
14歳の夏、私は知覧で泣いた
「私、戦争映画が好きなんです。」
こんなことを言うと、大体いつも驚かれる。
思いがけず、会社の上司と趣味が一致し会話が弾んだこともあるけれど、そんなことは珍しい。
戦争映画以外にも、軍事に関連する作品を観たり本を読んだり、資料館を巡ったり、自分なりに調べるのが好きだ。
専門的な知識があるわけではないけれど、そういう世界に触れていると、日々の悩みを忘れて入り込める感覚がある。
しかし私自身も、20代の女性の趣味にしては少し珍しいほうだと思う。
思い返してみると、その原点は14歳の夏だった。
とある経験が、軍事や戦争の歴史への興味をかき立てた。
そしてそれ以上に、私の価値観そのものを静かに変えていった。
14歳の夏。
今から14年前、私はごく普通の中学生だった。
勉強や部活をして、友達と遊んで、将来のことなんてぼんやりとしか考えず、なんとなく日々を送っていた。
そんなある日、両親が家族旅行の計画を立ててくれた。
行き先は鹿児島県だった。
そしてその観光の流れで、父が前から行ってみたかったという知覧特攻平和会館へ行くことになった。
当時の私は知覧という場所も、特攻隊についても何も知らなかった。
そのため、知覧特攻平和会館と聞いても、戦争と関連のある場所だということすら、自分の中ですぐには結びつかなかった。
遠い昔に日本で戦争が起きていたことは知っていたけれど、学校で習う程度のことしか知らなかったのだ。
小学生の頃、祖母にほんの少しだけ空襲の話を聞いたことがあった。
その時は、自分から聞いたくせに怖くて向き合いたくなくて、他人事のように聞いてしまった記憶がある。
戦争=怖いもの。そんな単純な方程式が自分の中で出来上がり、向き合うことができなかったのだ。
しかし私は、旅行先のことは事前に調べておきたい性格で、そのこだわりは今も昔も相変わらずだ。
14歳の私は、知覧や特攻隊について、親に聞いたり自分で調べてみたりした。
衝撃を受けた。
「こんなことが、本当にあったの?」
特攻隊とは、太平洋戦争末期に、爆弾を積んだ飛行機などで敵艦に体当たり攻撃を行った部隊である、ということを知った。
しかも、たくさんの若い人たちが、特攻隊として命を落としたのだという。
平和な毎日が当たり前だった14歳の私には、あまりにも重すぎる現実だった。
そう遠くない過去に、信じられないことが起きていた。
そんな現実を知り、涙が止まらなくなり、頭の中が真っ白になった。
戦争について考えることすらも怖かったのに、若い人たちが恐怖の中で出撃していったと思うと、怒りとも恐怖とも言えない感情でいっぱいになった。
それからしばらくは、夜になってもなかなか眠れなかった。
特攻隊の人たちは、どんな気持ちだったんだろう。
怖くて、苦しかっただろうな。
そんなことばかり考えてしまい、頭から離れなくなっていた。
それから数日後、私は実際に知覧を訪れた。
知覧は、鹿児島県南部の南九州市にある町。
一面に広がる茶畑や、美しい武家屋敷。
晴天の下ゆったりと観光を楽しむことができ、私は知覧を素敵な場所だと感じた。
そして旅の終盤、知覧特攻平和会館へ向かった。
楽しみなような怖いような、複雑な気持ちだった。
道中、車の後部座席から外を見ていると、たくさんの灯篭が道沿いに並んでいたのを覚えている。
少しずつ空気が変わっていくように感じ、私は緊張していた。
到着し館内へ入ると、今までに味わったことのない厳かな空気が流れていた。
私は、ずらりと並ぶ特攻隊員の方々の遺影を見た。
14歳だった当時の私と少ししか年齢の変わらない、少し年上のお兄さんたちの顔。
それなのにどの人もまっすぐな眼差しをしていて、とても凛々しく、大人びて見えた。
その姿が私には、どこか眩しく映った。
それと同時に、会ったこともない人たちの顔なのに、なぜだか身近に感じられた。
そこに写る彼らは、歴史の教科書に出てくるような遠い昔の人物ではなかった。
私は「特攻隊員」ではなく、「一人ひとりの人生があった人たち」として遺影を見ていた。
私と同じように家族がいて、友人がいて、好きな人もいたのかもしれない。
そう考えると、胸がぎゅっと締め付けられた。
その後、特攻隊員の方々の遺書を、私はひとつひとつじっくりと読んだ。
皆さんとても達筆で、筆圧や小さな文字まで私はじっと見てしまった。
家族や愛する人へ向けた最期の手紙。
もう会えなくなってしまうことを受け入れながら書いた言葉なのだと思うと、胸が苦しくなった。
ご本人たちにしか分からない想いがあったのだろうと、勝手に想像してしまった。
けれども、どれだけ想像しても、その気持ちを本当の意味で理解することはできない。
ただ、彼らにはとても大切な人がいて、幸せな瞬間がたくさんあった、ということが伝わってきた。
「来世でまた出会って、幸せになってほしい。」
14歳の私は、本気で願っていた。
「こんなことが、本当に起きていたんだ。」
実感すればするほど苦しかった。
遺影や遺書を見ているうちに、特攻隊員の方々が遠い昔の人物ではなくなっていたからだ。
彼らにも家族がいて、帰りを待つ人がいて、叶えたい未来があったはずなのに。
それでも出撃しなければならなかったことが、14歳の私にとってはただただ悲しかった。
あまりにも報われないように思えて、なぜだか申し訳なさのような感情まで込み上げてきて、胸が苦しくなった。
その苦しさから逃げるようにロビーへ出ると、ひとつの絵画が目に入った。

※知覧特攻平和会館HPより引用
この絵画は、炎に包まれた隼の機体から、6人の天女が特攻隊員を救い出し、昇天させる姿を表現したものだ。
目が離せなくなった。
特攻隊員の方々の魂だけでも、この絵画のように救われていてほしい。
そして、天国で穏やかな時間を過ごしてほしい。
戦争の時代を生きた彼らに、安らかな時間が訪れていてほしい。
「天国へ行けそうでよかった。」
この絵画を見て、14歳の私は安堵し涙が溢れた。
胸の苦しさがほんの少しだけ、ふっと浄化されたような気がした。
私の心が少しだけ救われたのだ。
知覧から帰ってきてからは、特攻隊に関する本を読み、DVDを借りて映画を観ることが日常になった。
知覧で購入した『知覧特別攻撃隊』という本は、今でも私の大切な一冊だ。
戦争=怖いもの。そんな単純な方程式のせいで戦争と向き合おうとしない自分はもういなかった。
戦争について知りたい。知っておかなければならない。
そんな気持ちが芽生えていた。
それから時は流れ、私は28歳になった。
特攻隊だけではなく、日本や世界の戦争について本を読み、映画を観て、資料館を訪ね、自分なりに学び続けてきた。
調べれば調べるほど、知覧で知ったことは戦争のほんの一部分にすぎないのだと気付かされた。
なぜ特攻が行われたのか。なぜ戦争は始まったのか。なぜ多くの人が戦争へ向かわなければならなかったのか。
時代を遡りながら学ぶ中で、現代を生きる私には理解しきれないことも数多くあった。
それでも、知覧で出会った特攻隊員の方々の遺影や遺書を思い出すたびに、一つだけ確かだと思えることがある。
それは、戦争の時代を生きた人々もまた、私たちと同じように大切な人を想い、幸せな未来を願っていたということだ。
戦時中、遺書に本当の気持ちすべてを書くことは許されなかったのかもしれない。
泣き言は胸にしまい、気丈に振る舞うように書いたのかもしれない。
しかし、たくさんの遺書から読み取れた、家族や愛する人への気持ちや、楽しかった日々を懐かしむ言葉は、決して嘘ではないと思う。
家族と過ごす時間。友人と笑い合う時間。愛する人との未来。
そうした何気ない幸せを大切に思う気持ちは、時代が違っても変わらないのではないかと思う。
むしろ戦争があった時代だからこそ、私たちよりも強い想いがあったのかもしれない。
だからこそ私は、戦争を「歴史上の出来事」としてではなく、「確かに誰かが生きた時代」として考えるようになった。
知覧で感じたことが、私を戦争の歴史につなぎ留めてくれた。
そして、そう遠くない時代に命を懸けて精一杯生きた人たちの存在を、私に身近なものとして感じさせてくれた。
その人たちにも、守りたいものや叶えたい未来があったこと。
それを知ることは、単に歴史を学ぶ以上の意味を私に与えてくれた。
そして気付けば、その経験は私の日常にも影響を与えていた。
知覧で出会った特攻隊員の方々にも、守りたい家族や大切な人がいた。
そう考えるようになってから、私は家族と過ごす何気ない時間を、以前より大切で愛おしく感じるようになった。
一緒に食事をすること。他愛のない会話をすること。「いってきます」と言って出かけ、「おかえり」と迎えてもらうこと。
そんな当たり前の日常は、決して当たり前ではないのだと思うようになった。
また、日本という国について、以前より関心を持つようになった。
知覧で出会った特攻隊員の方々にも、それぞれ守りたい家族や故郷があった。
そのことを知ってから、私は「日本を守る」という言葉を以前とは違う意味で受け止めるようになった。
それは国そのものだけではなく、その中で暮らす人たちの日常や、大切な人との時間を守ることでもあるのだと思うようになった。
だから、今の日本を守るために活動している自衛隊にも自然と関心を持つようになり、政治や社会の出来事も、自分とは関係のない話として流せなくなった。
今、自分が当たり前のように過ごしている毎日も、多くの人の支えの上に成り立っているのだと感じるからだ。
そして、命を懸けて日本を守ってくれた彼らに恥じない生き方をしたい。
彼らが大切に思った家族や故郷、未来を、私たちも大切にできる社会でありたい。
戦争の時代を生きた人たちの人生を知れば知るほど、私はそう思うようになった。
今振り返ると、あの日知覧で受け取ったものは悲しみだけではなかった。
守りたいものがあることの尊さ。
平和な日常のありがたさ。
そして、自分の生きる国や社会のことを他人事にしないということだった。
私は今でも戦争映画を観る。
それは、戦争が好きだからではない。
あの時代を生きた人たちの人生や想いを知りたいからだ。
映画を観ながら、
「本当はどんな気持ちだったんだろう。」
「帰りを待っている人がいたはずなのに。」
と考えることがある。
それは14歳の夏、知覧で遺影を見つめていた頃から変わっていない。
14歳の夏、私は知覧で泣いた。
あの日の涙の理由を、今なら少しだけ言葉にできる。
あの時私が涙を流したのは、戦争の悲惨さが理由ではなかった。
そこに、一人ひとりの人生があったことに気付いてしまったからだ。
だから私は今も、戦争について学び続けている。
あの日知覧で出会った彼らを、遠い昔の誰かにしないために。