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空に知られぬ雪と君は ~婚約破棄された令嬢は三年越しの初恋をやり直す~

    #創作大賞2026 #エンタメ原作部門 #少女マンガ #異世界ラブロマンス #恋愛

    あらすじ

    男爵令嬢ソフィアには三年間忘れられない初恋がある。
    公爵家の養子となる婚約者ハイネは輝かしい未来を捨ててでも「一緒に逃げよう」とソフィアに手を差し伸べた。
    けれどソフィアは、その手を取れなかった。
    愛していたからこそ彼の未来を奪いたくなかったから。
    そうして選んだ別れは、彼女にとって生涯忘れられない後悔となった。

    もう一度、誰かを好きになるために。
    過去の恋を忘れるためにソフィアは王立学園へ入学する。
    そこで再会したのは、公爵家の公子となったハイネだった。

    「今度はもう手放さない」

    三年の時を経ても変わらなかった彼の想い。
    終わったはずの初恋が、再びソフィアの心を揺らしていく。

    元婚約者。
    身分違いの恋。
    すれ違った三年間。

    一度は手放した恋を二人はもう一度始める――。
    切なく甘い学園恋愛ロマンスファンタジー。

    1話0節「空に知られぬ雪」

    私たちの恋は。
    空に知られぬ雪が舞うようで。
    ひらひらと散りゆく。
    手のひらにわずかな想いをのこして。

    1話1節「ソフィアの過去(夢の中)」

    ソフィア・ヴァレインは夢の中だとすぐに気づいた。
    何度も夢にみるいつだってソフィアをどん底にまで後悔させる出来事。
    すずしい夜風にのせられて花びらが舞いおりるそんな夜の日だった。

    「ソフィアといられるなら全部捨てるよ」

    夜空の星の下でバルコニーからハイネが手を伸ばしている。
    赤と青の混じった珍しい瞳。さらりと揺れる漆黒の髪。ルビーとサファイアが融合したような赤と青の二色の瞳。端正な顔立ちに髪の間から見える耳飾りが目を惹く。
    ハイネという少年がそこにいるだけで絵画のような美しさを創り出している。
    ソフィアは彼と婚約関係にあった。
    だけどハイネはイーゼンベルグ公爵家への養子縁組が決まっていた。養子縁組が決まるとあっけなくソフィアとハイネの婚約は破棄されてしまった。ヴァレイン男爵家とイーゼンベルグ公爵家では家格があまりにも差がありすぎたせいである。
    十二歳であるハイネはこれから王都へ向かい、成人するまでイーゼンベルク公爵家で跡取りとしての教育を受けて公子に相応しい待遇で迎らえられる。明日の朝には馬車で王都へと出立するはずだった。

    「家門なんてどうでもいい。俺と一緒に遠くで暮らそう」

    ハイネの言葉は涙が出るくらい嬉しかった。
    彼の手を取って、暗闇にまぎれて故郷を立ち去る。捜索が届かない辺境の町で同じ家で暮らせたらどれだけ幸せだろう。仕事から帰ってきた彼を出迎えて、ご飯を食べて、同じベッドで寝て、朝におはようと言い合うそんなありふれた生活。心の底からそうしたいと願った。
    だけどソフィアと違って、ハイネには輝かしい未来が待っている。
    王国でも五指に入る名門であるイーゼンベルク公爵家。その後継者に選ばれるなんて他に類を見ないチャンスだ。ハイネの努力と才能が運命の女神を振り向かせたのである。
    自分がその足を引っ張ってはいけない。
    ソフィアは伸ばしかけた手を強く握りしめた。

    「ソフィア?」
    「……ごめんなさい。行けないわ」

    ああ……ハイネの顔が戸惑いと悲しみにゆがんでいる。彼の顔を見ているのがつらい。だけどもう二度と彼の顔を見ることはできないかもしれないと思うと、片時も目を離せない。

    「どれだけ頑張ってもお兄様に手柄を奪われて嫌がらせもされて、子爵家では絶対に芽がでないと嘆いていたではありませんか。ようやく得られたチャンスを無駄にしてはいけません」

    本当は自分が怖かったのだ。
    ハイネの頑張りを知っていたからずっと見てきたから。輝かしい未来を全部捨てさせるなんて耐えられない。彼の大切なものを自分のために捨てさせるのが嫌だった。

    (私は臆病者だ)

    知らずのうちにソフィアの瞳から一筋の涙がこぼれてしまう。
    ハイネはその涙を見て差し出していた手を力なく下ろした。

    「誰かいるのか!?」

    見回りの使用人がバルコニーの階下から声をかける。声を聞きつけて他の人たちもやってきてしまうだろう。

    「もういって、ハイネ」
    「だめだ。こんな別れ方いやだ」

    階下がひときわ騒がしくなってきた。ソフィアの寝室の扉を叩くメイドの声も聞こえてくる。
    ソフィアは身を固めているハイネをそっと抱きしめた。

    「大好きよ。ハイネが公爵になるのをずっと応援しているから」
    「……ソフィア」

    ハイネの唇がソフィアのおでこに触れる。

    「俺も好きだ。君のことが世界で誰よりも」
    「……うん」

    こうしてソフィアの恋は終わりを告げた。
    一生に一度の恋だった。誰かをこんなにも好きになることはもうないくらいに。
    翌朝になってハイネはイーゼンベルク公爵家の馬車で王都へと出立する。
    ソフィアも婚約破棄された令嬢として新たな人生を歩まねばならない。事情があるとはいえ婚約破棄された令嬢と知られれば世間の目は冷たいだろう。
    より美しく、より愛嬌があり、より賢く。
    良家の男をつかまえて家門繁栄に貢献しなければ。
    婚活市場を売れ残った令嬢の末路は悲惨である。
    ソフィアは頑張る最中でふと思ってしまうのだ。

    あの時ハイネの想いに応えて一緒に逃げ出していれば。
    自分の人生はいったいどんな風になっていたのだろうか。
    切なくて悲しくて、どうしようもなくあの時の決断を悔やんでしまう。
    そんな気持ちで破裂しそうになってようやくソフィアは目を覚ますことができた。

    1話2節「婚約破棄された令嬢の新たな一歩」

    ソフィアは相乗り馬車の中で目覚める。本を読みながら眠りについてしまったらしい。
    まわりの人間はひどくがたつく粗悪な馬車の揺れにお尻をさすったり腰を叩いたりしているが、ソフィアはどんな場所でも本が読めるし眠れるのが得意技だった。

    (またあの夢)

    息をこぼして眉間にギュッと力をこめる。

    「学園前に到着します。お坊ちゃんお嬢様がた、降りる準備をなさってくださいな!」

    御者の張りのある野太い声と共に、馬車のベルが大きく続けて三回鳴り響いた。
    実家からの支援が期待できない貧乏貴族の学生たちは学園側が用意している相乗り馬車での通学をするのがお決まりの登校手段となっている。腰とお尻を痛めるのが嫌なら宿舎に入るのも一つの手だけど、宿舎は門限やルールもきびしくて学生には居心地が悪い。

    (お金がないというのは不自由で狭苦しいものね)

    ソフィアは手作りの栞を本に挟んで、席から立ち上がる。
    桃色の髪。薄い紫の瞳。可愛らしい桃色の髪をハーフアップにして後ろにまとめている。ソフィア本人は気分で編みこんだりリボンを変えたりしている。
    ハイネとの婚約解消から三年後。
    十五歳になったソフィアは王都へとやってきていた。

    1話3節「王立学園という名の縮図」

    ソフィアが通うルクシオン王立学園は巨大な統合施設でありこの国の縮図でもあった。
    在籍するほとんどの生徒が貴族の子息子女。
    貴族たちは領地のあるなしにかかわらず十五歳を迎える子息子女をこの学園に三年間在籍させなくてはならないと法律で決められている。
    加えて機械工学や魔法理論を勉励してきた優秀な平民の学生が難関試験に合格して入ってくる。
    彼らはこの国を支える次なる人材として最高難易度の教育訓練を受ける義務を課せられる。それに伴う立身出世の大きなチャンスを得られるのだ。
    最後に隣国エルデリアの交換留学生がほんのわずかにやってきている。
    隣国との戦争が終戦してから三十六年。
    国同士での交換留学が始まったのはここ数年の話。
    国際交流を経てお互いの文化を吸収しながら友好を深めるために行われている。大人たちからはこの国策に賛否両論があるらしい。
    ソフィアたち戦争を知らない世代からすると、交換留学生に物珍しさはあっても嫌悪感はとても薄い。むしろ興味の方が尽きなかった。

    貴族の子息子女。平民。隣国の留学生。
    次世代を担う若人が一か所に集められて、王国の管理下で教育を受ける。
    勢力争い・爵位・資本。さまざまな利権が絡みあって生徒たちの中でも三角型のヒエラルキー構造が組み上がっていた。
    特に女生徒たちは自分の将来のためにできるだけ良家の子息と仲良くなりたい。できれば在学中に婚約を決めたいと必死になっている。
    令嬢たちの花ざかりは一瞬だ。
    この学園にいる間に婚約が決まらなければ、あとは年配の殿方や曰くつきの貴族に引き取られるしかない。
    彼女たちはいつでも見目麗しく保ち、制服にはシワなんてひとつもない。髪はいつでも整っていて、お化粧もばっちりにする。授業の合間の休み時間はいつも化粧室が大混雑になった。
    ソフィアも男爵家の娘として婚活をしなければならない。
    ヴァレイン男爵家は田舎の貧乏貴族。子爵家の領地を代わりに管理している雇われの代官である。ソフィアの父はすずめの涙みたいな給料で働きっぱなし。土日・祝日・安息日だってない。

    (未来の旦那様をさがさないと)

    友達になった子たちは声を揃えて同じアドバイスをしてくれる。

    「「「昔の彼が忘れられないなら新しい恋をするのが一番!!」」」

    まったくその通りだと思う。

    「「「でも私たちも忘れられないくらいの恋がしてみたーい!」」」

    皆は大盛り上がりしているけど、ソフィア的にはあんな悲しい思いはもうしたくない。婚約破棄だって二度とごめんである。
    学園に入学してからおよそ二週間。
    まだまだ慣れないことばかりだけど、きっと新しい出会いが待ち受けているはずだし頑張らないと。

    「皆さん、おしゃべりはそこまでに」

    ソフィアのクラス担任であるロイド先生が教室に入ってきた。
    青い髪に分厚い眼鏡をつけた真面目そうな男性である。クラスメイトの情報によるとタルボット伯爵家の次男で二十六歳独身とのこと。魔法の研究一筋で上級生のご令嬢たちが猛アタックしてもふんわりとした態度でかわしているらしい。

    「今日の授業はいよいよ魔法の基礎を学びます。実技場へいきましょう」

    今までで一番張りきった声を出すロイド先生の指示でソフィアたちは教室を後にした。

    1話4節「三年越しの再会」

    魔法は専門ごとに体系化されていて一年生で習うのは基礎の理論と簡単な実技となる。
    魔法でも機械でも武芸でもなんでも才能があればある分だけ良縁に恵まれるので授業もやる気のある者が多い。
    特に魔法は見た目も華やかだし社会的な注目度も高い。そして使っていて楽しい。
    自然と授業を受けているクラスメイトたちにも熱が入る。
    今日の授業は手のひらで火を生み出す魔法だった。
    火の魔法は、魔力だけでなく空気を利用して燃焼を保てるので子供にも優しい入門魔法や教材として取り扱われている。
    慣れているものは一発で手のひらから火を生み出していて、続々と成功していく。

    「んっ…ぐっ…!」

    しかしソフィアが力んだり唸ったりしても、手のひらからはちっとも火は出てこない。
    それもそのはず。ソフィアは魔力がほとんどなく入試の測定では魔法適性Eランクと評価されていた。
    実は他の適性では良い評価を得ていたのだがそちらはあまり気乗りがしない。だからこそ魔法をがんばりたいと思っていたのだがどうにもうまくいかない。

    ソフィアが物思いにふけっていると、唐突に悲鳴が響いた。
    少し離れたところで大きな火の玉が膨れ上がっている。
    生徒の一人が調子に乗って魔法を暴発させてしまったらしい。
    火の玉は空気を送り込まれつづけている風船のように膨張していっている。限界まで膨らんだ火の玉はついにはじけ飛んで、あたりに散らばってしまった。

    「皆さん、伏せてください!」

    ロイド先生が水の防御魔法で生徒たちを守るが、ソフィアの方に飛んできた火を防ぐことはできず、火の玉が眼前にまで迫ってくる。
    とっさに顔をうつむけたその瞬間、背後から誰かがソフィアを抱きしめた。
    ソフィアを抱きしめた人影は片手を突き出して、風でできた鷹を飛翔させて火の玉をかきけした。魔法を動物に模って使役するのはかなりの高等魔法だったが、彼はなんなく使いこなしてみせる。
    ソフィアはその魔法に驚いた。なによりもその魔法を使っている人物を見て息を呑んだ。

    「ハイネ」

    ルクシオン王立学園に入学した以上はいつか出会うかもしれないと思っていたけれど、まさかこんなにも早くこんなタイミングで再会するとは思っていない。
    端正な顔立ちに漆黒の髪。
    ルビーとサファイアが融合したような赤と青の二色の瞳。
    忘れるわけがない。忘れられるわけがない。
    ハイネ・イーゼンベルクが今ソフィアの目の前にいるのだった。

    「…怪我はない?」
    「……」

    あまりの出来事に言葉が出てこない。
    じっとハイネを見つめたまま固まってしまったソフィアに、ハイネも困ったように頬をかく。それから彼はなにを思ったのか、おもむろにソフィアの頬を指でつまんできた。

    「あうっ」
    「聞こえてる?」
    「な、なにひゅるの」
    「怪我がないようで良かった。そろそろ離してくれる?」
    「えっ」

    ソフィアは自分がハイネにしがみつくような姿勢になっていることに気づく。気づいた途端に恥ずかしくなり顔を赤くしながら両手を離して一歩大きく後ろにさがった。
    後ろに下がってあらためてハイネを見る。昔と違って雰囲気が変わった気がする。大人びていて身長もぐんと伸びていて、前より一段と男性っぽくなっていた。

    「ソフィアさん、大丈夫ですか!?」

    ロイド先生が慌てて駆けつけてくる。

    「はい、大丈夫です。彼が守ってくれたので」

    ソフィアの視線の先にいるハイネをみてロイドが安堵の声をもらす。

    「君はたしかハイネ・イーゼンベルクさんだね。ありがとう。君がいるクラスと同じ時間で良かった」
    「いえ」
    「あんな高等魔法が使えるなんてすごいなぁ……いったいどうやって覚えたのかな?」
    「あの……お話の前に消火をした方がいいのでは?」
    「ああ。そうだった! 悪いけど手伝ってもらえるかい?」

    身長は百八十センチあるだろうか。大人のロイド先生と並び立つと良く分かる。ハイネは先生と一緒に残った火の始末に追われていて、こちらを向くことはなかった。
    クラスメイトたちがやってきてソフィアを取り囲む。心配の声をかけられるけど、ソフィアは上の空だった。事故に遭いそうになったことよりもハイネと再会したことの方がよほど衝撃的で、自分で思っているより百倍以上のインパクトを受けている。ソフィアはどうしようもなく心がざわついて仕方がないのだ。

    三年振りに出会ってしまった元婚約者。
    ハイネに会った途端、彼のことが大好きだったあの頃の気持ちがまた胸の奥からとめどなくあふれ出てきてしまっていたのだから。

    1話5節「もう昔の恋なんて」

    お昼休みになると、ソフィアはクラスメイトたちに囲まれての昼食となった。

    「ハイネ様とお近づきになれるなんてチャンスですよ」
    「やったわね、ソフィアさん」

    魔法事故で災難に見舞われたソフィアだったが、イーゼンベルク公爵家の公子であるハイネに助けてもらえたのは不幸中の幸い。禍を転じて福と為すであった。

    「お礼と称してデートに誘うのはいかがかしら?」
    「ちょっと早計じゃない?」
    「いいえ、そのくらい踏みこむべきよ」

    クラスメイトたちはお互いにお互いの恋をサポートすることでwin-winの関係を作ろうとしている。恩を売ったり売られたり。なにせこれから何十年もお付き合いをするかもしれない社交場の友である。もうすでに社交界は始まっているのだ。
    その中で一歩先んじてイーゼンベルク公爵家の公子とお近づきになれそうなソフィアは眩しく輝いてみえていた。
    しかし当の本人は微妙に浮かない顔をしている。

    (ハイネこそが婚約破棄になった私の元婚約者だと言ってしまう?)

    すごく気まずいことになりそうだし、あらぬ噂も立ちそうで嫌だった。ソフィアとハイネの婚約も婚約破棄も当時は箝口令(くちどめ)がされていたので、王都まで知られているとは考えづらいし、あえて自分から言いふらすことでもない。
    それに公爵家の公子になった彼の迷惑にもなりたくなかった。

    「私では身分があまりにも違いすぎます」

    ソフィアは笑みを浮かべてやんわりとクラスメイトの助力を断った。

    「そんなもったいないわ」
    「でもたしかに。男爵家と公爵家がいきなり親しくなったらやっかみも怖そう」
    「ライバルも多いでしょうしね」

    残念がるクラスメイトたちと一緒に昼食を食べ進めながらも、ソフィアの頭の中には三年振りに会ったハイネのことがよみがえってくる。

    (昔よりずっと成長していたな。男の子って三年であんなに変わるの? それに……すごく格好良くなっていた)

    自分の中でハイネとは関わらないと結論付けたはずなのに、気づけばハイネのことを考えてしまっているソフィア。新しい恋を探すどころか昔の元婚約者がパワーアップして目の前に現れるなんて想定外である。
    学園生活にこんなサプライズを望んでいたわけではない。
    嬉しいか嬉しくないかでいわれると……ソフィアにも分からなくて、今はまだ戸惑いの方がひたすらに大きい。

    「じゃあ気を取り直して、明後日の作戦会議といきましょう」
    「そうね」
    「明後日……?」
    「お忘れになったの? 明後日は新入生の歓迎パーティーじゃない」

    ソフィアはロイド先生がその話をしていたのを思い出した。
    学園内に建てられた多目的ホールをまるまる使った歓迎パーティーが開かれるのだ。これは実質的な学園内でのデビュタントになる。二年生や三年生ともお近づきになれるし、ダンスに誘われることもある。
    ここで成功をつかみ取れるかどうかは、今後の学園生活にも将来にも影響してくる大切な場だった。
    ハイネに再会してすっかり記憶が飛んでいたソフィアでもこの歓迎パーティーがとても大切なことは分かっている。

    (昔よりも今じゃない。明後日のパーティーで良い出会いを見つけなくちゃ)

    「……私、がんばります」
    「そうよ。がんばりましょう!」
    「とびきりのお洒落で武装するのよ」
    「ええ、もちろんですわ」

    たとえ殿方とお近づきになれなくても、明後日の歓迎パーティーで映える服装を着こなせない令嬢に社交界に立つ資格は無し。最強に綺麗で可愛い自分をここで披露できたら最高の気分になれると花ざかりの十五歳たちは心得ていた。
    ソフィアも皆の燃えあがる熱を感じて、気を引き締めることにした。

    1話6節「華やかな夜会と遠い背中」

    歓迎パーティーは上級生が新入生のために準備してくれた催しなどが行われる。
    音楽団に所属する先輩たちが楽曲を奏でている。
    騎士団に所属する先輩たちは外套や鎧を着て参加していて、勧誘活動なんかも賑わっている。
    お料理倶楽部などもあり、美味しそうな料理や飲み物の給仕まであって至れり尽くせりだった。
    淡い水色のドレスを身にまとうソフィアは、クラスメイトたちと共に夜会を大いに満喫していた。
    上級生や同級生、目まぐるしく色んな人と挨拶してお喋りをする。
    失礼がないように礼儀作法をこなすだけでも大変なのに、全員の名前や顔を覚えようとすればもうパンクしてしまいそうだった。

    (社交場ってこんなにもせわしないものなのね)

    そんな中でひときわ賑やかで人が集まっている場所がソフィアの目にも止まる。
    クラスメイトとお話をしていた先輩男子が肩をすくめた。

    「生徒会長である王太子殿下がいらっしゃっているんだ」
    「殿下が?」
    「それに今年はフィアリアが揃ったから余計に騒がしいね」

    フィアリア(四つの光)。それは王太子率いる四人組を指す言葉だった。
    王国を支える御三家と呼ばれる三つの公爵家。
    それぞれの公爵家の公子たちと王太子殿下が一堂にこの場に集まっているらしい。

    「新入生のハイネ・イーゼンベルク公子はあの年で高等魔法まで使えるんだってさ。イーゼンベルクに招き入れられるだけの才能があるよ」
    「わたくし見ました! 風でできた鷹が美しく翔けていてとても綺麗でした」

    御三家と呼ばれる公爵家。その内の一つであるイーゼンベルク公爵家は魔法に特化した家門だ。
    家門が受け継いできた歴代の魔法を習得できるものを当主とする。
    血筋よりも魔法の継承に重きを置いているため、才能があるものを外部から積極的に家門へ取り込んでいる。
    ハイネはその魔法の才能を見出されて、イーゼンベルク家の公子に選ばれたのだ。

    ソフィアの位置からも人だかりのすき間からハイネの姿がわずかに見えた。
    ハイネのそばには上級生・新入生もまざってたくさんの令嬢が立っている。誰もが彼の注意を惹こうと一生懸命で、ドレスも髪もお化粧もなにもかもきらびやかで綺麗だった。中には誰もが名前を知る有名家門のご令嬢もいた。

    「ハイネ様ったら大人気ね」
    「あの素敵な容姿で魔法の才能もあって公子様ですもの。誰だってお近づきになりたくなりますわ」

    クラスメイトの言う通りだとソフィアは思った。
    ハイネが努力家なことはソフィアが誰よりも知っている。きっと会えなかった三年の間も王都で血のにじむような努力を積み重ねてきたのだろう。

    (良かった)

    才能があるせいで子爵家ではお兄様から酷い仕打ちを受けていたハイネ。
    ようやく彼の実力が認められて、ちゃんと評価される舞台に立てられたんだと思うとソフィアは心の底から嬉しくてたまらない気持ちになる。今すぐハイネのそばにいって彼を褒めてあげたいけど踏み出しそうな足をこらえた。

    (私が近づいて変な噂になったらいやだ)

    ソフィアはソフィアで自分の恋を見つけると決めたのだ。
    だから今は目の前のことに一生懸命になろう。男子と話すのは慣れていないけど頑張らなくては。
    クラスメイトの輪に入ってソフィアはたくさんお喋りをした。可憐でほがらかな笑みを浮かべるソフィアの仕草に男子たちは気分を良くしたらしく、自慢話やらなにやらをいっぱい話してくれる。彼らの話のひとつひとつに一生懸命反応するソフィア。
    そんな彼女を遠くから見つめているハイネの視線にソフィア自身は気づけないでいた。

    1話7節「怒ってるとはちょっと違う?」


    ものの見事にソフィアは人酔いをしてしまった。
    バルコニーに出て夜風に当たりながらうなだれる。
    慣れない場で緊張しすぎたせいもある。
    クラスメイトがお水と薬を持ってくるといって医務室へと走っていった。今はその時話して一緒にいた上級生の男子生徒がソフィアのそばに付き添っている。

    「大丈夫?」
    「はい」

    男子生徒は気遣いの言葉をかけながら手すりにもたれかかっているソフィアの背中をなれなれしくさすった。
    瞬間、鳥肌が立って悪寒が突き抜ける。
    ソフィアは慌てて上級生から一歩離れた。

    「申し訳ありません。大丈夫ですから」
    「どうして? さっきから俺を誘っていたんじゃないの?」
    「なにをおっしゃるのですか」
    「本当は人酔いなんてしてないんでしょ? 二人きりになれたんだからさ。ね? 楽しもうよ」

    上級生は気安い笑みを浮かべながら距離を縮めてくる。
    彼からはうっすらと酒気の香りがしていた。歓迎パーティーとはいえどうやら良くない方向に羽目を外していたらしい。上級生が離れようとするソフィアの腕をつかむ。

    「離してください」
    「やだよ、困った顔も可愛いね」

    上級生の遠慮のない視線と声にソフィアの頭から血の気が失せる。
    怖い。こんな形に迫られるなんて思ってもいなかった。どうやってかわせばいいのかも分からない。
    その時、横合いから伸びてきた手が上級生の手首をひねりあげた。

    「いっ!?」
    「……先輩。みっともないですよ」
    「ハ、ハイネ公子」
    「いやがっている新入生に無理やり迫るなんて家門の名が傷つきますね」

    ハイネが手首を離すと、ひねられた手首をおさえながら上級生が後ずさりする。

    「べ、別にいいじゃないか。君の婚約者というわけでもないんだろう?」

    上級生の言葉にソフィアの心の傷がうずいた。昔の記憶が脈を打つように痛みをあげていたが、ソフィアの肩を優しくハイネが抱き寄せる。
    ハイネは上級生に赤と青の混ざった瞳を鋭く光らせて微笑みを浮かべてみせた。

    「だめです。この人は俺のですから」

    あまりにも甘くて率直な口説き文句に上級生もソフィアもその場で固まってしまう。
    ちょうど薬とお水を持ってきたクラスメイトたちが戻ってきて同じく驚いている。いったいどういう状況なのか分からない様子だった。上級生はバツが悪くなったのかなにも言わずにパーティー会場に戻ってしまった。

    「えっと……どういう状況なのですか?」
    「薬ありがとうございます。あとは俺が診ますから」
    「あっ……ああっ、そうですか、分かりました! ではソフィアさんのことお願いしますね!」
    「会場にはゆっくりと戻ってきてください。いいえ、ううん、戻ってこなくても大丈夫ですから! おほほっ!」

    クラスメイトたちは薬とお水をハイネに手渡すと足早にパーティー会場へと戻っていた。去り際にソフィアに親指を立ててみせる。
    ソフィアはクラスメイトたちの応援で顔を熱くなるのを自覚した。こんな形で彼と二人きりになるなんてまったく予想外のできごとが起きすぎている。
    顔を伏せるソフィアの目線にハイネの足が映った。

    「これ。飲んだ方がいい」

    ハイネは今なにを思っているのだろうか。どうして自分を助けてくれたのか分からない。

    (怒ってる……とはちょっと違う?)

    少し不機嫌でぶっきらぼうだけど優しい声。ハイネのそんな声を聞いていたら不思議と昔の自分に戻ったような気持ちになってくる。

    「……ありがとう」

    ソフィアは顔をあげて薬とお水をハイネから受け取った。

    1話8節「溶けることのない恋」

    バルコニーにはソフィアとハイネしかいない。
    春の涼やかな夜風が花びらの香りを運んできている。おだやかで優しくて少しだけ切なくなる。春はソフィアの好きな季節だった。
    パーティー会場から漏れる灯りと賑やかな声が遠くに響いている。薬を飲んだおかげでソフィアの人酔いもおさまったようだった。
    会場に戻らなくていいのだろうか、ソフィアはハイネの横顔を見つめた。
    彼はバルコニーの外の景色を見つめている。赤と青の瞳はいつみても綺麗だった。高い魔力を備えた特別な人間にしか発現しない混色瞳(アースカラー)。本当にハイネが隣にいる。もう二度とこんな時間は訪れないと思っていたのに。

    (なんだか夢みたい)

    夢ならば醒めないでほしい。実は婚約破棄なんてしていなくて、ソフィアとハイネは今も婚約者同士で仲が良くて。

    「落ちついた?」
    「う、うん」
    「今度からは気をつけた方がいいよ。ソフィアは無防備すぎる」

    でも甘くときめいていたのはソフィアだけだった。

    「愛嬌があってあんな可愛い笑顔を見せていたら勘違いする男だって出てくる。少しは自覚して反省した方がいい」
    「なっ」

    再会の言葉もなく待っていたのはお説教でソフィアはあぜんとした。
    もっとロマンチックな言葉を期待していたつもりはないけれど。それでももう少し言い方があるのではないだろうか。そんな風に思った。

    「助けてくれたことは感謝します。でもハイネ公子と私はもうなんの関係もないじゃないですか」
    「それ本気で言ってる?」

    ハイネの瞳がソフィアをまっすぐと捉えている。少し寂しそうに眉根を寄せて尋ねられるとソフィアも言葉に困った。

    「だって私たちの婚約は三年前に破棄されたでしょう」
    「だから関係ない? 俺を好きって言ってくれたのに」
    「それは……昔のことで」
    「今はもう好きじゃない?」

    ソフィアはますます困る。
    ずっと好きだった。嫌いになんかなれない。忘れようと努力しても夢に見てしまうくらい別れの時のことを後悔していた。あの時ハイネの手を取っていれば離ればなれにならずに済んだと悔やんでいたのだから。
    でもイーゼンベルク公爵家の公子となったハイネには男爵家の令嬢なんて相応しくない。

    「公子は私がどんな気持ちでお別れを言ったのか分かっていません」

    好きで、好きで、大好きだから。
    彼の輝かしい未来を自分のせいで捨てさせたくなかった。自分が傷つくのが怖くて、彼と別れることを選んだ臆病者なのに。

    「…分かってる。俺に諦めて欲しくてあんな風に言ったんだって」

    どうして今もそんな目で自分を見てくれるのかソフィアは確かめるのが怖かった。

    「でも今度は手放さない」

    ハイネがソフィアの髪を撫でる。優しくておだやかだけど有無をいわせない綺麗な凄みのある微笑み。女生徒たちから夢中にさせていた爽やかな貴公子の顔とも違う。三年前にソフィアの前で浮かべていた無邪気で明るい笑顔とも違う。
    夜空に浮かぶ月のように冷たくて美しい魔性の表情。
    ハイネの瞳からソフィアは目をそらすことができなくなっていた。

    「ハイネ」
    「そうだよ。公子なんてつけないで。もっと俺の名を呼んで?」

    ハイネとソフィアの唇が重なる。そっと触れるだけの口づけ。口づけをされたと気づいてソフィアの頬がみるみるうちに赤く染まっていった。

    「な、なな、なにをするの!?」
    「ソフィア。婚約者探しなんてやめなよ」
    「え、えっ?」
    「俺ともう一度婚約しよう」
    「ええっ!?」

    驚くソフィアとは対照的にハイネは晴れ晴れとした微笑みを浮かべている。

    「ずっと後悔していた。あの時こういえばよかったんだって。ソフィアに俺の全部をあげる。だから俺と結婚してほしい」

    新しい恋と将来の旦那様を見つけるために学園での新生活を頑張ろうと思っていた矢先に、元婚約者からまた婚約を申しこまれるなんて想像もできるはずもなく。
    もう諦めていたはずなのに。頭ではこんな身分差の恋が上手くいくはずないと理性が言っているのに胸の高鳴りは止められない。
    春になっても溶けることのない恋が嵐となって戻ってきたのだ。

    2話1節「最悪の誕生日」

    記憶力がいいことがソフィアの昔からの取り柄だった。
    どんなに昔のことでも色や音や触感に匂いから味まで思い出せる。
    普通の人の夢は記憶を整理するために断片を繋げて誇張したり改変したりするが、ソフィアの夢は過去に体験したシーンの完全再現になることが多い。
    良い夢なら気分もいいけど、悪夢の時は再現度の高さもあいまって最悪の気分だ。

    この時はソフィアを見下ろす子爵の青い瞳が特に印象的だった。
    ハイネに似た青い瞳がソフィアを憎々しげににらみつけている。
    ハイネの父親である子爵は40半ばの男性だった。端正な顔立ちながら赤ら顔でむくみっぽい。白目は黄ばみがかっており、いつも苛立っている。代官であるソフィアの父にもきつく当たることが多かった。
    この日はハイネの公爵家への養子縁組を祝うパーティーで、ソフィアは婚約者として代官で男爵である父と共に参加していたのだ。

    「婚約破棄だ!!」

    酒杯を片手に揺らしながら子爵は大声で叫ぶ。
    当然パーティーに参加している人たちからはどよめきの声が上がった。
    不安がるソフィアを守るように男爵が声をかける。

    「子爵様。いきなりなにをおっしゃるのですか」
    「ヴァレイン! お前の娘との婚約は今日をもって破棄する! ハイネは我が家からイーゼンベルク公爵家へ養子として迎えられた。公子となるハイネと貴様のできそこないの娘では釣り合わん」
    「この婚約は当人同士の同意があったものです。子爵様の一存で決めるのはいかがかと」
    「ほう……いつから私に口答えできる身分になった?」

    子爵の目つきがどんよりと暗くすわっている。
    勢いのまま子爵は酒杯を男爵の頭めがけて投げつけた。

    「ぐっ」
    「お父様っ」
    「代官風情が! だれが仕事を与えてやっていると思っている? お前の家を潰すのなんて造作もないと思え」

    このパーティーに出席しているのは子爵家の領地で生活を営むものばかり。だれも子爵の横暴に逆らえるものはいない。
    ソフィアは頭をおさえる父のもとに駆け寄る。
    自分のかわりに傷つく父を見るのは心が引き裂かれそうなくらいつらかった。
    近づいてきた子爵が膝をつくソフィアを見下ろしてくる。

    「ソフィア・ヴァレイン。たいした才能もない貧相な娘め。よくも私の息子をたぶらかしてくれたな」
    「たぶらかしてなどいません」
    「黙れ。お前のような不良娘との結婚など誰が認めるか。ハイネもお前との婚約をいやがっていたぞ」
    「…嘘です」
    「嘘なものか。今夜のパーティーに参加していないのが良い証拠だ。ハイネはお前とはもう顔も合わせたくないそうだ。あいつは私に似て賢いからな、王都の優れた良家の娘と結婚できると喜んで婚約破棄に賛成してくれたぞ」

    子爵は使用人が運んできた酒杯を奪い取って、その中身を勢いよく飲み干す。
    ソフィアは子爵が嘘をついていると思った。ハイネは絶対にそんなことを言わないと心から信じていたからだ。
    だけどこの場で訴えかけても意味はないことも理解できてしまった。

    (この場でいくら訴えても婚約破棄はくつがえらない。それどころかお父様の立場をさらに悪くしてしまうだけ……)

    自分の無力さにソフィアは悔しくて涙がこぼれた。
    そんなソフィアの涙をみて、子爵は愉快そうに大声で笑う。

    「はははっ! 泣くのくらいは許してやろう! 貧乏娘が公爵家に取り入れられなくて悔しがっているぞ! お前らも笑え! はははっ!」

    下品で粗暴な子爵の笑い声につられて周りからも嘲笑が響き続けた。
    その日は期せずしてソフィアの十二歳の誕生日でもあったが、人生で最低最悪の誕生日となったのは間違いがない。

    2話2節「身分差というものがあります」


    新入生歓迎パーティーの翌朝。
    ソフィアは最悪の夢から目覚めた。目の前に映るのはようやく見慣れてきた部屋の天井である。

    (いつまでもひきずっていてはだめよ)

    王都へやってきたソフィアはアパートメントの一室を借りて一人暮らしをしている。男爵家からの仕送りはあるものの、そう簡単に使っていいお金ではないので節約するに越したことはなく部屋にあるものは必要最低限になっている。
    ソフィアは身支度を手早く整えて学園へ登校した。

    教室の席へ座ると、クラスメイトたちが待っていましたと言わんばかりの勢いでソフィアを取り囲む。

    「ソ・フィ・アさん? 昨夜はいかがでしたか?」
    「ハイネ様とはうまくいきました?」
    「詳しく教えてくださいませ」

    ソフィアはたずねられて思わず顔を赤くしながら目をそらした。
    昨日の夜にハイネから言われた言葉を一言一句たがえずに記憶していたのだ。あの内容を誰かに話すなんてとても恥ずかしくてできそうにない。

    「なにもありませんでした」
    「嘘ですね」
    「なんて分かりやすいのでしょうか」

    イーゼンベルク公爵家の公子が入学早々に婚約を申し込んだなんて知られたら大きな騒ぎになるだろう。しかも相手は元婚約者で田舎生まれの男爵令嬢。
    きっと冷ややかな目で見られたり、良くない噂も流れたりしてしまうだろう。ハイネには周りからの嘲笑で傷ついて欲しくなかった。

    「本当になにもなかったのです」

    ソフィアが真剣な顔で伝えると、クラスメイトたちも少し声のトーンを落ち着かせる。

    「ソフィアさんがそこまでいうなら」
    「分かりました。昨日の夜のことは聞きません」
    「でも話したくなったら教えてくださいね」

    協定を結ぶ友ということもあって引き際があざやかだった。クラスメイトたちはすぐに他の話題に花を咲かせ始めて情報を交換し合う。

    「三年生のファレル侯子様とリリーナ様が…」
    「えっ!? うそっ!?」
    「どう? シャンゼリの新作なの」
    「素敵っ!」
    「明日お声をかけてみようと思うのです」
    「きっと成功しますわ」

    目まぐるしく交錯する情報の中で、ソフィアはハイネのことを思い出していた。
    昨日の夜、彼からの告白に返事をできずに固まってしまったソフィア。
    ハイネは急かすこともなく「今夜は伝えるだけにしておく」と言った。一緒にパーティー会場に戻ってからはハイネも上級生や同級生にすぐに囲まれてしまい忙しそうにしていて別れることになって、話はできなくなってしまった。
    あの場で返事をしなければいけなかったらどうしていただろう…。
    ソフィアはまたあり得ない未来を想像している。

    (これじゃあ三年前と一緒だ)

    自分の気持ちに蓋をして肝心なことを伝えられていない。

    (ハイネと話したいな)

    三年間どうしていたのか。王都での暮らしはどうだったのか。公爵家での魔法の訓練は大変じゃなかったのか。久しぶりに会えて嬉しかったことや身長が高くなっていて驚いたことや格好良くなっていてドキドキしたことや色々話したいことはたくさんあるのに。
    ソフィアはため息を小さくこぼす。
    結局頭の中はハイネのことばかりになっていて、他になにもかんがえられなくなっている。
    このままではだめだと思っていると、チャイムが鳴り響き教室にロイド先生が入ってくるのであった。

    2話3節「せめて今だけは」

    放課後になって教室を出たソフィアたちを、上級生たちの集団が待ち受けていた。
    上級生の集まりで廊下にはもはや壁ができており、進むのも困難なほどだった。
    同じく教室を出てきたロイド先生がため息をこぼしながら注意喚起をする。

    「今日から俱楽部活動の勧誘と入部が解禁されました。皆さん入部希望の倶楽部があるなら無事にたどり着くようにしてください。あと上級生は強制勧誘したら違反ですからね」

    ロイド先生はそれだけ言い残して、我先にと人だかりをくぐり抜けていく。こういうところは本当に淡泊な人だなとソフィアたちは思った。

    「ぜひ弓射騎士団に入らないか。君は弓のスキル適性が高いと聞いているよ」
    「薬学の適性があるのよね。私たち薬草研究会に興味はない?」
    「われら蒸気倶楽部はいつでもメンバーを募集中だ。機械工学の適性を高めるのにうってつけだ」

    ソフィアたちが生まれるよりずっと前にこの王国では対象の適性を測ることができる魔法が発明された。この魔法が国家規模で導入されたことで、貴族や一般人にかかわらず国民はなにをするにしても適性を測られてから物事を決められることが多かった。
    適性の高い職業や進路を目指せば、おのずと失敗することも少なくなる。逆にいえばわざわざ適性の低い道を選ぶものも減ってしまった。この魔法の導入に関しても最初は賛否両論があったけれど、ソフィアたちの世代にとってはごくごく当たり前の常識となっている。
    自分に向いているものを選ぶ、適性の高い将来を選ぶというのが現代的な考えだったけど、ソフィアは自分のとある能力による適性値の高さをあまり好きにはなれていなかった。
    周りのクラスメイトたちが次々と勧誘を受ける中で、ついにソフィアにも白羽の矢が立ってしまう。

    「あなたがソフィア・ヴァレインさんでしょう?」
    「…は、はい」
    「どんな物事でも頑張れば記憶できる記憶能力者。薬草研究会に欲しい人材だわ」
    「いや、うちの騎士団の軍師兼マネージャーとしてぜひ」
    「われら蒸気倶楽部なら君の才能をぞんぶんに活かせるぞ」

    記憶能力。
    それがソフィアの適性を底上げしている固有能力。頑張ればなんでもそれなりに記憶できるソフィアの固有能力を評価するならばA-ランク。かなり希少性の高い特殊スキルだった。でも真価を分からない人にとってはがらくたにも感じられる能力。
    今のソフィアはどこに所属するかで染まり方も変わる白無垢の布そのものである。上級生たちの目つきが先ほどよりもさらに鋭くなっているのがソフィアにも感じ取れた。
    じりじりと近づいてくる上級生たちの威圧感に耐えきれなくなったソフィアが脱兎のごとく逃げ出した。

    「申し訳ありません。勧誘は間に合っています!」

    追いかけてくる上級生たち。
    あまり強くものごとを断れなそうなソフィアの性格も見抜かれたのか、優秀な人材を逃さんとする執念を燃やす上級生たちの勢いはすさまじかった。
    適性が高いというのは不幸もはらんでいる。本人の意思とは関係なく周りがその人を担ぎ上げてしまうことが往々にあるから。

    (入りたい倶楽部があるのにどうしよう)

    ソフィアは息を切らせながら走る。
    追いつかれてしまったら、あの数を全部断ることができるだろうか。
    ソフィアの入部したい倶楽部は勧誘には積極的というわけではなく、あの中には倶楽部の人はいない様子だし、追いかけてくる上級生たちを振り切るのは無理だ。ソフィアの体力は人並みである。

    曲がり角をまがったところで足がもつれてしまった。
    まずいと思った時には体は傾いていて床に転びそうになってしまう。
    正面にいた誰かが転びそうになったソフィアの体を受けとめてくれた。
    見上げるとそこにはハイネがいた。

    「ハイネ」
    「……追われてるの?」
    「う、うん」
    「ソフィア。助けてもいい?」

    尋ねられたソフィアは心がしめつけられて切なくなる。どうして彼は自分が助けを必要としている時に現れてくれるのだろうか。
    ハイネは迷うことなく魔法で風のカーテンを発現させた。光を屈折させて周囲の背景を透過させる風のカーテンがソフィアとハイネを包みこむ。

    「あれ? どこにいった?」
    「探しましょう、そんなに遠くには行ってないと思う」

    たくさんの足音が通り過ぎていく。
    ソフィアはハイネに抱きしめられるような形で風のカーテンの中で息をひそめていた。

    「ごめん。返事を聞く前に使っちゃった」
    「ううん、ありがとう」
    「まだこの中にいた方がいい」

    ハイネの声が頭の上から聞こえてくる。三年前とは違う少し低くて重い声。

    「声変わりしたんだ」
    「そうかも。おかしい?」
    「おかしくない……素敵な声だと思う」

    「ソフィアは髪伸ばしたんだな」
    「うん」
    「可愛い。似合ってる」

    あの頃のように優しい笑顔を浮かべるハイネ。
    会えなかった時間で変わったものを一つ見つけるたびに驚いて、それをまた記憶していく。変わっていないところを見つけて安心して嬉しくて。変わったところも変わっていないところも全部が好きだった。
    この胸の高鳴りがハイネに届いてしまうのではないかと、恥ずかしくて緊張してしまう。

    「昨日の返事」
    「ん?」
    「聞かなくていいの?」
    「まだ聞かないでおく」

    ハイネの指がソフィアの頬をつまむ。ソフィアが困った顔をしているといつもそうして頬をつまんでくるのだ。頬に触れてくるその指の感触にふしぎと落ち着いてしまう。
    でも落ち着いていられる状況でもないことをソフィアは思い出した。
    上級生による倶楽部勧誘はしばらく続くだろうし、入りたい倶楽部があるならすぐに入部した方がいい。
    ソフィアは昔から読書が好きで、学園内にある巨大図書館を探求する図書倶楽部に入りたいと思っていたのだがはたして無事にたどり着けるのだろうか。

    「図書倶楽部」
    「え?」
    「ソフィアが入りたい倶楽部。違う?」

    ハイネのなんでも知っているという顔に恥ずかしいやら悔しいやらでソフィアは眉根を寄せた。そうするとハイネは嬉しそうに顔をほころばせる。

    「昔から本好きだもんな」

    今はっきりと子爵家の令息だった頃のハイネと今のハイネが重なってみえた。
    カーテンの中ではソフィアとハイネだけの世界だった。身分などなく、ただの二人でいられるつかの間の空間。今だけはまわりの目を気にしなくてもいい。誰にも見られず誰にも批判をされない。
    ハイネはカーテンを使ったままソフィアを図書館まで案内してくれた。人通りもなくなり、もうカーテンを取ってしまっても大丈夫だったけれどソフィアもハイネもそのことに触れることはなかった。

    (せめて今だけは)

    ソフィアの足取りはいつもより少しだけゆっくりだった。

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