第50話:神様のいたずら「夫婦のカタチ」
帰宅する時間が深夜になり、
それからお風呂に入ったりするから…けっこう寝不足だ…
そのせいか、家に着くころになると、大きな発疹が出るようになっていた。それがすごく痒い。鋭い痛みと痒み。
…それは決まってお腹やゴムの当たる箇所だった。
「…やっぱちょっと疲れてるよなー…」
と、ひとりで呟きながら、玄関で靴を脱いだ。
靴下のゴムの部分や、赤く腫れ上がった足の甲の痒い部分を見つめた。
(掻き過ぎたら痛いし…)
そう思っているうちに、いつのまにか自然に消える。
最近はそれが頻繁に出ていた。
おばあちゃんは、どんどん痩せて小さくなっていた。
お腹にはストーマというものがついていた。
「…礼子さんはね、これを取り換える時、離れたところからね、
すごく冷ややかな目で見て。…なんだか屈辱を感じるような惨めな気持ちだった…」
とおばあちゃんは言った。何度も。
「…そっか。」
私は静かに返した。
…礼子さんは、おばあちゃんを介護する気持ちはないのだろう。
おばあちゃんは、こんな姿になって惨めだろう。
けど…礼子さんも、おばあちゃんとは他人っちゃ他人なのだし、どう触れたらいいのかも分からないだろうし…。
ただ、本人が感じ取るくらい、顔に出さなくてもいいのにな…
そこは礼子さん、せめてもの配慮があってもよかったかもな…と思った。
そしておばあちゃんは言う。
「その、ゴミ箱がいっぱいになったから『それを空けてちょうだい』と頼んだのたけど、それすらも嫌そうな顔をして、"ゴミ箱の端を指先でつまむようにして"捨てにいったのよ」
「ああ…それは…。そうだったんだ…ちょっと悲しいね…」
この話を聞くと、悪意はなくて、どう対応したらいいのか分からずに戸惑っていた…ということではないのかもしれない。
もしかしたら、汚物入りのゴミ箱を触るのが「気持ち悪い」と思ったのかもしれないな…と、さすがに私も思った。
けれど、それをそのまんま彼女を責めることもできないし、
だからっておばあちゃんの気持ちに全乗っかりで、一緒に文句を言うこともできなかった。
「誰に看てもらうか……」
それは、互いにとってストレスのない人であることがベストだな…って思う。
それでも、できる限り、接した人に、惨めな気持ちはさせたくないな…と思う。私は。
*
「今日もおじいちゃんが、ドライブに行こう、と言い出して車に乗ったの」
おばあちゃんは無表情に言った。
……おじいちゃんはなにか、本能みたいなものを感じているのだろうか。
最近、おばあちゃんをドライブに誘うらしい。
「…ガタガタ道で…私は痛いんだけど…」
おばあちゃんは、嬉しさよりも、おじいちゃんの気まぐれに"付き合ってあげている"というように見えた。
おばあちゃんはこの日もいろんなお話をした。
趣味のゲートボール仲間のおじいちゃんがいるらしく、仲が良いみたい。
その趣味仲間のおじいちゃんの奥さんは、認知症で、ご主人のことをまったく分からなくなっているみたい…という話をしてくれた。
「でもね、ぺちゃくちゃよく喋るの。…喋り過ぎる男は好きじゃないわ」と言った。
……あれ。
私はなんとなく、
それはおじいちゃんの影響なんじゃないか…と思った。
おばあちゃんは、
「おじいちゃんは、向こうの村の女と浮気していたと思う。」
とも言っていた。
…おじいちゃんとおばあちゃんになっても、そういう世界があるのか…と内心思ったが、昔の話なのかもしれない。
だけど、そういう気持ちもあるんだ…と意外だった。
おじいちゃんもおばあちゃんも互いに、もう関心も情も、まったくないものだと思っていたから。
なんとなく…この最近になって、おじいちゃんとおばあちゃんがドライブに行ったり、二人で行動しているんだ…という、新しい「なにか」が私には見え始めていた。
_____。
そしてある日、
おばあちゃんが言った。
「おじいちゃんとね、散歩しよう…ということになって、歩いていたんだけど。石ころがあってガタガタした道だったから、
(よろけないように…)って言って、おじいちゃんと腕を組んだの…」と
おばあちゃんは自分の肘を曲げて腕を組んだようにして見せた。
「…へぇ」
私は、 (今、どういう気持ちで話しているんだろう)と思って表情を見ていた。おばあちゃんは、私が表情を読み取る前に
「…こんなのも悪くないな…って思った」と言った。
「…へぇ!」
「こうして寄り添って…」
と、おばあちゃんは、腕を組んだ時の様子をやって見せた。
なんかちょっとびっくりしたけど、くすぐったくなるような嬉しさが込み上げた。
昔の人だから、腕を組んだり手を繋いだり…そんなのを、やってこなかったのかもしれない。
なんだか少女のように初々しく見えて、かわいかった。
あんなに何十年も大嫌いで、家にもいつかないような感じだったのに、
リベンジするのを待ってカセットテープをずっと持っていたのに。
……人生、本当にどこでどうなるのかは、わかんないな…
そう思った。
ある休みの日。
私はココちゃんの家にいた。
「…この買ってきたケーキ一緒に食べよ」
「わ~!紅茶入れるね~」
「うん、ありがと!」
私たちは、たまに互いの家に行き来をしていた。
…それぞれ生活のスタイルやスケジュールを合わすのが難しくなっていた。
ココちゃんの彼氏のおじいちゃんも、大変な状態にあるということだった。
だから私たちは、そんなお話を、オンタイムですることができた。
「…おじいちゃんとおばあちゃん、最近なんか、距離が近くなったというか…。まぁ、介助が必要だから…ってのもあるんだろうけど、腕を組んで。
おばあちゃんはなんか『こんなのも悪くないみたい』って、付き合い始めのカップル…みたいな感じで…。
へぇ…!…こんなことってあるんだ…って思った。
あんなに大嫌いだったはずなのにって。
…人生、ほんと最後の最後まで、なにがあるかわかんないもんだな…って思った」と言った。
するとココちゃんは
「ほんと。…うちは、真逆で。
…彼のおじいちゃんとおばあちゃんは、若い頃からずっとラブラブだったみたいで。
足も速くて、「村一番の自慢のおじいちゃん」...って思っていたみたい。
…だけど、おじいちゃんが弱っていく姿を、受け入れられないみたい...。…もう喋れないし…。
おばあちゃんの態度がすっかり変っちゃって。
軽く叩いたりするみたい…。
みんなで食事の時、『…う"…う"~…』ってしか声を出せないのに、それをおばあちゃんは、「…こんな同情を誘うような声を出して!」って言って…。」
「え…」
「うん…。…私、それ聞いて、ドン引きしてしまって…」
ココちゃんは紅茶を口に運んだ。
「……」
「…あんなに仲良しで、周りからもラブラブ夫婦って思われていたのに…」
「そっかぁ…なんか…なんとも言えないね…」
「うん。…最後の最後にこれじゃあかわいそうだな…って」
「…そうだね…。…ほんと…なにがどうなるかなんて、わかんないね…」
*
ずーっと、何十年も互いに分かり合えず、大嫌いと思っていた夫婦が、
最後の残りの時間に、少しづつ距離が縮まっていく様子と
何十年も仲睦まじくいた夫婦が、現実のギャップを受け入れらず、
手のひらを返したように冷えていく夫婦…
その全然違うベクトルに進んでいるのを、同じタイミングで見ていることにも、とても不思議に感じた。
