかの海で、何かがかかるかもしれません。

    奈良吉野の山奥、グリーンフォレストで、今日も楽しく撒き餌をします。

     
     
    木工とAIを愛する職人。 一職人の観点で自由に書いています。 noteは2026年元旦より 経歴 理学系出身 分析機器屋で  機器分析アプリケーション(10年)  フィールドエンジニア(1.5年)  マーケティング・新規事業企画(10年) 47歳で脱サラ、山の中で木を削る日々。

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