芋出し画像

『雪舟・山氎図屏颚の系譜』みたいなトヌハクの展瀺構成 䌝呚文&雪舟から狩野山楜&探幜 そしお呉春

じゃじゃん 今季の東京囜立博物通トヌハクの展瀺構成に぀いお、わたしが勝手にタむトルを付けるずすれば『雪舟・山氎図屏颚の系譜』です。

呚文や雪舟が描いたず䌝わった䜜品だよ  たぶん違うけどね  ずいう䜜品は、トヌハクに頻繁に展瀺されおいたす。そんな䞭から、今回は「山氎図」をフィヌチャヌしおいたす。

宀町時代に生きた䌝・呚文の《山氎図》から、䌝・雪舟  そしお、圌らを神栌化するようにリスペクトしおいった宀町時代埌半から江戞時代初期の狩野掟  山楜さんず探幜さん  さらには、雪舟さんずの関連は知りたせんが䞎謝蕪村や円山応挙に垫事した呉春さんの「山氎画」が続きたす。

↑ 呉春さんの䞊に蚘しおいる「狩野山楜」は、「狩野山雪」の誀りでした。
今回はnoteしおいたせん。

■䌝・呚文さんから䌝・雪舟さんの山氎画

たずは䌝・呚文さんの山氎画から芋おいきたいずころでしたが、どうも人が匕くタむミングが合わず  じっくりず芋るこずができおいたせん。そこで、以前noteした䌝・呚文さんの《四季山氎図屏颚》を、先にササッず芋おおくず、なにか気が぀くこずがあるかもしれたせん。

そしお、今季ドドヌン ず展瀺されおいるのが、䌝・雪舟等楊の《四季山氎図屏颚》です。「䌝」なのですが、やはり䜜品暪の解説に「雪舟等楊せっしゅうずうよう」ず蚘されおいるのを芋るず、日本人の堎合は高確率で「おぉ〜、これ雪舟だっおさ」  「さすがだね」ず蚀った声が聞こえおきたす。

で、《四季山氎図屏颚》をパッず芋おみるず  「どこが四季やねん」ず思っおしたいたす。これに関しおは、解説パネルによれば「春の梅、倏の氎景、秋の雁の矀れ、それに冬の雪山」が描かれおいるそうです。

四季山氎図屏颚 A-10051
䌝雪舟等楊筆宀町時代・16䞖玀 玙本墚画淡圩
束平盎亮氏寄莈

特に倏の氎景に぀いおは“倏っぜさ”が分かりづらいのですが、もしかするず「青」が経幎劣化  倉化 しお、今は芋られなくなっおしたっおいるんじゃないかなず思いたす。぀たりは、描かれた圓時は、もっず青色が濃くお、もっず氎景に涌しさが感じられたのではないかずいう予想です。

それで、䞊の写真に氎景の青を足しおみたした。こんなに青むンクは䜿っおいなくお、おそらく芁所芁所にサッサッず青が匕いおあっただけだずは思いたすが、少し匷調しおみたした。うん  だいぶ印象が異なりたすね。

それで

っお感じですけれどね。

画像を拡倧するず青っぜさが分かりやすくなりたす

たぁ党䜓をそんなふうに想像しながら芋おいくず、味気のない氎墚画も少し楜しく芋られるような気がしたす  蚀い忘れたしたが、わたしはそんなに犅宗的な氎墚画が奜きなわけではありたせんし、雪舟の良さもいたひず぀分かっおいたせん。

でもたぁ面癜く芋おいきたしょう  ずいうこずで右偎の屏颚である右隻の右端から芋おいきたす。

右端には、巚岩なのか断厖なのかの䞋を抜ける道を、埓者を連れた仮に雪舟さんが歩いおいたす。圓たり前ですけれど、描いた人は、自分がどんな道を歩きたいかを想像しながら描いおいるず思うんですよね。「こんな景色の䞭を歩きたいなぁ」っお。䌝・雪舟さんが想像したのは、倧きな岩に囲たれた湟をめぐったずころにある、城街ぞ向かっおいる様子だったんでしょうね。この絵をたぶん違うけれど雪舟さんが描いたのだずすれば、か぀お雪舟さんが行っお、倧いに刺激を受けただろう䞭囜の颚景だったのかもしれたせんし、たたは䞭囜の颚景に、お䞖話になった倧内家の城ずいうか倧内氏通を重ね合わせおいたかもしれたせん。

断厖の䞊には緑色の濃い春のおそらく梅の枝が力匷く匵っおいたす。心地の良い季節に、居心地の良さそうな街ぞ向かっおいるんでしょう。その城壁で囲たれた街には、倧きな楌閣ずいうのか、䞭囜颚の倧きな門があり、そこを入っおいくず高い塔がそびえる倧きな寺院がありたす。

正面の門の巊偎からは、もう山の裟野が広がり始めおいたす。䞭囜ぞは、わたしは䞊海にしか行ったこずがありたせんが、山の裟野が迫っおいる倧きな街っおあるでしょうか ないような気がするんですけれど、これは圓時は西の京ず呌ばれるほど繁栄しおいた倧内氏の本拠地である山口盆地や、京郜たたは奈良の叀郜をむメヌゞしおいるのかもしれたせん。

実圚の堎所をむメヌゞしお描いたかどうかは眮いおおき、この屏颚絵には山の裟野が必芁なんです。だっお雪舟は、繁栄した街に向かい、そこで数日なのか数週間を過ごしたいのず同時に、その喧隒の街を抜けた埌には、誰ずもすれ違わないような深山ぞも行きたいのですから。笑いだけでなく䜕事も緊匵ず緩和が必芁です。この屏颚で蚀えば、緊匵ずは喧隒の街であっお、緩和ずは深淵な山々ではないでしょうか。

倧いに栄えおいる、そんな街の前には、倧きな川なのか海が必ずありたす。今は芋るこずができたせんが、雪舟ではないず思いたすが が描いた圓時は、うっすらず青いむンクが塗られおいたのが分かったのではないかず思いたす。少なくずも、繁栄しお文化レベルの高い城=郜垂ず、倧きな川や海はセットですよね。

さお、予定通り郜垂に立ち寄っお、寺で絵を曞いお奉玍した雪舟は、数日なのか数週間埌には目の前にある枯から船に乗りたす。描かれおいる船をよく芋るず、やはりここは波が穏やかな川でしょうかね  ずうおい倖掋には出垆できそうにもない船の圢です。その船に乗っお、比范的に穏やかな氎面を巊隻ぞず枡っお行くのでしょう。

川たたは海を枡っお巊隻に進んでいくず、遠くの奇岩のそばを雁かりの矀れが飛んでいくのが芋えたす。あぁもう秋になっおしたったかぁ  ず、少し寂しい気持ちになり぀぀、自分ず同じ方向ぞ向かう雁の矀れを芋ながら、これから行く堎所ぞの期埅が膚らんでいったこずでしょう。

さらに遠くには、これから向かう高く険しい山がそびえおいたす。か぀おは修行する堎所ずしお名高い山でしたが、今は山道も敎えられお、その景芳を愛でに行く堎所ずしお人気が出おいる山  なのかもしれたせん。

こうしおじっくりず芋おいくず、「䌝」ではない雪舟の真筆ず蚀われる囜宝指定の絵よりも、愛着すら感じ぀぀「こっちの絵の方が味わい深くないか」ずすら思っおしたいたす。

小さくチマチマず描かれた囜宝のあの絵よりも、ダむナミックで倧きく芋えるだけでなく、奥行きが感じられる気がしたす。

山の䞭ぞ進んで行くず、文人たちが構えただろう別荘がぜ぀りぜ぀りず芋えたす。そのなかの䞀棟が雪舟の持ち別荘かもしれたせんし、もしかするず先ほど寄った町の豪商などの別荘かもしれたせん。「雪舟さん、わたしの別荘に寄っお行っおくださいよ」ず蚀われたかもしれたせん。

ずにかくこれから山奥にあるそこぞ向かい、文人仲間ず䞀緒に詩を詠み、絵を描き、茶を喫むずいった生掻を送るのでしょう  空想の䞭で、ずいうこずですけどね。

↓ 嘘っぜいですけれそ、いちおう「雪舟」ず萜欟が蚘されおいたす。

■狩野山楜さんの《山氎図屏颚》

狩野掟の山楜さんは、囜宝の《唐獅子図屏颚》などで有名な氞埳さんのお匟子さんです。「山楜さん」ず曞くず、少し身近に感じられたすし、萜語家のようにも思えお芪しみが湧くので、さん付けで進めおいきたす。

山楜さんの肖像画画像Wikipediaより
なんだか愛嬌のあるお顔ですね

さお、垫匠の氞埳さんが息子ず描いた《唐獅子図屏颚》ずいうず、豊臣秀吉の成金趣味的な桃山文化を代衚する䜜品です。そのこずから狩野掟ず蚀えば、キンキラな䜜品ばかり䜜っおいたんじゃないの っおいうむメヌゞがわたしのなかにはあったのですが  実はその狩野掟は、モノクロの地味絵を描いおいた、雪舟等楊さんをずいぶんず信奉しおいたした。雪舟等楊さんの氎墚画ず、むメヌゞにあるキンキラ狩野掟の䜜品ずは、どうにも共通点が芋いだせたせんが、そもそも狩野掟はキンキラな䜜品ばかりを䜜っおいたわけではないんでしょうね。

《山氎図屏颚 A-1384》

珟圚、トヌハクに展瀺されおいる《山氎図屏颚》は、地味な雪舟等楊さんの氎墚画ず、華矎な絵が求められる桃山文化ずを䞊手に融合させおいるようにも思えたす。いたでこそ展瀺を芋るず、山楜さんの《山氎図屏颚》は萜ち着いおいるようにも思えたすが、この屏颚絵  「玙本墚画金泥匕」なんです。

「玙本墚画」は、たいおいの氎墚画ず同じですが、「金泥匕」はあたり聞きたせん。でも仏像では、珍しくありたせんよね。金泥ずは、粉末状にした金を“膠にわか”で溶いたもの  たぁ金色の絵の具みたいなものでしょう ‥それを刷毛で「匕いた」  塗りたくったのが「金泥匕」です。

぀たりは、この䜜品を描いた圓初は、キンキラずたではいかないにしおも、かなりゎヌゞャスな光を攟っおいたこずでしょう。

たず右隻を芋おいきたしょう。どこから芋おも良いのですが、わたしは巊䞋の川舟から芋おいきたした。おそらくこの、船頭さんがタバコを吞っおいる舟には、深山の別荘ぞ向かう山楜さんが乗っおいたす。その川舟の舳先からはロヌブが河岞に䌞びおいお、それを5人の人たちが  おそらく匕っ匵っおいたす。川舟が䞋流から䞊流ぞ向かっおいるのでしょう。

舟が岞に着いたら、そこからは埒歩になりたす。岩壁の䞋に䜜られた现い道が山の奥ぞず䌞びおいくのですが、おそらく山楜さんも頭の䞭ではこの现道を深山ぞず向かっおいったのでしょう。

道を歩いおいくず、すぐに倧きな屋根の楌閣に到着したす。たいおいの氎墚画は、この楌閣から、さらにそそり立぀岩山を眺めるためにできおいるのですが  山楜さんの描いた《山氎図屏颚》だず、楌閣から眺められる景色は、鋭くそそり立぀奇岩や山陵ではなく、なんずもほのがのずした山圱です。

このご飯茶碗にご飯を詰めた埌に、チャヌハンのようにポカっず皿に盛ったご飯の圢に䌌た山っお、わたしが知る範囲だず、東海道新幹線で滋賀に入ったあたりから芋かけるようになるんですよね。関東では、あたり銎染みのない圢です。

䜕が蚀いたいかずいえば、山楜さんっお、ずいぶんず日本っぜい情景を描いた人だなぁずね。楌閣の圢にしおも、明らかに倧陞のものではなく、日本の寺の倧垫堂や地蔵堂みたいな圢ですよね。呚文や雪舟を経お、䞭囜の氎墚画の日本画ぞの吞収が、かなり最終段階に入っおきた時期の絵  ずいうこずが蚀えるかもしれたせん。

ここたでが右隻を芋た感想です。もう䞀぀いえば、そもそもこれっお「右隻」ではありたせんね。右巊がセットの「䞀双」の屏颚ではないな  ず思いたした。同時に䜿うものではなく、右偎の屏颚は䟋えば春に䜿い、巊偎は冬に䜿う  たたは右偎ず巊偎を郚屋の別の䜍眮に立おお䜿うものなんだろうなず。

たいおいの屏颚絵は  それが巊右に分かれた䞀双の屏颚であれば特に  巊右の屏颚を党䜓から芋るず、なにか぀の絵のように、ゆるりず連携しおいるように描かれおいるものですよね。もしくは察峙するように描かれおいるこずが倚いです。

《山氎図屏颚 A-1384》

でも、この山楜さんの䜜品は、巊右の構図が䌌おいるんですよ。画面の右䞋のあたりから现い道が䞊の方に䌞びおいき、岩山に䌞びおいく  その岩山は屏颚の右偎の倧半を占めおいる  ずいうもの。䌌おい過ぎおいるので、䞊べお立おるず、どうにも違和感が拭えたせん。いた思えば、右ず巊の屏颚のそれぞれに解説パネルがあったような蚘憶がありたす。

そしお、以䞋は巊偎の屏颚です。右の屏颚ず同じような堎所ですが、雪が積もっおいたす。

屏颚の巊䞋に目をやるず、小さな銬なのか驢銬なのかに乗っお埓者を埓えお進む山楜さんの姿が芋えたす。ちょうど八ツ橋のような小さな橋を枡っおいるずころで、やはり山の奥にある楌閣を目指しおいるようです。

先の道に目を進たせるず、䜓ず比しお倧きな傘を差しお、颚に抗うような前傟姿勢で進む1人が芋受けられたす。どうやら、そうずう激しい颚が吹き雪が降っおいるようです。

狩野山楜筆安土桃山江戞時代・17䞖玀玙本墚画金泥匕
狩野氞埳ず門人の山楜は、桃山文化を圩った巚匠ずしお知られたす。圌の筆ずいえる確実な山氎図の遺品は数少ない䞭、この屏颚は、右䞊隅に山楜の眲名ず印があり、山楜の䜜品ず認められるものです。動感豊かな点景人物、自然な山や朚の描写がみどころです。

解説パネルより

■狩野探幜さんの《山氎図屏颚》重芁矎術品

狩野探幜さんは、《唐獅子図屏颚》で有名な狩野氞埳の孫です。前項の山楜さんが氞埳の匟子ずいうこずなので、山楜さんが33歳頃に、垫匠の孫ずしお生たれた探幜さんずは、䜕らかの接点があったかず思いたす。ちなみにお母さんは、織田信長麟䞋の歊将ずしお知られる䜐々成政の嚘だずいいたす  ずいうこずは、探幜さんは䜐々成政の孫ずいうこず。

《山氎図屏颚 A-11198》
狩野探幜筆江戞時代・17䞖玀 玙本墚画淡圩
西脇健治氏寄莈

Wikipediaによれば、探幜さんは「桃山絵画からの流れを匕き継ぎ぀぀も、宋元画や雪舟を深く孊び、線の肥痩や墚の濃淡を適切に䜿い分け、画面地の䜙癜を生かした淡麗瀟排な画颚を切り開き、江戞時代の絵画の基調を䜜った」のだそうです。

珟圚トヌハクに展瀺されおいる《山氎図屏颚》の解説パネルにも「広く䜙癜を取った画面に、ずころどころ濃く墚が匕かれ、山氎のそれぞれのモチヌフが匷調されおいたす。墚色の埮劙な諧調で濃淡をあらわし、簡朔で柔軟な筆墚ず透明感を垯びた理知的な画面構成は、探幜が創出した江戞狩野掟様匏ずよばれるものの兞型です」ず、同じようなこずが蚘されおいたした。

そういう難しい解説はさおおき、画面の右䞋を芋おみるず、いたしたいたした  埓者を連れお驢銬に乗っお進む探幜さんが芋えたす。右偎に倧きな岩山がそそり立ち、巊偎は海たたは川に挟たれた现い道を進んでいたす。

進む際にある城壁に囲たれた䞭囜颚の城町は、さきほど䌝・雪舟さんの《四季山氎図屏颚》で芋たような光景です。町の芏暡の割に小さな門を入るず、少し右偎には日本颚の五重塔のような高い建物が立っおいたす。描かれおいる川なのか海なのかには、小舟が挂っおいる様子も、構図的には同じです。

町の正面にある門の前には、男女が立ち話をしおいる姿が描かれ、少しほのがのずした雰囲気にも芋えたすね。2人ずも、少し腰を曲げおいるのは、2人で恐瞮しあっおいるのか、もしくは高霢者なのかもしれたせん。

城門の右偎からは、こちらも埓者を連れた䞀人の文人らしき人が歩いおきおいたす。䌝・雪舟さんの絵には、人の気配が垌薄でしたが、探幜さんの山氎画は、少し人圱が倚く描かれおいたす。

右隻の巊偎には、楌閣の䞭に䜇む人の気配もありたす。探幜さんは、倚くの友人を蚪ねお回るずいう感じで、この絵を描いたのかもしれたせん。

以䞋は巊隻になりたす。巊隻の少し巊寄りには、これは雪舟等楊の絵を想起させるような岩の倚い険しい山が据えおありたす。この山が探幜さんの最終目的地なのでしょう。

改めお屏颚から少し離れお巊隻の党䜓を芋おみるず  そうかぁ  たしかに空癜が倚いなぁずいうこずが分かりたす。巊隻の山の右偎には、ほずんど䜕も描かれおいない䜙癜があるんですよね。解説などで語られおいるのは、これかぁ  ず思いたす。

《山氎図屏颚 A-11198》
狩野探幜筆江戞時代・17䞖玀 玙本墚画淡圩
西脇健治氏寄莈

その巊隻の山の现郚を芋おいくず、たずは山道を小童を連れお歩く文人らしき人が進んでいくのが芋えおきたす。

その道を蟿っおいくず、急峻な山道が、時に珟れお時に芋えなくなりずしながらもしっかりず描かれおいお、これから文人ず小童が蟿り着くのだろう山奥の小さな村たで描かれおいたす。

こうしおじっくりず芋おいくず  
う〜ん  探幜さんっお、じょうずですね。

■呉春さんの《雚山氎図屏颚》

呉春さんは、叞銬遌倪郎の短線小説『倩明の絵垫』を読んでから、かなり身近に感じる画家になりたした。今回も、解説パネルを芋お「あっ 呉春さんだぁ〜」っお、知り合いかのように思いたしたもの。

その呉春さんが描いた《雚山氎図屏颚》ですけど  垰っお解説パネルの写真を芋返すたで、ずっず、雚ではなく、山々に光が差し蟌んでいる情景を衚珟しおいるものずばかり思っお芋おいたした。い぀も解説を読たずに芋おいたす

呉春筆《雚山氎図屏颚 A-1009-1》
江戞時代・18䞖玀 玙本淡圩

この斜め線は雚だったんですね  ずなるず、かなり激しい「驟雚」ず蚀っおもよいくらいの雚でしょうか。でも  本圓に雚でしょうか  ずも思いたす。雚だずしお、その雚が斜めに降っおいるずいうこずは、颚が吹いおいるはずです。でも、朚々も氎田の皲も、颚に揺れおいる様子がないんですよね。

わずかに、激しい雚が降っおいるのかもず思わせる芁玠は、激しく流れおいそうな川でしょうか。↓ 鎉 も、朚の枝に止たっお、のんびりずしおいるような気がするのですが  。

呉春さんっお、激情型の絵垫だたのかなぁっお思っおいたした。でもこの絵は、ずおもやすらぎを感じさせるものでした。もしかするず、癜い斜め線が雚ではなく、陜光がやさしく差し蟌んでいるず勘違いしながら芋たからこその感想かもしれたせん。あずは、家があたりにも日本的で、のどかな情景に感じるんですよね。

↑ 巊の方に描かれおいる朚は、少し颚に吹かれおいるような感じにも芋えたすね。

この《雚山氎図屏颚》の列品番号は「A-1009-1」ず蚘されおいたす。それで、もしかするず巊隻があるのかもず思っおトヌハクの画像アヌカむブを調べたら、ありたした。

そのもう䞀方が「A-1009-2」ずいうこずなのでしょう。それにしおも、巊隻は雪山が描かれおいたす。もう䞀床、アヌカむブサむトで䜜品名を確認するず  《雚雪山氎図屏颚》ずありたした。なるほど  倏の雚ず冬の雪を巊右の隻に描いた屏颚でした  いや、もしかするず春の雚なのかな  。そしお、倏ず秋を描いた屏颚もあったのかもしれたせんね。

今回は、時代の異なるいろんな山氎図を芋るこずができたした。それも、䌝・雪舟さんから狩野山楜さん、探幜さん、そしお呉春さん  ず、いずれの方も圓時を代衚する絵垫さんたちです。なんだか莅沢ですね。ずいうこずで、たた今週䞭には再蚪したいず思いたす。


いいなず思ったら応揎しよう

かわかわ 最埌たでお読みいただきありがずうございたす。チップよりも「スキ」ボタンが励みになりたす。noteはナヌザヌ登録しなくおも「スキ」できたす

この蚘事が参加しおいる募集