
母を救うのをやめた時、私の人生が始まった
実家の玄関をあけて迎えてくれる母を見るたびに
「ああ、また小さくなったな」
と思い、少ししんみりした気持ちになります。
「自分も30年後にはあんなふうに背中が曲がっているのだろうか?」
「あと何回ぐらい、こうして一緒に家で過ごせるだろう?」
そんなことを思いながら母が揚げてくれたてんぷらを食べました。
食卓に並んだ、イワシ、しいたけ、なすのてんぷら。ちょっと不揃いだけど、どれも母と私の大好物です。
懐かしい油の匂いとともに、口に運んで噛みしめました。

少し前の自分と比べると、ずいぶん、母と過ごす時間が穏やかなものに変わりました。
それは何年も何十年もかけて自分の内側と向き合いながら、いろいろなものを手放してきた結果、手に入った余白のように思います。
子どもだった私にとって、母は
守ってあげなければならない存在、
幸せにしてあげなければならない存在、
救い出さなければならない存在でした。
幼かった私は母を幸せにするために全方向での責任感を背負い、母の幸せのためになら喜んで犠牲になろう、母が幸せになるまでは、決して私も幸せにはなるまいという誓いを立てていたのだと思います。
けれどもそれは、自分の人生、自分の幸せを明け渡すことでした。

いつのまにか私の内側は、私がどうしたいかではなく、他の人が私に望むことでいっぱいになってしまっていました。
そして皮肉なことに、どんなに努力しても期待に応えようとしても、母を喜ばせることはできなかったのです。
私の不満も限界に達して、わざと母にきつく当たったことも何度もありました。
そうしてついに、私は自分の人生を明け渡し続けることができなくなりました。
それは、「私は母を救えない」「私は母を幸せにできない」という絶望と向き合うことでもありました。
そこから何年も何十年もかけて、
母からの期待、
私から母への期待、
母が望む自分ではないことへの罪悪感、
両親の夫婦関係に対する責任感などを手放すための、自分との向き合いが始まりました。
そして実は母は、私が思っていたよりもずっとしたたかだったことや、母にとっての夫婦関係や家族像は、子どもの私が見ていたものとは異なっていたことなどが腑に落ちていきました。

親子関係の影響は私たちが思っている以上に、計り知れなく大きいものです。
私たちが一人残らず親から生まれた存在である以上、親からの影響は、親がいなくなった後も、自分が親の年齢を超えた後も、続くものだと思います。
そういう連鎖が果てしない過去からはるかな未来までずっと続いているのが、人類の歴史でもあるのでしょう。
私と母の関係もまたここからゆるやかに変わっていくかもしれないけれど、私は母という、自分に一番近い他人の何気ない毎日が穏やかであるようにと願えることに、ささやかな幸せを感じることができました。
そんな願いを心に抱けるまでに、いろいろと手放してきた自分の来し方をも愛おしく思えた。
いつかあのてんぷらの香りとともに、この日を思い出す日が、きっと来ると思います。