メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

パピルスの蚘憶

    遠い囜で出䌚った銙りず、倱われた嗅芚の蚘憶。


    今日も、匂わないずわかっおいるのに、銙油瓶のふたを開ける。

    小さな瓶の口に錻を近づける。

    けれど、䜕もない。

    花のような銙りも、甘い銙りも、その奥にある少し重たい油の匂いも、䜕ひず぀届いおこない。

    それでも私はふたを閉めお、棚に戻す。

    そしお次の日になるず、たた同じこずをする。

    子どもの頃から、銙りが奜きだった。

    家に垰るず、その日の倕飯が䜕か、玄関の前でだいたいわかった。

    雚が降る前の空気や、季節が倉わるころの颚の匂いにも気づくほうだった。

    銙りず蚘憶は、どこかで静かに぀ながっおいる。

    昔䜿っおいた石けんの匂い。

    掗いたおのシヌツの匂い。

    誰かの服に残っおいた銙氎の匂い。

    忘れおいたはずの景色が、匂いひず぀でふいに立ち䞊がるこずがある。

    もう䌚えない人の気配たで、そっず連れおくるこずがある。

    だから私は、銙りのあるものに自然ず惹かれおきた。

    銙氎も奜きだった。

    でも、゚ゞプトを旅したずきに出䌚った銙油は、それたで知っおいた銙氎ずは少し違っおいた。

    小さな店の棚に、色ずりどりのガラス瓶が䞊んでいた。

    光を受けた瓶は、风玉のようにも、宝石のようにも芋えた。

    店の人が、銙油を含たせた脱脂綿を差し出しおくれた。

    最初に嗅いだのは、パピルスの銙りだった。

    花のようにやわらかく、甘さは控えめで、遠い土地の明るい空気を少し含んでいた。

    あずになっお知った。

    パピルスは、叀代゚ゞプトで玙のように䜿われおいた怍物だずいう。

    そう知っおも、私の䞭でその銙りは、玙よりも花に近かった。

    本屋や図曞通の匂いが奜きな私は、そのこずを知っお少しうれしくなった。

    私はそのずき、銙りにも颚景があるのだず思った。

    遠い土地の空気や光や、知らない時間たでもが、小さな瓶の䞭に閉じ蟌められおいるような気がした。

    今でも、パピルスは特別な銙りだ。

    銙油は、遠くたで華やかに広がるものではなかった。

    手銖に少し぀けるず、自分だけがふわりず感じる。

    その控えめなずころが奜きだった。

    銙りを身にたずうずいうより、自分の内偎にそっず眮いおおくような感じがした。

    気づけば、銙油は少しず぀増えおいった。

    銙油瓶の数は、それ以䞊に増えおいった。

    光に透けるガラス。

    手のひらに収たる小さな圢。

    ふたを開けた瞬間だけ立ちのがる、わずかな銙り。

    私にずっお銙油瓶は、銙りず蚘憶を閉じ蟌めた小さな宝物だった。

    けれど、ある日、その銙りが消えた。

    コロナにかかったあずだった。

    熱は䞋がった。

    咳も萜ち着いた。

    もう倧䞈倫だず思った。

    けれど、匂いだけが戻っおこなかった。

    最初は、銙油が叀くなったのだず思った。

    ふたを開ける。

    䜕も匂わない。

    別の瓶を開ける。

    それも匂わない。

    銙氎を手銖に぀けおみる。

    やはりわからない。

    コヌヒヌの袋を開けおも、䜕もなかった。

    そのずき初めお気づいた。

    倉わっおしたったのは銙油ではなく、自分のほうだった。

    私の䞖界から、匂いだけが抜け萜ちおいた。

    花を芋おも銙らない。

    朝の空気も銙らない。

    食事は、枩床ず食感だけになった。

    奜きだった銙油は、ただの液䜓になった。

    パピルスの銙りを、私は芚えおいる。

    それなのに、もう䞀床たしかめるこずができない。

    それが、思っおいたよりずっず寂しかった。

    䜕かを倱ったずいうより、䞖界ずのあいだに薄い膜が䞀枚できたようだった。

    花を芋おも、朝の空気を吞っおも、食事をしおも、目の前のものが少し遠い。

    私は銙りが奜きだったのだず思っおいた。

    でも本圓は、銙りに安心しおいたのかもしれない。

    懐かしい匂いに、垰る堎所を思い出させおもらったり、奜きな銙りに気持ちを敎えおもらったり、誰かの気配を思い出したりしおいた。

    匂いは、私の人生のそばにずっずあった。

    それがなくなった䞖界は、静かすぎた。

    それでも私は、毎日ふたを開けた。

    匂わないずわかっおいる。

    それでも、もしかしたら今日は戻っおいるかもしれないず思っおしたう。

    瓶を手に取る。

    ふたを開ける。

    錻を近づける。

    けれど、䜕もない。

    たたふたを閉めお、棚に戻す。

    次の日も同じだった。

    その次の日も同じだった。

    銙油瓶のふたを開けるこずだけが、銙りのある䞖界ず自分を぀ないでいるような気がした。

    季節が倉わっおも、匂いは戻らなかった。

    マスクの䞋で、自分の吐息の匂いさえわからなくなった倏。

    金朚犀の季節が来おも、私はその銙りを思い出すこずしかできなかった。

    春の花も、倏の雚も、秋の空気も、蚘憶の䞭でしか銙らなかった。

    呚りの人が「いい匂い」ず蚀うたびに、私は少し遅れお笑った。

    そうだね、ず蚀いながら、本圓は䜕もわからなかった。

    それから二幎近くの時間が過ぎた。

    ある日、い぀ものように瓶を手に取った。

    期埅しおいたわけではない。

    もう習慣になっおいた。

    ふたを開ける。

    錻を近づける。

    けれど、その日は違った。

    ほんの少しだけ、銙った。

    それがパピルスだずわかるたで、時間はかからなかった。

    忘れおいたわけではない。

    ずっず埅っおいたのだず思う。

    匷い銙りではなかった。

    気のせいかもしれないず思うほど、かすかな銙りだった。

    それでも、たしかにそこにあった。

    私は瓶を持ったたた、しばらく動けなかった。

    戻っおきた、ずすぐには思えなかった。

    ただ、䞖界がもう䞀床こちらを向いおくれたような気がした。

    それから少しず぀、匂いは戻っおきた。

    雚の日の空気。

    コヌヒヌの銙り。

    本屋や図曞通に入ったずきの、玙ずむンクの混じったような匂い。

    そしお、パピルスの銙り。

    圓たり前だず思っおいたものが、ひず぀ず぀垰っおきた。

    もちろん、すぐに党郚が元どおりになったわけではない。

    はっきりわかる日もあれば、がんやりする日もあった。

    それでも、䜕もなかったずころに少しず぀匂いが戻っおくるたび、䞖界がたた近くなっおいくような気がした。

    気が぀けば、匂いはちゃんず戻っおいた。

    むしろ以前より敏感になったのではないかず思う日さえある。

    雚の気配も。

    コヌヒヌの銙りも。

    季節の移ろいも。

    ちゃんず感じられる。

    今も銙油瓶は、私のそばにある。

    以前は、ただ奜きで集めおいた。

    けれど今は少し違う。

    あの小さな瓶たちは、匂いを倱っおいた時間を知っおいる。

    䜕も感じないたた、ふたを開けおいた日々も。

    それでもやめられなかった時間も。

    そしお、銙りが戻っおきた日のこずも。

    䞊んだ銙油瓶を眺めおいるず、ずきどき、あの遠い囜の店を思い出す。

    色ずりどりのガラス瓶。

    差し出された、銙油を含たせた脱脂綿。

    初めお出䌚った、パピルスの銙り。

    銙りは圢に残らない。

    けれど蚘憶のどこかに静かに沈み、忘れたころにふいに姿を芋せる。

    そしお今日も、私は銙油瓶のふたを開ける。

    小さな瓶の口に錻を近づける。

    遠い囜の光。

    静かな店の空気。

    あの日のパピルス。

    パピルスは、あの日のたたではない。

    私も、あの日のたたではない。

    それでも、その銙りに出䌚うたび思う。

    䞖界は、ちゃんずそこにある。

    #創䜜倧賞2026
    #゚ッセむ郚門



     
     
    䞖の䞭の「どうでもいいこず」が、なぜか気になりたす。 日垞の小さな違和感や昭和のあれこれを、゚ッセむにしおいたす。掌線小説も曞きながら、笑ったり、぀い考え蟌んだり。 猫は気たぐれに出挔したす😊

    あなたぞのおすすめ