
中国語の歌詞、モチーフ多すぎ問題(あとスピッツは少なすぎ問題) - 周杰伦『沈丁花』
きのう、しざさらさんにお誘いいただいて数学デーに行ってきました!
数学デーというのは「数学好きまたは数学好きでない人が集まる部室みたいなやつ」。
詳しくは公式サイトをどうぞ!
でもわたしはぜんぜんきのう数学の話をしてなくて、お誘いいただいた方と居合わせたみなさんといっしょに中国語のポップスと歌詞の翻訳についてずっとしゃべってました。
きょうはそこから、中国語と日本語のポップスの違いについてのお話です〜!
中国語のポップスはモチーフが多すぎる!!
周杰伦『沈丁花』という有名な曲があるそうです。
2004年のリリースで、いまでも愛される名曲とのこと。
原曲の歌詞はあるんですが、わたしは中国語わからないのでここでは翻訳してくださっているブログを見てみます。
1番の日本語訳部分を抜き出すとこういう感じです。
「窓の外の雀が電柱で余計なことを言ってる」
君はこの一言がとても夏らしいねと言った
手に持った鉛筆で紙の上を行ったり来たりして
僕にとって君がどんな存在か数行の文字で形容しようとした
秋刀魚の味を猫も君も知りたがっている
初恋の香りは こうして僕たちに取り戻された
あの暖かな(日差しは) 摘みたての(鮮やかな苺のようで)
君はこの感覚を食べてしまうのがもったいないと言った
雨は一晩中降りしきり 僕の愛は雨水のように溢れ出る
庭の落ち葉と 僕の想いは分厚く積み重なる
いくつかの諍いも 僕の情熱を冷ますことはできない
僕が書いた詩のどのページにも君は現れる
雨は一晩中降りしきり 僕の愛は雨水のように溢れ出る
窓辺の蝶は 美しく舞う詩篇のよう
僕はまた書く 詩の結びにずっと君を愛していると
僕が知りたいのは ただ君のことだけ
その場では上記ではないいろんな翻訳を見せていただいて比較してたんですが、それはそうとわたしが最初に思ったことはこれ。
この曲ポップスにしてはモチーフが多すぎる!!
ここでは「モチーフ」を、歌詞中に具体的に用いられる事物・自然物を雰囲気で指すことにします。
そうすると1番の中でぱっと目に入るモチーフはこんな感じになるでしょう。
雀
鉛筆
秋刀魚
猫
日差し
苺
雨
落ち葉
蝶
こんなにたくさんの要素が1曲の中に盛り込まれる曲は、ふつうのJ-POPではあんまりないと思います。
しかもこれらのモチーフには互いに関連があまりありません。
たとえば「秋刀魚」は秋の味覚、「苺」は春の味覚ですが、食を通じて半年の差分を表現したいという切り口はこの曲にはなさそうです。
あるいは「日差し」と「雨」は晴れと雨のペアだけどそういう軸を見せる感じでもなさそう。
「落ち葉」と「雨」の間に、日本だと「濡れ落ち葉」っていう表現があるけどそれの話をしているとも考えづらいです。
だからわたしからすると、たくさんモチーフが大勢おしかけてきておなかいっぱいになっちゃう、と見えます。
中国語のニュアンスを直接汲み取ることはできないけど、かなり雑多な感じがします。
そんな話をしていました。

とりあえず書き写した歌詞、このあといろいろ書き加えたんだけど離席して戻ったら消えてて草
日本だとモチーフはほとんどなくても大丈夫
なんか曲調が似てるな〜って思いついた曲に、スピッツ『楓』(1998)があります。
スピッツ『楓』歌詞
なんかサビの感じ似てないですか??
歌詞を見てみましょう。
忘れはしないよ 時が流れても
いたずらなやりとりや
心のトゲさえも 君が笑えばもう
小さく丸くなっていたこと
かわるがわるのぞいた穴から
何を見てたかなぁ?
一人きりじゃ叶えられない
夢もあったけれど
さよなら 君の声を 抱いて歩いていく
ああ 僕のままで どこまで届くだろう
この歌詞の中に、さっきの基準でいくところのモチーフに当たるものはとても少ないと思います。
トゲ
穴
とかをモチーフと呼んでもいいけど、それにしても手触りの少ない言葉ばかりです。
やっぱりさっきの『沈丁花』はモチーフ多すぎるのでは?という想いが再度頭を駆け巡ります。
もう1曲
いやいやまてまて、スピッツは日本のポップスの中でも特殊かもしれません。
他の曲も考えてみた方がいいかも。
周杰伦『沈丁花』は2004年のリリースで誰もが知るヒット曲。いまでも聴かれる有名な曲とのこと。
そう聞いて、その場でわたしが思い浮かべたのは平井堅『瞳をとじて』(2004)でした。
男性ソロアーティストって点も同じだし、バラードってところも似てますね。
何より、その場でぱっと同じ年のヒット曲を出せるフットワークえらすぎ。
こちらも見てみます。
平井堅『瞳をとじて』
1番の歌詞はこんな感じ。
朝目覚める度に 君の抜け殻が横にいる
ぬくもりを感じた いつもの背中が冷たい
苦笑いをやめて 重いカーテンを開けよう
眩しすぎる朝日 僕と毎日の追いかけっこだ
あの日 見せた泣き顔
涙照らす夕陽 肩のぬくもり
消し去ろうと願う度に
心が 体が 君を覚えている
Your love forever
瞳を閉じて 君を描くよ それだけでいい
たとえ季節が 僕の心を 置き去りにしても
モチーフを抜き出すならこんな具合でしょうか。
抜け殻
カーテン
朝日
夕日
モチーフの数はスピッツより増えましたが、「朝日」と「夕日」は明らかにセットだし、「カーテン」を開けると「朝日」がある点でこのふたつは時間的に隣り合っています。
「抜け殻」の「殻」の部分は、部屋を取り囲む「カーテン」とも役割の上で似ています。
これらのモチーフは結局かなり似た1点に収斂していくのです。
日本のポップスってそういう風に、数を絞ったモチーフを有機的に繋いで、間の部分は感情で埋める、という作りが強いんじゃないかと思います。
翻訳、言語間の比較、文化の好み
数学デーでのやりとりに戻ります。
もともとわたしを誘ってくださった方の問題意識は、これを歌詞として日本語にしたときに浮き彫りになる歌詞らしさとはどんなものなのか、というテーマでした。
歌詞を中国語から日本語に翻訳して、同じメロディで当てるなら、モチーフをなぞるだけで精一杯になりがち。
そこからJ-POPのように見せるなら、モチーフの数をぐっと絞って、空いたスペースにもっとモチーフじゃない言葉を入れないとしっくりこない、というのがわたしの見立てでした。
一方で、中国語のポップスはそもそもそういう文化ではないんだから、日本語の歌詞にするからといってJ-POPのように見せる必要はそもそもありません。
だからこれは、翻訳にあたって何を重視するか、という観点の問題になります。
昨日のやりとりの中ではひとつ頭抜けた収穫がありました。それは、しざさらさんのJ-POPに対する全体的な感想です。
しざさらさんは中国語のポップスに比べてJ-POPの歌詞は中身が薄味で物足りない気持ちになるという趣旨のことをおっしゃっていました。
つまりこれは、文化的な選好なのかもしれません。
音楽から少し離れて、会話など音声コミュニケーションを取る場合のことを考えます。
音声言語では、単位時間あたりに伝達できる情報の量はいろんな言語間でにほぼ一定と聞きます。
今回のような例だと翻訳に際して載せられる情報量が少なくなってしまいモチーフを省かざるを得なくなる、という事態に陥りがちですが、それは歌詞だけを日本語に翻訳して曲はそのままにしようとする、タスクの制約が関わっているように思います。
つまり中国語ではポップスでモチーフ数をもりもりにして、日本語ではモチーフ数が控えめになるのは、言語に起因するものではなくて文化の中でどういうポップスが好まれるのかの違いなのかもしれません。
あんまりそういうこと考えたことなかったので、いっしょにお話しできて楽しい時間でした!
数学デーは開催のたびに記事が出ていて、今回の歌詞の話もふわっと触れられています。感謝✨
数学の話もしなきゃと思ってせいいっぱいの数学(KLダイバージェンスとか)の話題も仕込んでいったんだけど1秒もしゃべってないや……。
居心地いい場所だったので次回はちゃんと数学の話もするぞ✊