
第三話 信じる ― 前世の記憶が、今の私を伝える人へと導いた
大阪のカフェ・ローデストンで前世を観てもらったとき、三代前は江戸時代の農家の女性、二代前はインドの修行僧、そして直前の前世は、約100年前のアメリカで小学校の先生をしていた男性だと教えていただいた。
三つの前世の中で、一番意外だったのは、この「先生」という人生だった。
なぜなら私は、子どもの頃から「先生にだけは絶対なりたくない」と思っていたからだ。
その記憶は、幼稚園までさかのぼる。
授業中、クラスの少しやんちゃな男の子が私に話しかけてきた。
私は返事をした。
その瞬間だけを先生が見ていて、私だけが「おしゃべりをした子」として廊下に立たされた。
雨が降る園庭を眺めながら、「先生は何もわかっていない。」そう思っていた。
話しかけてきた子ではなく、返事をした私だけが叱られた。幼いながらに、とても理不尽で悲しかった。
小学生になると、先生は私を「直そう」とした。
忘れ物が多い。
ぼんやりしている。
授業中によそごとを考えている。
そんな私を、なんとか「普通の子」にしようとしてくれたのだと思う。
でも私は苦しかった。
私を見ているようで、本当は見ていない。
「できないこと」ばかりを見られているような気がしていた。
中学生になると、先生を見る目はさらに厳しくなった。女子校だったので、若い男性教師を見ては、「女子にモテたくて女子校に来たんじゃないの?」なんて、今思えば大変失礼なことまで考えていた。
高校では、ドラゴンズが負けた翌日は機嫌が悪くなる先生と口論になり、教科書を投げられたこともある。
今なら笑い話だけれど、当時は「感情で人を指導する大人」が理解できなかった。
だから短大では、教職課程だけは絶対に取らなかった。
先生になる資格なんてない。
なりたいとも思わない。
ずっとそう思っていた。
ところが人生とは、不思議なものだ。
気づけば私は三線教師の資格を取り、糸紡ぎや草木染め、ハーブのワークショップを開き、会社では人に伝え、人の挑戦を支える仕事をしている。
「あれ? 私、先生みたいなことをしている。」そう気づいたとき、自分でも少し可笑しかった。
あれほど「先生にだけはなりたくない」と思っていた私が、気づけば人に伝え、人の成長を支える立場になっていたのだから。
でも、心のどこかで、どうしても腑に落ちないことがあった。
私は、人に「教えている」という感覚がなかったのだ。
会社人生の中で、大きな転機になったのが、全社の業務改善を推進する仕事だった。
改善の考え方や進め方を伝え、それぞれの部署で実践してもらい、仕事を効率化していく。
それまでの私は、自分が実務をこなすことが仕事だった。
でも、この仕事は違った。
自分が成果を出すのではなく、「相手が成果を出せるようになること」が、自分の役割だった。
最初は、良い方法を伝えれば、誰でも実践してくれると思っていた。
ところが現実は、まったく違った。
同じ説明をしても、すぐに動く人もいれば、慎重に考える人もいる。
数字を示した方が納得する人。
体験談を聞いた方が心が動く人。
まず全体像を知りたい人。
とにかくやってみたい人。
人は、こんなにも違うのか。
その違いを目の当たりにした。
そこで私は、もっと「人」を知りたいと思うようになった。
組織開発を学び、その中でMBTIと出会った。
フィードバック実践者の資格も取得した。
実際に資格を活かす機会はなかったけれど、この学びは今でも私の人生を支えている。
MBTIで一番心に残ったのは、
「人には、生まれ持った心の利き手がある」
という考え方だった。
右利きの人に左手だけで生活しなさいと言われたら苦しいし、努力不足なんかではない。
利き手が違うだけ。
心も同じなのだ。
人には、それぞれ自然に使える心の動かし方がある。
だから、人と違っていてもいい。
苦手なことがあってもいい。
無理に変わる必要なんてない。
その考え方に触れたとき、幼稚園で廊下に立っていた小さな私を思い出した。
あの日の先生は、私を見ていなかったわけではない。
私という一人の人間を、「みんなと同じ」にしようとしていただけだったのかもしれない。
そして私は、長い間「先生」という存在に違和感を持ちながら生きてきた理由が、ようやくわかった気がした。
私は、人を変えたいわけではなかった。
その人を、その人として見たかったのだ。
今の仕事もそう。
新規事業を考える人たちの伴走をするときも、私は答えを教えているわけではない。
その人の中にある可能性が形になるよう、一緒に考えているだけだ。
三線も。
ハーブも。
草木染めも。
メタトロンも。
私は技術を教えているつもりはない。
その人の中に眠っている感性や力が、少しずつ顔を出してくる。
その瞬間に立ち会うことが、何よりうれしい。
農園で野菜を育てるようになって、その思いはさらに強くなった。
種は、育て方を教えられて芽を出すわけではない。
もともと芽を出す力を持っている。
必要なのは、光と水と土。
その力が発揮できる環境を整えることだ。
人も、きっと同じなのだと思う。
還暦を迎えた今、前世という物語をきっかけに、私の人生に一本の線が通った。
農家として、命を育てた人生。
修行僧として、自分の内側と向き合った人生。
教師として、人を信じることを学んだ人生。
それらは決して別々ではなく、今の私の中で静かにつながっていた。
前世が本当にあったかどうかは、私にはわからない。
でも、この三つの物語は、今の私を確かに説明してくれた。
そして私は、ようやく自分の使命を言葉にできるようになった。
人は変わる必要なんてない。
本来の自分を思い出すだけでいい。
私は、そのきっかけを届けるために、人と出会っているのだ。