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そういえばnoteがあったな、と思い出した

    何かを始めるのに、大きな理由はなくてもいいのかもしれません。
    思い立ったが吉日、というほど勢いのある話ではないのですが、書いてみたくなったのです。

    きょうは、そういう話です。

    計画的に、noteを始めてみた

    あらためて、noteにアカウントを作りました。自己紹介も書きましたし、これから書いてみたいこともたくさん思い浮かんでいます。「あれを書こう」「こんなマガジンをつくろう」と、いろいろ計画を練っている自分がいます。

    たとえば、情報セキュリティについて。きのうも少し書きましたが、この分野はITの総合格闘技のようなところがあり、いまでも奥の深さを感じています。そしてこの分野では、多くの人たちが情報の海を泳ぐようにして働いています。私は、そんな人たちを、そして自分自身を応援できるようなことを、たくさん書いていきたいと思っています。

    「泳ぐように」といえば。軽やかに、空を飛ぶように生きている人もいれば、重みを抱えながら、水の中を泳ぐように生きている人もいます。そして私自身は、どちらかといえば後者、泳ぐように生きている側の人間だと思っています。だからこそ、自分自身を、そして同じように泳いでいる人たちを励ませるような言葉を、これからも綴っていけたらと思っています。

    でも、きょうはちょっと別のことを

    でも、きょうは、そういった話とは少し違うことを書きたい気分です。

    まとまったテーマがあるわけでも、誰かに伝えたい内容があるわけでもありません。ただ、「書きはじめる」ということ、そして「書きつづける」ということそのものに、いまの自分にとって何か意味があるような気がしています。

    思えば、インターネットが普及してからというもの、ブログやSNS、そしてこのnoteのようなサービスも含めて、「誰もが何かを書ける場所」は大きくなりました。それは単に発信の手段が増えたというだけではなく、私たち一人ひとりが、自分の声を持てるようになった、という変化だったのだと思います。そして実際に、その「書ける場所」で、誰かがいま書けることを書く――そんな行為の積み重ねが、世の中を少しずつ、けれど確実に変えてきたのではないかと感じています。

    もちろん、変化は必ずしも良い方向にばかり進むわけではありません。間違った方向に舵を切ってしまうこともあるでしょう。
    けれど、大きな流れとしては、より多くの人がその人らしく生きられる方向へと、世界は変わろうとしている。それは、おそらく正しいことなのだと思います。

    だからこそ、「書ける場所」で、いま自分に書けることを書く。
    それは、とても大切なことなのではないか。

    思い出したnoteという場所

    noteというサービスのことは、以前から知っていました。パスワードマネージャーにはしっかり残っていますから完全に忘れていたわけではないのですが、忘れかけていたというのもまた確かで、本当に「そういえばあったな」という感覚でしょうか。

    東京生まれ東京育ちで東京が好きなのに、だんだんとにぎやかになっていくことに耐えられないという矛盾は、このnoteでも覚えていました。「あらためて」noteのアカウントを作ったということは、一度noteを離れたということでもあります。

    けれどいまになって、「ここに書いてもいいのかもしれない」と思いました。

    noteは、多くの人に届くことを狙う、そんな人が多い場所だと感じます。しかし、よく考えると、多くの人に届くことを狙わなければいけない場所ではありません。

    みんなの場所としてのnoteのにぎやかさと、うまくつきあうコツをつかんだのかもしれません。あるいは、どこまでいっても自分はなんというか、「寄留者」なのだと気付いたからかもしれません。正直なところ、よく分からないのですが、いずれにしても、noteを使うけどnoteに「いなくてもいい」と、いまは思っているのです。

    そして、そう思えたとき、少し肩の力が抜けたような気がしました。
    ウケ狙いは苦手です。たぶんそういう才能はありません。
    そして、多くの人に届くことよりも、目の前のあなたに届くことの方が、大切だと思っているところが、私にはあります。

    きれいに書かなくてもいい文章を

    形式ばらずに、考えていることをそのまま書いてみたいと思いました。
    きれいにまとめようとせず、途中の思考や迷いも、そのまま残していい。
    そういう文章がひとつくらい、いや、いくつかはあってもいいのではないか、と思っています。

    考えながら書く、迷いながら書く、揺れたまま書く――それもまた、書くという行為の自然なかたちではないでしょうか。不安定かもしれませんが、そういう文章が、だれかの心のどこかに引っかかって、なにかを考えるきっかけになることもあるかもしれません。あるいは、ただ「わかる」と感じてもらえたら、それだけでもいいでしょう。

    きょうは、文章を手がかりにして、まだ形になっていない思いや、言葉にならない感覚と向き合いたくなりました。ちょっと拙くても、少しくらい脈絡があやふやでも、書き出してみることに意味があるのだと、気付くことができました。

    ここまでにしましょうか。

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    数年前に訪れたタウシュベツ川橋梁

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    h12o

     
     
    1975年東京生まれ、武蔵野在住。セキュリティエンジニア。剣道三段。プロテスタントのクリスチャン。Mastodon.Tokyo管理人。本や仕事、AI、信仰について、考えたことを言葉にしています。流行よりも、自分が納得できる文章を書きたいと思っています。投稿はすべて個人の見解です。

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