芋出し画像

『王矲之ず蘭亭序』展を芳おきたした@東京囜立博物通曞道博物通〜王矲之が愛される理由を探る〜

王矲之おうぎしの『蘭亭序らんおいじょ』ずいえば、曞道家であればもちろん、習字は苊手だったずいう人でも知っおいたすよね  なんおいうのは嘘で、恥ずかしながらわたしは知りたせんでした。

王矲之おうぎしずいう曞の達人が居お、その人が曞聖ず呌ばれおいた ずいうのは、ギリで「聞いたこずがありたす」ずいう具合ですが、王矲之おうぎしが、いったいどんな字を曞いたのかは知りたせんでした。

そこで改めお知ろうず思い、東京囜立博物通トヌハクで開催されおいる『王矲之ず蘭亭序』特集を芳に行っおきたした。

そしお、王矲之ず王矲之が曞いた蘭亭序ずいう文曞の、䜕がすごいのか なぜ展瀺䌚に倚くの䞭囜人が駆け぀けおいるのかを探っおみたした。

王矲之《興犏寺断碑》唐時代・開元9幎721

唐時代に長安 (陝西省西安垂) の興犏寺の僧の倧雅たいがが、 王矲之の曞から集字した石碑。 《集王聖教序》ずずもに集王碑の代衚䜜で、字配りなどはより自然です。明の䞇暊幎間(1573〜 1620) に西安で出土した際には断裂しお䞊半 䞀郚が欠倱しおおり、 興犏寺断碑ず称されたす。 碑石は西安碑林博物通に珟存したす。

唐代长安兎犏寺僧倧雅根据王矲之的乊法集字而成的 石碑,䞎《集王圣教序》同䞺集字碑之代衚䜜。该石 碑于明代出土时已断裂,现存于西安碑林博物銆。

解説パネルより

■誰が芋おも王矲之の曞跡に感動するのか

トヌハクの展瀺を芳お、王矲之おうぎしや圌が蚘した『蘭亭序らんおいじょの写しや臚曞』を深く理解できたわけではありたせん。それでも「王矲之や蘭亭序の䜕がすごいのか」の結論を、先に蚘したくなりたした。結論ずいうか、私の掚枬です。

《蘭亭図卷(䞇曆本)》明時代・䞇厝20幎(1592)・高島菊次郎氏寄莈
右から二人目が王矲之

たず、王矲之おうぎし自身が蚘した文字、぀たりは真筆しんぎ぀は、珟圚、䞀点も残っおいたせん。あるのは、王矲之おうぎしの真筆を写した様々な暡本です。

その臚曞りんしょなどずも呌ばれる別の人が曞いた䜜品を芳た限りでは、「すごく矎しい文字だ」ずいう印象は、受けたせんでした。

それは、おそらくわたしが曞を習ったこずがないからだず思うのですが  よく蚀われる「䌞びやかな筆の運び」も感じたせんでしたし「党䜓のバランスの良さ」も感じられたせんでした。

そのため、あくたでわたしの䞭では、『蘭亭序らんおいじょ』の曞そのものは、栌段、心にグッずくるものではなかった ずいう結論に達したした。ただしその結論は、あくたでも『蘭亭序らんおいじょ』を、アヌトの察象ずしお芳た時の感想です。

もし曞道アヌトずしお鑑賞するならば、同じ展瀺宀に架けられおいた、䟋えば朱耷しゅずうずいう人がしるした『行曞臚河序六屏ぎょうしょりんかじょろっぺい』ずいう曞の方が、酔った時にでも曞きたした ず聞きたくなるほど、勢いや䌞びやかさがあっお良いなず感じたした。

朱耷しゅずう『行曞臚河序六屏ぎょうしょりんかじょろっぺい』

朱耷しゅずう・1626〜1705は明の寧藩の王族で、 明の滅亡埌は遺民ずしお生涯を貫きたした。 晩幎は八倧山人ず号しお曞画に専心。 臚河序 (叙) は蘭亭序の別名で、劉峻りゅうしゅんによる『䞖説新語』の泚に、王矲之は臚河叙を曞いたずしお、 通行の蘭亭序より160䜙字少ない文章を茉せおいたす。

朱耷是明王朝皇族子孙,明亡后䜜䞺遗民床过了䞀 生。晚幎号八倧山人,䞓事乊画创䜜。

解説パネルより

以䞊のずおり、王矲之おうぎしの蘭亭序らんおいじょを、アヌトずしお鑑賞した堎合には、特段、心にグッず来るものはありたせんでした。ただし、蘭亭序らんおいじょの良さ  倚くの人の心を鷲掎みにしおいる理由は、文字がキレむっおいうだけではなく、他にあるんだろうず感じたした。それを次項以降で芋おいきたいず思いたす。

■なぜ王矲之ず蘭亭序は愛されたのか

『蘭亭序らんおいじょ』に感動しなかったずはいえ、埌䞖の人たちに王矲之おうぎしファンが倚く、『蘭亭序らんおいじょ』が信奉されおきた理由は、勝手に分かっおきた気がしたす。

そこには、王矲之おうぎしの生き方が関係しおいるはずです。

トヌハクの『王矲之おうぎしず蘭亭序らんおいじょ』展には、王矲之おうぎしの幎衚が掲げられおいたした。それらを参考にしお分かるのが、䞋蚘のような王矲之像です。

王矲之おうぎしはある有力貎族の家で、303幎に生たれたした亡くなったのは361幎。魏呉蜀ぎごしょくの䞉囜時代から、魏ず晋東晋の南北朝時代になり、匕き続き、䞭囜倧陞は戊いの倚い䞍安定な時代です。そのただ䞭で、王矲之は東晋の有力貎族の家に生たれたわけです。

王矲之おうぎしの叔父たちは、自身で王朝を打ち立おようず画策するくらいなので、幌い頃から曞の才胜が溢れ、頭脳明晰な王矲之おうぎしに期埅が集たりたす。

芪戚や呚囲の人たちは政争に明け暮れおいたした。圓然王矲之も、仲間に加わるよう、たびたび誘われたす。でも王矲之は、そうした政争に興味が湧きたせん。そうしたこずに䞍埗手だし、なるべく関わりたくないんです。生たれながらに裕犏な人の兞型䟋の䞀぀で、暩力欲がないのか、もしくは暩力闘争の虚しさを知っおしたっおいたのでしょうね。

それでも時には、掚薊されお任官するこずがありたした。でも出䞖欲がないため、ほどなく蟞任しおしたいたす。ずにかくどろどろした政治の䞖界が嫌で仕方なかった様子です。そうは蚀っおも断りきれずに、右軍将軍や護軍将軍に就任するのですが「地方に行かせおください」ず請願しお、やっず䌚皜かいけい郡の長官ずいう、圌にずっおはちょうど良いポストに収たるんです。䌚皜かいけい郡ずは、今は玹興酒で有名な、浙江省の玹興垂の地方長官です。

その䌚皜かいけい郡の蘭亭らんおいで催したのが、曲氎の宎です。い぀も思考を巡らせ぀぀、その思いを文章や詩で衚珟できる、気心の知れた42名が参加したした。

王矲之おうぎしは、もう楜しくお仕方なかったのでしょう。参加した人たちが詠んだ詩をたずめた蘭亭集を線み、その序文をしたためたした。

その序文が『蘭亭序らんおいじょ』です。

残念ながら、快適な時間はそう長く続かず、王矲之の䞊叞に、以前から嫌いだった人が就任したす。それでたた嫌になっお、䌚皜かいけい郡の長官を蟞任。その埌は政治の䞖界に戻るこずもなく、仙人になる修行をし぀぀、悠々自適な生掻を送っお、䞀生を終えるんです。

䞭囜人や その圱響を色濃く受けた日本人も 項矜や劉邊、䞉囜志の英雄たちなど、ギラギラしおいる人たちが倧奜きです。その䞀方で、英雄ずは察極にある、䞖捚お人のような仙人も奜たれたすよね。

そうした暩力争いずは無瞁な人気者ずいえば、「寒山拟埗かんざんじっずく」の2人ずか、王矲之の少し前の時代を生きた「竹林の䞃賢人」ずいうのも居お、ずヌっず倧人気です。

こういう人を誰が奜きになるかず蚀えば、暩力欲の少ない人 ぀たり経枈的に豊かな人や芞術肌の人たち、知識局ですかね。あずは真逆で、暩力闘争の真っ只䞭にいる人たちが、憧れを持っお敬愛しおしたいたす。

埌者の代衚䟋が、王矲之の曞を集めたくった唐の二代、倪宗さんでしょうね。この倪宗の時代に、王矲之の株が䞀気に高隰したした。そしお時代は䞋り、枅の也隆垝が王矲之を熱愛し、さらに王矲之の評䟡が爆䞊がりしたす。

æ°žç’¿(1743~90)《臚蘭亭序卷》枅時代・也隆52幎(1787)・林宗毅氏寄莈・トヌハク蔵
《䞎兰亭序卷》
也隆垝的第六子莚庄王氞瑢䞎乊《兰花亭八柱垖》第䞀 本(匠金界奎本兰亭序刻乊)之䜜。比原䜜曎䞺舒展而安定 的字姿散发着宗宀的气莚。

也隆垝の第六子の質荘芪王・氞瑢えいようが、『蘭亭八柱垖はっちゅうじょう』第䞀本 (匵金界奎本蘭亭序の刻本)を臚曞したものです。现身の線ず倧回りの転折で文字内の䜙癜を広くずり、点画の配眮も倉えおいたす。原本よりもゆったりず安定した宇姿には、宗宀の気品が挂いたす。

解説パネルより
æ°žç’¿(1743~90)《臚蘭亭序卷》枅時代・也隆52幎(1787)・林宗毅氏寄莈・トヌハク蔵

おそらくでしかないのですが、唐の倪宗や枅の也隆垝が愛したのは、王矲之の字そのものであったず同時に、バックボヌンを含めおの王矲之おうぎしの生き方なんだず思うんですよね。暩力を握ろうず思えば、暩力を握るのに申し分のない出自だったし、実際に圌の芪戚は暩力を欲したした。でも王矲之おうぎしは、暩力に無関心で居続けお、他から芋るず自身の奜きなこずをしお䞀生を終えたした。

そんな王矲之おうぎしの䞀生で、幞犏床のピヌクが衚珟されたのが『蘭亭序らんおいじょ』でした。お酒にだけでなく、充足感や幞犏感に酔いながら筆を運んだに違いない  そんなむメヌゞがあるから、筆が䌞びやかでりキりキしおいるように、埌䞖の人が感じるのではないでしょうか。

そう思うず、王矲之フォントに憧れる理由も、分かるような気がしたす。

成芪王・愛新芚矅氞瑆《臚閣垖冊りんかくじょうさ぀》東京囜立博物通蔵

也隆垝の十䞀子。曞画ず収蔵を善くし、曞は元の趙孟頫ちょうもうふ、唐の欧陜詢を孊ぶ。たた成芪王の曞を集めた法垖には、王矲之をはじめずする歎代の名跡の臚曞が収録されたす。本䜜は王矲之の思想垖《埗足䞋曞垖》、王献之の《地黄湯垖》など、諞垖の䞀節を任意に臚曞したもの。

解説パネルより
成芪王・愛新芚矅氞瑆《臚閣垖冊りんかくじょうさ぀》
成芪王・愛新芚矅氞瑆《臚閣垖冊りんかくじょうさ぀》

■『蘭亭序』には䜕が蚘されおいるのか珟代語蚳

倚くのアヌティストは、手掛けた䜜品に぀いお倚くを語りたせん。たたその䜜品を芋お、盎感で感動できる人も「䜜品の由来やうんちくなんお、䜜品鑑賞には邪魔なだけですよ」ずか蚀うのが通垞です。

ただし前項で蚘したずおり、『蘭亭序らんおいじょ』の魅力は、字䜓  フォントの矎しさだけではないず思うんですよね。そこで重芁になるのが、『蘭亭序らんおいじょ』には䜕が曞かれおいるのか ずいうこず  だず、わたしは思いたす。

そこで色んなサむトを参考にさせおいただきながら、党文を珟代語蚳しおみたした。

《八柱第䞉本》

氞和九幎歲圚癞䞑暮春之初會
于會皜山陰之蘭亭修犊事也。
矀賢畢至少長咞集。
歀地有厇山峻嶺茂林修竹

氞和九幎 干支は癞䞑(きちゅう)の歳 西暊にすれば353幎のこずでした。その歳の䞉月初めに、䌚皜かいけい郡の山陰県の蘭亭らんおいに、43人の賢者が集たり、たずは犊みそぎを行ない、身を枅めたした。

43人は、老いも若きも関係なく、気心の知れた人たちばかりです。
集たった蘭亭の庭からは、高い山や険しい嶺が遠くに芋えお、近くには林が茂り、すっくず䌞びた竹が生えおいたす。

又有枅流激湍映垶巊右
匕以為流觎曲氎列坐其次。
雖無絲竹管絃之盛䞀觎䞀詠
亊足以暢敘幜情。

たた目の前には枅流や早瀬があり、キラキラず陜の光が反射しおいたす。
その流れを庭に匕き蟌んで、觎さかずき盃を流すための曲氎小川を䜜ったんですよ。その傍らには、集たった人たちが䞊んで座り、觎さかずきが流れおくるのを埅っおいたす。
琎や笛のような賑やかな音はありたせん。それでも、私たちは小川の氎音を聎き、自然の䞭に身を眮き、觎さかずきが流れおくるのを埅ちたした。そしお觎さかずきが流れおくる間に、䞀぀の詩を詠むずいうのが、今回の「曲氎の宎」の決たりごずです。
その蘭亭らんおいの庭は、心の奥底にある心情を、のびのびず語り合うのに十分な舞台でした。

《蘭亭図卷(䞇曆本)》明時代・䞇厝20幎(1592)・高島菊次郎氏寄莈
『定歊本、同肥本、同瘊本、耚遂良本、唐摞賜本の5皮の蘭亭序ず、蘭亭での流觎曲氎による詩䌚の様子を衚した北宋の李公麟の䜜にもずづく蘭亭図、 東晋の孫綜 (320~377) の埌序、そのほか蘭亭の関連資料を集刻した䞀巻です』解説パネルより
『益宣王以明朝皇族呚宪王制䜜的版本䞺基础,添以赵孟頫 的《兰亭十八跋》䞎自跋后再版。展品䞺其子益敬王将歀 基础之䞊的再版。本䜜品因题字“兰亭真迹”䞊的印章而被 称䞺益敬王本』

是日也倩朗氣枅惠颚和暢
仰觀宇宙之倧俯察品類之盛
所以枞目隁懷足以極芖聜之嚛信可暂也。

〜目を枞ばせ懷(おも)ひを隁(は)せ、以お 聜の (たの)しみを極むるに足る。信(たこず)に暂しむべきなり。〜

その日は倩気も良く、空気も柄んでいお、春の朗らかな颚がずおも心地良い日でした。
仰げば広倧な宇宙が感じられたす。芋䞋ろせば人々や動怍物が生き生きずしおいたす。
こうしお、空を流れる雲や小川を泳ぐ魚などに目を遊ばせお、自由に思いめぐらし、その心情を詩で衚珟するのに、最適な日だったんです。
あぁ なんお楜しく幞せな時間だったでしょう。

倫人之盞與俯仰䞀䞖
或取諞懷抱悟蚀䞀宀之內
或因寄所蚗攟浪圢骞之倖。

さお、人の䞀生を俯瞰しお芋おみるず、胞の内を友人ず語らう人もいるし、ほかを気にせず、圢匏にずらわれるこずなく自由に振る舞う人もいたす。

雖趣舍萬殊靜躁䞍同
當其欣斌所遇暫埗斌己
快然自足䞍知老之將至。

静かな䞀生を終える人もいれば、慌ただしく䞀生を駆け抜ける人もいお、その生き方は、人それぞれ異なりたす。
いずれの生き方だったずしおも、自分の思い通りにこずが運んでいる時には、気持ちが満ち足りおいお、老いが近づいおいるこずすら気が付かないものです。

及其所之既倊情隚事遷感慚係之矣。
向之所欣俛仰之間已為陳跡
猶䞍胜䞍以之興懷。
況修短隚化終期斌盡。

たた人の感情は刻々ず倉化しおいくものです。埗意になっおいたこずも、だんだんず飜きおしたいたす。こうしお心情が移ろっおしたうのを、なんずかならないものでしょうか。
぀いこの間たでの喜びが、ほんの束の間のうちに過去のものになっおしたい、寂しさを感じたす。たしおや人の呜は必ず衰えおいき、぀いには終わりを迎えるのですからね。

叀人云「死生亊倧矣。」豈䞍痛哉。
每芜昔人興感之由若合䞀契
未嘗䞍臚文嗟悌䞍胜喻之斌懷。

叀人孔子は『荘子そうし』の䞭で、「どのように人生を送るかが倧切である」ず曞かれおいたすが、読むたびに胞がギュゥっず締め付けられるな気がしたす。
そう考えられた理由を考えるず、割笊を合わせたかのように、私の考えず䞀臎したす。その文章を読んで、い぀も苊痛に感じざるをえず  ただただ共感するばかりで、死を恐れおいる私自身を諭しお、玍埗させられずにいたす。

固知䞀死生為虛誕霊圭殀為劄䜜
埌之芖今亊猶今之芖昔

だっお叀人が蚀う「死ぬこずも生きるこずも、しょせんは同じである」なんお決め付けるのは間違っおいるし、「長寿も倭折も䞀緒だ」なんお、でたらめにきたっおいたす  私はそう思いたい。
そうは蚀っおも、埌䞖の人たちが私たちのこずを考えるのも、今の私たちが昔の叀人のこずを考えるのず䌌たようなものなんでしょうね。埌䞖の人たちが私たちが感じたこずを、私たちが叀人の感慚を、圓人たちず語るように正確には受け取れないのず同様に、

悲倫故列敘時人錄其所述
雖䞖殊事異所以興懷其臎䞀也。
埌之芜者亊將有感斌斯文。

結局は私たちにも終わりが来お、埌には䜕も残らない  そう考えるず悲しいですね。だから私はこうしお、ここに集たった人たちのこずを蚘録に残したす。確かに私たちが“存圚”しおいた蚌ずしおです。
時代が移ろい䞖の䞭が倉わろうずも、人が感動する理由は、これからも倉わらないはずです。私たちが心揺さぶられたこずを蚘した、この『蘭亭曞らんおいしょ』を埌䞖の人たちが読めば、埌䞖の人たちもたた、きっず心揺さぶられるはずだからです。

《蘭亭図卷(䞇曆本)》明時代・䞇厝20幎(1592)・高島菊次郎氏寄莈

■近所の台東区曞道博物通䞭村䞍折蚘念通ずの共同開催

東京囜立博物通トヌハクで開催されおいる『王矲之ず蘭亭序』は、トヌハクから䞊野の山を䞋った、鶯谷のラブホ街の䞭にある「台東区曞道博物通」ずの連携䌁画です。このトヌハク×曞道博物通の連携䌁画は、今回で20回目ずのこず。

トヌハクの展瀺品が、䞭囜由来の同通所蔵品に限定されおいるのに察しお、曞道博物通では、曞道博物通所蔵品のほかトヌハク、京郜囜立博物通、九州囜立博物通、五島矎術通、䞉井蚘念矎術通や個人蔵のものたで、様々な関連䜜品が展瀺されおいたす。

特に良いなず思ったのは『蘭亭序らんおいじょ』や王矲之からむンスピレヌションを受けお曞いただろう、日本人の䜜品も倚数展瀺されおいる点です。

詳现な展瀺目録は䞋蚘からダりンロヌドできるずしお、ここでは囜宝や重芁文化財に指定されおいる䜜品を曞き出しおおきたす。

囜宝では、《䞖説新曞巻第六残巻―芏箎きしん―》、《䞖説新曞巻第六残巻―芏箎きしん・捷悟しょうご―》、《䞖説新曞巻第六残巻―豪爜ごうそう―》  以䞊3点は囜たたはトヌハク所蔵。重文指定品では、䌝・玀貫之筆の《寞束庵色玙》や《高野切第䞉皮叀今和歌集 巻第十九》以䞊、トヌハク蔵、倧巧劂拙《王矲之曞扇図軞》京博蔵、黄庭堅《䌏波神祠詩巻》氞青文庫蔵。
展瀺䞀芧の詳现PDF

重文指定品もですが、わたしは日本人のやわらかい筆跡の方が奜みなので、曞道博物通の展瀺品には、玠晎らしいなず思えるものがいく぀もありたした。ただし  同通の䌁画展は撮圱がいっさい犁止なので、どんな筆跡だったかな ず思い出せずにいたすたぁ、図録を買えよ  ずいうこずなのでしょうけど  。

ずいうこずで、2019幎11月に東京囜立博物通に展瀺されおいた、『蘭亭序』に由来する、现井広沢こうたくの《文語屏颚》を貌付しおおきたす。展瀺されおいた圓時は『蘭亭序』のこずなんお知りたせんでしたが、それでも䜕床も屏颚に立っお、芳芧したのを芚えおいたす。

现井広沢 (1658~1735) 筆《文語屏颚右隻》 江戞時代・享保12幎(1727・
右隻
现井広沢 (1658~1735) 筆《文語屏颚巊隻》 江戞時代・享保12幎(1727・
å·Šéš»

现井広沢は、江戞時代䞭期の儒孊者にしお曞家。篆刻を極めその革新に努めたした。本䜜品は王矲之の名䜜 「蘭亭序」 から匕甚した字や句を行曞で倧曞したものです。その力匷い筆臎は埌に展開する唐様の曞の代衚的なものずいえたす。萜欟より広沢70歳の筆跡ず知られたす。

解説パネルより


ずいうこずで、今回も長いnoteになっおしたいたした。

ただ『蘭亭序』に぀いお芋知っおいるこずは少ないのですが、これからも泚目すべき文物の䞀぀ずしお、フォロヌしおいきたいず思いたす。


いいなず思ったら応揎しよう

かわかわ 最埌たでお読みいただきありがずうございたす。チップよりも「スキ」ボタンが励みになりたす。noteはナヌザヌ登録しなくおも「スキ」できたす