
浦島ギタリストの逆襲 [1]
10数年ほど前の話になるが、左手の人差し指にひどい怪我した。
救急車が来るのを待つ間、洗面所でひたすら流れ出てくる血を洗い流しながら、裂けた指先を見てまず思った事は、「ああ、これでもうギターは弾けないな」であった。しかし、その頃私はもうずいぶん長い間、ギターからは遠ざかっていた。
ギターを弾き始めたのは中学1年生の終わり頃だったと思う。昭和の頃の話である。当時、TVから流れていたのは沢田研二とか、山口百恵とか、そんな大昔の話である。
4つ上の姉がいるのだが、その頃に姉がフォークギターを買ってもらった。しかし、弾いているのをあまり見た記憶がない。居間に転がっているギターをポロンポロンと弾いているうちに、いつのまにか私の方が姉より上手くなっていた。
繰り返すが、昭和の頃の話だ。当時の音楽媒体といえば、アナログレコード、カセットテープの時代で、ギターを持てば、まず最初に手を付けるのは所謂フォークソングの類いである。ニューミュージックという言葉が流行るのはもう少し後の話。当時でも、かぐや姫とかNSP(納豆・そらまめ・ピーナッツ、ではない)はまだ人気があった。
ご多分に漏れず、私自身も「神田川」「二十二歳の別れ」「夕暮れ時はさびしそう」などの伴奏を練習し始めた(自分では歌は歌わなかった。いまでも弾き語りなどはしないし、できない)。そんな中でも、お気に入りは「風(伊勢正三と大久保一久のユニット)」であった。当時としては、フォークソングというよりは、所謂バンドサウンドであって、ちょっとモダンな感じがしたのがお気に入りの理由であろう。つまり、私はフォークソング指向ではなかったという事だと思う。
そういった指向であったので、すぐにハードロックへと変節した。当時の同級生にY君というのがいて、彼からTEISCOのエレキギター(現在では、ビザールギターと呼ばれるようなもの)を借りてきて、「ハイウェイスター」をコピーしたりなどしていたのだが、NHKラジオの「若いこだま」という番組で渡辺香津美氏(一日も早く快癒されることをお祈り申し上げます)の演奏を聴いて衝撃を受けた(「あぁ、自分はこれだ。これがいい」)。
所謂「クロスオーバー」である。当時はまだ「フュージョン」などという言葉はなかった。ジャズの編成ではないジャズ寄りのインストルメンタルはすべて「クロスオーバー」と呼ばれていた。
早速、手持ちのフォークギターをエレキギター用の弦に貼り替えて、「シュガー・ローフ・エクスプレス」をコピーしたりなどした。しかし、ハイフレットに指が届かない。そうなると当然、「県立高校に入学できたらエレキギターを買ってくれ」となる。
長くなりそうなので、へつづく