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日蓮の妙法弘通・法華勧奨を支えた師匠・教主釈尊

日蓮の生涯を振り返ると、その弘通への執念には圧倒されます。
弘安3年(1280)の『諌暁八幡抄』(真蹟)で、日蓮は建長5年(1253)の立教開宗以来を振り返り、「二十八年が間又他事なし。只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり」と記しました。それを「母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲」に譬え、さらに「只不軽のごとく大難には値ふとも、流布せん事疑ひなかるべき」と言い切ります。
 
法華経・勧持品第十三では、薬王菩薩らが仏滅後の弘経を誓い、「不惜身命――身命を惜しまず」と表明します。さらに後段の二十行の偈では、弘経を誓う菩薩たちが「我不愛身命 但惜無上道――我、身命を愛せず、但、無上道を惜しむ」と宣言します。日蓮の生涯は、この法華経に説かれた不惜身命の弘経を、自らの歴史のただ中で生き抜こうとした歩みでした。
 
けれども、ここで一つ忘れてはならないことがあります。
日蓮を支えていたのは、そこに師匠の存在があったということです。建治元年(1275)の『一谷入道御書』(真蹟断片)で、日蓮は自らを「日蓮は愚なれども釈迦仏の御使・法華経の行者なり」と名乗っています。同じ書状では、釈尊を「現に国主・父母・明師たる釈迦仏」とまで記しました。
 
「御使」には、使者を遣わす者がいます。
「明師」には、その教えを受け取る弟子がいます。

日蓮が幾度の難に遭いながら妙法弘通・法華勧奨をやめなかった、その信仰の源流をたどれば、そこに立っているのは日蓮自身ではなく、教主釈尊でした。日蓮の不惜身命を、ただ一人の宗教者の強靱な精神力や英雄的な自己確信だけで説明してしまえば、その最も深いところを見失ってしまうのではないでしょうか。
 
その釈尊は、法華経・方便品第二で「我本立誓願 欲令一切衆 如我等無異」、そして「化一切衆生 皆令入仏道――一切衆生を化して、皆、仏道に入らしむ」と説きます。すべての人を仏道へ入らせたい――その釈尊の誓願があり、その誓願を未来へ担う菩薩たちがあり、やがて末法のただ中で、地涌・上行に託された弘通の使命を自らの行動として担っていった日蓮がいました。
 
ここでいう「上行菩薩日蓮」とは、単純な身分の自己同一化を意味するのではなく、上行菩薩に託された弘通の使命を、生涯をかけて担った日蓮という意味です。

日蓮は久遠仏に取って代わったのではありません。むしろ、久遠の彼方から流れてくる師匠・教主釈尊の慈悲と智慧を、自分のところで堰き止めることなく、命をかけて末法の人々へ流れ通わせた――その師弟の姿の中にこそ、日蓮の不惜身命を支え続けたものが見えてくるのではないでしょうか。

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