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息子が僕に気を使った日、野球は「好き」じゃなくなった

    パパ、練習しよう!

    この言葉がどれほど彼の心を強く締め付けさせていたのだろう。
    その時の表情は今でも忘れられない。無理して笑い、瞳の奥が曇っていた。
    重くのしかかっていた「期待」が、息子を好きなことから遠ざけていたのを知らずに……

    常にきつい言葉を投げつけていた事実が息子の表情を介して見えたとき、涙が頬を伝った。

    我が家はサラリーマンの僕とパートの妻、そして8歳と2歳の子どもが暮らす家庭で、幸せな毎日を送っています。
    僕は小学4年生からずっと野球を続けてきた37歳2児の父。
    息子が小学1年生になり、初めて習い事をしたいと言ってきました。

    「パパ、野球がしたい!」

    息子以上にはしゃいだ記憶が今でも鮮明にある。
    すぐにグローブとボールを購入し、学校へ行きボールを投げる練習を開始。

    夕方に野球クラブへ連絡して、体験の日付を決めた。
    もはや息子より僕のほうがワクワクしていたのは忘れもしない。

    体験へ行き、高校の先輩が監督をしていたことから、入部&僕のコーチ就任も速攻で決まったのには親子でビックリしました。

    やるしかない。

    コーチであり父であるということ

    なんとなく自分が夢見ていた「親子でキャッチボール」が実現されることに感激していました。

    そのときから勘違いし始めていたんでしょうね。

    はやく手加減なしのキャッチボールがしたい。
    圧倒的に活躍してほしい。

    野球を始めてすぐの小学生に対する考えじゃないことに気づかず、スパルタ指導が始まりました。

    私生活でも野球の話。
    野球が上手いやつは毎日練習してる、野球を習うなら礼儀を大切に、野球をするなら……

    はじめこそ息子もそれなりに付き合ってくれていましたが、半年ほどたってから様子が変わってきた。

    「今日は休みたい」

    彼の表情を読むこともせず、「習っている以上行きなさい、タダじゃないんや。そんなんで周りに勝てるわけないやろ!」

    今思えば6歳の子に最低なことを言っていたと、今書きながら猛省。
    コーチである前に、父として気持ちに寄り添ってあげることを忘れてはいけない。

    「強いる」と「導く」の境界線ー自分がやっていたことの正体に気づく

    僕が会社から帰ってきたら当たり前のように一言。

    「宿題終わったら、素振りやるぞ」

    しかも捨て台詞を吐くように。
    体力的にもそこまでバットを振れるわけではないのはわかっていたので、30回/日振らせていた。

    ここでひとつ今ようやく理解したこととして、
    「強いる」ことと「導く」ことは内容に差が無くても、子どもの取り組み方が変わるんだということ。

    彼にとっては毎日が苦痛だったんじゃないかな?
    来る日も来る日も練習を強いられて、好きだったパパ時間 (仕事終わりの夕方) が嫌になっていたと思う。

    なんとなく入部して3か月くらいから、違和感は感じ取れていた。

    「あれ?楽しいって最近言ってないな。表情も4月より暗いよな」

    気を使う&使われた側の痛み―好きだったはずが義務に変わるとき

    練習前の表情が「無」になっている。
    それでも練習に行くと、一生懸命声を出して取り組んでいるし……

    週末の昼。
    帰り道に野球の話をしても、下を向き話をあまりしたがらない。
    確信した。

    息子が野球を好きでやっていない。
    瞬間、思い当たる節が走馬灯のように溢れかえってきた。

    「今、野球好きでやっとるわけじゃないんか?」

    彼はすこし黙ったあと、首を横に振った。

    「正直に言ってや?パパが厳しくしすぎて、辛いとかないか?」

    それでも首を横に振る息子。
    完全に察した、野球は今好きでやっているわけじゃないんだ、と。

    僕は落ち込んだ、なぜか涙がこぼれた。
    自分が追い込んでいたくせにだ。

    その瞬間、先に車から降りていた息子が僕の情けない姿を見て、近づいてきた。

    「パパ、練習しよう!」

    彼は精いっぱいの笑顔で伝えてくると、リュックからグローブを出しキャッチボールをする用意を始めた。

    あぁ……7歳の子に気を使わせてしまってるんだ。
    これまでの彼に対する行いと今の姿を見ると、何にも言い難い感情が僕の中に湧いてきた。

    情けない。

    接し方を見直し、気持ちを見つめなおす時間の共有

    本当に情けない。

    好きなことを義務へと変えてしまっていた自分の業はかなり深いものだと実感してる。

    すぐ息子と話す機会を設けさせてもらって、二人で話しました。

    パパが間違っていたと伝えた
    野球への向き合い方はどうしたいのか?
    好きな気持ちはなくなっていないのか?

    彼の本音は、
    「野球が大好きなのは変わらない、でも強制されたくない」

    でした。
    そりゃそうだよな、と。

    だからといって練習を自立してできる年齢ではないだろうし、一緒に頑張っていきたいという旨は伝えた。
    パパもトレーニングするし、隣で一緒に練習しよう、と。

    「それならやりたい」とすぐ返事をくれた。
    野球自体はパパとしたいらしい。

    当時まだ1年生。
    気持ちをしっかりと考えてあげて、彼の気持ちに寄り添ってあげながら練習することにお互い納得しました。

    休みたいときは休む!やるときはやる。
    楽しさを最優先に野球を続けよう!って。

    好きこそものの上手なれ

    ここからどうやって彼の野球に対する姿勢が変わったのかを深堀りしていこうと思う。

    結論としては成功体験。
    元々野球は好きでも、ゲームのほうが比重が大きかった。
    でもそのままじゃあライバルには勝てないと見てて感じたし(実際に四六時中野球してる野球バカの子がいた)、どうすればもっと野球に取り組めるようになるのか?を考えてみた。

    それで、さきほど挙げたように成功体験をもたらしてあげた。
    どんな体験か?

    家の中で試合をしただけ。
    しかも本番用の軟式ボールではなく赤ちゃんが遊ぶプニプニボールで。

    少なくとも2m先から放たれるボールはいくら1年生ピッチャーといえど普通に三振した。
    大喜びで煽り散らかしてきた彼はとても楽しそうで、充実感のある良い顔をしていました。

    そうだ、そもそも野球というゲームで遊ぶだけで良いじゃないか!
    強いてばかりのスポーツなんてただただ親、コーチのエゴなんじゃないかって。

    いかに子どもが「野球って楽しい」と感じ取ってくれるかが、僕たちの使命なんだと。

    向き合うとは、相手の好きを守ること

    結局はいかに好きでいてくれるかが大事ということ。

    親としても、コーチとしても上記が崩れると子どもは急にやる気をなくすことが体験談として伝えたいことです。

    相手の「好き」を守ってあげる。
    これだけでも僕たちが思っている以上に子どもは成長してくれるんですね。

    一緒にプレイしたり、一緒にふざけたり、話を聞いてあげたり……
    寄り添う大切さを痛烈に学んだコーチ1年生でした。
    ではまた!

    📝 このnoteを書いた人
    にしたあきひろ
    見て、感じて、向き合う。人との向き合い方をずっと考えてます。

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