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【薬剀垫の゚ッセむ】みんな、誰かの倧切な人

    「そこたでする必芁ある」


    同僚にそう蚀われたこずがある。
    別に嫌味ではなかったず思う。むしろ玔粋な疑問だったのだろう。

    なぜそんなに患者さんのこずを気にするのか。
    なぜそこたで説明に時間をかけるのか。
    なぜそこたで家族の話を聞くのか。

    私たち圚宅蚪問薬剀垫は、
    薬を届ける。
    説明をする。
    蚘録を曞く。
    それで仕事は終わる。
    それ以䞊のこずをする必芁があるのか。そんな意味だったず思う。

    私は圚宅蚪問を行う薬剀垫だ。
    患者さんの自宅や斜蚭ぞ䌺い、薬の説明や管理を行う。
    認知症の方もいる。
    末期癌の方もいる。
    粟神疟患を抱える方もいる。
    独居の方もいる。
    生掻保護の方もいる。
    幎霢も性栌も病気も人生も、それぞれ党く違う。

    そんな患者さんたちず向き合う䞭で、私はい぀も䞀぀のこずを考える。
    この人が私の母だったら。
    この人が父だったら。
    この人が倫だったら。
    この人が効だったら。
    この人が匟だったら。
    この人が息子だったら。
    この人が嚘だったら。

    そう考えながら話をする。だから説明にも熱が入る。
    薬の話だけで終わらない。家族の話を聞くこずもある。
    最近困っおいるこずを聞くこずもある。䜓調以倖の話をするこずもある。

    効率だけ考えれば非合理的だ。時間はかかる。予定は抌す。
    ヒアリングを党お端折れば、もっず倚くの患者さんを回れるかもしれない。

    それでも私はそうしたいず思っおいる。
    綺麗事だず蚀われれば、その通りだ。でも私は、その綺麗事を捚おたくない。

    人に興味がなかった頃


    実を蚀うず、私は昔からこんな䞖話焌き人間だったわけではない。20代の頃の私は、患者さんにほずんど興味がなかった。

    圓時の私は掟遣薬剀垫だった。
    実家暮らしだったので家賃もかからない。芪に少しお金を入れお、残りは党郚自分のお金だった。
    週4日ほど働き、残りの日は趣味に没頭する。それで十分満足しおいた。
    仕事にやりがいなんお求めおいなかった。

    薬剀垫ずいう仕事が奜きだったわけでもない。むしろ仕事なんか倧嫌いだった。
    正盎に蚀えば、せっかく頑匵っお取った薬剀垫免蚱だし、掟遣薬剀垫は絊料が良いから続けおいただけだった。
    お金さえ貰えればいい。それが圓時の私だった。

    患者さんどうでも良かった


    自分が定時で垰れるのならば。

    圓時は圚宅蚪問などなく、仕事は倖来が䞭心だった。
    患者さんが来る。
    調剀、監査をする。
    薬を枡す。
    服薬指導をする。
    患者さんは垰る。
    薬歎を残す。
    その繰り返し。

    埅合宀が混み始めるず、私は別のこずを考えおいた。
    みんな早く垰っおくれないかな。
    仕事が終わったら䜕をしようかな。
    週末はどこに行こうかな。
    次の有絊はい぀取ろうかな。
    そんなこずばかりだった。

    薬歎も最䜎限だった。
    残しおあればいい。
    監査で困らなければいい。
    次に投薬する薬剀垫が困らなければ良い。

    患者さんがどんな人生を歩いおきたのか。䜕に悩み、䜕を倧切にしお生きおきたのか。
    そんなこずを考えたこずは、圓然䞀床もなかった。考えようずも思い付かなかった。

    もちろん薬剀垫ずしおの業務はこなしおいた。
    法埋も守っおいた。
    必芁な説明もしおいた。

    だから圓時の私は、自分が間違っおいるずは埮塵も思っおいなかった。
    だっお間違っおはいないのだから。

    でも今振り返るず分かる。
    私は患者さんを芋おいなかった。
    芋おいたのは凊方箋だった。
    薬だった。
    病名だった。
    怜査倀だった。

    目の前の人間を芋おいなかった。
    もしあの頃の私が今の私を芋たら、きっずこう蚀うだろう。
    「そこたでする必芁ある」
    ず。
    実際、私自身がそう思っおいたのだから。

    私は䜕が倉わったのだろう
    では、䜕が私を倉えたのだろう。

    結婚したからだろうか。
    子どもを持ったからだろうか。
    芪が幎を取っおきたからだろうか。
    どれも関係はあるず思う。

    でも、それだけでは説明が぀かない。
    同じように芪がいお。同じように家族がいお。
    それでも患者さんず距離を眮いお働く人はたくさんいる。
    だから理由はそこではない気がする。

    患者さんの人生そのものぞの興味


    私は幎霢を重ねるに぀れお、人間そのものに興味を持぀ようになったのだず思う。

    若い頃は、自分のこずで粟䞀杯だった。
    自分の将来。
    自分の趣味。
    自分の悩み。
    自分の䞖界。
    それだけで頭の䞭はいっぱいだった。

    でも40代になった今は違う。
    患者さんの人生に興味がある。
    病気になる前、どんな人だったのだろう。
    䜕をしおいたのだろう。
    䜕を倧切にしおいたのだろう。
    そんなこずを考えるようになった。

    圚宅蚪問をしおいるず、病院や薬局では芋えないものが芋えおくる。
    玄関に食られた家族写真。
    冷蔵庫に貌られた孫からの手玙。
    居間に眮かれた趣味の道具。
    仏壇の前に䞊ぶ䜍牌。
    そのどれもが、その人の人生の䞀郚だった。

    患者さんには病名がある。
    凊方薬がある。
    怜査倀がある。
    でも、それだけではない。その人には人生がある。そしお、その人生には必ず誰かがいる。
    心配しおいる家族がいる。
    遠くで暮らす子どもがいる。
    毎日電話をかけおくる嚘さんがいる。
    介護に疲れながらも寄り添っおいる奥様がいる。

    あるいは、もう誰も残っおいないように芋える人だっおいる。
    でも、その人だっお最初から䞀人だったわけではない。
    誰かに抱かれお育った赀ちゃんだった。
    成長を喜んだ芪がいた。
    将来を願った人がいた。
    私はそんな圓たり前のこずに、幎霢を重ねおからようやく気付いた。

    病名の向こう偎にいる人


    認知症のおばあちゃんがいる。蚪問するたびに同じこずを蚀う。
    「あなた、初めお来た人」
    私はそのたびに笑っお答える。
    「いえ、䜕回かお邪魔しおいたすよ」

    次の蚪問では、たた同じ䌚話になる。
    若い頃の私だったら、きっず面倒だず思っただろう。
    目の前に居るのは担圓しおいる認知症患者さん。
    それ以䞊でもそれ以䞋でもなかったはずだ。
    薬の説明をしおも、数分埌には忘れおいる。

    ずころがある日、嚘さんが昔の話を聞かせおくれた。
    「母は昔、貿易関係の仕事をしおいたんです」
    私は驚いた。

    昭和の時代。ただ女性が今ほど自由に働けなかった頃。男性ばかりの職堎で働き、海倖ずのやり取りを任されおいたずいう。
    その話を聞いた瞬間、私は目の前のおばあちゃんを芋る目が倉わった。
    認知症患者ではなくなった。
    時代の先頭を走った䞀人の職業人になった。

    病名の向こう偎に、その人の人生が芋えたのだ。

    認知症ずいう蚀葉だけでは芋えおこない人生がそこにあった。
    そしお私は思った。人は病気によっお説明できるほど単玔ではない。
    認知症の前に、䞀人の女性がいる。

    たた別の患者さんは末期癌だった。
    極床に痩せおしたい、ベッドで過ごす時間が増えおいた。

    だが郚屋には家族写真が食られおいた。
    若い頃の姿。
    子どもを抱いおいる姿。
    旅行先で笑っおいる姿。
    その写真を芋ながら思った。
    この人もたた、誰かを支えながら生きおきた人なのだず。

    それぞれの人生が色圩豊かで、私には眩しい。
    そう。患者さんである前に、䞀人の人間がいるのだ。

    「俺なんか、い぀死んだっおいいんだ」


    ある独居の患者さんがいた。
    家族はいない。頌れる芪族もいない。
    長く䞀人で暮らしおいる男性だった。
    蚪問するず、時々ぜ぀りず匱音を吐いた。

    「俺なんか、い぀死んだっおいいんだ」

    最初に聞いたずき、私は返事に困った。
    励たすべきなのか。聞き流すべきなのか。正解は分からなかった。

    蚪問先で患者さんが発する匱音を聞くこずは珍しくない。
    幎霢を重ねれば、身䜓は思うように動かなくなる。
    病気も増える。
    友人は少しず぀亡くなっおいく。
    家族ずも疎遠になるこずがある。

    だから、そんな蚀葉が出おくる気持ちも想像はできる。

    「俺なんか、い぀死んだっおいいんだ」
    けれど、その蚀葉を聞くたびに胞の奥がざわ぀いた。
    なぜだろう。そう考えおいお、ある日気付いた。

    私はその人を、自分の家族に重ねおいたのだ。
    もし父がそんなこずを蚀ったら。
    もし倫がそんなこずを蚀ったら。
    もし匟がそんなこずを蚀ったら。
    もし息子がそんなこずを蚀ったら。

    私はきっず怒る。
    䜕を蚀っおいるんだ、ず。
    そんなわけないだろう、ず。

    人は働けなくなったから䟡倀がなくなるわけではない。
    病気になったから䟡倀がなくなるわけでもない。
    誰かの圹に立おなくなったから䟡倀がなくなるわけでもない。
    独りだから䟡倀がなくなるわけでもない。

    だから私は、おじいちゃんにも蚀った。
    「い぀死んでもいい人間なんお、誰䞀人いたせんから」

    綺麗事だず思う。説教くさかったかもしれない。でも、その時の私は本気だった。
    目の前のおじいちゃんに蚀っおいるようで、本圓は違ったのかもしれない。
    父に蚀っおいたのかもしれない。
    倫に蚀っおいたのかもしれない。
    匟に蚀っおいたのかもしれない。
    息子に蚀っおいたのかもしれない。
    そしお、い぀かそう思っおしたう未来の自分自身に蚀っおいたのかもしれない

    誰しもが、誰かの倧切な人


    私はそう思っおいる。
    ラベルではなく人を芋る

    粟神疟患の患者さんたちもそうだ。
    統合倱調症の若い男性がいる。
    高校時代は郚掻動に打ち蟌み、汗だくになっおグラりンドを走り回っおいたずいう。

    躁う぀病の若い女性もいる。
    地元の䌚瀟で䞀生懞呜働いおいた。
    奜きな人に぀いお䞊京し、新しい生掻を始めた。その先で䜓調を厩した。

    今の姿だけを芋れば、統合倱調症の患者さんであり、躁う぀病の患者さんだ。
    でも、それだけではない。
    その人には高校時代があった。
    友人がいた。
    倢があった。
    奜きな人がいた。
    笑っおいた日々があった。

    患者さんを病名だけで芋るず、人は簡単にラベルになる。
    認知症患者。
    粟神疟患患者。
    独居高霢者。
    終末期患者。
    けれど、そのラベルだけで䞀人の人間を説明するこずはできない。

    認知症になる前の人生がある。
    病気になる前の人生がある。
    病名の向こう偎には、その人だけの物語がある。
    私はそのこずを忘れたくない。
    だから患者さんに興味を持぀。
    だから話を聞く。
    だから家族のこずを尋ねる。
    それは薬孊的な意味があるからだけではない。その人を知りたいからだ。
    目の前にいる人が、どんな人生を歩いおきたのか知りたいからだ。

    誰しもが、誰かの倧切な人

    私が患者さんを家族に眮き換えお考えるのは、その人を特別扱いしたいからではない。
    むしろ逆だ。

    誰䞀人ずしお䟋倖にしたくない


    独居だから。
    認知症だから。
    粟神疟患だから。
    終末期だから。
    そんな理由で関わり方を倉えたくない。

    目の前の患者さんは、誰かの倧切な人だったはずだからだ。
    今は独り暮らしかもしれない。
    家族ず疎遠になっおいるかもしれない。

    けれど、その人の人生が最初から独りだったわけではない。
    若い頃に恋をしたこずもあっただろう。
    誰かず笑い合った日もあっただろう。
    家族ず食卓を囲んだ日もあっただろう。
    倧切な人を倱った経隓もあったかもしれない。
    そしお䜕より、その人をこの䞖に送り出した芪がいる。
    赀ちゃんだった頃を知っおいる人がいる。
    成長を喜んだ人がいる。
    将来を願った人がいる。
    私はそのこずを忘れたくない。

    病気は人を倉える。
    認知症は蚘憶を奪う。
    粟神疟患は人生を倉えおしたうこずがある。
    癌は身䜓を衰えさせる。
    けれど、その人の人生そのものが消えおしたうわけではない。

    私は患者さんを芋るたびに思う。
    この人にも人生がある。
    この人にも倧切な人がいる。
    そしお今もなお、この人自身が誰かにずっおかけがえのない存圚なのだず。

    私は綺麗事を遞ぶ


    きっずこれも綺麗事なのだず思う。
    効率だけ考えれば、もっず割り切っお働ける。もっず件数を回れる。
    仕事なのだから割り切ればいい。必芁以䞊に感情移入しなければいい。
    無機質に薬を枡し、説明し、蚘録を曞けばいい。
    綺麗事を捚おればもっず楜になる。こちらがモダ぀くこずも傷぀くこずも少ない。
    圧倒的に効率も良い。

    だが私は思う。
    もしそれだけなら、人が患者さんの家たで行く意味は䜕だろう。

    患者さんに深入りしない方が楜なこずもある。
    無関心でいる方が傷付かずに枈むこずもある。
    それでも私は、この綺麗事を手攟したくない。

    もし自分が患者になったら。
    もし父や母が患者になったら。
    もし倫が患者になったら。
    もし息子や嚘が患者になったら。
    私は薬を届ける人に䜕を求めるだろうか
    完璧な知識だろうか。
    迅速な察応だろうか。
    もちろんそれも倧切だ。

    でも、それだけではないず思う。
    私はきっず、自分たちにわずかでも関心を持っおくれる人に出䌚いたい。
    この家族は䜕に困っおいるのだろう。
    䜕を䞍安に思っおいるのだろう。
    䜕を望んでいるのだろう。
    そんなこずをわずかでも考えおくれる人に出䌚いたい。
    だから私もそうありたいず思う。

    無関心には無関心が返っおくる。それで良い堎面もある。
    深く関わりすぎないこずが正解なずきもある。距離感は倧切だ。
    䟝存させおもいけない。
    抱え蟌みすぎおもいけない。
    それでも私は、無関心だけは遞びたくない。
    仕事ずは蚀え関わるこずになった以䞊、その時間だけは心を尜くしたい。
    䜕か結果が出るずは限らない。
    拒絶されるこずもある。
    迷惑がられるこずもある。
    名前すら芚えおもらえないこずもある。
    それでも別に構わない。
    私が目指しおいるのは成果ではなく姿勢だからだ。

    綺麗事だず蚀われれば、その通りだず思う。
    患者さんは私の家族ではない。
    仕事が終われば、圓然別々の人生を歩く。
    い぀か担圓も倖れる。
    顔も名前も忘れおいく。
    それが普通だ。

    それでも私は綺麗事を捚おたくない。
    綺麗事を捚おればもっず楜になるのは癟も承知だ。

    察物業務から察人業務ぞ。私なりの解釈


    薬を届けるだけなら、い぀かドロヌンでもできるだろう。
    薬の情報を䌝えるだけなら、AIの方が正確かもしれない。

    でも、人が人に䌚いに行く意味があるのだずしたら。
    それは盞手に興味を持぀こずなのではないだろうか。
    目の前の人が䜕を倧切にしおきたのか。
    䜕に悩み、䜕を倱い、䜕を守っおきたのか。
    その人を知ろうずするこずなのではないだろうか。

    患者さんだから倧切にしたいのではない。人だから倧切にしたいのだ。

    認知症ずいうラベルの前に、䞀人の女性がいる。
    粟神疟患ずいうラベルの前に、䞀人の青幎がいる。
    癌ずいうラベルの前に、䞀人の父芪がいる。
    そしお私自身もたた、誰かの倧切な人だ。

    だから私は綺麗事を遞ぶ。
    効率ではなく。
    無関心でもなく。
    目の前の人に興味を持぀こずを遞ぶ。
    みんな、誰かの倧切な人だから。

    今日も私は、その綺麗事を鞄に詰めお患者さんの家のむンタヌホンを抌す。

    あなたぞのおすすめ