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新しい顔は、小さな掌から。その手を握って眠りたいのは、私なのかもしれない。


    最近何度も見る夢がある。

    夢の中の私は高校2年生で、進路をどうしようか悩んでいる。
    夢の中でも、私は親に
    「大学に行くお金はないよ。」と言われていた。
    夢の中でくらい、夢を見させて欲しいのに。

    どうせなら美大のオープンキャンパスに行ってみたいな。専門学校ならどのジャンルにしようかな。


    そこで目が覚める。

    隣には1歳9ヶ月の息子が眠っている。

    私の年齢は31歳で、バツイチで、
    隣の子は再婚相手との間の子。

    奨学金はあと3年弱で支払い終わるところまできていた。

    概ね順調で、幸せといっていいはずなのに。

    私は、劣等感に押し潰されて、死ぬしかないと思いつめていた。


    1度目の結婚をした時の私は、
    社会人3年目を迎える22歳。

    マッチングアプリで出会って1年半の彼氏に結婚を迫ったのは、結婚して子どもができたら、
    人から羨まれる状況で、仕事を辞められることができると思ったから。

    最初の夫はブラック企業勤めの仕事人間、人付き合いも多く、収入はすべて使ってしまう。

    でも私は寡黙で、優しい、漢気のある夫が好きだった。


    貯金はないが漢気がある夫と、打算的でアンポンタンな私は新築戸建てを購入した。

    多忙な夫と夢のマイホームで会えるのは、木曜日だけ。

    吹き抜けのある広々としたリビングで1人、孤独と漠然とした不安に襲われていくようになった。

    縋るように家の近くのメンタルクリニックに何件も電話をかけて、何とか診察してくれる病院に漕ぎつけた。

    死にたい。楽になりたい。
    そう思いながら自ら病院の予約を取り、診察を受ける。

    矛盾している行動を馬鹿にされることなく、
    労務不能と書かれた診断書を受け取った。

    しばらく仕事を休むことを夫に伝えたら、

    「わかった。」

    それだけ言っていつも通り接してくれた。


    うつ病の状態にあっても、私は浅はかだった。

    私は貧乏な家庭出身、社会人になるまで家族で住んでいた家は公営団地で、ペットを飼うのは夢のまた夢。

    犬を飼おうかな。

    寂しくなければ、
    うつ病にならなかったかもしれない。

    ペットがいれば、
    無責任に死にたいなんて思わないかもしれない。

    もしこんなことをSNSに書いたら、
    あっという間に炎上するような考えだろう。

    夫とペットショップに行ったその日のうちに、
    犬を迎え入れることが決まった。


    子犬との生活が始まった。

    犬の飼育経験のある夫に後押しされたのが決定打となったのに、その夫がほとんど家にいないことは頭になかった。

    うつ病の症状の中で最も辛かった
    希死念慮はほぼなくなった。

    代わりに患ったのは育”犬”ノイローゼ。

    体力が有り余っているのか
    ほぼ一日中部屋の中を走り回る。
    珍しく寝ていると死んでしまったのではないかと不安になって触って
    確認しないと気が済まない。とにかく気持ちが休まらなかった。

    膝の上の尊い命を撫でながら、ゆったりと療養する前に、私は仕事に復帰した。仕事をしていない自分に耐えられなかった。


    20代前半での結婚、
    新築戸建の家、可愛いペット。

    私の心は常に虚しさを感じていて、
    幸せとは何なのか考える日が増えていった。

    常に恋人に依存するタイプの私は、
    夫に依存していた。

    束縛は徐々に激しくなり、寡黙な夫とは口論になることは無かったが、
    夫の私へのストレスは着実に溜まっていた。

    散らかったPCデスクの上に山積みになっていたのは、公共料金の未納のお知らせ。
    クレジットカードの鮮やかな色の督促状。
    封筒の差し出し人は弁護士事務所。

    寡黙な夫と激しく口論をした。

    私は自分にも責任があることを感じていた。

    お金の管理を完全に私がするか、離婚するのか選んでほしいと言った。

    夫は当然前者を選択すると、
    なぜ思えたのか今になってはわからない。

    私たちは離婚することになった。

    クレジットカードの滞納金は、私が今後の2人の生活のためと思ってしていた貯金から支払うことができた。

    私にも非があったのに謝らなかったことを、
    今でも後悔している。


    離婚を決めてから5日後に籍を抜いた。

    2歳になった愛犬は私が引き取ることに。

    寂しさを埋めるため、籍を抜いたその日に、夫と出会ったマッチングアプリをまたインストールした。

    プロフィールには、離婚歴があること、犬がいること、包み隠さず書いた。

    同じようにバツイチで犬が好きな人がいたらいいなと思っていたし、アプリ内で連絡を取り合う中になったのは、1人を除いて婚姻歴がある人だった。

    その除かれた1人が今の夫であり、子の父である。


    初めて会った日に、告白ではなく付き合うかどうかの打診をされた。

    私には図々しくも譲れない点が2つあった。

    それはマッチングアプリのプロフィールにも書いておらず、連絡し合う中でもまだ話題に出していなかった。

    1つは、私に転職を強いないこと。

    2つめは、結婚式をあげることを強いないこと。

    どちらも即答でオッケーと言えるような内容ではないのは承知の上だった。

    この時には、今の夫に惹かれ始めてはいたが、まだ他にやりとりしている人もいて、仮にこれで白紙になったとしてもいいと思っていた。
    気が早いと言われても、後々大きな揉め事に繋がることは避けたかった。

    仕事を辞めたいと思っていた時期はとうに過ぎ、ずっと続けたい仕事に変わっていた。

    私は今の仕事に就きたいと、高校生の時から不定期で更新される採用募集ページをチェックし、その会社に入るために進学先を選び、技術や知識を学んできた。

    私にとって仕事は、自分のアイデンティティでもあった。自分の人生で誇れるようなことは、やりたいことをして身を立てていることくらいしかなかった。

    結婚式をあげたくない理由は、お金かかるし、バツイチだし、目立ちたくもないから。
    (1度目の結婚の時もやっていない)

    理由を説明し、色々と質問もされた。最終的に了承してくれて、私たちは付き合うことになった。


    次の相手とは、上手くやろうと思った。

    はっきり言って、私の収入で割高なペット飼育可の物件で1人暮らしするのはかなりギリギリだった。せめて2人なら…。
    1度目の結婚の時と同じく、早く楽になりたいという自己中心的な考え。

    依存さえしなければ、束縛しなければ上手くいく。そんなことはなかった。

    離婚を経験した私は、元々低かった自己肯定感が著しく下がり、すぐに別れようと言う試し行動や、愛されているか確認するかのように死を仄めかす言動を繰り返した。

    夫は私のことを好いてくれていたが、それらの行動にはハッキリNOを突きつけるように、毅然とした態度をしたり、無視を貫いてくれた。
    そうするとこちらはもう謝るしかない。本気で怒られた。次はないと何度も言われた。

    夫を試す行動は、同棲期間を含めてとても長い時間をかけて無くなっていった。


    交際開始から数年、私は30歳という年齢が近づき、入籍よりも前に妊活を始めることになった。

    私は最初、子どもを持つことに乗り気ではなかった。

    若い頃は何となく、結婚したら子どもを産むもの、それが幸せだと思っていた。

    しかし、歳を重ねれば重ねるほど、人としての未熟さを感じることは多くなり、仕事はやりがいが増え、1年以上の遅れを取りたくなかったのである。

    可愛い犬もいる。子どものように大切だった。同時に災害時に守り切れるかなど、失う恐怖もすごく感じていた。もしも、自分が先に死んでしまったら。

    これ以上、子どもという、自分の命よりも大事な存在を増やしたくなかった。

    もうすでに自分の心がとても弱いこともわかっていて、常に最悪の状況を考えて、まだ起きてもいないのに悲しくて泣く。

    自分の子どもがいじめられたら、犯罪に巻き込まれたら、交通事故にあったら。毎日心配ばかりして暮らさなければいけない。

    何よりも、母親という役割は、嫌になったからと言ってやめることはできない。
    それが1番大きかった。

    一方、夫は子どもを強く望んでいた。

    私は子どもが嫌いなわけではない。
    付き合う時の2つの条件を飲んでくれた夫のために、前向きになることにした。

    多少の紆余曲折はあったが、しばらくして私は妊娠することができ、予定通り入籍もした。


    心配していたつわりは奇跡的にまったくと言ってなかった。

    子どもも順調に大きくなり、予定日よりも前に破水し、産婦人科へ。

    陣痛はトラウマになるくらいの激痛。
    もうやめたい、帝王切開にしてください、これ以上耐えられない。

    痛さと情けなさで大泣きした。
    「お腹の中の赤ちゃんに聞こえてるよ。」
    と苦笑いされた。
    家で待っているだけの夫を恨んだ。
    なぜ私だけが。

    分娩室に入って少ししてから夫が到着し、
    手を握ってくれた。

    事前に上手ないきみ方を動画で私は予習していた。いきみ方を教えているのは、絶叫芸で有名な男性お笑い芸人。

    「目は開けて、声は出さないでいきんで!」

    子どもは元気に産声をあげてくれ、医師と助産師さんたちから
    「おめでとうございます!」と祝福を受けた。

    やっと産まれた。
    可愛い。

    疲れ切って涙は出なかった。

    夫は医師と看護師、そして我が子が移動した後で実感がわいたのか泣いていた。


    子どもを持つことに消極的だった私だが、10ヶ月お腹の中で育て、それはそれは大変痛い思いをして産んだ可愛い我が子は、すぐに宝物のような存在になった。

    育休中の夫に日中家事をしてもらうため、夜間は私が子どもの面倒をみた。

    生後1ヶ月前後の子どもは、夜中の1時から4時は何をしても寝なかった。立って抱っこしていないと泣いてしまう。

    毎日夜になるのが怖かった。朝日が登り始めるのが待ち遠しかった。

    眠っていたらいたで、呼吸が止まっていないか心配になり定期的に触って確認しないと気が済まない。子犬のときの愛犬を思い出した。

    ストレスと寝不足でうつ気味になり、ようやく眠った子どもを抱いて部屋の壁にもたれながら泣いて、夫が起きてくるのを待った。

    首すわりや寝返り、離乳食。
    他人の子と比べては不安になり、ノイローゼ気味になる。

    このくらいは至って平均的な乳児の母親なのではないか。このくらい耐えて当然という意味ではない。

    ノイローゼになるのが普通なくらい、子育ては慣れた頃には子のアップデートが入り、親もついていかねばならない。

    育児書や雑誌などの取扱説明書は本当に困っている時には基本に役に立たなかった。

    私だけの宝物の育て方は、どこにも載っていない。


    そう思えるようになった頃には、保育園の内定通知が届き、説明会や、慣らし保育、職場との面談が慌ただしく過ぎていった。

    私はフルタイムで復職することにした。

    職場の中で育児短時間勤務の制度を使わないのは少数派。育児や介護に理解のある会社なのでフルタイムで戻ることを心配してくれたが、産休ギリギリまで夜勤に出ていた仕事人間なので、まずはフルタイムで戻りたかった。

    夫は付き合う時にした約束の通り、私が仕事を続けられるように、そして転勤の可能性がない仕事に転職してくれた。

    復帰する上で不安なことが1つあった。

    いまだに夜泣きをしているのである。

    「保育園に通い始めたら、夜泣きしなくなったよ。」
    何人にも言われたので、そういうものかと信じた。


    慣らし保育が終わり、復職。

    1週間経っても2週間経っても、2時間おき、ひどい時には1時間おきに起こされる生活が続いた。

    復職してから3ヶ月頃もまだ夜泣きの対応をしながら働いていた私は、まず手足のしびれや背中に痛みを感じることが増えた。
    今寝たら起きられず遅刻するのではないか、
    寝ることも怖くなった。

    そのうち私の頭の中は、逃げ出したい、死ぬしかない。子どもと犬に頭の中で謝りながら死ぬことばかり考え始めるようになった。

    心身の不調を感じ、親として生きなければならない、そう思いながら片っ端から近隣の病院に電話した。

    心療内科の初診は時間がかかるため、予約が取れても2ヶ月近く先。
    最短で取れた病院は1ヶ月半待ちだった。

    実の両親は共に働いており、義理の両親は遠方。それでも誰かに助けを求めれば良かったのかもしれない。

    保育園は児童福祉施設である。

    最近、レスパイト(休息)目的での利用も認められるようになったので、私は有休で1週間仕事を休み、子が保育園に行っている間に寝ることにした。その後はお盆休みまで半日勤務にした。お盆休みは義理の実家で上げ膳据え膳の生活を過ごした。


    1ヶ月半待って受診した心療内科の医師は、今までで1番親身に話を聞いてくれた。

    フルタイムで働いてる人なんてたくさんいるのに、耐えられていない自分が情けないという気持ちでいっぱいなこと。

    出産前のように仕事に集中できないこと。

    実家が頼れないこと。

    話終わる頃には涙でびしょびしょになっていた。

    「夜泣きでほとんど眠れない中、よくここまで耐えたほうだと思いますよ。頑張られましたね。」
    と言ってくれて救われた。

    思えば誰からも労われたことはなかった。

    過去の他院の受診歴からもホルモンの影響も受けやすく、自律神経も乱れやすいということがわかった。

    しばらく仕事を休むこと、
    もしくは時短制度を利用することを提案された。

    仕事は今まで通り続けたかった。

    薬を飲んで、乗り切ることに決めた。

    また、小児科に夜泣きの相談もした。
    まず漢方を試し、あまり効果が無かったので、子ども用の睡眠薬も出された。

    子どもに薬を飲ませることに
    大きな罪悪感を感じた。

    中耳炎を疑い、耳鼻科にも連れていった。

    抜け出せない迷路のような日々。

    迷路の出口を見つけることはできなかった。
    理由はわからないが、何故か激しい夜泣きが終了したのである。

    子どもは夜中1度か2度、眠りの浅いタイミングに暗闇の中私を探して泣くことはあっても、連日連夜泣き続けることはほとんど無くなった。


    数ヶ月は落ち着いた日々を過ごし、いよいよ住居を購入することになった。

    精神的に安定した日々は束の間だった。

    夫とは意見が衝突し、仕事や家事、育児の合間に物件を探す。不動産に行く。車の中や家の中で夫と口論する。

    復職してからもうすぐ1年という頃、
    初歩的なミスをした。
    結果を出したいという自分自身へのプレッシャー。
    自分の育休中に、後輩が取り組んだ仕事で表彰されているのを見て、ひどく落ち込んだ。
    完全に終わっていない子どもの夜泣きが、追い打ちをかける。

    誰も悪くない。いや、自分が悪い。
    こんなはずじゃなかった。
    もっとできるのに。

    子どもを産んだことは後悔していない。

    それなのに、子どもを産んでいなければと考えてしまい、自己嫌悪に陥る。

    布団に入っても眠ることができず、毎日抗不安薬を飲んで眠り、出勤した。


    限界が来た。

    症状をいつも行っている心療内科の医師に伝えたら、紹介状を出すので精神科のある病院に行くことになった。

    紹介状があっても、また初診からの予約である。

    仕事を10日近く休んだ。
    復職したころには35日あった有給休暇は、子どもの看病よりも自分の体調不良で使うことが多く、あっという間になくなってしまった。


    仕事を休んでいる間に見る夢は、
    自分が高校生に戻る夢が多かった。

    違う進路を選んでいれば。

    少ない給料や嫌がらせから逃げ出したい一心で、焦って婚活し、結婚をすることもなかった。

    結婚相手に向いていない夫に依存し、
    あげく離婚をすることにならなかった。

    同棲、結婚、離婚、同棲、結婚。
    頻繁に引越しをするので貯金は常に貯まらなかった。

    本当はわかっている。

    今の状況になったのは、他人に幸せにしてもらおうと、自己中心的な選択をしてきた自分のせいだと。

    私立の大学に行けないならと迷わず専門学校を選んだ。
    高校はそれなりの進学校に通っていたのに。
    現役は無理でも、浪人すれば国公立大学に行けたかもしれない。

    仕事の内容や収入を不満に思うことがあり、
    進路を間違えたなと思うことが何度もあった。

    過去の私は未来の私に尻拭いさせることを選び、
    今の私は過去の私に責任を押し付けている。

    自分のことがどんどん嫌いになっていった。

    過去に戻ってやり直すことも、
    助言してあげることもできない。

    この性格は死なないと直らない。

    生まれ変わりたい。人間そのものをやめたい。


    転院先の病院では、
    うつ症状あり、とまず診断された。

    受診する何日か前に、ネットで双極性障害について調べたらほぼ全ての症状が当てはまっていた。夫に聞いても、そうなのではないかと言われた。

    性格は完璧主義、社交的、負けず嫌い、責任感が強い。

    気分が高まっている時は、すごく頭が冴え渡って眠らない、テンションが高く空回り気味、やってみたいことで頭がいっぱいになる。浪費が多くなる。予定を詰め込む。

    その後に大きく沈む。昼も眠り、夜も眠る。常に死が脳裏をよぎり、過食する。人と話す気力が無くなる。

    そのことを医師に伝えたら、双極性障害とすぐには断定できないが、その疑いがあるということになり、気持ちの波をおだやかにする薬を処方された。少しほっとした。

    死にたいという気持ちを持ちながら、
    食べ物を食べるのはおかしい。
    元気な時も多い。職場では陽気でコミュニケーションをとることが好き。
    これは鬱ではなくストレスから来る甘えなんだ。自分を恥ずかしく思っていた。

    薬は最初は量が少なく、すぐに効いたわけではなかったが、自分の性格のせいではなく、病気のせいだと思って受け入れるようになってからは、気持ちが少し楽になった。


    子どもは可愛く、子どもを生かすためには家事もしなくてはならないが、仕事が好きだった私は、出産前と同じように働くことにとてもこだわっていた。
    やる気さえあれば何とかなるだろう。

    しかし医師に、
    「この破綻した生活をずっと続けるつもりなのか?」
    そう言われ、ようやく諦めがついた。
    もしかしたら私は誰かに、
    もう無理だよ、と止めて欲しかったのかもしれない。

    上司に診断書を出し、夜明け前に起き早朝から働くという勤務時間を変更してもらった。


    子どもは2歳間近になり、今までまったく興味を持っていなかった、アンパンマンを好んで見るようになった。

    子ども向けのアニメの主題歌にしては、メッセージ性の強すぎる歌が流れる。

    私はなんのために産まれて、
    なんのために生きているのだろう。

    もちろん今は愛されるために生まれてきた犬を可愛がり、自分が産んだ子どもを生かさねばならない。

    目の前の子どもを見て、私もかつては同じように生きているだけで尊く、愛されていたことに気付かされた。

    何かのために産まれたわけでも、
    何かをしないといけないわけではない。

    エンディング曲では、自信がなく、くじけそうになったら、いいことだけ思い出そう、と歌っている。

    今日が幸せであればいいのに、過去を後悔するのは、向上心があるから。そう思おう。


    タイムリープもののドラマや映画が好きだ。

    主人公は今現在の自分や状況になんらかの不満や後悔を抱いており、過去の”人生の分岐点”に戻って人生をやり直す。

    もちろん、過去に戻ってよかった、ハッピーエンドとはいかない。大抵はどこでどのような選択肢を選んでも上手くいかず、結局今のままが1番良いとなり終わる。

    そんな作品を見ると、今までの自分の選択を肯定することができた。

    できるだけ長生きしたいな、
    生まれ変わってもまた私になりたい。
    とは思えない。

    今の記憶を持ったまま、人生をやり直すことも、21世紀のうちは無さそうだ。

    生まれ変われないのなら、せめて。
    この真っ白な犬の柔らかい毛を1分1秒でも多く撫で、夜中目が覚めるたびに私の手を探して泣いてしまう、小さな掌を握り眠ろう。

    私の新しい顔は、
    この子が作ってくれるのかもしれない。



    サムネイルイラスト:koharu




     
     
    1児の母、本業は犬撫で。仕事は植物関係。 双極だけど雑草のようにしぶとく生きてます。

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