
【テクノロジー浪漫譚:第五夜】PCエンジンCD-ROM²から始まったマルチメディア黎明期!90年代前半に花開いた夢とハードウェアの群雄割拠
はじめに:マルチメディア黎明期の熱狂
皆さん、こんばんは!アラフィフITサポートエンジニアのはでさんです。
「テクノロジー浪漫譚」、第五夜となる今回は、PC-Engine CD-ROM²が登場し、本格的なマルチメディア時代が幕を開けた90年代前半に焦点を当てたいと思います。
この時代は、様々な新しいハードウェアが次々と登場し、まさに夢と熱気に満ち溢れていた時代でした。
家庭用ゲーム機の進化:PC-Engine CD-ROM²とSEGA MegaCD
同じゲーム機陣営では、SEGA メガドライブの周辺機器としてMegaCDが登場しました。
代表的なタイトルとしては「シルフィード」が挙げられます。プリレンダリングされた3D CG空間を駆け抜けるオーソドックスなシューティングゲームでしたが、その映像表現のインパクトは相当なものでした。
当時のゲームファンにとって、家庭用ゲーム機でここまで美しい映像が楽しめるのかという驚きは忘れられません。
日本がリードしたマルチメディア技術:家庭用ゲーム機の功績
PC-EngineとMega-CDといった家庭用ゲーム機という、比較的手軽な環境(といっても当時の価格としては高価でしたが)で、日本がマルチメディア界隈を盛り上げ世界をリードしていたという点は、特筆すべきでしょう。
この家庭用ゲーム機の環境において、数多くの革新的なマルチメディアタイトルが発売され、後のゲーム業界、ひいてはデジタルコンテンツ業界全体に大きな影響を与えました。
私は、家庭へのマルチメディア普及に大きく貢献したのは、日本の家庭用ゲーム機メーカーだったと考えています。
時代のキーワード:マルチメディアとインタラクティブ
また当時、「マルチメディア」というキーワードと並んで「インタラクティブ」という言葉が注目を集めました。
NHK特集などで関連する番組も制作された記憶があります。視聴者が能動的に関わるコンテンツ、まさに現在のデジタルコンテンツの 先駆け と言えるでしょう。

ハードウェア群雄割拠時代:1990年〜1994年の潮流
1990年〜1994年頃にかけて、海外、国内を問わず、このマルチメディア、インタラクティブというキーワードに乗って、様々なハードウェアが発売されました。まさに百花繚乱の時代でした。
海外の挑戦者たち:CD-iの登場
CD-i(コンパクトディスクインタラクティブ)に対応したハードウェアが1990年ごろから海外で発売され、1992年には日本でも発売を開始しました。しかしながら、前述の通りPC-Engine CD-ROM²、Mega-CDが既に先行しており、静止画中心で紙芝居のような印象のコンテンツでは、市場に食い込む余地はあまりありませんでした。
個人的注目:コモドールCDTV
当時、私が個人的に注目していたハードウェアの一つに、コモドールのCDTVがありました。映像表現に強みを持つ同社のパソコン「Amiga 500」をベースに、一般消費者向けのマルチメディア機として発売されました。1992年当時、16万円という価格はパソコンとしては比較的安価でしたが、ゲーム機として考えると高価な製品でした。Amigaの持つ ポテンシャル を家庭で手軽に楽しめるという点に、大きな期待を寄せていました。
パソコンからの刺客:FM TOWNS マーティー
同じパソコンというカテゴリからは、1993年に富士通のFM-TOWNSから派生した、FM TOWNS マーティーが登場しました。FM-TOWNSといえば、PC-Engine CD-ROM²の翌年に発売されたCD-ROMドライブを搭載したマルチメディアパソコン(富士通はハイパーメディアパソコンと呼称していました)。
その豊富なコンテンツを稼働させることができ、TOWNSタイトル約660本のうち、約200本がマーティー対応で、新作ソフトを含めると発売時点で約250本のソフトがマーティー対応でした(Wikipediaより)。
これには私も大いに期待していたのですが、価格は約10万円程度と、FM-TOWNSよりも性能が低く、ゲーム機よりは高いといった中途半端なポジションで、残念ながら大きなシェアを獲得するには至りませんでした。
AV機器メーカーの参入:パイオニア レーザーアクティブ
1990年代前半は、バブル時代を経て、高画質・高音質に向かっていた家庭用AV機器としてパイオニアのレーザーディスクがありました。
そのパイオニアは、レーザーディスクを記憶メディアにしたレーザーアクティブなる製品を1993年に発売。
レーザーディスクの持つ高画質なアナログ映像とデジタル音声をユーザーの操作によって分岐させることができる製品でした。
PC-Engine CD-ROM²、もしくはMega-CDのハードウェアに、レーザーディスクを記憶メディアとして使えるイメージの製品でしたが、フルセットで機器を揃えると10万円を軽く超える価格帯でした。
当時、レーザーディスクプレーヤーと考えれば妥当かもしれませんが、ゲーム機として考えると高価です。

玩具メーカーからの挑戦:バンダイ プレイディア
そして、玩具メーカーからもマルチメディア市場への挑戦がありました。
1994年9月23日にバンダイが発売したプレイディアです。
赤外線通信によるワイヤレスコントローラーを採用し、「みんなの簡単マルチメディア」をキャッチフレーズに、ゲームだけでなく教育コンテンツなど、ファミリー層をターゲットにした展開を行いました。
価格は24,800円(税抜)。
同時期に登場した高性能なゲーム機と比較するとスペックは控えめでしたが、子供向けのわかりやすいインターフェースと、人気アニメのキャラクターを活用したソフトラインナップが特徴でした。
バンダイもこのハードウェア戦争に参戦してくるとは!
ハードウェア乱立の終焉:3DOの登場
そして1994年、ハードウェア乱立の最終章とも言える出来事として、北米の3DO社が発表した32Bit CPUベースの3DO規格があります。当時、様々なメーカーが3DO規格を採用したハードウェアを発売しました。日本ではPanasonicとSanyoが発売していました。高性能なスペックを誇りましたが、やはり高価格帯であったため、普及には時間がかかりました。

日米の差:ケーブルテレビとインタラクティブコンテンツの普及
さて、ここで北米との違いについて触れておきましょう。当時、北米では多チャンネルのケーブルテレビが普及していましたが、日本では普及が進みませんでした。
その理由としては、日本の住宅事情や集合住宅の構造、地域ごとの放送局の存在、そして法規制など、様々な要因が複雑に絡み合っていたと考えられます。既存の地上波放送が充実していたことや、ケーブルテレビの導入コストなども影響したのかもしれません。
さらに、北米のケーブルテレビでは、多チャンネル化に加えて、インタラクティブなコンテンツも提供されていました。例えば、セガが開発し、ケーブルテレビを通じてメガドライブ上で展開されたオンラインゲーム配信サービス「セガチャンネル」は、1994年に北米でサービスを開始しました。これにより、ユーザーは自宅にいながらにして、様々なゲームをケーブルテレビ回線を通じて楽しむことができたのです。
北米市場では任天堂のNES(ファミコン)とセガ Genesis(メガドライブ)がバチバチにシェア争いを繰り広げており、ソニックザヘッジホッグのキャラクターイメージが受けたのか、セガGenesisが優勢でした。このような事情からケーブルテレビサービスでも勢いがあったとみています。
インターネット普及の遅れ:日本と北米の 温度差
また、北米ではインターネットが普及し始めていましたが、日本ではまだ馴染みが薄く、Windows 95の登場まで待つ必要がありました。この点も、日本におけるマルチメディアコンテンツの制作〜消費動向に影響を与えたと考えられます。
当時、日本の家電メーカーが世界を席巻しており、CDドライブの駆動には精密な機構が必要でしたので、まさに日本メーカーのお家芸でした。
ハードおよびゲームコンテンツの両面で強みを持っていました。(映画はハリウッドであることは当時も今も変わらず)
おわりに:次世代ゲーム機戦争へ
以上のように、90年代前半は、バブル期を経て一気に開花したマルチメディア機器の乱立を経て、PlayStation、Sega Saturnといった、次世代ゲーム機戦争へと突入していきます。
90年代前半を中学・高校時代に過ごしたアラフィフ世代にとっては、このハードウェア乱立に心躍らせていたのではないでしょうか?あれ?わたしだけ??
では〜