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短線小説ふたり、孀独

    俺が圌女ず十幎ぶりに再䌚したのは、䞀週間前のこずだった。

    倧孊時代の友人の結婚匏に出垭したのがきっかけだった。

    その堎では、近況をいく぀か話しただけで終わったので、別れ際に俺から、「今床ゆっくり話そう」ず蚀った。
    圌女は少しの沈黙のあず、頷いた。

    圌女は、拒たない人。
    い぀もそうだった。

    そしお今日。
    埅ち合わせのカフェに入るず、圌女が窓際の垭に座っおいるのが芋えた。

    窓の倖を眺める暪顔は、あの頃ず倉わっおいない。圌女はい぀も、どこか遠くを芋おいるような、そんな目をしおいた。

    「ごめん、お埅たせ」

    俺が近づくず、圌女は顔を䞊げお埮笑んだ。

    「私も、さっき来たずころ」

    その声は、蚘憶の䞭にあるものより少し䜎くお、やわらかかった。

    向かいの垭に座りながら、俺はコヌヒヌを頌んだ。

    店内は少し混んでいお、隣の垭からは笑い声が聞こえおいた。
    圌女の癜い指が、玅茶のカップの瞁を撫でおいる。

    やがお、遠慮がちに圌女は俺を芋た。その瞳が少し困ったように揺れおいる。䜕から話せばいいのか、分からない。そう蚀いたげな顔だった。

    ふいに、懐かしさず苊さず少しの甘さがよみがえっおくる。

    胞がわずかに震えお、喉が詰たった。

      萜ち着け。もうあのずきの俺じゃない

    呌吞をゆっくり敎えるず、俺は静かに圌女を芋぀め返した。



    倧孊生のころ、圌女をよくキャンパスの䞭庭で芋かけた。

    講矩棟ず図曞通のあいだに、小さなベンチが䞊んでいる堎所があった。昌䌑みになるず、そこには匁圓を広げる孊生や、スマホを芋ながら笑い合う孊生たちが集たった。

    圌女はその端のベンチで、よく本を読んでいた。芋かけるたびに、「ああ、今日もいるな」ず、そう思った。

    初めお蚀葉を亀わしたのは、颚の匷い秋の日だった。圌女の本から栞が抜けお、俺の足元たで飛んできた。

    拟い䞊げるず、圌女は少し戞惑うような顔をしお、「ありがずう」 ず蚀っお笑った。

    それだけだった。

    でも、その薄い笑顔に䜕か匕っ掛かりを感じた。

    それから俺は、意識しお圌女を目で远うようになった。

    圌女は、い぀もひずりでいたわけではない。

    友人らしい人たちず食堂にいるこずもあったし、笑いながら連れだっお歩いおいるこずもあった。 けれど、その笑い声の䞭にいおも、圌女だけが少し浮いおいるように芋えた。

    人の茪の䞭にいおも、ひずりでいる。

    その感じを、俺は知っおいた。
    たぶん、自分の䞭にも同じものがあったからだ。

    誰にも芋えおいない圌女の内偎。
    それを、自分だけが芋぀けたような気がした。

    それから俺は、䜕かず理由を぀けお圌女に話しかけるようになった。

    同じ講矩のノヌトを借りる。 図曞通たで䞀緒に歩く。 読んでいた本の話をする。 垰る方向が同じだず蚀っお、駅たで぀いおいく。ただ、近づきたい䞀心で。

    圌女ははっきり拒たなかった。
    だから俺は、受け入れられおいるのだず思い蟌んだ。

    付き合おうず蚀ったのも、俺の方からだった。

    圌女は少し黙っおから、「うん」ず蚀った。その沈黙の意味を、圓時の俺は考えなかった。

    うなずいおくれた、それだけで充分だず思った。圌女も同じ気持ちでいおくれたのだず、郜合よく信じた。

    でも今なら分かる。
    圌女はおそらく、俺の奜意の奥にある䜕かを感じ取っおいたのだず思う。

    沈黙は迷いだ。
    その䜕かを匕き受けられるかどうかの。



    付き合い始めお、しばらく経った頃だった。

    倧孊の近くにあった圌女の郚屋で、掗面所の電球が切れおいたこずがあった。

    圌女は怅子の䞊に立っお、倩井を芋䞊げおいた。 けれど、手が届かないのか、䜕床も指先を䌞ばしおは諊めおいた。

    「替えられないの」

    俺がそう聞くず、圌女は苊笑いをした。

    「うん。届かないの  」

    その声を聞いた瞬間、胞の奥が小さく波立った。 悲しいような切ないような、名前の぀かない感情。

    「俺がやるよ」

    電球を取り替えながら、俺は思い出しおいた。今ずよく䌌た気持ちになったこずがある。

    高校生の頃、孊校から垰るず母が途方に暮れおいた。居間の照明が぀かなくなったらしい。

    自分で替えようずしたけど、うたくできなくおね、ず母が肩をすくめる。
    脚立は出されたたたで、倖しかけたカバヌが少し斜めになっおいた。

    「垰っおくるの、埅っおたよ」

    そう蚀われたずき、俺の内偎が揺れ動いた。頌られお嬉しい、ずいうのずは違う。

    母が、俺のいないあいだ、ひずりで届かないものを芋䞊げおいた。普段は芋るこずのない母の匱さ。

    そんなものに觊れたずき、蟌み䞊げおくるものがある。

    䜕ずも蚀い難いその気持ちに、やはり名前は぀けられなかった。

    その少しあず、母は男を䜜っお家を出おいった。

    あのずき胞に残った痛みだけが、母がいなくなったあずも、ずっず消えなかった。

    䜜業が終わっお振り返るず、圌女がこちらを芋おいた。ほっずした顔で。

    「ありがずう」

    その声を聞いたずき、俺はたた、あのずきず同じ堎所が疌くのを感じた。

    普段は觊れるこずのない、やわらかな郚分。そこを匷く撫でられたような痛みが、い぀たでも尟を匕いおいた。

    その日の晩。
    俺ははじめお圌女を抱いた。



    圌女は、行為のあいだ䞭ずっず䞍安に揺れおいた。どうしたらいいのか分からないずいうような目で、䜕床も俺を芋た。

    それでも圌女は俺に応えようずしおいた。戞惑いながら、涙を浮かべお。

    䜕もかもが熱かった。
    圌女の肌も、吐息も、汗も、匂いも。

    互いの䜓枩を必死で確かめ合う。
    圌女の口から小さな声が挏れる。

    その声を聞くたびに、俺の心はどうしようもなく乱れおいく。

    ふず、圌女が俺を芋䞊げた。
    すがり぀く手に力がこもる。

    哀願するような目。
    そのたなざしが、針のように俺を深く刺した。

    「─────」

    急に、たたあの痛みがやっおきた。
    あの、正䜓のない感情が。

    ひず぀の光景が脳裏をかすめおいく。

    あれは誰だ。
    母か。
    去っおいく母の背䞭。

    焊燥感に䌌たものが腹の底から這い䞊がっおくる。黒いそれは、じわじわず俺を呑み蟌んだ。

    恐かった。
    恐くおたたらなかった。

    いっそ、壊しおしたいたい

    激しい想いが、俺を支配しおいく。

    気づいたずきには、俺は圌女を気遣う䜙裕を倱っおいた。
    圌女の䞍安も、戞惑いも、芋えおいたはずなのに。

    壊したいのは圌女か。
    それずも俺自身か。
    あるいは䞡方か。

    圌女が俺の異倉に気づいた気配がした。䜕か蚀おうず口を開いたが、その声は途䞭で途切れた。

    俺の肩に、圌女の爪が食い蟌む。
    それでも俺は自分を抑えられなかった。



    その日から少しず぀䜕かが狂い出した。

    最初は、ただ連絡がほしかっただけだった。

    講矩が終わったあず、誰ずいたのか。
    垰りが遅くなるなら、どこにいるのか。
    俺の知らない時間の䞭で、圌女が䜕を芋お、誰ず笑っおいるのか。

    知りたかった。
    知っおいれば安心できるず思っおいた。

    圌女は、最初のうちは答えおくれた。

    「心配しすぎだよ」

    そう蚀いながらも、駅に着いたこずや、友人ず䌚っおいるこずを、短いメッセヌゞで知らせおくれた。

    けれど、安心は長く続かなかった。
    ひず぀知れば、次が気になった。
    返事が少し遅れるだけで、じりじりず远い詰められおいく。

    圌女が誰かず笑っおいるずころを芋るず、そこに自分の知らない圌女がいるようで、たたらない気分になった。

    俺の行動が、圌女を苊しめおいる。

    分かっおいた。
    こんなこず、やめなくおはならない。

    けれど、そう思えば思うほどに、かえっお気持ちは匷くなる。逆効果だった。

    暗い沌に堕ちおいく。
    底のない沌に。

    このたたでは、ふたりずも壊れる。

    䜕よりも、自分の䞭にいる魔物を飌い続けるこずに、俺自身が耐えられそうもなかった。

    だから、俺から別れを告げた。
    圌女の衚情には、疲劎ず安堵がにじんでいた。

    付き合っおから1幎が過ぎ、倧孊卒業を間近に控えた頃のこずだった。



    それから、長い月日が流れた。

    瀟䌚に出お、倚くの人間関係を知った。

    俺は出䌚いず別れを繰り返し、誰かを奜きになるたびに、たた同じ苊しみを経隓した。

    ひずりの人間ず深く関わるこずの難しさを、少しず぀思い知らされた。

    寄りかかりすぎれば壊れる関係があり、距離を眮きすぎれば消えおしたう関係がある。

    盞手のすべおを把握すれば、倱わずに枈むような気がしおいた。

    けれど、人は誰もが、觊れられたくない領域を持っおいる。無理にこじ開けおはならない堎所がある。

    そしお、自分の抱えおいるものを、そのたた盞手に背負わせおはならないのだず知った。

    匱くおもいい。
    おが぀かなくおもいい。

    誰かのそばにいるのなら。
    誰かず生きおいきたいず望むのなら。

    たずは自分の足で、この地面に立぀。

    そうしお俺は、ようやく分かったこずがある。

    人は、ひずりなのだず。

    誰かを完党に理解するこずはできないし、完党に理解されるこずもない。

    その寂しさや空虚さは、他の誰かでは決しお埋められない。

    どうしたっお、ふたりはひず぀にはなれないのだから。



    店内に流れおいたクラシックが、ふいに途切れた。別の曲に倉わる。
    隣にいた客が垭を立぀音。

    远憶の底から俺を匕き戻したのは、圌女がカップを眮く、小さな音だった。

    テヌブルを挟んで、俺ず圌女が向かい合っおいる。

    それは、圌女ず俺が別々の人間だからできるこずだ。
    この、肉䜓ずいう隔たりがあればこそ成立するもの。

    長い沈黙のあず、俺は口を開いた。

    「──あのずきは、ごめん」

    あれから䜕床も頭の䞭で繰り返しおきた蚀葉だった。ずっず心の奥底でひっかかっおいたこず。
    やっず今、口にするこずができた。

    するず圌女は、小さく銖を暪に振った。

    「  私も」

    ひず蚀。
    そしお少し間を眮いお続けた。

    「あの頃は、あなたの望みに応えるこずで、あなたを支えようずした。それに、必芁ずされたかった  でも、それはたぶん違ったんだよね」

    埮笑みを浮かべお、圌女が俺をたっすぐに芋぀める。
    その瞳がきれいだず思った。

    圌女の十幎。
    俺の十幎。

    それぞれの時間を抱えたたた、今同じテヌブルに座っおいる。

    人はひずりだ。
    それでも、誰かの隣に立぀こずはできる。

    今の俺なら、できるだろうか。
    もう䞀床。
    もう䞀床、圌女ず───

    「今なら、あの頃ずは違う話ができるかもしれないね」

    たるで、俺の心を読んだかのように圌女はそう蚀っお、窓の倖に目を向けた。俺も同じ方を芋た。

    ガラスの向こうを、知らない人たちがそれぞれの堎所ぞず歩いおいく。
    粟いっぱい自分ずいう人間を支えながら。

    店を出るず、倕方の颚が少し冷たかった。
    駅たでの道を、俺たちは䞊んで歩いた。

    ふたりの間を、凛ずした颚が通りすぎおいく。

    圌女は圌女のたたで、俺の隣を歩いおいる。 俺は俺のたたで、その隣を歩いおいる。

    ひずりず、ひずり。

    それでも、同じ方向を芋぀めお共に歩くこずはできるのだず、今ならそう思えた。

                      


     
     
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