
自己紹介の代わりに 日曜のパンの話をする
日曜の朝は決まってパンだった。
時にはパンケーキになったり、労研になったりして、そういう日が嬉しかった。
ママはよくパンを焼いた。
決まって名前のわからない穀物が入っていた。
そんなパンを、プリキュアを観ながらだらだらと、妹よりもちんたらと食べるものだからよく叱られた。
いつだったか確か、ママはパンを焼かなくなった。
それからは毎朝お米を食べた。
ママのパンの味なんかわすれた。
ママは、ちいばあから産まれた。
ちいばあがなんでちいばあなのか、どこから来たのか、わたしは知らない。
ちいばあは、えっくんとようこも産んだ。
えっくんは死んだ。
まだ寒くなりきらない、冬の日だった。
走るはずだった馬が、走れなくなった。
えっくんは死んだ。
えっくんはちいばあが産んだ。
ちいばあはもうえっくんを産めない。
えっくんはもう産まれない。
えっくんはママとなんでも話せて
ようこにはポケベルを買ってあげて。
ようこはお嫁にいくまでちいばあの家にいた。
ようこは優しかった。
ママとちいばあは時々、ようこの悪口を言う。
わたしはそれを聞きながら、ふたりの向こう側の壁を見ている。
えっくんは話に出てこない。
えっくんは死んだ。
そんなこと、みんなでしたからだと思っている。
みんな信じていないけど、わたしは知っている。
えっくんは死んだ。
わたしだけがえっくんのことを嫌いだった。
だからわたしもみんなと泣いたと思う。
東京に出てきた頃。
わたしは欲しいものを片っ端から買っていてお金もなかったから、よく半額シールのパンを食べた。
お金をはたいて新しいものを手に入れたら、いつも何者かになれた。
次の日の夜はいつも寝つきが悪かった。
そういう事に一生懸命で、いつでもお金はなかった。本当だ。
なんでも売った。
お気に入りの服、高校の参考書、人からもらったプレゼント、時間、身体。
そしてそういうものはどれもよく売れる。
実家の周りにはもうほんとやばいほどの数の蝉が、
家を取り囲む木々の一本一本にへばりつくようにしていてそれぞれが雄叫びのような声量で鳴いていた。
外でじっと聴いているとこちらもぐちゃぐちゃになってきて、
ヲーっと叫んで、全部投げ出して服を脱いで走りながら、泣き出してしまいたくなるのだった。
そしたら木々も風に揺られてザザザザザと音をたて始める。
そんな様子だから、長いこと外にはいられなくて、あとは玄関の小窓から覗くのだった。
小さなママが横にいる。安全だからだ。
ここではそういうものは禁止なのだ。
東京でのご飯は美味しいと思えなくて、どんどん痩せた。
ここはママの領域じゃないから、みんなよくしゃべる。
だけど蝉は全然しゃべらない。
ママのご飯が食べたい。
そういえば
誰かの前ですぐに泣き始める癖が全く気にいらない。
ママの前で泣けていなかったからママがいなくなってからよく嘆くようになった。
ことあるたびにもう死んでやると叫んで、そんなことばかりいって、わたしの人生ますますつまらなかった。
死にたくても、それと矛盾するように身体は生きたがる。
お腹が空いたと、脳みそに信号を送る。
だからわたしはおいしくない、食べたくもないものを食べなきゃいけなかった。
そうやって身体に生かされて、だけど死のうとするときに頭をよぎるのは本当にちいさなことばかりだった。
冷蔵庫の中の腐りかけの野菜たちや、支払いが遅れている家賃とか、この前電車の中に忘れた世界堂のふくろ、
あとは
そう、近所の居酒屋の店主が買っている亀たちが浮かんだこともあった。
どんなに寒くても暑くても、いつもおなじ顔をしているのだった。
わたしを世界と繋いでくれるものは、少なくなかったと思う。
いつだってあなたはその中のひとつだった。
死ねなかったのは、あなたがいたからだったと思う。
このことをわたしはずっと呪い続ける。
高校生の時、ママに内緒でベタを飼った。
すぐばれてたくさんおこられた。
でも結局二人でかわいがるのだった。
パパも、時々妹もいた。
その子が死んだら次はナマズを飼い始めた。
そのときはもっとおこられた。
上京するときに地元の彼氏の家にあずけた。
元気だと聞いていたけど、今はどうなんだろう。
わたしには新しい別の彼氏がいるから、もう彼らに餌をやることもない。
彼らの世界には言葉がない。
彼らは、わたしがどれだけ泣き叫んでも何かをしてくれることはない。
暗い部屋で、そばにいるわたしをただ視界の端に入れることしかできなかった。
わたしは物分かりが悪いので、自分の気持ちがわからない。
この人と結婚すると思っていた人がいた。
名前を出さなくてもわかると思う。
海が見えないって、
ママがいないって、毎夜毎夜に叫んでいたわたしがもうここにいない。
切り裂く日々が終わったりすること。
考えたことがなかったから。
今のわたしは何もわからなくなったんだろうか。
風が強い。
今日は雪がふった。
夢の中で積もった。
外は暗くなった。
さっきまでは昼だった。
だけれど今は夜になった。
たぶんもう少ししたら昼が来る。
たぶん。
わからないけど。
隣にはやっぱりママはいない。
だけど、今までと少しだけ違っている。
わたしはここが安全かどうか判断しないといけない。
外は風が強い。
ここは凪いでいる。
鳥はわたしの代わりに叫んでいる。
小さな海が見えて。
うるさくなってきた。
お腹が減った。
食べたいものはわからない。
炊飯器の中に保温のままの米を放っている。
よく、そのままにしてふたりで寝た。
お互い気づいていて、翌朝になってふたりして忘れていた体の茶番をする。
驚いた顔をしていた。
たぶん、わたしも。
もうそういうこともないのかもしれない。
だんだんと、彼は遠くへ向かっている。
大きな木の下に彼はいる。
わたしは海へ潜る。
その時間を言葉に形容するなら何になるだろうか。
わたしはわからなくなった。
大切という気持ちとか綺麗な花、お金のこととか、空腹や痛みの感覚。
目の前のあなたが今泣いているのか。
その涙は刃渡り何センチなのかが。
わからなくなってしまったもののぜんぶをあなたは持っていた。