後ろめたさの活かし方
新シリーズ「感情の哲学」の第1回目となります。
ふと、昔の部下とのやり取りが頭に浮かぶことがあります。
「あの時、ちゃんと話を聴いてやればよかったな」
「本当は任せたくなかったけど、強く言えなかったな」
そんな、胸の奥がチクッと痛むような感覚。
誰にでもあるかと思います、こうした後ろめたさ。
かつてはできなかったこと、逃げたこと、傷つけたこと。
立場が上になればなるほど、責任の大きさに比例して増えていくものかもしれません。
けれども最近では、この「後ろめたさ」は、自分を責めるための罰ではなくて、次に進むための糧なのではないかと考えるようにしています。
もうそれぞれ25年以上前の出来事となりますが、私自身「あの時、あの言葉をかけていたら」という忘れられない出来事が二つあります。
ひとつは、所長になって2年目の頃の話です。
今では考えられませんが、入社して3年目くらいで2拠点の拠点長を兼務していました。
しかも、夜間巡回型の訪問介護と訪問入浴の兼務で、夜勤後の入浴業務、入浴業務後の夜勤と、あの頃は本当に休まずにずっと働いていた気がします。
そんな中ある日、入浴のスタッフから報告がありました。
あるチームが、お昼休みに焼肉屋に入って飲酒をしていたというのです。
チームの特定ができたので、該当する3名のスタッフにヒアリングしたところ、昼食後に訪問予定であったお客様が連続してキャンセルが入り、大幅に空き時間ができたため、たまたま昼食をとるために入った焼肉屋で「ついビール1杯だけ頼んでしまった」と看護師1名が白状しました。
他の2名は「運転もあるし業務中だし飲んではいない」との主張でしたが、看護師の行動を黙認していたのは間違いがなく、他のメンバーからは「本当に飲んでいないのかも疑わしい」との声が噴出していました。
結局、事実を認めた看護師は私の目の前でシフト表を破って、その勢いのまま辞めていかれたのですが(真夜中にその旦那から電話がかかってきて脅迫されたというのも今では懐かしい思い出です)、拠点の中には疑心暗鬼の空気が醸し出され、ひとりまたひとりと退職者が続出しました。
思えば、その疑いのかかったうちの1人が、私の右腕的な役割を帯びており、その際には彼のことをかばってしまった私がいたのですよね。
それによって、もっと信頼していたオープニングの時から一緒に働いてもらっていた大切な仲間を複数人失うことになってしまいました。
「疑わしきは罰せず」とは言うものの、チームとして組織としての正しい運営を考えたならば、今なら間違いなく別の判断をしていたのに、というのがこのエピソードです。
もうひとつは、それからしばらく経っての異動先の拠点でのこと。
ある程度経験も積んでいて、退職者も1年間ひとりも出さずに、自分で言うのもなんですが脂が乗っていた頃です。
もっとも今思えば、調子に乗っていた頃と言い換えることもできるのですよね。
仕事とは直接関係なかったのですが、少し頼りなかった若い女性スタッフが、化粧品の通販業者に高い支払いを請求されるも、今のままの給料ではとうてい支払うことのできる額ではないため、会社を辞めて風俗で働くことにしたという相談でした。
私も彼女もまだ若かったですし、クーリングオフ制度も今ほど厳しくなっていなかったのと情報も少なく、マルチ商法などもまだ生きていました。
当時はインターネットの黎明期で、私自身もネットサーフィンをしていたら知らないうちにダイアルQ2に接続されてしまい、海外の知らない業者から10万円もの請求をされて不安を感じつつも、わけも分からずに請求通りに支払うという詐欺にあっていた時期でした。
もっと知識や情報があれば、彼女のためにできることがあったかと思うのですが、その時はただただ彼女の覚悟を受け入れると同時に、久しぶりの退職者が出ることを見過ごすことしかできなかったというエピソードです。
これだって今なら、できることがもっとあったのは分かっています。
実際にその後には、借金を抱えていたスタッフに、返ってこないことを覚悟してお金を貸したことが一度ならずともあります。
これらの後悔がずっと心に残っていて、それ以来、スタッフの変化の兆しにはとことん向き合うようになりました。
「今ここで向き合わなければ、また後悔する」
そう思うと、手間も時間も、惜しいとは思わなくなりました。
人は本当にどうでもいい相手には、後悔しません。
自分の過去を正当化する気はさらさらありませんが、後ろめたさを感じるということは、むしろ「心がそこにあった」という証拠でもあります。
アドラー心理学の目的論では、「すべての行動と一部の感情には目的がある」とされています。
その裏には、誰かを大事に思う気持ちが隠れていたとしても、その目的が時には「自分を守ること」になってしまったこともあったかと思います。
あのとき強く言えなかったのは、自分の言葉で誰かを傷つけてしまうのが怖かったから。
でも、本当に怖いのは、「言わなかったこと」が後になって、もっと深く誰かを傷つけてしまっていたかもしれないということ。
後ろめたさには、これまでの自分の在り方への重いメッセージが込められています。
「あなたは、もっといい影響を与えられたはず」
「その想いは、今度こそ、ちゃんとかたちにして届けることができるはず」
つまり、後ろめたさとは「関わり方の不完全燃焼」の表れなんですよね。
人生は「取り返しがつかないこと」の連続です。
けれども、取り返せないことから、学ぶこともできるはずです。
過去の後悔を、これからの「誰かのための行動」に変える。
そうすることで、あの痛みは無駄じゃなかったと気づける。
介護の現場でお客様やそのご家族、そして日々ケアを提供してくれているスタッフに向き合う前に、まず向き合うべきものがあります。
その対象こそ、自分の持っている後ろめたさ。
それこそが、「これから先は向き合う相手への関心を諦めない」という決意であり、過去を責めるのではなく、未来に活かすという覚悟なのだと思っています。
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