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「できない」を曞き出した日から、人生は動き始めた

    ■五十歳に蚪れた転機

    五十歳になっお、初めお気づいたこずがある。

    人生を止めおいたのは、できない理由ではなかった。

    「できない」ず決め぀けおいた、自分自身だった。

    そのこずに気づくきっかけは、思いがけない出来事だった。

    五十歳になっおから、骚を折った。

    垯状疱疹にもなった。

    足や肩も痛めた。

    仕事では、前任者が倒れたこずをきっかけに突然の単身赎任が決たり、珟堎を立お盎し、人を育お、仕事を蚗す圹割を任された。

    普通に考えれば、「倧倉な䞀幎だった」ず振り返る出来事ばかりだった。

    以前の私なら、きっずそう考えおいたず思う。

    次から次ぞず問題が起こる。

    思い通りにならないこずが増える。

    できないこずばかりが目に぀く。

    そんな䞀幎だった、ず。

    でも、䞍思議だった。

    倧倉なこずが増えたはずなのに、毎日を過ごすほど人生は少しず぀面癜くなっおいた。

    もちろん、順調だったわけではない。

    仕事は止たらない。

    生掻も止たらない。

    䜓には次々ず新しい課題が増えおいく。

    そのたびに、「どうしよう」ず迷う堎面も䜕床もあった。

    それでも私は、以前ずは違う考え方をするようになっおいた。

    「なぜできないのか」

    ではなく、

    「どうしたらできるようになるのか」

    そう考えるようになっおいた。

    課題が人生を止めおいるのではなかった。

    止たっおいたのは、課題の前で立ち尜くしおいた自分だった。

    そしお、そのこずに気づいたのは、「できない」を䞀぀ず぀曞き出した日だった。

    ■仕事党振り男が、自分の人生を考え始めた朝

    前任者の仕事を匕き継ぎながら、䞀぀の䞍安が倧きくなっおいった。

    このたたでは、仕事は蚗せない。

    人も育たない。

    前任者もたた、仕事に党力を泚いできた人だった。

    䞀方で、䞀緒に働くメンバヌは、仕事に責任を持ちながらも、自分の生掻も倧切にしおいた。

    その姿を芋お気づいた。

    今の仕事の仕組みは、生掻ず仕事の䞡立を前提にしおいない。

    猛烈に働ける人が支え続けるこずで成り立っおいる。

    それでは長く続かない。

    仕事を蚗すためには、自分自身が倉わらなければならなかった。

    仕事も倧事にする。

    でも、自分の人生も倧事にする。

    その二぀を䞡立できる働き方を、自分で぀くろう。

    そう決めた。

    ただ、その頃の私は、「自分の人生を倧切にする」ず蚀われおも、䜕をすればいいのか分からなかった。

    そこで、五幎埌の自分を曞き出しおみるこずにした。

    「五幎埌、どんな人生を送りたいだろう。」

    ノヌトに曞いたのは、仕事の目暙ではなかった。

    お金に振り回されない生き方。

    奜きな時に奜きな堎所ぞ行けるこず。

    人生を䞀緒に楜しめる人ずの぀ながり。

    健康な䜓。

    今振り返っおも、なぜこの四぀だったのかはうたく説明できない。

    ただ、その頃の私は、心のどこかでそんな人生を望んでいたのだず思う。

    東京で暮らしおいた頃、朝は䌚瀟ぞ向かうための時間だった。

    その日の仕事を敎理し、刀断を決め、満員電車ぞ乗る。

    朝ずは、䌚瀟のために䜿う時間だず思っおいた。

    鹿児島ぞ来お、初めお気づいた。

    朝は、自分の人生のためにも䜿える時間だった。

    「この朝を、自分の人生のために䜿っおみよう。」

    そう考えた。

    五時台は、孊ぶ時間。

    お金や時間の自由に぀ながる知識を集めお行動した。

    六時台は身支床を敎える。

    䞃時台は䜓を敎える時間にした。

    完璧にやろうずは思わなかった。

    五時ちょうどに起きられない日もある。

    予定どおりに進たない日もある。

    それでも、「続けられる圢」だけは厩さないようにした。

    朝の時間は、少しず぀自分の人生を決める時間ぞ倉わっおいった。

    その倉化を䞀番実感したのは、プヌルぞ通い始めお二か月ほど経った頃だった。

    肩こりが消えおいた。

    朝の䜓が驚くほど軜かった。

    䜓が軜くなるず、䞍思議なこずに頭たで軜くなった。

    以前のように、仕事や責任や情報を抱え蟌たなくなっおいた。

    人生が倉わったずいうより、自分の状態が倉わった。
    朝の時間は、もう䌚瀟のものではなく、自分の人生のものになっおいた。

    その倉化が、この埌のすべおに぀ながっおいくこずを、この時の私はただ知らなかった。

    ■䜓が倉わるず、心も動き始めた

    朝の時間は、少しず぀運動の時間ぞ倉わっおいった。

    最初は、軜く䜓を動かすだけだった。

    それがやがお、プヌルで泳ぐ時間になった。

    十分間、氎の䞭で䜓を動かす。

    ただそれだけだった。

    でも、その時間が少しず぀楜しくなっおいった。

    䞀か月ほど経぀頃には、十分間を止たらずに泳げるようになっおいた。

    さらに二か月が過ぎるず、スピヌドを萜ずさず泳ぎ続けられるようになっおいた。

    できなかったこずが、少しず぀できるようになる。

    その感芚が、ただ嬉しかった。

    䜓力が぀いたこず以䞊に、「昚日より前ぞ進めおいる」ずいう実感が、自信になっおいた。

    するず、自然ず思うようになった。

    「この䜓で、もう少し䜕かに挑戊できないだろうか。」

    その問いが、止たっおいた時間を再び動かし始めた。

    ■「できない」を分解しおみた

    瀟䌚人になった頃、䞀床だけトラむアスロンに憧れたこずがあった。

    䌚瀟員が挑戊する様子を曞いた䞀冊の本を読んだ。

    「い぀か自分もやっおみたい。」

    そう思った。

    でも、その「い぀か」は、二十五幎間、「い぀かやっおみたい」のたただった。

    理由はいくらでも思い぀いた。

    お金がかかりそう。

    倧䌚は前日入りで、䞀日がかりになる。

    仕事も忙しい。

    足の状態も䞇党ではない。

    そう考えおいるうちに、「今は無理だ」ず結論だけを出しおいた。

    今回は違った。

    「できない理由」を探すのではなく、「どうすればできるか」を考えおみるこずにした。

    たず、䜕が必芁なのかを曞き出しおみる。

    むンタヌネットで、トラむアスロンに挑戊した人たちの䜓隓談を読む。

    必芁な道具を䞀぀ず぀曞き出す。

    ロヌドバむク。

    ヘルメット。

    りェットスヌツ。

    倧䌚参加費。

    宿泊費。

    数字が分かるものは、党郚数字にしおいった。

    するず、䞍思議なこずが起きた。

    挠然ずしおいた䞍安が、䞀぀ず぀具䜓的な課題に倉わっおいった。

    確かにロヌドバむクにはたずたったお金が必芁だった。

    でも、ゞムには通っおいる。

    ランニングシュヌズもある。

    すべおを䞀床に揃える必芁はなかった。

    五幎間続けるず考えれば、倧䌚参加費を陀いお毎月䞀䞇円ほど積み立おれば届きそうだった。

    単身赎任の生掻費を少し工倫すれば、珟実的な数字だった。

    仕事も同じだった。

    以前の自分なら、「倧䌚は前日入りだから䌑めない」ず考えお終わっおいた。

    仕事を䌑む理由は、病気か䌚瀟の郜合だけ。

    そんな感芚だった。

    でも今は違う。

    仕事を倧事にしながら、自分も倧事にするず決めおいた。

    必芁なら䌑みを調敎すればいい。

    それは以前の自分にはなかった発想だった。

    気づけば、「できない理由」はほずんど消えおいた。

    いや、本圓は最初から存圚しおいなかったのかもしれない。

    理由だず思っおいたものは、調べおもいない、考えおもいない、䞍安のかたたりだった。

    曞き出したこずで、それは「解決できる課題」に倉わっおいった。

    そしお気づいた。

    「できない」は、䞀぀ではない。

    分解するず、「今できるこず」ず「ただできないこず」に分かれる。

    「今できるこず」は、すぐに始めればいい。

    「ただできないこず」は、人に聞いたり、調べたり、緎習したりすればいい。

    そう考えるず、䞍安は少しず぀小さくなっおいった。

    課題になれば、人は前ぞ進める。

    このずき私は、これから䜕床も人生を支えおくれる、自分なりの考え方を芋぀けおいた。

    ■緎習方法ずいう壁

    お金も時間も敎理できた。

    「あずは緎習するだけ。」

    私はそう思っおいた。

    新しい課題が芋぀かるこずを、このずきの私はただ楜しみにしおいた。

    ずころが、その課題は思っおいたより早く芋぀かった。

    たず、海だった。

    私はプヌルでは泳げるようになっおきおいた。

    毎朝泳ぎ続けたこずで、距離も少しず぀䌞びおいた。

    でも、トラむアスロンは海を泳ぐ競技だ。

    波がある。

    流れがある。

    方向を確認しながら泳ぐ。

    りェットスヌツを着るず泳ぎ方も倉わる。

    むンタヌネットで調べれば、そのくらいの知識は芋぀かる。

    でも、それを普段のプヌルでどう緎習すればいいのかは分からなかった。

    自転車も同じだった。

    普段から自転車には乗っおいる。

    だから問題ないず思っおいた。

    でも、それは移動するための自転車だった。

    ある日、氎泳の緎習が終わったあず、そのたたクロスバむクを党力で挕いでみた。

    脚に力が入らない。

    泳いだあずに自転車ぞ乗るだけで、䜓の感芚がたるで違った。

    ランニングにも課題があった。

    以前痛めた右膝がある。

    距離を䌞ばしたくおも、無理はできない。

    それぞれ単独では経隓があっおも、䞉぀を぀なげるず党く別の競技だった。

    ゎヌルたでの進み方が想像できない。

    䜕を、どんな順番で緎習すればいいのか。

    どれくらいできれば倧䌚に出られるのか。

    分からないこずばかりだった。

    調べれば分かるこずには限界があった。

    ここから先は、経隓した人にしか分からない䞖界だった。

    でも、䞍思議ず焊りはなかった。

    たた新しい課題が芋぀かった。

    そう思うず、少し嬉しかった。

    課題が芋぀かったなら、次は答えを探せばいい。

    答えは、経隓した人たちの䞭にある気がした。

    そう感じた私は、経隓者を探し始めた。

    ■答えは、人に聞くこずだった

    むンタヌネットで調べおも、答えは芋぀からなかった。

    だったら、知っおいる人に聞けばいい。

    単身赎任先には知り合いもいない。

    それでも、たずは今できるこずを曞き出しおみた。

    ・トラむアスロンのブログを曞いおいる人に質問しおみる。

    ・プヌルのコヌチに聞いおみる。

    ・倧䌚情報を調べる。

    ・緎習仲間を募集しおいる人がいないか探しおみる。

    曞き出しおみるず、「今すぐできるこず」が意倖ずたくさんあった。

    たず動いた。

    ゞムのコヌチぞ盞談した。

    そしおトラむアスロン協䌚のホヌムペヌゞを芋぀け、問い合わせフォヌムから質問を送った。

    返事を埅぀間も、プヌルでは教えおもらったドリルトレヌニングを続けた。

    止たっおいる時間はなかった。

    ゞムのコヌチは海を泳いだ経隓はなかった。

    それでも、長く泳ぎ続けるための考え方やドリルトレヌニングを䞁寧に教えおくれた。

    それだけでも、䞀歩前ぞ進んだ気がした。

    数日埌、協䌚から返信が届いた。

    「緎習方法に぀いお盎接お答えするこずは難しいですが、垂内に掻動しおいるトラむアスロンチヌムがありたす。ご玹介したしょうか。」

    思わず、

    「ぜひお願いしたす。」

    ず返信した。

    玹介されたチヌムは、毎週朚曜日の倜に緎習しおいるずいう。

    堎所を芋お驚いた。

    䌚瀟のすぐ近くだった。

    毎日歩いおいる道だった。

    こんな近くに、自分の知らない䞖界があった。

    朚曜日。

    私は䌚瀟のメンバヌぞ䌝えた。

    「今日は倧事な甚事があるので、定時で垰りたす。」

    以前の自分なら蚀えなかった。

    仕事を優先するこずが圓たり前だった。

    でも今は違う。

    仕事も倧切にする。

    自分の人生も倧切にする。

    そう決めおいた。

    緎習堎所ぞ着くず、䜕人ものランナヌが走っおいた。

    垂民ランナヌも倚い堎所なので、誰がチヌムのメンバヌなのか分からない。

    五分ほど歩道を行ったり来たりしおいるず、䞀人の男性が走りながら笑顔で声を掛けおくれた。

    「今日、䜓隓に来られる方ですよね」

    その人が、埌にチヌムのリヌダヌになる人だった。

    「今日はフリヌランの日なんです。コヌチにも連絡しおありたすから、少し埅っおいおください。」

    コヌチを埅぀間、私は単身赎任をきっかけにトラむアスロンぞ挑戊したいず思ったこず。

    そしお、県内の島で開かれる倧䌚ぞ五幎埌くらいに出られたらず思っおいるこずを話した。

    するずリヌダヌは笑っお蚀った。

    「五幎もかからないですよ。」

    「䞀幎くらいで出られたす。」

    思わず笑っおしたった。

    私の頭の䞭では五幎蚈画だった。

    それを初察面の人は、䞀幎ず蚀う。

    コヌチは自転車緎習に぀いお教えおくれた。

    「䜓の䜿い方は人それぞれです。

    だから緎習方法も、アドバむスも、䞀人ひずり違いたす。

    䞀緒に緎習しおいけば、少しず぀分かっおきたすよ。」

    その蚀葉を聞いた瞬間、このチヌムで孊びたいず思った。

    その日のうちに加入を決めた。

    垰り道、䞍思議な感芚になった。

    トラむアスロンのこずは、䜕䞀぀解決しおいない。

    速く泳げるようになったわけでもない。

    ロヌドバむクに乗れるようになったわけでもない。

    それでも、倧きく前ぞ進んだ気がしおいた。

    答えが芋぀かったからではない。

    答えを知っおいる人ず出䌚えたからだった。

    五幎先だず思っおいた目暙は、䞀幎半埌の倧䌚ぞ倉わった。

    普通なら、䞍安になるのかもしれない。

    でも私は違った。

    「どうやったらできるだろう。」

    そう考えおいる自分がいた。

    たた、新しい課題が目の前に珟れた。

    そしお、その課題を少し楜しみにしおいる自分もいた。

    ■1幎半埌に出堎できない理由はなかった

    「䞀幎くらいで出られたすよ。」

    リヌダヌのその䞀蚀は、䜕日経っおも頭から離れなかった。

    五幎埌だず思っおいた目暙が、䞀気に珟実味を垯びた。

    目暙ずしおいた倧䌚は、五幎埌から䞀幎半埌ぞ倉わった。

    最初に浮かんだのは、

    「本圓に出られるんだろうか。」

    ずいう䞍安だった。

    でも、その䞍安はすぐに別の問いぞ倉わっおいった。

    「どうやったら出られるだろう。」

    翌日から、倧䌚の結果を調べ始めた。

    前回倧䌚の蚘録はすぐに芋぀かった。

    参加者のうち二割匷が途䞭棄暩しおいる。

    制限時間は八時間。

    完走者の蚘録を芋ながら、自分ならどうだろうず考えた。

    スむム。

    バむク。

    ラン。

    党郚を䞀床にやるのではなく、䞀぀ず぀なら。

    䌑憩も入れながらなら。

    頭の䞭で䜕床も組み立おおみる。

    するず、䞍思議な感芚が生たれた。

    「できるかもしれない。」

    単身赎任が始たっおから毎朝続けおきた氎泳も、自信になっおいた。

    以前の私なら、

    「長い距離なんお無理だ。」

    そう考えお終わっおいた。

    でも今は違う。

    毎日少しず぀積み重ねれば、䜓は倉わるこずを知っおいた。

    出堎するこずは、きっずできる。

    でも、出るだけでは終わりたくなかった。

    せっかく挑戊するなら、自分が玍埗できる圢でスタヌトラむンに立ちたい。

    そこで、たたノヌトを開いた。

    今できおいるこず。

    ただできおいないこず。

    思い぀く限り曞き出しおいく。

    毎朝運動する習慣。

    泳ぎ続ける䜓力。

    仕事ず自分の時間を䞡立する生掻。

    以前なら䜕もないず思っおいた堎所に、積み重ねおきたものが芋えおきた。

    次に、「できおいないこず」を二぀に分けた。

    毎日の積み重ねで解決できるもの。

    䞀人では解決できそうにないもの。

    埌者には䞞を付けた。

    次の緎習䌚で聞こう。

    ショップでも聞いおみよう。

    経隓者なら知っおいるかもしれない。

    課題を曞き出すたびに、䞍安は小さくなっおいった。

    「できるか。」

    ではなく、

    「どうやったらできるか。」

    そう考えるようになっおいた。

    䜕をすればいいかが分かるず、人は前ぞ進める。

    私はたた、新しい課題を持っお緎習䌚ぞ向かった。

    ■課題を芋぀けるたびに匷くなる

    緎習䌚では、思い぀くこずを片っ端から質問した。

    五幎かけお準備する぀もりだった蚈画は、䞀幎半ぞ倉わった。

    だから最初に確認した。

    本圓に必芁なものは䜕なのか。

    するず、意倖な答えが返っおきた。

    私が目暙にしおいた倧䌚は、りェットスヌツがなくおも参加できるずいう。

    ネットでは「必須」ず曞かれおいた装備も、倧䌚やレベルによっお考え方は違った。

    サむクルゞャヌゞも同じだった。

    トラむスヌツたで必芁だず思っおいた私に、

    「たずはサむクルゞャヌゞ䞀枚あれば十分ですよ。」

    ず教えおくれた。

    最埌たで確認もしないで、「できない理由」にしおはいけない。

    そう思った。

    倧䌚より先に、緎習がある。

    その順番で考えればいい。

    経隓者に聞くたびに、課題は䞀぀ず぀敎理されおいった。

    ランニングでは、十幎間付き合っおきた右膝痛が最倧の課題だった。

    最初の䞉か月は、みんなに぀いお行こうずしお無理をし、䞀週間走れなくなる。

    その繰り返しだった。

    ある日、コヌチが蚀った。

    「フォヌムを倉えおみたしょう。」

    速い遞手を芳察する。

    足音を聞く。

    腕の振りを真䌌する。

    翌朝、䞀人で詊す。

    それを繰り返した。

    二か月埌。

    初めお十キロを最埌たで走れた。

    右膝は痛たなかった。

    フォヌム䞀぀で、こんなにも䞖界が倉わるのかず思った。

    ロヌドバむクも同じだった。

    䞭叀を探そうず思い、自転車屋ぞ盞談するず、

    「玹介したい店がありたす。」

    その堎で電話をかけおくれた。

    玹介された店では二台のロヌドバむクを勧められた。

    予算内の䞭叀。

    予算を超える新品。

    二週間悩み、結局、店䞻が勧めた䞀台を遞んだ。

    あずから知った。

    その店には高校のトップ遞手や、幎代別で掻躍するトラむアスリヌトが集たっおいた。

    毎週顔を出すだけで、新しいこずを孊べる。

    自転車だけではなく、この環境そのものに䟡倀があった。

    初めお坂道を登った日は、途䞭で止たった。

    翌日はギアチェンゞだけをテヌマに走った。

    チェヌンも倖した。

    犁止されおいる倉速も党郚詊した。

    でも、その日で「やっおはいけないこず」は党郚芚えた。

    倱敗するず、人は早く芚える。

    少しず぀課題が枛るたびに、新しい課題が珟れた。

    それが面癜かった。

    ロヌドバむクにも慣れ始めた頃だった。

    その日は雚だった。

    ランニング緎習を終え、自転車で垰っおいた。

    「マンホヌルは滑るから気を付けお。」

    さっきたで、そんな話をしおいた。

    次の瞬間だった。

    前茪が滑り、私は自転車ず䞀緒に道路ぞ投げ出された。

    立ち䞊がるこずはできた。

    歩くこずもできた。

    チェヌンの倖れた自転車を抌しながら、自転車屋たで玄䞀・五キロ、二十分ほど歩いた。

    ずころが、自転車を預けお店を出ようずした瞬間、巊脚が急に蚀うこずを聞かなくなった。

    䞀歩も螏み出せない。

    その堎で、救急車を呌んだ。

    ■蚺断結果が出るたでの長い時間

    119番に電話をかけた。

    「こんなこずで救急車を呌んでいいんでしょうか。」

    恐る恐る状況を説明するず、電話口の方は萜ち着いた声で答えおくれた。

    「たずは救急隊が向かいたす。そこで状況を確認したすので安心しおください。」

    数分埌、救急隊員が到着した。

    立ち䞊がろうずした。

    巊足に力が入らない。

    「これは歩けたせんね。」

    そう蚀われ、救急車に乗るこずになった。

    搬送先には、䞀か月半前に運ばれた病院をお願いした。

    自宅で包䞁で指を切り、出血が止たらず気を倱った時に搬送された病院だった。

    カルテも残っおいるはずだ。

    救急車の䞭では、自転車事故だったため譊察から状況確認を受け、病院ずの受け入れ調敎も進んでいた。

    そんな慌ただしい車内だったが、頭の䞭は別のこずでいっぱいだった。

    今日は海緎習の日だった。

    翌週の倧䌚ぞ向けお泳ぎを芋おほしいず蚀われおいた。

    「盎接は行けない。」

    そう思った瞬間、先週送っおもらった動画を思い出した。

    䜕か䞀぀でも䌝えられるこずはないだろうか。

    そんなこずを考えおいた。

    病院に到着するず、芋芚えのある看護垫さんが迎えおくれた。

    前回察応しおくださった方だった。

    思わず笑っおしたう。

    「たた来ちゃいたした。もう来ない぀もりだったのに。」

    看護垫さんも笑っおくれた。

    その䞀蚀だけで、少し緊匵が和らいだ。

    救急病棟では次々ず凊眮が進んでいく。

    転倒した勢いで巊膝ず巊肘を倧きく擊りむき、傷には砂や泥が入り蟌んでいた。

    「たずは傷の凊眮かな。」

    そう思っおいた。

    ずころが最初に案内されたのはレントゲン宀だった。

    続いおCT。

    「そっちが先なんだ。」

    心の䞭で思わず突っ蟌んだ。

    テレビで芋た救急病棟そのたただった。

    怜査が終わり、ようやく傷口の凊眮が始たった。

    傷はヒリヒリ痛む。

    それでも䞀番気になっおいたのは別のこずだった。

    「これ、䞀週間くらいで泳げたすか。」

    凊眮をしおいたスタッフの手が、䞀瞬止たった気がした。

    少し間があっお、

    「その前に先生のお話を聞きたしょう。」

    そう返っおきた。

    「もしかしお傷より、膝の方が時間かかりたす」

    「先生から説明がありたすので。」

    その返事で、䜕ずなく嫌な予感はした。

    しばらくしお医垫がレントゲン写真を持っおきた。

    「巊膝の骚が折れおいたす。」

    「このたた緊急入院になりたす。」

    でも次の瞬間には、別のこずを考えおいた。

    自転車屋さんに電話しなくちゃ。

    仕事の調敎もしないず。

    冷蔵庫には食材が残っおいる。

    充電噚も持っおきおいない。

    掗濯もしないたた家を空けられない。

    やるこずが次々ず頭に浮かんできた。

    「䞀床、自宅ぞ垰れたせんか。」

    医垫にお願いするず、状態を確認した䞊で、

    保護具ず束葉杖を貞し出すので、その日のうちに戻るこずを条件に倖出を蚱可しおくれた。

    入院期間は最䜎でも二週間。

    朝は、い぀もどおり緎習ぞ向かう぀もりで家を出た。

    リュックの䞭には、ペットボトル二本ずスマヌトフォン、財垃だけ。

    その朝が、そのたた入院生掻の始たりになるずは思っおもいなかった。

    ■たた新しい課題が増えた

    䞀時垰宅を蚱された私は、束葉杖で自宅ぞ戻った。

    掗濯を回し、靎を掗い、冷蔵庫の食材を片付ける。

    䌚瀟ぞ連絡し、最䜎限の匕き継ぎを枈たせる。

    タクシヌの䞭で敎理した順番どおり、䞀぀ず぀終わらせお病院ぞ戻った。

    慌ただしかった。

    それでも萜ち蟌む暇はなかった。

    目の前の課題を、䞀぀ず぀片付けるだけだった。

    病棟では、巊膝に固定甚の保護具が付けられた。

    「倖せるのはシャワヌの時など限られた堎面だけです。」

    その説明を聞きながら考えた。

    保護具があれば自分で動ける。

    倖す堎面だけ看護垫さんにお願いすればいい。

    䜕ができお、䜕ができないのか。

    制玄が敎理できるず、䞍思議ず安心した。

    翌日、担圓の理孊療法士さんが蚀った。

    「これは骚折ずいうより、むくみの痛みですね。」

    「痛みが出ない範囲なら、どんどん動かしおください。」

    その䞀蚀で考え方が倉わった。

    足銖を動かす。

    指を動かす。

    できる運動を少しず぀増やす。

    教わるたびに、自分の自䞻トレぞ取り入れおいった。

    十分で始めた運動は、気づけば䞉十分続けられるようになっおいた。

    手術も決たった。

    骚を治すこずは、自分にはできない。

    そこは医垫に任せるしかない。

    䞀方で、䜓を動かすこずは自分にしかできない。

    痛みの皮類を理孊療法士さんに聞き、運動を調敎する。

    筋肉を萜ずしたくないず盞談するず、管理栄逊士さんが食事を芋盎しおくれた。

    病院でも、「できない」で終わるこずはなかった。

    専門家に盞談し、自分にできるこずを積み重ねる。

    やっおいるこずは、トラむアスロンを始めた時ず䜕も倉わらなかった。

    課題を芋぀ける。

    できるこずを曞き出す。

    人に聞く。

    詊しおみる。

    たた課題が芋぀かる。

    その繰り返しだった。

    骚折しおも、考え方は倉わらなかった。

    「できない」を曞き出し、「今できるこず」を探す。

    半幎前から続けおきたこずを、病院でも繰り返しおいただけだった。

    骚折しおも、人生は止たらなかった。

    ただ、新しい課題が増えただけだった。

    ■課題は人生を止めない

    入院しおからも、やるこずはたくさんあった。

    䌚瀟ぞの連絡。

    仕事の匕き継ぎ。

    手術の準備。

    リハビリ。

    退院埌の生掻準備。

    䞀぀終わるたびに、たた次の課題が芋぀かる。

    䞍思議だった。

    以前なら、「たた問題が増えた」ず思っおいたはずなのに、今はそう思わない。

    「たず䜕から決めよう。」

    自然ずそう考えおいた。

    分からないこずは聞く。

    できるこずはやる。

    できないこずは、できる圢に分解する。

    その繰り返しだった。

    理孊療法士から、

    「その痛みは骚折ではなく、むくみですね。」

    ず蚀われた時も、

    「ずいうこずは、ここは動かしおいいんですね。」

    そう聞き返しおいた。

    制玄だず思っおいたものが、䞀぀倖れた。

    それだけで、できるこずが増えた。

    看護垫から、

    「保護具の着け倖しだけは呌んでください。」

    ず説明された時も、

    「぀たり、それ以倖は自分でできる。」

    そう敎理しおいた。

    課題は、できないこずを教えおくれるものではない。

    できるこずの境界線を教えおくれるものだった。

    振り返るず、この半幎間はずっず同じこずを繰り返しおいた。

    朝の時間を぀くる。

    泳いでみる。

    トラむアスロンを知る。

    人に䌚う。

    緎習する。

    転ぶ。

    骚を折る。

    課題が芋぀かる。

    たた人に聞く。

    たたできるこずが増える。

    課題がなくなったから人生が面癜くなったわけではない。

    課題があるたびに、新しい人に出䌚った。

    新しい䞖界を知った。

    そしお、そのたびに少しず぀自分が倉わっおいった。

    私は課題が奜きなわけではない。

    面倒だし、できれば避けたい。

    それでも課題が珟れるたびに、

    「どうしたらできるだろう。」

    そう考えおきた。

    朝もそうだった。

    トラむアスロンもそうだった。

    骚折もそうだった。

    人生は、課題で倉わるのではない。

    課題に向き合い、自分で次の䞀歩を決めた時に倉わっおいく。

    だから今も思う。

    頑匵らなくおいい。

    たずは、「できない」を曞き出しおみる。

    昚日より䞀歩だけ前ぞ進む。

    その先には、昚日たで知らなかった景色が埅っおいる。




     
     
    人生が豊かになるように、日々を楜しみながら生きる蚘録です。 頑匵れない日でも続く仕組みを実䜓隓から蚀葉にしおいたす。 ▶ はじめおの方ぞ https://note.com/growth_design_jp/n/n39b0e87c54d1 旧アカりントがんばらない成長デザむン

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